第67話 都合のいいことして、本当にすいません……
端末のコンソールで、緑色に点滅していたインジケーターが滑らかな連続点灯へと切り替わった。
スピーカーから、暗号化回線の確立を告げる澄んだ電子音が短く響く。
「やあ、シュン! 君から通信を繋いでくれるなんて、今日は帝都の全導管が一斉に逆流でもしたのかい?」
弾んだ声が、リビングの空気を一気に震わせた。
スピーカーの音圧に、シュンはわずかに耳を引いた。
革張りソファーの上で居住まいを正し、喉を小さく鳴らしてからマイクへと向き直った。
「ご無沙汰しております、ジュリアンさん。お忙しい時間にすみません」
「とんでもない! 君からの連絡なら、どんな会議を抜け出してでも出るさ。それで、改まってどうしたんだい?」
「いえ、実は少々お伺いしたいことがありまして。……先日公表された、スラム未整備区画のインフラ改修計画のことなんですが」
「ああ、あの案件かい。役員会でも今、最優先で動いている大型計画だよ」
「その……役員会で共有されている、詳細な工程表を見せていただくことはできないでしょうか。全体図面ではなく、各工区の具体的な作業スケジュールが知りたいんです」
スピーカーの向こうで、わずかに声のトーンが落ち着いた。
「君が公社の内部資料を気にするなんて珍しいね。何か気になることでもあるのかい?」
「僕が在籍していた頃は、現場がどれだけ訴えても門前払いされていた区画でしたから。新体制になって、どんな工区割りで着地させたのか……元技師として、少し気になってしまいまして」
「ふむ、古巣の現場がどう動いているか、技術屋としての純粋な関心だね! そういうことならお安い御用さ。今、手元から直接データを送るよ」
コンソールのインジケーターが細かく明滅し、転送完了を告げる短いチャイムが鳴った。
「届いたかい? 経営企画室が昨日承認したばかりの最新版だ」
「はい、受信確認しました。ありがとうございます」
シュンは端末を引き寄せ、スラム東部工区の詳細スケジュールを開いた。
工程表の冒頭、着工日の欄には明日の日付が刻まれている。
配管網の敷設、高圧魔力導管のバイパス切り替え手順。
綿密に組み上げられた工程の一角、赤枠で強調された項目にシュンの目が留まった。
【着工第3日目:事前測量、および東部閉鎖空洞・防爆扉の開放・坑内ガス濃度測定】
「…………っ」
スクロールしていた指先が、画面の上で凍りついた。
喉の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
3日後だ。
「シュン? どうかしたかい? 工程に何か不備でも見つかったかな」
スピーカーから投げかけられた声に、シュンの肩がびくりと跳ねる。
傍らのシエラが、無言で端末を覗き込んだ。
麦茶のポットを傾けかけていたリリアの手が、宙で止まる。
シュンは乾いた喉を唾で湿らせ、努めて平坦な声をマイクへ向けた。
「……いえ、図面そのものは極めて緻密に組まれています。ただ、ひとつだけ……どうしても気になるところがありまして」
「ほう? 君が気になる点とは何だい?」
「この、東端の閉鎖空洞です。調査の初動……着工から3日目に、扉を開けてガス濃度を測る計画になってますよね」
「ああ。長年放置された危険区域だからね。計画の初期段階でリスクを洗い出しておくのが定石だ」
「その順番が、一番危ないんです」
シュンは画面上の配管系統図を指でなぞりながら、言葉を継いだ。
傍らから注がれるシエラの視線が、こめかみにちくちくと刺さる。
「この段階だと、周辺の仮設換気ラインも送風ダクトも、まだ敷設されていません。そこでいきなり防爆扉を開放すれば、逆流したガスが作業通路全体へ漏れかねない」
「ふむ……言われてみれば、確かに筋が通っているな」
「仮設の換気ラインを確立させて、安全手順が整った事前調査の最後に回すべきです。初動で開けるのは無謀ですよ」
言い終えて、シュンは息を詰めた。
一拍の沈黙の後、スピーカーの奥から感嘆の声が漏れ出した。
「……素晴らしいよ、シュン」
「え……?」
「自らは公社を去った身でありながら、現場で汗を流す後輩たちの命をここまで案じているなんて……! なんという崇高な師弟愛だ!」
「あ、いえ、僕は単に工学的なリスクを――」
「謙遜しなくていい。現場の技師たちを危険に晒してまで急ぐ理由なんて、どこにもないさ」
スピーカーの向こうで、端末を叩く速い打鍵音が響いた。
「今すぐ僕から経営企画室と役員会へ指示を出そう。東端危険区域の事前調査は工程の最末尾へ回し、周辺換気設備の設置完了を絶対条件とする、とね」
「えっ……本当ですか?」
「大株主の権限を何のために持っていると思っているんだい? 君の後輩たちの命を守るためなら、これくらい当然の処置さ」
「あの……工程の最末尾というと、具体的にはいつ頃になるんでしょうか」
「そうだね。全体の進捗にもよるが、早くても7日から10日後になるはずだよ」
「ありがとうございます、ジュリアンさん。現場も助かると思います」
「礼には及ばないよ! ところでシュン、現場といえば、最近帝都で実用化された新型オシロスコープの周波数応答なんだがね、実に興味深くて――」
話が別の方向へ転がり始める気配を察知し、シュンは身を乗り出した。
「すみませんジュリアンさん、少し手元の作業が立て込んでおりまして、今日はこれで失礼します!」
「おや、もうかい? それならま――」
迷わず遮断レバーを押し戻し、シュンはソファーの背もたれへぐったりと身を沈めた。
「……ふうぅぅ……助かった……」
額の汗を手の甲で拭うシュンの脇へ、漆黒のドレスの裾を揺らしてシエラが静かに歩み寄ってきた。
切れ長の琥珀色の瞳が、温度のない視線でシュンを見下ろしている。
「……見事な手腕でしたね」
「シエラ?」
「ご自分で台帳に書き込んだ偽装データを、ご自分で危険の根拠に挙げる。……大株主に対する、立派な欺罔行為です」
シュンは小さく肩をすぼめた。
「うっ……そ、それは……」
「『崇高な師弟愛』、でしたか」
「や、やめてくれ、胃が痛いから……! でも、あそこで本当のことを言ったら『親友の隠れ家が見つかった!』ってジュリアンさんが真っ先に飛んでくるだろ……!?」
「事実ですね」
シエラは淡々と肯定し、小さく息を吐いた。
シュンはソファーのクッションを抱え込み、顔をうずめた。
「落ち着いたら……この騒動が全部片付いたら、ジュリアンさんにはちゃんと僕から頭を下げて謝るよ……」
「約束ですよ」
リリアが穏やかな笑みを浮かべて歩み寄り、冷えた麦茶のグラスを差し出した。
「ふふ、でもシュン様。ひとまず時間は稼げましたね〜」
「……うん、リリア。ありがとう……」
受け取ったグラスを両手で包み、シュンは冷たい麦茶を一口含んだ。
ローテーブルの向こうでは、空のグラスを両手で持ったままのノアが、シュンとシエラの顔を交互に見比べている。
喉を落ちていく麦茶は冷たいのに、こめかみの奥の熱は、なかなか引いてくれなかった。
シュンはグラスを置き、ゆっくりと額を押さえた。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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