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第61話 過剰品質のジェラートと、「業務ロス」と断じられた保全申請

 居住区へと続く自動扉が背後で閉ざされると、調律された清澄な冷気が心地よく肌を撫でた。

 リビングへ足を踏み入れると、厨房からエプロンドレスを揺らしてリリアが姿を現す。

 銀のトレイの上には、細かな水滴を宿した冷茶のグラスと、ひんやりと冷やされた麻の絞りタオルが人数分並んでいた。


「お帰りなさいませ、シュン様、シエラちゃん、ノアちゃん。はい、どうぞ〜」


「ありがとう、リリア。生き返るよ」


 受け取った冷たいタオルで汗を拭い、冷茶を半分ほど一息に喉へ流し込む。

 その隣で、ノアが両腕に抱えていた薄紙の包みを、ローテーブルの上へと嬉しそうに下ろした。

 結ばれていた麻紐を解き、薄紙を慎重に開く。


 丁寧に畳まれた真新しい生地に、ノアがそっと指先を滑らせる。


「まあ……とても爽やかで、可愛らしい色合いですね。ノアちゃんによく似合いそうです」


「うん! シュンに買ってもらったの。リリアにも早く見せたくて……ボク、今すぐ着てみたい!」


 トパーズ色の瞳を輝かせ、ノアが両手を胸の前できゅっと握りしめる。


「ええ、もちろんですよ。すぐにお手伝いしますね」


 リリアがテーブルの脇へ歩み寄り、シエラも無言でその隣に並ぶ。

 シュンはソファーの端に腰を下ろし、手元のグラスを口へ運んだ。


 ノアが胸元へと手を伸ばす。

 羽織っていた濃紺のパーカー——そのフロントジッパーの引き手を摘み、ゆっくりと下ろした。


 ジジッ、と小さな噛み合わせの音が静かなリビングに響く。

 分厚い綿生地が肩口を滑り落ち、ローテーブルの端へと置かれた。


 両腕をすっと伸ばした拍子に、薄手の機能インナーが肌にぴんと張りつく。

 膝丈のパーカーにずっと隠れていた身体の線が、薄い布一枚越しにそのまま浮かんでいた。


「…………っ」


 グラスを口元へ運ぼうとしていたシュンの手が、ピタリと止まった。


 当のノアは気づく様子もなく、片足ずつショートパンツへと通していく。

 ウエストの真鍮ボタンを留め、腰回りを両手でぽんぽんと確かめた。


「……うん。引っかかりはないみたい」


 確かめるように深い屈伸を一つ。

 そのまま、床へ指先を伸ばしてぺたりと前屈する。

 デニムの布地が、ぴんと張り詰めた。


 止まっていたシュンのグラスが、ゆっくりと傾いていく。

 縁から冷茶が一滴、膝の上にぽたりと落ちた。


 ——スッ。


 刹那、シュンの視界を遮るように、軽やかな薄布が壁となって割り込んだ。


 サマーブラウス姿のシエラが、フレアスカートを翻してシュンの真正面に立ちはだかる。

 見下ろす琥珀色の瞳は、冷却液よりも冷えていた。


「……見すぎです」


「ち、違う! これはその、アクチュエータの軸受けクリアランスに生地が干渉していないか、工学的な観察を……!」


「どこを観察していたのか、私の視覚センサーのログと照合してみますか?」


「申し訳ありませんでした!」


 直立不動で即座に頭を下げるシュンに、リリアがくすくすと上品に喉を鳴らした。


「ふふ、お二人とも仲がよろしいですね。……ノアちゃん、ワンピースも合わせてみましょうか」


「うん!」


 リリアの手によって広げられた日だまり色のワンピースが、ノアの頭からすっぽりと重ねられる。

 薄手のカーディガンを羽織らせ、胸元のリボンを結び直すと、壁際の姿見の前へとノアを立たせた。


 淡い黄色の裾を両手でそっとつまみ、ノアはくるりと一回転してみせる。

 鏡の前で小さく首を傾げ、期待を込めるようにシュンへと視線を向けた。


「……どう、かな」


「すごく似合ってるよ、ノア。街の仕立て屋で見ていたときより、ずっといい」


 シュンが素直に笑いかけると、ノアの大きな瞳が喜びに細められた。


 タタタ、と軽い足音がローテーブルを回り込む。

 テーブルの端に置かれていた濃紺のパーカーを両腕で抱き上げると、ノアはシュンの膝元へすとんと腰を下ろした。

 そのまま、躊躇なくシュンの太ももへと体重を預けてくる。


「……でも、ボク、シュンの匂いがするこのパーカーも大好き。どっちも、ボクの宝物」


 胸元に布地を抱え込んだまま、すりすりと無邪気に頬を寄せてくる。

 膝の上に乗った小さな重みと、パーカーに染みついた機械油と石鹸の匂い。


「う、あ……」


 今度こそ逃げ場を失い、シュンは耳まで真っ赤になって完全に硬直した。

 両手を宙でおろおろと泳がせる姿を見て、シエラが小さく首を横に振る。


「……まったく。無防備にもほどがあります」


 膝の上のノアの頭をそっと撫でながら、シュンは手元の冷茶を一気に飲み干した。

 冷たい液体が喉を通ると、ようやく熱を帯びた頭が落ち着きを取り戻す。


「……そういえば、ノア。さっき露店でジェラートを美味しそうに食べてたよな」


 ノアがぱっと顔を上げ、こくこくと小さな顎を上下させた。


「うん! 冷たくて、甘くて……すごく美味しかった」


「せっかくだからさ。うちの水耕プラントで採れた完熟の木苺を使って、もっと美味しくて冷たいやつ、作ってみないか?」


「作れるの!?」


「奇怪な道楽に火がついたようですね。買い出しから戻ったばかりだというのに、もう工作ですか」


 グラスを片付けながらシエラが呆れたように言うが、その足はすでにリビングの奥へと向かっていた。


「道楽じゃないよ、立派な生活環境の向上だ。よし、工作室に行こう」


 立ち上がったシュンは、ノアを連れてリビング奥の重厚な扉をくぐった。

 製図台へ向かい、広げられた製図用紙の上へインクペンを走らせる。

 冷却シリンダーと撹拌機構のスケッチが、淀みなく引かれていく。


「ノア、さっき買ったパーツを持ってきてくれるかい」


「うん!」


 ノアが作業台の上へパーツを並べると、シュンは小型旋盤へ向かい、熱伝導率の高い無垢の銅ブロックを固定した。

 スイッチを入れると、キィィンという澄んだ切削音とともに、赤銅色の細かな切り粉が宙を舞った。

 削り出されたブロックへ魔導ペルチェ素子をマウントし、手曲げした銅管をフランジへと組み付けていく。


「ノア、四ミリの六角レンチと、耐冷シリコンのパッキンを頼む」


「四ミリ……はい、これ」


 指示された工具を的確に手渡すノア。

 シュンは手際よくボルトを締め込んでいく。


 組み付けたフランジを指の腹で押し、わずかな遊びもないことを確かめる。

 十六ピン端子に通電すると、銅ブロックの表面にうっすらと白い霜が浮いた。


「……よし。よく冷える」


 そこへ、工作室の扉が開き、リリアがトレイを運んできた。

 トレイの上には、水耕プラントで収穫されたばかりの完熟野木苺と、濃厚な生クリームのガラス瓶が載っている。


「シュン様、ノアちゃん。食材を用意しましたよ〜」


「ありがとう、リリア。完璧だ。……この完熟した野木苺を裏ごしして、生クリームと合わせるんだ。酸味とコクが絶妙なバランスになるはずだよ」


「……そこまでの労力を注ぎ込んで、一体どんなクオリティのジェラートを作るつもりなのですか」


 工具棚を整頓していたシエラが、腕を組んで小さく息を吐く。


「よし、仮組み完了だ。今夜のうちに試運転しておけば、明日にはとびきり冷たいジェラートが食べられるぞ」


 最後のボルトを締め込むと、カチリと乾いたラチェット音が工作室に響いた。


---


 中央空調の吹き出し口から、人工的な冷風が微かな唸りを上げて吹き出している。

 毛足の長い絨毯が足音を吸い込む、帝国魔電公社本社の上級コンサルタント執務室。


 レジナルド・クロフトは、上等な革張りのアームチェアに深く背を預けていた。

 組んだ足の爪先で、執務机の脚をコツン、コツンと小さく叩く。


 脳裏をかすめるのは、スラムの中央広場での光景だった。

 小娘技師が生意気にも突きつけてきた端末の画面。

 そして何より、自分を一瞥しただけで何事もなかったかのように日常へ戻っていった、貧民どもの冷淡な無関心。


 薄い唇に冷笑を浮かべ、手元の薄型魔導端末を机の上へと静かに置く。


「……現場の定性的な妄言など、何の価値もない」


 指先が、端末の画面を一定の速度でスクロールしていく。


 表示されているのは、帝都全域の送電設備台帳と運用コストのグラフ。

 今期の必達目標である「保守運用予算20%削減」のKPI。

 クロフトは淡々と指先を滑らせ、「平常時稼働率10%未満」の設備を抽出していく。


 その最上部に、赤字の警告フラグとともに表示された書類。

 ミレイが所属する第3調律室から緊急起案された決裁申請——

【重大インシデント警告:初夏猛暑ピークにおける基幹送電網サージ逆流の危険性および第3緊急バイパス保全申請】。


 クロフトは申請書の内容を一行たりとも読むことなく、鼻で短く息を吐いた。

 見ているのは「稼働率」と「削減コスト」の数字だけ。


「……無駄だな」


 淡々と端末の入力欄へ却下理由を打ち込む。

『ROI(投資対効果)不明のため却下』


 指先が画面を短くタップした。

 書類の中央に、赤い『却下』の電子決裁スタンプが押印される。


 続けてクロフトは、役員会向けの週次進捗報告画面を開いた。

 無機質なキータッチ音とともに、テキストが打ち込まれていく。

『統計モデル解析により運用リスクは0.001%未満(無視できる水準)。現場の合意形成も完了済』


 送信ボタンをタップすると、画面が暗転し、送信完了の通知が表示された。


「これで今期の削減目標は達成だ」


 クロフトは薄型端末を伏せて机に置き、窓に背を向けたまま書類棚へと椅子を回した。

 その背後のガラスでは、傾いた初夏の夕陽が帝都を赤黒く染めている。

 日が落ちかけてもなお、窓の外の陽炎は揺らぎを止めなかった。


最後までお読みいただきありがとうございました!


「ピクニックが美味しそう!」「私服シエラが可愛い!」「路地裏の密着にドキドキした!」「手作りジェラート食べたい!」「無能コンサルにイライラする……!」など、少しでも楽しんでいただけましたら、広告下部の【ブックマークに追加】や【ポイント評価(★)】で応援していただけると大変励みになります!

次回も明日【18:00】に更新予定です!

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