第47話 それは故障ではなく、はじめての恥じらい
豪奢な黒檀の執務机の上に、赤い封蝋の押された1枚の書状が叩きつけられていた。
『機体コードNOAH 実地査察通告書』。
外部機密監査チームの筆頭として記されたジュリアン・ローゼンバーグの署名と、明朝午前10時という刻限。
その脇に置かれた魔導端末の画面には、緑色の冷たい文字が整然と並んでいる。
『地下第7機密保管庫:施錠正常』。
「……もう一度言ってみろ」
「はっ……。第7保管庫の隔離ポッド内、対象機体の消失を確認……。電子錠の暗号ログ、監視記録、隔壁センサー、すべて正常施錠の記録のみです。物理的な破壊痕、魔力による不正干渉の痕跡は……皆無です」
直立不動の部下技師が、青ざめた唇を震わせる。
机の奥で、ヴォルフラム局長の手が激しく震えた。
引き出しから乱暴に引き抜いた茶色い小瓶の蓋を指先で弾き飛ばし、白い胃薬の錠剤を何粒も口の中へ流し込む。
「馬鹿を言うなッ! 正規の手順で施錠されたまま、中にあった機体だけが消えるわけがあるか!」
「し、しかし、記録上は一切の侵入形跡がなく――」
「それが一番まずいと言っているんだ!」
ヴォルフラムは噛み砕いた薬を苦々しく飲み下し、書状を鷲掴みにしてくしゃりと握りつぶした。
額から噴き出す脂汗が、机の木目を濡らす。
「明朝10時だぞ……! 査察の刻限までに現物を提示できなければ、闇市場へ横流ししたと断定され、警察に引き渡されるんだ! 侵入痕もなしに中身だけ消えたなどと、誰が信じるか!」
「局長、しかし――」
「それに……もし外で動いたらどうなるかわかっているのか! お前たち無能どもが焼き切った炉心の過負荷実験ログが、すべて財閥の前に暴かれるんだぞ……!」
机を叩く拳が、骨の浮き出るほど白く強張る。
部下はそれ以上言葉を継ぐこともできず、ただ小さく肩を竦めた。
「全技師を叩き起こせ。非番の者も全員だ。明朝、ローゼンバーグの連中が踏み込んでくる前に、帝都中をひっくり返してでもあの機体を回収するんだ!」
空になった薬瓶が、荒々しい音を立てて床へと転がり落ちた。
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壁際のスリットから流れる温風が、静かな室内に心地よい温もりを行き渡らせていた。
ソファーに沈んでいたシュンは、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
ローテーブルの上には、湯気を立てる陶器のカップ。
乾燥させた柑橘の皮とハーブの香りが、微かに鼻腔をくすぐる。
「おはようございます、シュン様。足の痛みは少し引きましたか〜?」
「うん……リリア、ありがとう。昨夜の温湿布が効いたよ、ずいぶん楽になった」
体を起こして温かいハーブティーを一口含む。
穏やかな温もりが、乾いた喉をゆっくりと潤していく。
ふと視線を向けると、壁際のサブコンソール端末の前に、小さな人影がちょこんと腰掛けていた。
濃紺のパーカーの袖先から指先は出さず、器用にタッチパネルを弾いている。
画面を覗き込もうとノアが背筋を伸ばした瞬間、厚手の布地が胸元でぴんと引っ張られ、柔らかな陰影を描き出した。
ディスプレイには、ゼロ・ターミナル外縁の防犯環境ログや外部通信トラフィックのデータストリームが凄まじい勢いで流れていく。
「ノア? そんなところで何を見てるんだい?」
シュンが声をかけると、ノアは静かに振り返った。
トパーズ色の瞳の奥で、淡い魔力の環が幾重にも重なって高速回転している。
「……シュン。これ、すごく、おもしろい」
「面白い?」
「うん。壁の外の冷たい風の速さとか、遠くの街の電線の震えとか、地下水の流れる音……いっぱいのデータが、全部ここに集まってくるの」
「……外縁の環境ログから地下水脈の水圧データまで、全部同時に走らせてるのか……?」
「うん。ぜんぶ、いっぺんに読めるの」
澄んだ声で答えるノアの瞳の奥で、光の環がさらに回転速度を上げていく。
だが、次の瞬間――シュンは、ノアの周囲の空気が急速に不自然な熱を帯び始めていることに気がついた。
カチリ、と硬質なラッチ音が響く。
直後、ノアの首元と胸元の放熱スリットが強制開放され、白い魔力蒸気が勢いよく噴き上がった。
「……あ、れ……? あたまの中、ぐるぐる、する……」
その瞳に浮かんでいた光の環が、不規則に明滅して乱れ始める。
自重制御のバランスが抜け落ちたように、ノアの身体がふらりと前へ傾いた。
「ノア!?」
シュンは痛む脚を忘れて駆け寄り、倒れ込んできた小さな身体を受け止めた。
腕の中に収まった瞬間、パーカー越しにも伝わってくる尋常ではない熱気に息を呑む。
「熱い……!? 熱暴走か!?」
「シュン……からだが、あつくて、おもい……っ」
ノアが潤んだ瞳で見上げ、苦しげに熱い息を漏らす。
開いた胸元から立ち上る蒸気と熱気が、シュンの顎を撫でた。
背後で端末を操作していたシエラが、鋭い視線をモニターへ走らせる。
「電脳コアおよび主魔導炉の温度が急上昇。限界値の90%に達しています。ゼロ・ターミナル内の全ログを無制限に並列展開したことによる多重フィードバックの位相ズレ……加えて、その厚手の衣服による熱滞留です」
「服の中に熱がこもってるんだ……! シエラ、工作室のメイン作業台を開けて! すぐ調律する!」
シュンはノアを抱き上げ、工作室へと早足で向かった。
工作室の中央に据えられた鋼鉄の作業台。
シュンはそこにノアを座らせると、すぐに膝をついた。
「ノア、熱を逃がすからね。ジッパーを下げるよ」
「……ん……」
首元のジッパーをつまみ、胸元へと滑らせる。
厚手のパーカーを肩から滑り落とさせると、華奢な肩とうなじが空気に晒された。
シュンは首の付け根にある生体装甲のリリースレバーを、迷いなく指先で押し込む。
プシュッ、と微かな減圧音。
うなじから背中の中央にかけての装甲板が、滑らかに左右へと展開した。
熱を帯びた淡い背筋に沿って整然と並ぶ、特注の金メッキ端子群。
中枢神経系と直結した高感度魔導アクセスポートが、鈍い黄金色の光を放っている。
「シエラ、ルーペ付き眼鏡と白銅ピンセット。それから微小絶縁プローブを」
「手元にあります。炉心温度、依然として高水準。位相エラーの拡散を検知」
差し出された眼鏡を耳に掛け、工具を構える。
シュンの呼吸が静かに整い、指先がまっすぐプローブへと伸びた。
「……多重ループの3番と5番が干渉して、共振を起こしてるな。位相を整線して、熱を逃がすよ」
シュンは深く息を吐き、自身の生体魔導周波数をノアのコアへと同期させる。
白銅ピンセットで乱れた微小配線の隙間を確保し、絶縁プローブの先端を金メッキ端子の中心点へとそっと接触させた。
チ……と、微かな接触音が響く。
シュンの指先から、インピーダンスを狂いなく合わせた調律パルスが注入された。
「――っ、……あ……!?」
その瞬間、ノアの華奢な背筋がピクンと跳ねた。
細い腰が弓なりに反り、小さな両手が作業台のシーツをぎゅっと握りしめる。
「……んっ、……ふぁ……っ、な、に……これ……っ」
中枢神経系へ直接染み渡る微細なパルス刺激。
未知の痺れとくすぐったさに、ノアの口元から掠れた吐息が零れ落ちる。
「刺激が強すぎるかい? パルス幅を0.01ミリ秒絞るね」
シュンは一切の動揺を見せず、ルーペのレンズ越しに端子の接触面だけに神経を研ぎ澄ませている。
「……いたく、ない……けど……せなか、ぞくぞくして……っ、へんな感じ……っ」
「うん、神経系と直結してるからね。あと2箇所、位相を合わせたら終わるから、少しだけ我慢してね」
至って真面目な声で語りかけながら、シュンはプローブの角度をミリ単位で傾け、隣接する端子へと当てる。
「ひゃ……っ! ……んんっ……!」
再び背中を震わせ、ノアが小さく身悶えする。
だが、シュンの手元は寸分も揺れない。
オシロスコープに表示された乱雑なノイズ波形が、シュンの同調パルスによって次第に角を落とし、やがて滑らかな1本の正弦波へと収束していった。
シュー……と、放熱スリットから最後の排熱が吐き出される。
端子部の赤みが急速に引き、温度計の数値が平常値へとすとんと落ちた。
「よし……これで位相のズレは解消したよ。熱滞留もクリアだ」
シュンが生体装甲ハッチを閉じると、カチリと心地よい施錠音が響いた。
シュンは立ち上がると、ノアの肩へ優しくパーカーを掛け直し、ジッパーを喉元まで丁寧に引き上げてやった。
「もう大丈夫だよ。身体、軽くなっただろう?」
「……うん。頭のぐるぐる、消えた……」
ノアが作業台から床へと足を下ろす。
シュンは視線を合わせるように屈み込み、その顔を覗き込んだ。
「良かった。どこか痛かったり、違和感はない?」
「……っ!」
覗き込んできたシュンの穏やかな瞳と、至近距離で視線が交わった瞬間。
ノアの胸の中央、主魔導炉がトクン、と大きく跳ね上がった。
首筋から耳の先、そして両の頬へと、見る見るうちに鮮やかな朱が差していく。
ノアはおずおずと胸元に手を当て、頼りなげに眉尻を下げた。
「……熱は、下がったのに……シュンを見ると、胸の奥がキュッて痛い……」
大きな瞳が微かに潤む。
「……これ、故障……? ボク、また壊れちゃったの……?」
「主魔導炉および電脳コアの自己診断は正常。物理的エラーは皆無です」
傍らで熱源モニターを確認していたシエラが、淡々と告げた。
「炉心の局所的励起、および脈動数の上昇――これは故障ではなく、特定対象に対する好意と『恥じらい』と呼ばれる心理反応です」
「は……はず、かしい……?」
その言葉の意味をなぞった瞬間、ノアの顔から一気に湯気が噴き出しそうになった。
「――っ!」
余った長い袖で、顔をすっぽりと覆い隠す。
そのままトコトコと小走りでシエラの背後へ回り込むと、漆黒の軍用ドレスの腰布をぎゅっと掴んで身を隠した。
そして、袖の隙間から上目遣いで、真っ赤な顔のままシュンを盗み見た。
「え、あ……ノア?」
思わぬ反応を真正面から浴びせられ、シュンはあわてて視線を泳がせる。
シエラは腰に手を当て、ジト目でシュンを見据えた。
「……無自覚に見つめ返して動揺を煽らないでください」
「僕、何もしてないよね!?」
「その無防備さが問題だと申し上げています」
そこへ、ワゴンを押したリリアが静かに入ってきた。
「ふふ、ノアちゃん、すっかり可愛い女の子ですね〜」
リリアは穏やかに目を細め、湯気の立つお茶をそっと差し出した。
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工作室の熱気もすっかり落ち着き、4人はリビングへと戻ってきた。
温かな空気の中、ソファーの端に腰掛けたノアが、まだ少し赤みの残る顔でお茶を啜る。
その時だった。
――ぐぅ〜〜……。
愛らしい音が、微かな電子音を混じえて室内に響き渡った。
ノアのお腹のあたり、主魔導炉のエネルギー変換部からだった。
ノアは両手でお腹をぺたんと押さえ、さらに耳まで真っ赤にしてソファーの上で小さく丸まった。
「……お腹から、変な音、した……」
「ふふ、エネルギーが全身にしっかり循環し始めた証拠ですよ〜。何か美味しいものを作りましょうか」
リリアが柔らかく微笑む。
シュンはソファーに深く背を預けながら、小さく息をついた。
「朝のフレンチトーストもすごく美味しかったけど……こう暖かくなってくると、シャキシャキした新鮮な生野菜とか、ハーブが食べたくなるな」
「生野菜ですか。夜間にスラム側の集積所まで足を伸ばせば、調達自体は可能ですが」
「だめだよ。地上はノアの件で今まさに厳戒態勢なんだから。シエラたちを絶対に外へ出したくないよ」
シュンが即座に手を横に振ると、シエラはわずかに視線を逸らし、何か言いたげに口を結んだ。
シュンは顎に手を当て、自然と技術屋の思案顔になっていく。
「それにさ、何日も運ばれてきた泥付きの野菜より、いま枝から千切ったばかりの完熟トマトやバジルの方が絶対に美味いと思わない?」
「それは……確かにそうですが」
「ここには有り余る地熱電力と、冷たくて綺麗な地下水がある。魔導LEDで波長を管理して、培養液の循環を自動制御すれば……」
シュンは身を乗り出し、工作室の方角を指差した。
「一生買い出しに行かずに、新鮮な野菜が年中食べ放題になる完全自動プラントができるんじゃないか……?」
「……シュン様、また新しい工作を思いつかれたのですね〜」
「ちょっと図面引いてくる!」
シュンはソファーから勢いよく立ち上がり、工作室の製図台へ向かって歩き出した。
立ち上るハーブティーの湯気の向こうで、シエラが小さく息を吐き出し、リリアが優しく微笑んでいた。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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