第60話 安全マージンを業務ロスと履き違えた男の、見苦しい言い訳
石畳を叩く硬い革靴の音が、初夏の乾いた空気の中に響いていた。
膝をつくミレイのすぐ背後で、その足音がピタリと止まる。
「――くくっ。みっともないな、公社の技師ともあろう者が」
乾いた嘲笑とともに、冷ややかな声が頭上から降ってくる。
地面に両手をついたままだったミレイの肩が、びくりと跳ね上がった。
背後から、長い影が石畳の上を這うように伸びてくる。
ミレイは乱暴に奥歯を噛み締めると、ゆっくりと顔を上げた。
「……クロフト、さん」
低く掠れた声が、乾いた喉から漏れる。
逆光の中に立つ男の足元には、油煙と埃が舞うスラムの広場に不釣り合いなほどピカピカの革靴。
片手には薄型の魔導端末を挟み、神経質そうな薄い唇がわずかに弧を描いていた。
背後の大通りには、公社本部の紋章が入った黒塗りの馬車が停車している。
「巡回禁止区域への無断立ち入り、および30分実績報告シートの未提出。……ずいぶんと熱心なことだが、規則違反の現行犯だよ、ミレイ技師」
クロフトは薄型端末の角で眼鏡のブリッジを押し上げると、値踏みするようにミレイを見下ろした。
ミレイは膝についた砂利を払いながら、ゆっくりと立ち上がる。
首に巻いた手ぬぐいを引き抜き、顔に張り付いた汗と悔し涙を力任せに拭った。
クロフトはミレイの泥にまみれた作業着を一瞥しただけで、すぐに興味を失ったように視線を巡らせた。
広場の角で快調な重低音を響かせているジェラートの冷却攪拌機と、その脇で鉄扉が開け放たれたままの共同配電ボックス。
「なるほど。立ち往生していた露天商の機械を、通りすがりの誰かが手持ちの道具で動かしたようだな」
クロフトは薄型端末の画面を、人差し指で淡々とスクロールした。
視線は端末の計数表に向けられたままで、ミレイの顔すら見ていない。
「結構なことだ。専門技師の高価な工数を割くまでもない、素人でも対処可能な軽微なトラブルだったというわけだ」
「……なんですって?」
「私の判断が正しかったということだよ。以上だ」
クロフトは冷笑を浮かべ、端末の画面を指先で軽く叩いた。
「これ以上、現場の泥臭い職人芸とやらに公社のリソースを浪費する必要はない。投資対効果の合わない巡回など、単なる業務ロスだ」
ミレイの喉の奥から、熱い息が漏れた。
怒りで固く握りしめた拳が、小刻みに震える。
腰のツールホルダーへと手を伸ばし、携行テスターを勢いよく引き抜いた。
「……素人の雑用?」
低く、地を這うような声だった。
ミレイはテスターの操作キーを親指で素早く押し込み、液晶画面に表示された過渡サージ波形を、クロフトの鼻先へと突きつけた。
「この波形ログが見えないの!?」
クロフトの眉がぴくりと跳ね、わずかに顎を引いた。
「……何のつもりだね」
「数字しか見ないあんたでも、これくらいは読めるでしょう。一次回路の短絡による、高周波の過渡サージよ」
液晶画面の中央に、垂直に近い角度で立ち上がった鋭利なスパイク波形が刻まれている。
そしてその直後、波形は急峻なカーブを描いてゼロラインへと急激に減衰していた。
ミレイは配電ボックスの前へ大股で踏み込むと、鉄扉を荒々しく押し開けた。
赤銅色の金属板を、指先で強く叩く。
「この端子板を見なさいよ。道端の小石一個で、斜め45度に削ってあるの。母材を傷つけずに酸化被膜だけ落として、接触抵抗をゼロにしてある」
まくし立てるミレイの呼吸が、荒く乱れていた。
端子台からボックスの底面へと渡された1本のバイパスコードを、指先で強く弾く。
ピンと張られたコードが、鋭い金属音を立てて微かに震えた。
「手元の端切れ一本で、大地へサージを逃がす完璧な位相調整よ。……小石と端切れだけでこんな真似ができる人間が、この街に何人いると思ってるの?」
「だからどうしたというのだ。勝手な私設配線など、公社の評価基準には入らない。所詮は場当たり的な小細工に過ぎん」
クロフトは薄型端末を握り直すと、冷淡な視線をボックスの内部へと向けた。
その口元には、現場の技術を見下す薄い冷笑が張り付いている。
「場当たり的……!?」
ミレイは一歩、強く踏み込んだ。
作業用ブーツが石畳を激しく叩く。
「この逃がしがなかったら、どうなってたと思う? あと5分放置してたら、短絡電流が高圧幹線へ逆流してた」
突きつけられたテスターの画面で、赤色のシミュレーション警告が激しく点滅している。
「あんたたちが安全マージンを削ってバイパスを切ったせいで、第2・第3ブロック全域が連鎖停電を起こすところだったのよ」
ミレイの瞳が、射抜くようにクロフトを捉えた。
「大病院も、工場のラインも……あんたが冷房効かせてふんぞり返ってる本部のメイン電源も、全部丸焼けだったのよ」
「な……っ」
クロフトの息が喉の奥で詰まった。
突きつけられた液晶画面に刻まれているのは、おびただしい桁数の過渡電流予測値と、連鎖事故の解析ログ。
「素人の雑用? 笑わせないで」
ミレイは低く、吐き捨てるように告げた。
「あんたが『無駄』と切り捨てた現場に、命拾いさせてもらったのよ。……あんた自身がね」
クロフトの喉仏が、ごくりと大きく上下した。
額から、一筋の冷や汗が頬を伝って滴り落ちる。
薄型端末を握る手が小刻みに震え、ピカピカの革靴が、無意識のうちに半歩後ずさった。
沈黙が広場を支配した。
ジェラート機のカウンターの奥から、店主がゆっくりと歩み出てきた。
腰のエプロンで両手を拭いながら、快調に唸る機械にそっと手を添える。
「……あの兄ちゃんが、直してくれたんだ」
それだけ言うと、店主はクロフトから視線を外し、カウンターの奥へと戻っていった。
足を止めていた商人や通行人たちも、一度だけ冷ややかに一瞥したきり、荷車を押して歩き出し、天秤棒を担ぎ直す。
初夏の陽光の下で、広場にいつもの喧騒が戻り始めていた。
快調に唸り続ける機械の重低音と、ミレイが突きつけるテスターの赤い点滅だけが、クロフトの目の前に取り残されている。
「く……っ」
青ざめていたクロフトの顔が、一気に沸騰したように赤黒く染まった。
薄型端末を握る指先が、白くなるほど軋む。
「……相応の処分だ。覚えておけ」
震える指先で端末の画面を叩き閉じると、クロフトは踵を返した。
黒塗りの馬車へと逃げ込むように乗り込み、扉を乱暴に叩き閉める。
御者の鞭が鳴り響き、砂煙を巻き上げながら、馬車は逃げるように大通りへと走り去っていった。
立ち上る土煙を、ミレイは静かに見つめていた。
荒くなっていた呼吸を整え、携行テスターを腰のツールホルダーへとカチリと戻す。
「処分、ね……」
小さく息を吐き出す。
……また本社で、余計なことを始めなければいいけれど。
苦々しい胸騒ぎを振り払うように、作業着の左胸ポケットにそっと手を当てた。
薄い布越しに、幾重にも折りたたまれた手書きの配線図メモの硬い感触が伝わってくる。
『余計な熱とノイズは、大地へ逃がしてやるのが一番スマートなんだよ』
耳の奥で、懐かしい先輩の声が蘇る。
ミレイは作業着のジッパーを、喉元まで一気に引き上げた。
背筋をまっすぐに伸ばし、肩の埃を払う。
公社本部へ向けて、力強く石畳を踏みしめて歩き出した。
---
「ふぅ……。やっぱり、うちの空気が一番落ち着くなぁ」
ゼロ・ターミナルのホームへと降り立ち、シュンは作業用コートの襟元を緩めた。
全身の力を抜き、小さく肩を回す。
「お疲れ様でした、シュン。ターミナル外殻の警戒網に異常はありません。外界からの追跡反応も皆無です」
続いてホームへ降りたシエラが、被っていた麦わら帽子を外し、白銀の髪を軽く払った。
その隣で、ノアが両腕をいっぱいに使い、薄紙に包まれた包みを大切そうに抱きしめていた。
「……シュン。ボクに新しい服、買ってくれてありがとう。……すごく嬉しい」
トパーズ色の瞳を細め、胸元の包みをぎゅっと抱え直す。
「うん、ノアによく似合ってたよ。リビングに戻ったら、ゆっくり試着してみようか」
「……うん! リリアにも見せたい」
コクコクと小さな頭が上下に揺れる。
居住区へと続く自動扉が、静かな吸気音とともに左右に開いた。
調律された心地よい室温の風が通り抜け、奥の厨房から漂う芳醇な茶葉の香りと、陶器の触れ合う微かな音が、戻ってきた三人を静かに迎えていた。
最後までお読みいただきありがとうございました!
「ピクニックが美味しそう!」「私服シエラが可愛い!」「路地裏の密着にドキドキした!」「手作りジェラート食べたい!」「無能コンサルにイライラする……!」など、少しでも楽しんでいただけましたら、広告下部の【ブックマークに追加】や【ポイント評価(★)】で応援していただけると大変励みになります!
次回も明日【18:00】に更新予定です!




