第51話 自爆寸前の炉心暴走
ピポッ、ピポッ、ピポッ……!
鋭い高音のアラートが、静まり返った寝室の空気を切り裂いた。
ベッドの上で、シュンは跳ね起きるように上体を起こした。
乱れた前髪を手で払い、重い瞼を瞬かせる。
ピポッ、ピポッ……!
常夜灯がぼんやりと照らす薄暗がりの中、隣でシエラが音もなく身を起こしていた。
琥珀色の瞳に青白い走査光が走り、即座に視覚センサーの感度を切り替える。
逆側ではリリアが素早くシーツを払い、床へ降り立っていた。
「……ん……今、何時……?」
「午前2時14分です。リビングの通信コンソールから最優先割り込みを受信」
シエラが淡々とした早口で告げ、部屋着の裾を整える。
シュンがベッドから足を滑り出させようとした瞬間、服の袖がきゅっと引かれた。
見下ろすと、ノアが不安そうに目を丸くし、小さな両手でシュンの手首を握りしめていた。
「シュン……?」
「大丈夫だよ。ちょっと見てくるね」
シュンが小走りにリビングへ踏み込んだ瞬間、すでにコンソールの前へ滑り込んでいたシエラが、真鍮製トグルスイッチを弾き上げた。
真紅に明滅するインジケーターの横で、カチリと硬質なラッチ音が響く。
「ローゼンバーグ家直系回線、プライオリティ1です」
『シュン! 頼む、起きてくれ! 聞こえているか!?』
スピーカーから弾け出たのは、ジュリアンの切迫した声だった。
普段の軽妙な余裕は完全に吹き飛び、荒い息遣いが混ざっている。
「ジュリアンさん……? こんな時間に、一体何が起きたんですか」
『今すぐそこから逃げるんだ! 全速力で地上へ退避しろ。一刻の猶予もない!』
通信の向こうで、荒々しく机を叩く音が響いた。
『開発院の実験炉が暴走した。冷却弁が焼き付いて止められない』
シュンの手が、コンソールの縁を掴んだ。
「暴走……? どの程度の——」
『耐圧限界を超える。このままじゃ炉心が吹き飛ぶ。直上の岩盤ごとだ』
喉が干上がった。
『今すぐ地上へ脱出しろ、シュン。一刻の猶予もない』
スピーカーから叩きつけられる怒声のような警告。
シュンの服の裾を、小さな指先がきゅっと握り直した。
見下ろすと、隣に立つノアが身を強張らせ、青いトマトの葉が茂る水耕栽培プラントを見つめていた。
その視線を受け止め、シュンは静かにリビングを見回した。
手入れを重ねた真鍮の珈琲ミル。
心地よい微風を送る空調。
奥の浴室から漂う微かな檜の香り。
コンソール脇のインフラ監視盤では、オシロスコープの走査線が乱れ、受電バイパスのサージ波形がみるみる振幅を広げていく。水温計の指針も、じりじりと危険領域へ押し上げられていた。
シュンは短く息を吐き、マイクへ顔を向けた。
「……ジュリアンさん」
『なんだ、早く脱出の準備を——』
「退避はしません」
『正気か……!? 私設部隊の手配は進めている。君が行く必要はない!』
「……僕にも、ここを動けない理由があるんです。地下から現場へ直接回り込めます。部隊はそのまま予定通りでお願いします」
『……』
沈黙が落ちた。
数秒後、スピーカーから苦々しく、けれど重い吐息が漏れた。
『……わかった。君の判断を信じる。だが絶対に無茶はするな、親友。部隊の突入予定時刻をそちらの端末へ転送する。……生きて戻れよ』
「ありがとうございます。……回線を閉じます」
シエラが即座にトグルスイッチを押し下げ、真紅のインジケーターが静かに消灯した。
通信の切れたリビングに、再び静寂が戻る。
足元で、ノアが不安そうにシュンの顔を見上げていた。
シュンは小さく息を吐き、ノアの頭にぽんと掌を置いた。
「大丈夫。せっかくノアと一緒に作ったんだ、絶対に駄目にさせないから」
ノアの強張っていた肩が、わずかに緩む。
シュンは踵を返し、工作室へと早足で向かった。
作業用コートを羽織り、ツールバッグを肩にかけて玄関ホールへ戻る。
そこへ、リリアが静かに歩み寄ってきた。
「シュン様」
リリアが静かに歩み寄り、携帯用の冷却パックと真鍮製の保温ボトルを差し出した。
手渡される瞬間、柔らかく温かな掌が、シュンの冷えた指先をそっと包み込む。
「……お気をつけて」
「ありがとう、リリア。ここを頼むよ」
「はい。……シュン様、シエラちゃん。いってらっしゃいませ」
リリアはエプロンの裾をそっと整え、優しく微笑んで頭を下げた。
玄関ホールの突き当たり。
旧軍用の排水暗渠へと直結する、巨大な装甲スライド扉が聳え立っていた。
分厚い特殊合金で鋳造された、自重数十トンの防爆扉だ。
シエラが漆黒の軍用ドレスの裾を留め具で絞り、足捌きを確保する。
「先頭で視覚センサーの照度補正を展開し、障害物の排除を行います。シュンは私の背後を維持してください」
「頼むよ。……よし、開けるぞ」
シュンが壁面の油圧解錠レバーを握り、全体重をかけて一気に引き下ろした。
ガコンッ!
重い機械音が響いた直後、壁内の油圧配管からブシューーーッと甲高い圧搾音が吹き上がった。
だが、装甲扉はピクリとも動かない。
油圧ポンプの駆動モーターが、苦しげな唸りを上げて過負荷音を立てている。
「……動かない?」
「油圧シリンダーの推力は定格上限に達しています。物理的な噛み込みが発生しています」
シュンは眉をひそめ、扉の下部に埋め込まれた鋼鉄のガイドレールを覗き込んだ。
レールの一部が激しくねじ曲がり、ガイドローラーの金属軸がレールに深く食い込んでいる。
「あ……ノアを助け出した時だ。あの時、外側から力任せに扉を押し込んだから、レールが歪んで完全に噛み込んでる……!」
「私が排除します。下がってください」
シエラが前に進み出て、扉の取っ手と側面に両手を掛けた。
「駆動軸、最大トルク開放——」
キィィィィィン……!
シエラの細い身体の内部から、超高回転アクチュエータの駆動音が甲高く唸りを上げた。
ブーツの踵が床を蹴り、全身のトルクを扉へと押し当てる。
ギギッ……ギシッ……!
鋼鉄が軋む鈍い音が鳴る。だが、扉は数ミリ動いたところで完全に止まった。
プシューーーッ!
シエラの白銀の髪の間から、耳の後ろの排熱スリットが勢いよく跳ね上がった。
白い冷却蒸気が激しく噴き出し、胸元のインジケーターが赤く点滅して過負荷アラートが鳴る。
「くっ……! レールの変形量が想定を超過しています……私の出力ではこじ開けられません……!」
その時、トコトコと小さな足音が近づいてきた。
「ボクが開けるよ」
シエラの横へ並び立つと、扉の取っ手と歪んだレール端へ両手を掛けた。
「ノア……? 下がっていなさい、ここは——」
「ノア、無理はするな——」
シエラとシュンが制止の声を上げた、その瞬間だった。
ドォォォォン……!
ノアの小柄な身体の奥から、床を震わせるほどの重低音パルスが唸りを上げた。
靴底が床石をしっかりと噛み、華奢な肩の内部で高トルクアクチュエータが一気に唸る。
ガギギギギ……ッ!
バキィィィィンッ!!
金属が引き裂かれる激しい破壊音が、玄関ホールに響き渡った。
食い込んでいた金属の歪みが力づくでへし折られ、火花が激しく四散する。
ズガガガガガッ!
数十トンの装甲扉が、小柄な少女の両腕によって、レールごと力任せに右側へと一気にこじ開けられた。
ごう、と暗渠の底から湿った地下風が吹き込んでくる。
シエラが目を見張り、カチャリと視覚センサーのフォーカスを絞り直した。
即座にドレスの裾を捌き、開放された闇の奥へ照準を合わせる。
「……通路前方に敵性反応なし。障害物、完全クリア」
こじ開けられた扉の前で、ノアが振り返った。
そっと両手を下ろし、向日葵色の大きな瞳でシュンを見つめる。
「……ボクも、行く」
迷いのない、澄んだ声だった。
「シュンたちの、お家だから。……壊させない」
シュンは驚きに見開いた目を緩め、ふっと小さく笑った。
「……そっか。うん、一緒に行こう」
シュンはノアの目線の高さまで腰を落とし、人差し指を立ててみせる。
「ただし、僕の傍を絶対に離れないこと。シエラの指示には必ず従うこと。約束できるかい?」
「うん。約束する」
ノアがこくりと力強く頷いた。
シュンは立ち上がった。
三人は旧軍用暗渠へと足を踏み入れた。
「前方五十メートル、天井からの落石あり。右側へ回避してください」
先頭を疾走するシエラが、視覚センサーの照度補正で路面の起伏を瞬時に捉え、的確に指示を飛ばす。
シュンはその背後を追い、隣にはノアがぴったりと並走していた。
「シュン、これ」
ノアが走りながら頭部の受信端子を微かに傾け、指先をシュンの携帯端末へと向ける。
端末の液晶画面に、暗渠一帯の魔力場の波形データがリアルタイムで展開された。
「ありがとう、ノア! 助かるよ!」
通路の奥へ進むにつれ、湿った地下の冷気が急速に変質し始めていた。
肌にまとわりつくような、重苦しい熱気。
鼻孔を刺す重油の焦げた臭いと、溶け出した被覆ゴムの異臭が漂い始める。
ドスン……ドスン……!
通路の岩壁を揺るがす、重い地響きが伝わってきた。
管内を跳ね回るウォーターハンマーの魔力脈動。
頭上の配管フランジから、パラパラと赤錆と金属粉が降り注ぐ。
「……近いぞ」
通路の最奥。
頑丈なリベットで留められた、開発院地下第7機密保管庫の裏手保守ハッチが視界に飛び込んできた。
シューーーーーーッ!
分厚い鋼鉄の隙間から、耳を劈く轟音とともに、白い過熱魔力蒸気が激しく噴き出していた。
通路一帯が白濁した高温の霧に包まれ、配管に取り付けられた温度計の指針は、警戒赤色領域の奥へと張り付いている。
「ごほっ……! 熱い……!」
吸い込んだ空気で喉を焼かれ、シュンはコートの襟元を引き上げて激しくむせ込んだ。
シエラが前に進み出ようとするが、胸元のインジケーターが即座に黄色く点滅し、鋭い過熱アラートが鳴り響いた。
「……推定温度、摂氏300度超。排熱が追いつきません。私では突入不可能です」
「シエラでも無理なのか……!」
シュンは歯噛みした。
「ボクが、行く」
隣で、澄んだ声が響いた。
白濁した蒸気の中、ノアが迷いのない瞳で一歩前へ進み出ていた。
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