第48話 春の味覚と、迫る違法索敵パルス
大型の木製製図台の上に、青図用紙が広げられていた。
シュンは白衣の袖をまくり、半透明のT定規を当てて烏口を滑らせる。
黒いインクが引く滑らかな直線が、瞬く間に複雑な配管系統図を描き出していった。
要塞基底部の地熱バイパスから分岐させる主幹給電ライン。
岩盤深層を流れる地下水脈からの一次受水弁。
そして、使われていない旧資材保管庫の空間を活かした、多段式の立体ラック構造。
「……紫光の励起比率はこのくらいか。あとは自動循環ループだな」
指先で細かな寸法を書き加えていると、トコトコと控えめな足音が近づいてきた。
ダボダボのパーカーの袖を揺らしながら、ノアが製図台の縁にちょこんと両手をかける。
背伸びをして、興味深そうに青図を覗き込んできた。
「シュン、これでお野菜たべられるの?」
「うん。完全自動の水耕栽培プラントさ。これがあれば、地下から一歩も外に出ないで新鮮な野菜が食べ放題になるよ」
シュンが定規を置いて微笑みかけると、ノアの大きな瞳がぱっと輝いた。
だが、その直後である。
――ぐぅ〜〜……。
ノアのお腹の奥から、小さく澄んだ音が響いた。
ノアは両手でお腹を押さえ、恥ずかしそうに肩をすくめる。
そこへ、足音もなく現れた黒衣の影が、冷徹なジト目を向けてきた。
「……シュン。ノアの主魔導炉が要求しているのは『即時のエネルギー補給』です。種から発芽して結実するまでのタイムラグを、貴方の空腹対策プロトコルはどう処理するおつもりですか」
シエラが腕を組み、冷ややかな視線で製図台を一瞥する。
「うっ……! そ、それはそれ、これはこれというか! 未来永劫に買い出しをサボって新鮮な野菜を食べるためには、今種を蒔いておくのが最短ルートなんだよ!」
「目先の計画性に重大な欠陥があります」
「ふふ、今夜は備蓄のお肉とお豆を煮込んだ、温かいポトフにしましょうね〜」
厨房から軽食トレイを運んできたリリアが、ふわりと柔らかな笑みを浮かべた。
湯気を立てる陶器の深皿と、香ばしく焼き直したパンが製図台の隅に置かれる。
「ノアちゃん、まずはこれを召し上がってくださいな。お腹が落ち着きますよ〜」
「わぁ……! リリア、ありがとう!」
ノアは木匙を手に取り、澄んだスープをそっと一口口に含んだ。
温かいスープを飲み込むたび、お腹を押さえていたノアの表情がふにゃりと緩んでいく。
「……あったかい。お腹の中が、ぽかぽかする……」
「お野菜が育つのも楽しみですね〜。緑の葉っぱや赤い実がたくさん並んだら、きっと賑やかになりますよ」
「うん! ボク、お手伝いする! シュンと一緒に美味しいお野菜つくる!」
空になった木匙を置き、ノアが元気よく両手を掲げた。
シエラは呆れたように小さく肩をすくめる。
「……長期的な不労インフラとしての計画妥当性のみ、暫定的に承認します」
「よし、交渉成立だね。さっそく保管庫のスペースを空けに行こうか」
シュンは図面を丸めて脇に抱え、製図台から身を起こした。
厚い金属扉を押し開けると、冷涼で乾いた空気が肌を撫でた。
かつて資材置き場として使われていた遊休区画は、天井が高く、頑丈な鉄骨梁が規則正しく並んでいる。
「ふふ、プラントの組み立てをするなら、その厚手のパーカーだと動きにくいですし、濡れてしまいますね。こちらを着てみてくださいな」
リリアが手渡したのは、要塞に保管されていた小ぶりな作業着だった。
薄手の白い半袖カットソーに、キャンバス地のショート丈サロペット。
着替えて戻ってきたノアは、袖口から伸びる細い腕を広げ、嬉しそうにてくてくと歩いてみせた。
「どうかな? ボク、似合ってる?」
「うん、よく似合ってるよ。動きやすそうだね。はい、グローブ」
「ありがとう!」
シュンから小さな作業用手袋を受け取り、ノアは嬉しそうに頷いた。
組み立て作業は驚くほど順調に進んだ。
軽量合金のフレームを組む際、ノアが怪力を器用に加減しながら、重い鉄骨を軽々と支えてくれたおかげだ。
多段ラックが壁一面に立ち上がり、シュンが配管と魔導LED照明バーを手早く配線していく。
「よし、フレームと照明の据え付けは完了だ。次は一番大事な、地下水の一次受水テストだな」
シュンは壁際の太い給水バイパスへ歩み寄った。
赤錆ひとつない真鍮の元栓にスパナを掛け、ゆっくりとトルクをかける。
ゴボ……ゴボボッと、冷たい岩盤を通ってきた水が管内を満たしていく重い脈動音が響いた。
「ノア、最下段の注入ノズルを見ててくれるかい? 水漏れがないか確認したい」
「うん、わかった!」
ノアがラックの下段へ小走りで駆け寄り、身を屈めてノズルを見つめる。
シュンがバルブをもう半回転開いた、その瞬間だった。
――プシュッ、ピシャァッ!
接合部のパッキンがわずかにズレていたのか、高圧の水しぶきが勢いよく吹き上がった。
「わっ……!?」
飛び出した水を受け止めようと、ノアが咄嗟に両手を伸ばした。
だが、勢いよく跳ねた水しぶきが、正面からノアの上半身へと降りかかった。
「ひゃぅっ……!?」
冷たい飛沫を浴び、ノアが小さく身を震わせる。
薄手の白いカットソーが瞬く間に水気を吸い込み、しっとりと肌に張り付いた。
水を含んだ布地がぴたりと寄り添い、華奢な鎖骨のくぼみや、胸元の柔らかな起伏の輪郭が、くっきりと陰影を帯びて浮かび上がる。
冷たい雫が一筋、白いうなじから首元を伝って滑り落ちていった。
「……つ、つめたい……っ」
身を竦ませたノアは、助けを求めるように、隣にいたシュンの作業服の袖へぎゅっとしがみついてきた。
「――っ!?」
大きく開いたサロペットの脇から、濡れた生地越しに透ける脇腹の細い起伏が、遮るものなく目に飛び込んでくる。
冷えた指先の感触と、至近距離から伝わってくる柔らかな体温。
どこを見ても目のやり場がなく、シュンは息を呑んで顔を真っ赤にし、慌てて元栓のバルブを閉め直した。
「ちょ、ノア……っ! は、離れて! 服が濡れて張り付いちゃってるから……っ!」
「え? お水、冷たくて気持ちいいよ?」
袖にしがみついたまま、ノアは悪気のない無垢な瞳できょとんと見上げてくる。
まったく意に介さない無防備さに、シュンは頭を抱えて視線を逸らした。
ノアは水が止まったのを見ると、不思議そうに下段の配管へと顔を向けた。
「まだお水、出てるかな?」
ノアは床に両膝をつき、濡れたシャツのまま前屈みになってノズルを覗き込もうとする。
その体勢になった瞬間、サロペットの胸当てが手前にふわりと浮き上がり、濡れたカットソーの襟元の隙間から、胸元の起伏が上から素通しで見えそうになった。
後ろ姿に目をやれば、ショート丈の裾から伸びる太ももが無防備に突き出されている。
「わ、わあああっ! 前屈みになるな、そのまま絶対に動いちゃダメだ!」
「ふぇ? どうして……?」
「いいから、ほら! これ着てて!」
シュンは沸騰しそうな頭でパニックになりながら、自分が羽織っていた作業用白衣をバサリと脱ぎ、ノアの肩からすっぽりと被せた。
「……んぐ。シュン、前が見えないよ……?」
大きな白衣にすっぽり包まれたノアが、袖口から手をバタバタさせながら、襟元からひょっこりと顔を覗かせる。
シュンは肩で息を吐きながら、両手で顔を覆った。
「……よし。これでよし。乾くまで、そのまま着ててね」
「うん。シュンのにおいがして、あったかい」
ノアは白衣の裾をぎゅっと握りしめ、嬉しそうに目を細めた。
パッキンを締め直し、水漏れを修復したあと、二人は苗床の前に並んだ。
シュンは手のひらに、芥子粒のように小さな黒い種子を広げて見せる。
「これがスイートバジルの種だよ。こっちの小さな粒がミニトマト」
「……あたまの中でしか知らなかったけど、こんなにちっちゃい粒から、本当にあんな大きな葉っぱや赤い実が育つの……?」
ノアはおずおずと指先を伸ばし、壊れ物を扱うようにそっと種に触れた。
「そうだよ。水と光と栄養があれば、ちゃんと自分で芽を出して育つんだ」
「……生きてるんだね」
「うん。一緒に蒔こうか」
シュンはノアの小さな手にそっと手を添え、養液を含んだスポンジの苗床へ、一粒ずつ丁寧に種を落としていった。
すべての種を蒔き終えると、シュンは制御盤の主電源を入れる。
カチリ、とリレーが噛み合う小気味よい音が響いた。
ラックに取り付けられた魔導LEDバーが一斉に点灯し、赤と青の光量子が混ざり合った、幻想的な紫色の光が苗床を満たす。
循環ポンプが静かに唸りを上げ、地下水がせせらぎのような心地よい音を立ててラック内を巡り始めた。
「これでセットアップ完了だ。あとは全自動で光と水を管理してくれる」
「元気に育ってね……」
ノアは白衣の前をぎゅっと合わせながら、紫色の光に照らされた苗床をじっと見つめていた。
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それから、わずか数日後。
重い気密扉を開けた瞬間、青々とした爽快な芳香が鼻腔をくすぐった。
「わぁ……っ!」
ノアが声を弾ませて駆け寄る。
多段ラックの上は、数日前とは見違えるほどの濃い緑に覆い尽くされていた。
手のひらほどに育った柔らかなスイートバジルの葉、みずみずしいルッコラ。
そして青い葉の隙間には、艶やかな光沢を放つ深紅のミニトマトが、まるで宝石のように鈴なりに実を結んでいる。
「シュン、見て見て! 葉っぱがいっぱいだよ! 赤い実がピカピカしてる!」
「大成功だね。糖度も申し分なさそうだ」
シュンが枝からミニトマトをひとつ摘み取り、指先で軽く擦ってノアの口元へ差し出す。
ノアは口を小さく開け、ぱくりとそれを咥え込んだ。
薄い皮がぷちんと弾けた瞬間、ノアの両目が丸くなる。
「……っ! あまい……! すっごく甘いよ……!」
「採れたての完熟トマトだからね。よし、ボウルいっぱいに収穫しよう」
シエラとリリアも加わり、4人で色鮮やかな野菜を手摘みしていく。
籠いっぱいのバジルとルッコラ、そしてボウルから溢れそうなほどのミニトマトが厨房へと運び込まれた。
厨房では、リリアが手際よく耐火レンガ造りの石窯に火を入れていた。
魔導バーナーの熱を蓄えた石窯の内部から、心地よい熱気が立ち上っている。
白く発酵したピザ生地を、リリアが滑らかな手つきで薄い円形に伸ばしていく。
そこへ、摘みたてのトマトで仕立てた自家製ソースを塗り、ちぎったモッツァレラチーズと、鮮やかなバジルの生葉を散らす。
「ふふ、準備ができましたよ。焼き上げますね〜」
木製のピールに乗せられたピザが、熱い石窯の奥へと滑り込んだ。
チリチリと小気味よい音を立て、生地の縁がぷっくりと膨らんでいく。
同時に、大鍋ではルッコラと春野菜を絡めたパスタが手際よく炒め上げられ、オリーブオイルとニンニクの香ばしい香りがダイニングに漂った。
数分後。
テーブルの中央に、こんがりと絶妙な焼き目のついたマルゲリータピザと、鮮やかな春パスタが並べられた。
とろりと溶けたチーズの上で、バジルの葉が熱を受けて鮮烈な香りを放っている。
「どうぞ、冷めないうちに召し上がってくださいな」
「いただきます……!」
ノアは切り分けられたピザを両手で持ち、慎重に口を近づけて、端から大きく頬張った。
「――っ!」
さくっとした小気味よい生地の歯ごたえ。
濃厚なチーズのコクと、それを引き締めるトマトの爽やかな酸味、そして鼻を抜けるバジルの鮮烈な香り。
ノアの胸の中央、主魔導炉が心地よい温もりを帯びてトクンと脈打った。
「おいしい……! ボクが種を蒔いたお野菜、すっごく美味しいよ……!」
両手で頬を押さえ、ノアの顔全体に満開の花のような笑みが咲き誇る。
シュンも焼きたてのピザを口へ運び、熱々の生地を息を吹きながら味わった。
パリッとしたクラストと瑞々しいトマトの甘みが広がり、思わず目を細める。
「うん、最高だ……。外へ一歩も出ないでこの味が食べられるなら、もう何も言うことないな」
シュンは満足げに息をつくと、向かいに座るシエラへと視線を向け、少しだけ誇らしげに胸を張った。
「ね? 数日待ってでも、ここで新鮮な野菜が採れるようにして大正解だったでしょ? あの時種を蒔いておいたからこそ、今日こんなに美味しいピザが食べられたんだからね」
シエラはフォークに巻き取ったルッコラのパスタを上品に口へ運び、ゆっくりと咀嚼した。
喉を通るのを見届けてから、ナプキンで口元を拭う。
わずかに視線を逸らし、小さく唇を結んだ。
「……ノアの稼働ログにおけるエネルギー変換効率、および味覚センサーの充足度数値を踏まえ、今回に限り、先行投資の正当性のみ認めます」
「素直じゃないなぁ。シエラのお皿、もうピザが2切れも消えてるじゃないか」
「……味覚受容体のキャリブレーションです」
「ふふ、シュン様、良かったですね〜♪」
リリアが嬉しそうに目を細め、シュンのグラスに冷たい水を注ぎ足した。
ノアは口の端に微かにソースをつけたまま、フォークを手にパスタへと狙いを定めている。
シュンは背もたれに深く体重を預け、穏やかな喧騒に身を委ねた。
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淀んだ空気の中に、荒々しく吐き出される紫煙が立ち上っていた。
豪奢な執務机の上には散乱した書類の隙間に、胃薬の空き瓶がいくつも転がっている。
「……まだ見つからんのか」
ヴォルフラム局長の声は、喉の奥が擦り切れたように低く濁っていた。
血走った両目が、端末の青白いディスプレイを睨みつけている。
壁掛け時計の針は容赦なく進み、明朝10時に設定された特務監察局の査察期日が刻一刻と迫っていた。
「は、はい……! 中央保管庫周辺から外郭ゲートに至るまで、特別捜索班を動員して残留魔力を走査しましたが……機体コードNOAHの痕跡は、何ひとつ……」
デスクの前で直立する部下の技師は、顔面を蒼白にして震えていた。
「バカ者が……っ!」
ヴォルフラムは手元の分厚い報告書をデスクへ叩きつけた。
乾いた破裂音が重苦しい室内に響き渡る。
「正面ゲートの生体認証ログにも施錠履歴にも異常はない。外壁の耐爆扉にも一切のこじ開け痕はないのだぞ! 数十トンの装甲扉を素通りして、あの機体が跡形もなく蒸発したとでも言うのか!」
「し、しかし、現実にあらゆる検問網に反応がなく……」
「消去法だ!」
ヴォルフラムは立ち上がり、壁に投影された地下構造図を鷲掴みにするように指差した。
「地上への正規出口がすべて封鎖されているなら、残るルートはひとつしかない。旧時代の換気坑、そして地下深層を貫く排水暗渠……第0系統の廃配管網だ!」
「あ、暗渠……!? し、しかしあの配管は数十年間放置され、泥と有毒ガスで満たされているはずです。いくら最新の魔導骨格とはいえ、自律起動すら覚束ない試作機がそんな場所へ迷い込むなど……」
「迷い込んだからこそ、地上に痕跡が残らんのだろうが!」
ヴォルフラムは爪を噛み、荒々しい足取りで部屋の中を歩き回った。
「あの暗渠の先はスラムだ。……だが、手作業でスラムのドブ板を一枚ずつめくっている暇がどこにある!」
ヴォルフラムは怒鳴り散らし、デスクの上に置かれた胃薬の瓶を薙ぎ払った。
ガラス瓶が絨毯の上で鈍い音を立てて転がる。
「明朝10時にはローゼンバーグの監査チームがこの部屋へ踏み込んでくるのだぞ! 機体が見つからねば、横領と機密遺棄の罪で私の首が飛ぶんだ!」
荒い呼吸を繰り返しながら、ヴォルフラムの瞳に狂気じみた光が宿った。
「開発院の基幹魔導アンテナを過負荷で回せ」
「……え?」
「聞こえなかったのか! 安全リミッターをすべて解除し、最大出力で広域強制索敵パルスを撃ち込むのだ! 帝都全域、スラムの地下深層まで根こそぎ貫通させろ!」
「き、局長……! あんな出力を街中に撃ったら……!」
「私の地位が消し飛ぶことに比べれば、愚民どもの電球が割れる程度のことなど知るか!」
ヴォルフラムは部下の胸ぐらを掴み、唾を飛ばして命じた。
「あの機体のコアには、開発院特有の固有共振周波数がある。高出力パルスをぶち込めば、どれほど深い地下に隠れていようと、共振して魔力サージを吹き出すはずだ。……直ちに準備しろ! 必ず炙り出してやる……!」
青ざめた部下が脱兎のごとく部屋を飛び出していく。
残された局長室で、ヴォルフラムは震える手で新たな胃薬の包みを開け、水も飲まずに喉へと流し込んだ。
最後までお読みいただきありがとうございました!
「ノアちゃんが健気で可愛い!」「オートマタたち3人に囲まれる生活が羨ましい!」「面白かった!」と思っていただけましたら、広告下部の【ブックマークに追加】や【ポイント評価(★)】をポチッと押していただけると大変励みになります!
次回も明日【18:00】に更新予定です!




