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第64話 「免責など適用されると思うな!」――突きつけられた「却下印」

「復旧班が来ないとはどういうことだ! 『即応性に問題はない』と豪語していたのは貴様だろうが!」


 蒸し風呂と化した役員室に、怒号が響き渡っていた。

 詰め寄る役員たちの脂汗にまみれた視線を浴びながら、レジナルド・クロフトはベストの胸元を緩めたまま、手元の薄型端末を操作した。

 額から顎へと伝う汗を手の甲で拭い、無理やり冷淡な声を作る。


「……落ち着いてください。私は設計案を提示したに過ぎません。あの規程を決裁し、施行されたのは役員会の皆様のはずです」


「すり替えるな! 貴様の作ったルールそのものが破綻しているんだ!」


 クロフトは引き攣った薄笑いを浮かべ、画面に呼び出した契約書をテーブルの中央へ突き出した。


「基本契約書の第十四条をご確認ください。——受託者は、一切の結果責任を負いません」


「ふざけるな! バイパスが焼き切れたのも、貴様が保守費用を削ったせいだろうが!」


「私のモデルに問題はありません。壊れたのは現場の点検不足です。日常の保全手順すら怠っていたのでしょう」


「現場の怠慢だと……!? おい中央変電所! 聞いているか! なぜ保全を怠っていた!」


 役員が卓上の緊急音声通信器に向かって怒鳴りつけた。


 ざらついた空電の向こうで、一拍の間が落ちた。


「……中央変電所、第3調律室です。現場からは先週、重大インシデント警告書と、第3緊急バイパス系統の保全申請を正式に起案しております」


「な……警告書だと?」


「猛暑のピーク時に、冷却を絶たれたバイパスが破断し、本社へ逆流する恐れがある、と。——即日、却下されています」


「却下……? 誰がそんなものを却下した!」


「決裁ログの控えが、現場の端末に残っております。そちらの電信印字機へ送ります」


 通信器の脇で、埃をかぶっていた旧式の電信印字機が、カタカタと乾いた音を立て始めた。

 細長い紙片が、少しずつ吐き出されてくる。

 役員の一人がそれを引きちぎるように掴み、目を走らせた。


「決裁者、レジナルド・クロフト。『ROI(投資対効果)不明のため却下』……」


 紙片の末尾に、赤インクで「却下」の印影と、クロフトの個人識別コードが刷り出されていた。


 クロフトの端末を操作していた指先が、ぴたりと止まる。


「……貴様」


 役員の一人が、手元にあった分厚い報告書の束を掴み、猛然とテーブルへ叩きつけた。

 激しい音が密閉された室内に響き渡り、散らばった書類が宙を舞う。


「この『統計モデル解析により運用リスクは0.001%未満、現場と合意完了』という役員会向けレポートは何だ!」


 紙束の表紙には、印刷されたクロフトの署名が記されていた。


「現場からの重大警告を意図的に隠蔽し、役員会を騙して保全を禁じていたのか!?」


「そ、それは……定量的モデルに基づいた合理的な予測であり……」


 クロフトが初めて顔を上げた。

 貼り付けたような冷徹な表情が崩れ、引き攣った唇が微かに震えている。


「現場が危険を訴えていた事実を揉み消しておいて、何が合理的だ! 明白な虚偽報告だぞ!」


 役員たちの怒声が、熱気の澱んだ部屋に跳ね返った。


「意図的な隠蔽や重大な過失による損害に、免責条項など適用されると思うな!」


「な……!?」


「アドバイザー契約は本日付で解除する。成功報酬は不支給。——損害の全額は、貴様と所属ファームに請求させてもらう」


「お、お待ちください。契約上、私の責任範囲はフレームワークの提示までで——」


「その契約書ごと、法廷に持っていけ」


『——では、現場の復旧作業に戻ります。失礼いたします』


 ぷつり、と通信器が沈黙した。


 クロフトの指が、端末の上で契約書の条文をスクロールしていく。

 第十四条。第十五条。附則。別表。

 顎から落ちた汗の粒が画面に弾け、指先がその上を滑った。

 それでも指は、止まらなかった。


---


 壁際のスリットから、さらりと乾いた冷風が流れ出している。

 白熱灯の下で、金属同士が擦れ合う細かな音が続いていた。


 シュンは作業台の上に、昼間にノアと楽しんだ手作りのペルチェ式ジェラート機を綺麗に分解して並べていた。


 取り外された二重反転スクリューブレード。

 高架下のガラクタ市で調達した、肉厚な真鍮フランジ。

 高熱伝導銅ブロック。


 指先でスクリューの刃先をなぞる。引っかかりはどこにもない。

 真鍮フランジを白熱灯にかざし、肉厚な断面をしばらく眺めた。


「……やっぱり、この厚みだよなあ」


 思わず口元が緩む。

 ウエスに潤滑油を数滴垂らし、金属の表面を丁寧に拭き上げていく。

 油の匂いと、指に吸いつくような滑らかな手触り。


「……シュン」


 開け放した引き戸の向こうから、澄んだ声がした。


 顔を上げると、シエラが戸口の枠に肩を預け、作業台を見つめていた。

 乱れのない漆黒のドレス。琥珀色の瞳が、楽しそうに部品を磨くシュンの手元をじっと捉えている。


「あ、シエラ。どうしたの?」


「……いえ。ずいぶん熱心に手入れをしていると思いまして」


 シエラは作業台に並んだ真鍮の部品を見やり、わずかに視線を伏せた。

 無意識にか、自分の細い手首の関節部へそっと指先を添えている。


「これ、高架下のガラクタ市で見つけたフランジなんだけどさ。仕上がりが本当に完璧で、つい夢中になっちゃって」


「……楽しそうなのは結構ですが」


 シエラの視線が、シュンの手の中の真鍮フランジに留まる。

 ウエスが金属の縁を撫でるたび、その琥珀色がわずかに細くなった。


「ずいぶん丁寧に扱うんですね。……ただの部品を」


「え? いや、いい部品だし。手をかけた分だけちゃんと応えてくれるからさ」


「…………そうですか」


 シエラは手首から指を離し、ドレスの裾を軽く払った。


「拭き上げが済んだら、リビングへ。リリアが冷たいお茶を用意しています」


 戸口を離れていく背中を見送り、シュンは首を傾げながら道具を片付けた。


 柔らかな明かりに包まれたリビングでは、ノアがローテーブルの脇で、木製のハンガーを手にして背筋を伸ばしていた。

 日だまり色のサマーワンピースの襟元を小さな手で丁寧に伸ばし、指先でさらりとした綿麻の布地を確かめるように撫でている。


「ノア、服のお手入れしてるのか?」


 声をかけると、ノアが弾かれたように顔を上げた。


「うん! ハンガーにかけて風を通すと長持ちするって、お店のおばあさんが教えてくれたの」


 誇らしげに胸を張り、ハンガーを壁際のコート掛けへ掛ける。

 その隣の棚には、綺麗に畳まれたデニム地のショートパンツが置かれていた。


 ソファーの端では、シエラが遠征時に着用していた麦わら帽子を専用のブラシで丁寧に手入れし、薄型のケースへ収めているところだった。


 冷たいお茶の注がれた硝子グラスをトレイに乗せ、リリアが歩み寄ってくる。

 トレイをサイドテーブルへ置くと、リリアはソファーの背もたれ越しにそっと身を屈め、シエラの耳元へ囁いた。


「シエラちゃんの夏服姿、シュン様に見てもらえましたか?」


 シエラの手元で、ケースの留め金がパチンと乾いた音を立てた。

 指先を止め、すっと視線を逸らす。


「……念のために言っておきますが、今回の遠征はノアに外界の生活実感を学ばせるための教育実習です。決して、そのような道楽にかまけたわけではありません」


「ふふ。シエラちゃん、それ、お返事になっていませんよ〜」


 リリアが柔らかく目を細める。

 シエラは答えず、留め金をもう一度、きっちりと押し込んだ。


 リリアがシュンの前にもグラスを差し出す。


「シュン様も、お疲れ様でした〜。工作室の温度はいかがでしたか?」


「うん、すごく快適だったよ。ありがとう、リリア」


 グラスを受け取り、冷えたお茶を一口含む。

 ふう、と長い息が漏れた。


 大切そうにワンピースの裾を整えるノア。

 留め金を閉じたケースを棚へ収めるシエラ。

 空いたトレイを胸に抱え、皆を見回して微笑むリリア。


 壁際のスリットから流れる風に、コート掛けの日だまり色の裾が、ふわりと小さく揺れた。


最後までお読みいただきありがとうございました!


「机上論コンサルの自滅ざまぁ痛快!」「ミレイ主任の反撃カッコいい!」「現場を舐めたツケが回った!」「スカッとした!」と感じていただけましたら、広告下部の【ブックマークに追加】や【ポイント評価(★)】をポチッと押していただけると大変励みになります!

次回も明日【18:00】に更新予定です!

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