第4話 「誰も読めない回路図」と、自滅へのカウントダウン
帝国魔電公社・中央棟、第3運用課。
始業の鐘が鳴り終わる前から、課内は異様な空気に包まれていた。
ギルバート・ハウエルは課長室の扉を蹴るように開け、デスクに葉巻を放り出した。昨夜の酒が頭の芯にまだ残っていて、蛍光灯の光が目の奥を刺す。
「おい、全員集まれ」
低い怒声が課内に響き、若手技師たちが恐る恐るギルバートのデスクの前に集まった。
「シュンの件は聞いているな。あの馬鹿が退職届を置いてバックレやがった」
若手技師たちの間で、小さなざわめきが広がる。目を合わせ、口元を手で覆い、囁き交わす。
「えっ……シュンさんが……?」
「嘘でしょう……あのシュンさんが辞めるなんて……」
「静かにしろ」
ギルバートが太い拳でデスクを叩いた。紙束が跳ね、インク壺が揺れる。
「たかが技師一人がいなくなったくらいで騒ぐな。あいつの担当していた案件は、今日からお前たちで分担して処理しろ。以上だ」
一瞬の沈黙の後、若手技師の一人がおずおずと手を挙げた。
「あの……課長。第12ブロックの送配電網改修の件ですが……」
「ああ、あれか。フレッチャー部長の甥が焼いた変圧器の後始末だな。シュンに今週中にやらせるはずだった。お前がやれ」
若手技師の顔から血の気が引いた。
「む、無理です。シュンさんの引いた回路図、見たことありますか? 魔力波動と電気信号が多重のフィードバックループで組まれていて、1箇所の定数を変えたら全体のバランスが崩れるんです。あの人以外に、全体を把握できる人間がいません」
隣の若手技師が、震える手で分厚い図面の束を広げた。紙面にびっしりと描き込まれた回路図は、魔力の波形記号と電気回路の配線図が一枚の中で複雑に絡み合い、素人目にはまるで解読不能な暗号のように見えた。
「これ……読める人、課内に一人もいませんよ……」
ギルバートは顎を突き出し、図面にちらりと目をやった。意味が分からないのは明白だったが、認めるつもりはない。
「大袈裟に言うな。たかが若造の組んだ配線だ。マニュアル通りにバイパスを繋ぎ直して数値を合わせればいいだろう。学者ぶった小細工なんぞ、現場じゃ必要ない」
「しかし課長、シュンさんの組んだ回路はマニュアルに載っていない独自設計で――」
「できないなら減給だ。以上」
ギルバートは葉巻に火をつけ、椅子の背もたれに体重を預けた。煙を天井に吐き出しながら、もう話は終わりだとばかりに手を振る。
若手技師たちは顔を見合わせた。
誰も動けなかった。しかし、減給の二文字はもっと恐ろしい。
「……とりあえず、変圧器のバイパスだけでも繋ぎ直してみよう。シュンさんの独自回路を迂回する形で、マニュアル通りの標準接続に戻せば、最低限は動くはずだ……多分」
「多分って……」
「他にどうしろって言うんだよ。あの回路が読めない以上、迂回するしかない」
若手技師たちは作業着を羽織り、工具箱を抱えて第12ブロックの変電施設へ向かっていった。
誰もが分かっていた。シュンが組んだ精緻な回路を「迂回」するということは、都市の魔電インフラを支えていた微妙なバランスを、素人の手で崩すことに等しいということを。
しかし、それを口にする者はいなかった。
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地下要塞、ゼロ・ターミナル。
2杯目の珈琲を半分ほど飲んだ頃、シュンはサーバーラックの前で足を止めた。
オシロスコープモニターの端に、小さな変化が見えた。
ゼロ・ターミナルに引き込んだバイパス回線――その大元である公社の基幹送電線の波形を映すサブモニターだ。昨夜まで完全な正弦波を描いていたその波形に、ごく微小なノイズが混じっている。波の頂点で、針の先ほどのギザギザが、ぴくっ、と一瞬だけ現れて消えた。
シュンは目を細めた。
(……誰か、回路をいじったな)
あの独特の高周波ノイズには見覚えがあった。精密に位相調整された回路を、マニュアル通りの標準接続で無理やり迂回した時に発生する干渉パターン。シュンが公社にいた頃、何度も後輩たちのやらかしを直してやった、あの手のノイズだ。
(第12ブロックか、第7ブロックか……まあ、どのみち)
シュンはモニターから目を離し、ソファーに戻った。
「シュン、公社の基幹線にノイズが発生しています。原因を特定しますか」
シエラが振り返らずに問う。
「しなくていいよ」
「放置すると、48時間以内にノイズが増幅し、近隣ブロックの変電施設に波及する可能性があります」
「うん。だろうね」
「対処しないのですか」
シュンは珈琲の残りを飲み干し、空になったカップをテーブルに置いた。
「僕はもう公社の人間じゃない。あそこの送電網がどうなろうと、ゼロ・ターミナルのバイパスは公社のメーターの上流から引いてるんだから、こっちには影響ないよ」
シエラはしばらく無言でシュンを見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……了解です。監視は継続しますが、介入は行いません」
「うん。それでいい」
リリアが焼きたてのクロワッサンの追加と、果物を盛った小皿を持ってきた。苺の赤とブルーベリーの紫が、白い皿の上で鮮やかに映えている。
「シュン様、もう少し召し上がりますか〜? クロワッサン、あとひとつ余ってますよ〜」
「もらう」
サクリと小気味良い音を立てて、焼きたてのクロワッサンを頬張る。バターの風味が口の中いっぱいに広がった。
「シュン様、午後はどうされますか〜?」
リリアが首を傾げる。金髪がさらりと肩から滑り落ちた。
シュンはクロワッサンを咀嚼しながら、サーバーラックの隣で黙々とクリップボードに書き込みを続けているシエラの背中を見た。黒い軍用ドレスの背面、左右の肩甲骨の間に、装甲の継ぎ目がうっすらと走っている。あのメンテナンスハッチの奥に、主制御基板と魔力端子がある。
「そうだな……シエラ、最後に内部端子のメンテナンスをしたの、いつだっけ」
シエラのペンが止まった。
「……17日前です。次回の推奨点検日は、あと13日後です」
「13日後か。でも、前回のメンテ後にこっちへの完全移住があったろ。環境が変わったんだから、端子の接触状態くらいは確認しておきたいな。午後、背中開けていい?」
シエラがゆっくりと振り返った。琥珀色の瞳が微かに揺れている。
「……環境変化による端子の接触不良は、自己診断で検出可能です。現時点でエラーは出ていません」
「自己診断だけじゃ分からない微小な接触抵抗もあるよ。ピンセットで直接見ないと」
「…………」
シエラの耳の先が、ほんのりと赤みを帯びた。クリップボードを胸の前で抱え直し、視線を逸らす。
「……必要と判断するなら、拒否する理由はありません。ただし、不必要に長時間背中を開けたまま放置することは禁止です。それと」
「それと?」
「……変な魔力パルスを流さないでください」
リリアがくすくすと笑った。
「シエラちゃん、お耳が赤いですよ〜」
「赤くありません。室温が0.3度上昇しただけです。リリア、空調の設定を確認してください」
「はーい〜」
リリアがにこにこしながらキッチンに戻っていく。シエラは背を向けたまま、クリップボードの角をぎゅっと握りしめていた。
シュンは珈琲のおかわりを受け取りながら、ソファーの奥に深く沈み込んだ。
オシロスコープモニターでは、ゼロ・ターミナルの波形が変わらず完璧な正弦波を描き続けている。その隣のサブモニターでは、公社の基幹線に乗った微小なノイズが、さっきよりほんの少しだけ振幅を増していた。
シュンはそれをちらりと見て、珈琲に口をつけた。
(まあ、僕にはもう関係ない話だ)
窓のない地下室に、穏やかな弦楽四重奏と、珈琲の湯気と、ラベンダーの香りだけが満ちていた。
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(明日はシエラの背中メンテナンス&赤面お色気回です!)
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