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第41話 蟹って自分で剥くと大変ですよね?

 ピピピピッ、ピピピピッ。


 リビングのメインコンソールで青い通信ランプが点滅を繰り返す中、シュンが通話受信用レバーに手を伸ばした。

 画面がパッと切り替わり、仕立てのいい上着を着た金髪の青年——ジュリアン・フォン・ローゼンバーグの上半身が映し出される。

 背景には高級調度品が並ぶ私設サロンが見えるが、その整った顔立ちは異様な熱気を帯びていた。


『やあ親友! 昨夜の御礼として最高の贈り物を手配したよ! それとバイパス開放の手際についてなんだが——』


 画面越しに身を乗り出し、大富豪の青年が熱烈な議論に入りかけた、その刹那。


 カチリ。


 コンソールの横に立っていたシエラが、受信レバーを迷いなく指先で引き下げた。

 画面中央に『LINK CLOSED』の文字が一瞬だけ浮かび、ブツンと通信が遮断される。

 室内に、再び穏やかな静寂が戻った。


「……推定通話時間が2時間を超えるパターンと判定。事前遮断しました」

「……ありがとうシエラ、助かったよ……」


 シュンは深く息を吐き、胸を撫で下ろした。

 あの熱量に付き合っていたら、間違いなく昼過ぎまで解放してもらえなかったはずだ。


 コトコトコト……ガタン。


 工作室への連絡台で、受取シュートの自動仕分けコンベアが静かに停止した。

 台の上には、重厚な荷物が三つ並んでいる。


「……それにしても、今度は何を送りつけてきたんだろう」

「ふふ、どんなお荷物か見に行ってみましょうか〜、シュン様」


 リリアに促され、シュンはコタツから抜け出して工作室へと足を向けた。


 一つ目は、分厚い断熱外壁に覆われ、表面にびっしりと白い霜が付着した大型の金属コンテナだった。

 側面にはローゼンバーグ財閥の家紋と、超低温保冷回路のインジケーターが青く光っている。


 シエラがロックピンを外すと、プシューッという重い減圧音とともに真っ白な冷気が溢れ出した。


「……うわっ、生きてる!?」


 循環海水が張られたコンテナの底で、漆黒に近い分厚い甲羅を持つ巨大な蟹が数杯、太い脚をモゾモゾと蠢かせていた。

 甲羅の幅だけで40センチはあり、大人の腕ほどもある極太の鋏を誇示している。極寒海峡の深海でしか獲れないとされる、幻の越冬蟹だった。


「生体反応、極めて活発。鋏に挟まれた場合の骨折リスクを検知しました。シュン、30センチ後退してください」

「ふふ、とっても立派な蟹さんですね〜。元気がよくて美味しそうです」


 危険を察知してシュンを下がらせるシエラの横で、リリアがふんわりと嬉しそうに微笑む。


 二つ目の包みは、巨大な桐箱だった。

 リリアがそっと蓋を持ち上げると、中から濃紺の最高級シルクに包まれた、キングサイズの超極厚羽毛布団が現れた。


「わあ……見てくださいシュン様、指が吸い込まれそうなほど柔らかいですよ〜」

「どれどれ……うわ、本当だ……」


 シュンが指先で軽く押すと、どこまでも深く沈み込み、手を離すと音もなくふわりと元の厚みへと戻った。帝室御用達のホワイトグースの羽毛が、惜しげもなく詰め込まれている。


 そして三つ目は、黒いベルベットの小箱に収められた、重厚な硝子瓶。

 金文字の装飾ラベルが貼られた、数百年熟成のヴィンテージ白ワインだった。


「……あの人の『ささやか』の基準、絶対に狂ってるよ。幻の深海蟹に、王族御用達の布団に、博物館級のワインだなんて……」

「安全確認を実施。毒物および指向性爆薬の反応ゼロ。生体鮮度は最高値を維持しています」


 呆れるシュンに、シエラが視覚ログを更新して淡々と告げた。


「せっかくの新鮮な蟹ですもの、冷めないうちに、熱々のお鍋にしていただきましょうか〜」

「賛成! こんな寒い日は、熱々の鍋に限るよ」


 リリアの提案に、シュンは大きく頷いた。


---


 工作室のステンレス台。

 シエラが冷水の中から巨大な越冬蟹を無駄のない動きで取り押さえた。

 指先からカシャリと展開された鋭利なメスツールが、甲羅と関節の隙間へと滑り込む。


 パキッ、カチリ。


 小気味よい硬質な音が響き、甲羅が綺麗に外された。

 裏側にぎっしりと詰まった黄金色の蟹味噌が、一滴も崩れることなく甲羅の窪みへと集められていく。


「シエラちゃん、さすがの手際ですね〜」

「関節部の装甲厚は3ミリ。刃角を15度に保てば、抵抗なく切断可能です」


 続いて太い脚肉。

 シエラが流れるようにメスを走らせると、殻の片面だけが美しく削ぎ落とされ、雪のように白く透き通ったみずみずしい極太の身が現れた。


「解体完了。可食部の歩留まり、92%を達成しました」

「完璧だね……料亭の職人さんでもここまでの手際は無理だよ」


 シュンが感嘆の声を上げる間に、リビングの魔導コタツには宴の準備が整えられていた。


 カセット式の魔導コンロの上に置かれた、黒光りする厚手の土鍋。

 昆布を沈めた黄金色の出汁が、ふつふつと細かな気泡を立てている。

 大皿には、丁寧に面取りされた純白の冬大根、芯の黄色い白菜、そして香ばしい焦ぎ目の入った焼き葱。その中央に、捌きたての極太の蟹脚と爪が扇のように美しく盛り付けられていた。


「では、お野菜から入れていきますね〜」


 リリアが菜箸を動かし、冬野菜を出汁へと投入していく。

 野菜がしんなりと馴染んだところで、満を持して太い蟹の脚が出汁へと潜らされた。


 ふわっ、と真っ白な湯気が立ち上る。

 柔らかな昆布出汁の香りと、熱を通された蟹から放たれる濃厚な磯の香りが混ざり合い、リビングいっぱいに広がった。


 ポンッ、と小気味よい音がして、ヴィンテージ白ワインのコルクが抜かれる。

 グラスに注がれた淡い黄金色の雫から、熟成された洋梨と柑橘の芳醇なアロマがふわりと鼻腔をくすぐった。


「シュン様、煮えましたよ〜。熱いですから気をつけてくださいね」


 リリアが菜箸で一番太い蟹脚をすくい上げ、小皿の上で純白の身をそっとほぐした。

 湯気の立つ大ぶりの塊を木匙に乗せ、ふー、ふー、と息を吹きかけて冷ます。


「はい、シュン様。あーん、どうぞ〜」

「あ、あーん……いただきます」


 差し出された木匙から、シュンは熱々の身を一口で頬張った。


 奥歯で噛み締めた瞬間、ぷりっと弾力のある繊維が心地よくほどけた。

 直後、噛むたびに溢れ出してくるのは、凝縮された上品な甘みと、濃厚な蟹出汁の旨味だった。


「…………っ!」


 あまりの美味さに、シュンの肩からすべての力が抜け落ちた。

 上半身がぐにゃりと脱力し、コタツの天板の上にへたり込む。


「んんん……! あ、甘い……! なんだこれ、身がぎっしり詰まってて……噛むたびに出汁が溢れてくるよ……!」

「ふふ、美味しく召し上がっていただけてよかったです〜。まだまだたくさんありますからね」


 リリアが嬉しそうに目を細め、今度は出汁で軽く温められた甲羅盛りの蟹味噌を差し出してくれた。


 甲羅盛りの蟹味噌を口に含み、すかさず冷えた白ワインで流し込む。

 シュンの目がとろんと半開きになり、天板に頬を預けた。


「……ダメだこれ、無限に食べ続けられるやつだ……」

「……味覚センサー受容データを更新。……悪くありません」


 取り皿の甲羅酒をもう一口すくったシエラの木匙が、ほんの一瞬だけ空中で止まった。

 それからゆっくりと口元へ運び、何も言わずに二杯目を傾ける。


 野菜と蟹の身を心ゆくまで堪能したところで、リリアが立ち上がった。


「では、締めのご飯にしましょうね〜」


 旨味が凝縮された土鍋の出汁へ、水でぬめりを取った白米が投入される。

 コトコトと煮含めたところへ溶き卵がふわりと流し込まれ、蓋をして蒸らすこと数十秒。


 蓋を開けた瞬間、ふわふわの黄色い卵と出汁を吸った米粒が湯気とともに現れた。仕上げに刻み海苔が散らされる。


「はい、ふんわり出来上がりましたよ〜」

「あぁぁ……」


 熱々の雑炊を一口すすった瞬間、シュンの口から魂の抜けたような溜め息が漏れた。

 蟹のすべてのエキスを閉じ込めた米粒が、噛むまでもなく優しく胃の腑へと染み渡っていく。


「……炭水化物および塩分の過剰摂取に注意を」


 シエラが冷静に告げながらも、自然な手つきでシュンの茶碗へ二杯目をよそってくれた。

 シュンは出汁の一滴まで綺麗に平らげ、満足そうにお腹を撫でた。


---


 土鍋の火は消え、リビングには温もりと満腹感に満ちた静けさが広がっていた。

 シュンはコタツの中で完全に丸まり、毛布の縁を抱きかかえるようにして深く息を吐いた。


「……ふぅ……食べた……もう一歩も動けない……」


 シエラが手際よく食器を厨房へと運び、カチャリと心地よい水音を立てている。


「シュン様、温かい焙じ茶をどうぞ〜」


 リリアが淹れてくれた湯呑みを受け取り、両手で包み込む。

 香ばしい茶の香りと温もりが、満腹の身体を優しく落ち着かせてくれた。


 厨房から戻ってきたシエラの視線が、リビングの長椅子の上に置かれたままの桐箱へと向けられる。

 濃紺のシルクカバーに包まれた、最高級ホワイトグースの羽毛布団。

 壁のブラケットライトが放つ琥珀色の明かりを吸って、しっとりと上品な光沢を放っている。


 シュンは湯呑みを置き、ふう、と息を吐いて身体を起こした。


「さて……お腹も落ち着いたし、あのお布団を寝室に敷いて、お風呂を沸かそうか」

「とっても温まりそうですね〜。今夜はぐっすり眠れそうです」

「あんなに大きなキングサイズなら、三人で入っても……あ、いや、なんでもない」

「……不穏な思考波形を検知。三人で、の後に何を続けようとしましたか」

「な、何でもないってば! ほら、シエラ、お風呂沸かそう!」

「……誤魔化しを確認。了解しました。大浴場のボイラーを点火し、お湯を張っておきます」


 シエラがコンソールのスイッチを操作すると、壁の奥からボイラーの心地よい唸りと、配管を流れる温かい水音が響き始めた。


 芳しい檜風呂の湯、そしてあのふかふかの羽毛布団。

 吸気口から流れる柔らかな温風が、満ち足りたリビングを優しく包み込んでいた。


最後までお読みいただきありがとうございました!


「蟹鍋が美味しそう!」「二人に甘やかされたい!」と思っていただけましたら、広告下部の【ブックマークに追加】や【ポイント評価(★)】をポチッと押していただけると嬉しいです!

次回はいよいよ第3章完結話、明日【18:00】に更新予定です!

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