↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
67/74

第67話 都合のいいことして、本当にすいません……

 端末のコンソールで、緑色に点滅していたインジケーターが滑らかな連続点灯へと切り替わった。

 スピーカーから、暗号化回線の確立を告げる澄んだ電子音が短く響く。


「やあ、シュン! 君から通信を繋いでくれるなんて、今日は帝都の全導管が一斉に逆流でもしたのかい?」


 弾んだ声が、リビングの空気を一気に震わせた。

 スピーカーの音圧に、シュンはわずかに耳を引いた。

 革張りソファーの上で居住まいを正し、喉を小さく鳴らしてからマイクへと向き直った。


「ご無沙汰しております、ジュリアンさん。お忙しい時間にすみません」

「とんでもない! 君からの連絡なら、どんな会議を抜け出してでも出るさ。それで、改まってどうしたんだい?」

「いえ、実は少々お伺いしたいことがありまして。……先日公表された、スラム未整備区画のインフラ改修計画のことなんですが」

「ああ、あの案件かい。役員会でも今、最優先で動いている大型計画だよ」

「その……役員会で共有されている、詳細な工程表を見せていただくことはできないでしょうか。全体図面ではなく、各工区の具体的な作業スケジュールが知りたいんです」


 スピーカーの向こうで、わずかに声のトーンが落ち着いた。


「君が公社の内部資料を気にするなんて珍しいね。何か気になることでもあるのかい?」

「僕が在籍していた頃は、現場がどれだけ訴えても門前払いされていた区画でしたから。新体制になって、どんな工区割りで着地させたのか……元技師として、少し気になってしまいまして」

「ふむ、古巣の現場がどう動いているか、技術屋としての純粋な関心だね! そういうことならお安い御用さ。今、手元から直接データを送るよ」


 コンソールのインジケーターが細かく明滅し、転送完了を告げる短いチャイムが鳴った。


「届いたかい? 経営企画室が昨日承認したばかりの最新版だ」

「はい、受信確認しました。ありがとうございます」


 シュンは端末を引き寄せ、スラム東部工区の詳細スケジュールを開いた。

 工程表の冒頭、着工日の欄には明日の日付が刻まれている。


 配管網の敷設、高圧魔力導管のバイパス切り替え手順。

 綿密に組み上げられた工程の一角、赤枠で強調された項目にシュンの目が留まった。


【着工第3日目:事前測量、および東部閉鎖空洞・防爆扉の開放・坑内ガス濃度測定】


「…………っ」


 スクロールしていた指先が、画面の上で凍りついた。

 喉の奥が、ぎゅっと締めつけられる。


 3日後だ。


「シュン? どうかしたかい? 工程に何か不備でも見つかったかな」


 スピーカーから投げかけられた声に、シュンの肩がびくりと跳ねる。

 傍らのシエラが、無言で端末を覗き込んだ。

 麦茶のポットを傾けかけていたリリアの手が、宙で止まる。


 シュンは乾いた喉を唾で湿らせ、努めて平坦な声をマイクへ向けた。


「……いえ、図面そのものは極めて緻密に組まれています。ただ、ひとつだけ……どうしても気になるところがありまして」

「ほう? 君が気になる点とは何だい?」

「この、東端の閉鎖空洞です。調査の初動……着工から3日目に、扉を開けてガス濃度を測る計画になってますよね」

「ああ。長年放置された危険区域だからね。計画の初期段階でリスクを洗い出しておくのが定石だ」

「その順番が、一番危ないんです」


 シュンは画面上の配管系統図を指でなぞりながら、言葉を継いだ。

 傍らから注がれるシエラの視線が、こめかみにちくちくと刺さる。


「この段階だと、周辺の仮設換気ラインも送風ダクトも、まだ敷設されていません。そこでいきなり防爆扉を開放すれば、逆流したガスが作業通路全体へ漏れかねない」

「ふむ……言われてみれば、確かに筋が通っているな」

「仮設の換気ラインを確立させて、安全手順が整った事前調査の最後に回すべきです。初動で開けるのは無謀ですよ」


 言い終えて、シュンは息を詰めた。

 一拍の沈黙の後、スピーカーの奥から感嘆の声が漏れ出した。


「……素晴らしいよ、シュン」

「え……?」

「自らは公社を去った身でありながら、現場で汗を流す後輩たちの命をここまで案じているなんて……! なんという崇高な師弟愛だ!」

「あ、いえ、僕は単に工学的なリスクを――」

「謙遜しなくていい。現場の技師たちを危険に晒してまで急ぐ理由なんて、どこにもないさ」


 スピーカーの向こうで、端末を叩く速い打鍵音が響いた。


「今すぐ僕から経営企画室と役員会へ指示を出そう。東端危険区域の事前調査は工程の最末尾へ回し、周辺換気設備の設置完了を絶対条件とする、とね」

「えっ……本当ですか?」

「大株主の権限を何のために持っていると思っているんだい? 君の後輩たちの命を守るためなら、これくらい当然の処置さ」

「あの……工程の最末尾というと、具体的にはいつ頃になるんでしょうか」

「そうだね。全体の進捗にもよるが、早くても7日から10日後になるはずだよ」

「ありがとうございます、ジュリアンさん。現場も助かると思います」

「礼には及ばないよ! ところでシュン、現場といえば、最近帝都で実用化された新型オシロスコープの周波数応答なんだがね、実に興味深くて――」


 話が別の方向へ転がり始める気配を察知し、シュンは身を乗り出した。


「すみませんジュリアンさん、少し手元の作業が立て込んでおりまして、今日はこれで失礼します!」

「おや、もうかい? それならま――」


 迷わず遮断レバーを押し戻し、シュンはソファーの背もたれへぐったりと身を沈めた。


「……ふうぅぅ……助かった……」


 額の汗を手の甲で拭うシュンの脇へ、漆黒のドレスの裾を揺らしてシエラが静かに歩み寄ってきた。

 切れ長の琥珀色の瞳が、温度のない視線でシュンを見下ろしている。


「……見事な手腕でしたね」

「シエラ?」

「ご自分で台帳に書き込んだ偽装データを、ご自分で危険の根拠に挙げる。……大株主に対する、立派な欺罔行為です」


 シュンは小さく肩をすぼめた。


「うっ……そ、それは……」

「『崇高な師弟愛』、でしたか」

「や、やめてくれ、胃が痛いから……! でも、あそこで本当のことを言ったら『親友の隠れ家が見つかった!』ってジュリアンさんが真っ先に飛んでくるだろ……!?」

「事実ですね」


 シエラは淡々と肯定し、小さく息を吐いた。

 シュンはソファーのクッションを抱え込み、顔をうずめた。


「落ち着いたら……この騒動が全部片付いたら、ジュリアンさんにはちゃんと僕から頭を下げて謝るよ……」

「約束ですよ」


 リリアが穏やかな笑みを浮かべて歩み寄り、冷えた麦茶のグラスを差し出した。


「ふふ、でもシュン様。ひとまず時間は稼げましたね〜」

「……うん、リリア。ありがとう……」


 受け取ったグラスを両手で包み、シュンは冷たい麦茶を一口含んだ。

 ローテーブルの向こうでは、空のグラスを両手で持ったままのノアが、シュンとシエラの顔を交互に見比べている。


 喉を落ちていく麦茶は冷たいのに、こめかみの奥の熱は、なかなか引いてくれなかった。

 シュンはグラスを置き、ゆっくりと額を押さえた。


最後までお読みいただきありがとうございました!


「お揃いの作業着が可愛い!」「シエラとの床下密着にドキドキした!」「ノアの怪力が頼もしすぎる!」「リリアのハンドケアで癒やされたい!」など、少しでも楽しんでいただけましたら、広告下部の【ブックマークに追加】や【ポイント評価(★)】で応援していただけると大変励みになります!

次回も明日【18:00】に更新予定です!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。