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第36話 コタツで寝落ちは、最高の贅沢

 寝室のドアを開けてリビングへと足を踏み出すと、微かなラベンダーの芳香とともに、換気用ダクトの奥から微かに響く低く唸るような風切り音が耳に届いた。

 シュンは足を止め、壁面の環境計器へと視線を向けた。


 ジュリアンと朝まで議論を交わし、ミスリル導線の自律回路を完成させてから数日が経っていた。

 その間、シュンは昼寝や読書、たまの配線整理など、待ち望んでいた気ままな引きこもり生活を過ごしていた。

 もっとも、ジュリアンからは連日のように一方的な通信が届き、新素材の耐圧や公社の古い調律基準について熱弁を振るわれてはいたが。「今、珈琲を淹れているから切るよ」と通話ボタンを弾いて途中で強制切断しても、翌日になれば何事もなかったかのように新しい回路図を送りつけてくる。どれだけ雑にあしらっても堪えた様子のない男に、今ではため息を漏らすのが精々だった。


 そんな穏やかな日常の空気を破るように、吸気側の熱交換器インジケーターが激しい橙色の明滅を繰り返していた。


「……何だこれ。吸気系の負荷がやけに高いな」


 シュンがパネルに触れてログを呼び出すと、外気温度の折れ線グラフが崖から滑落するように鋭角を描いていた。氷点下の底へと垂直に突き刺さっている。


「午前3時から一気に落ちてる……帝都、こんなに冷え込んでるのか」


 シュンは指先を滑らせ、壁面の監視モニターを地上の定点カメラへと切り替えた。

 画面が明転した瞬間、マイクを通してゴオオオオと地鳴りのような猛吹雪の唸りが小さく漏れ聞こえてくる。

 レンズ越しに見える地上は、激しい地吹雪に呑まれて視界の半分が白く掻き消えていた。石造りの街並みは雪に閉ざされ、吹き抜ける強風に凍りついた鉄看板が悲鳴のような軋み声を上げている。市街地の外壁沿いでは、暖房用の魔力導管が凍結しかけているのか、青白い火花が頼りなく散っていた。


「……外、あんなに降ってるのか」


 地下要塞の中は快適そのものなのに、荒れ狂う猛吹雪を見ているだけで、思わず二の腕をさすってしまう。


 シュンの目が、リビングの中央——何も置かれていない広い絨毯の上に吸い寄せられた。


「コタツだ……。絶対にコタツとお鍋が必要だ」


 確信を込めて呟いたシュンは、スリッパを鳴らして工作室へと足早に向かった。


「シュン、突然どこへ向かうのですか。本日の午後は、西側送水ポンプの定期ログ確認が予定されていますが」


 後ろから足音もなく追従してきたシエラが、切れ長の琥珀色の瞳を向けてくる。


「いや、ポンプは自動スクリプトが回ってるから大丈夫。それよりシエラ、予備パーツ棚にある無垢材のローテーブル、あれを出してほしいんだ」

「……不可解な要求ですが、了解しました」


 工作室の中央に据えられた作業台の上に、低めの木製テーブルが運ばれる。

 シュンは工具箱から真鍮製のドライバーを取り出し、迷うことなくテーブルの裏蓋を外した。

 そして棚の奥から、数日前にジュリアンとの議論を経て組み上げたばかりの、超高純度ミスリル導線の自律回路モジュールを引っ張り出してくる。


「……その回路、先日の徹夜でようやく完成させた試作品ですが」


 横で見守っていたシエラが、淡々と告げた。


「普通のヒーターじゃ駄目なんだ。布団の中で足先だけ熱くなったり、温度ムラが出たら台無しだからね。コンマ一度もブレさせたくない」


 半田ごての先端から、細い煙がひとすじ立ち上る。

 シュンはピンセットで微小端子を挟み込み、迷いのない手つきで炭素発熱ブロックへと回路を半田付けしていく。テスターの針が鋭く跳ね、狙い通りの位置でピタリと水平に静止した。


「……木製テーブルの裏面にマウントするスペックではありません。過剰品質です」


「シエラ、ここの金具を押さえてて」


「……了解しました」


 シエラは小さく息を吐きながらも、指先で金具を狂いなく押さえ、シュンのネジ締めを補助する。

 そこへ、予備倉庫へ向かっていたリリアが、ふかふかの巨大な布の塊を両手で抱えて戻ってきた。


「シュン様、奥の保管庫から、一番ふかふかの厚手のお布団を持ってまいりました〜」


「完璧だよリリア、ありがとう! よし、リビングに運ぼう」

「はい、お任せください〜」


 シエラは無言で首を微かに傾げ、淡々と呟いた。


「……人の活動能力を不可逆的に奪う暖房装置に見えますが」


「ふふ、これこそが冬の至福の完成形なんだよ」


 シュンは満足げに息を吐くと、組み立てたテーブルをリビングの中央へと運び出した。


 リビングの絨毯の上に敷布を広げ、ヒーターを取り付けたテーブルの脚を置く。その上からリリアの運んできた厚手のキルト布団をふわりと被せ、最後に木目の美しい天板を載せて挟み込んだ。

 シュンは天板の縁に指を添え、コードの先にあるトグルスイッチをパチンと跳ね上げた。

 小さなインジケーターランプが橙色に灯る。


「よし……通電確認」


 膝をつき、布団の端を少し持ち上げて、足をそろりと滑り込ませた。

 瞬間。

 下半身を包み込んだのは、刺すような熱気ではなく、陽だまりの底に沈んだかのような、柔らかく均一な温もりだった。

 足の甲からふくらはぎ、太ももへと、強張っていた筋肉の緊張が解き放たれていく。


「あ…………」


 口から、情けない吐息が漏れた。

 肘をつき、そのままずるずると絨毯の上へと崩れ落ちていく。


「……だめだこれ。二度と出られないやつだ……」


「ふふ、シュン様、ちょうどお鍋の準備も整いましたよ〜」


 厨房の引き戸が開き、リリアが両手でずっしりと重そうな黒い土鍋を運んできた。

 天板の中央に断熱敷板が置かれ、その上に鍋が鎮座する。蓋が持ち上げられた瞬間、リビングいっぱいに白濁した濃厚な鶏スープの香りと、生姜の爽やかな匂いが湯気となって広がった。

 中では、ふっくらと丸められた大ぶりの鶏つくねと、透き通るまで煮込まれた冬大根、たっぷりの白菜がくつくつと音を立てている。


「うわ……美味しそう……」


 シュンは喉を鳴らしたが、温もりに包まれた身体は天板の上にだらりと伸びたまま、指先ひとつ持ち上がらない。


「シュン様、冷めないうちに召し上がってくださいね〜」


 リリアはふんわりと微笑むと、陶器の小鉢に熱々のつくねとスープ、大根を丁寧に取り分けた。木匙ですくい上げ、自らの唇を寄せてふー、ふー、と息を吹きかける。

 そうして冷ました木匙を、シュンの口元へとそっと差し出した。


「はい、シュン様。あーん、です〜」


「あ……うん……」


 抗う気力もなく口を開ける。

 柔らかく煮込まれたつくねを噛み締めた瞬間、溢れ出す鶏の旨味と軟骨の歯ごたえ、そして生姜の風味が口いっぱいに広がった。熱いスープが喉を通り、胃の腑へと落ちていくたび、身体の内側からもじんわりと熱が満ちていく。


「……んん……美味しい……身体に染み渡る……」


「ふふ、おかわりもたくさんありますからね〜」


 リリアは満足そうに目を細め、また次の具材を木匙で掬い上げた。


 やがて鍋の底が綺麗に平らげられる頃には、シュンは天板の上に上半身を完全に預け、顎を乗せて目を細めていた。


「……完全に軟体動物ですね。食器を速やかに厨房へ下げ、胃の逆流を防ぐために背筋を伸ばすべきです」


 腕を組んでコタツの脇に立っていたシエラが、淡々と告げる。


「無理……一ミリも動けない……コタツが僕を呼んでるんだ……」


 シュンが情けなく呟くと、シエラは静かに目を伏せ、小さく息を吐いた。

 そして、漆黒の軍用ドレスの裾を静かに捌きながら、コタツの対面へと滑り込んできた。


「シエラ?」


「……異常発熱や配線のショートが発生していないか、内部の熱対流を直接検知するための定点観測です」


 澄ました顔で正座したシエラは、手元の端末を開いて視線を落とした。

 その数秒後。

 布団の暗がりの中で、シュンの素足に、つん、とひんやりしたものが触れた。


「ひゃっ……!?」


 思わず身体を跳ねさせたシュンが、天板の下を見下ろす。

 シエラの滑らかな、金属装甲で覆われた足先が、シュンのふくらはぎと足首にそっと絡みついてきていた。

 温められた空気の中で、その足先だけが際立って冷たい。逃げようと足を引こうとしても、シエラの足先は器用に回り込み、逃げ道を塞ぐように絡みついて離さない。


「つ、冷たっ……! シエラ、足先めちゃくちゃ冷えてるじゃないか!」


「……前述の通り、脚部冷却フィンからの熱伝導および放熱効率の試験を行っているだけです。文句があるなら引き抜きなさい」


 シエラは端末から一度も目を離さず、平然と言い放った。

 だが、その白銀の髪の隙間から覗く耳の排熱スリットが、かすかにカチリと音を立てて開き、微かな熱気を逃している。


「引き抜こうとしても、シエラが挟んで離してくれないんだけど……」


「気のせいです。測定誤差です」


 抗議する言葉も、だんだんと途切れていく。

 コタツの温もりとシエラの冷たい足先が交互に肌を滑り、力の入らなくなった足首がそのまま預けられた。


「……もういいや。好きにして……」


 シュンが脱力して天板に顔を埋めると、足首に絡みつくシエラの足の力が、わずかに優しく緩んだ。


 部屋の照明がナイトモードに切り替わり、リビングは橙色の柔らかい間接照明に包まれた。

 リリアが急須から淹れたての焙じ茶を湯呑みに注ぎ、シュンの隣に腰を下ろす。


「シュン様、温かいお茶が入りましたよ〜」


「ありがとう、リリア……」


 ふわりと寄り添ってくるリリアの肩の柔らかさと、石鹸のような清潔な香り。

 コタツの中ではシエラの足先が静かに絡まり、足元の冷たさがいつの間にかほんのり温まっていた。

 温かいお茶を一口啜り、湯呑みを置く。リリアの肩の柔らかさと、焙じ茶の香りと、換気ダクトの微かな風切り音——そのすべてが遠くなっていく。

 シュンはゆっくりと瞼を下ろした。


 その静寂を破ったのは、低く響く電子音だった。


 ピピピッ、ピピピッ。


 薄暗がりの中、壁面のメイン通信コンソールが点滅を始めた。

 シュンはコタツから顔を上げ、眩しそうに目を細めた。

 サイドテーブルの時計の針は、深夜の二時を回っている。


「……うそだろ。こんな時間に誰だよ……」


 のろのろとコタツから抜け出し、床に足をつけながらコンソールへと歩み寄る。

 心当たりは一人しかいなかった。

 ここ数日、昼夜を問わず他愛のない回路論議を一方的に送りつけてきた、あの迷惑な大富豪。


「……またジュリアンかぁ。いくらなんでも非常識すぎるだろ……。一言文句言ってすぐ切ってやる……」


 シュンはボヤきながら、受信ボタンをタップした。

 暗転していた画面がパッと明転する。

 だが。


「——シュン! 起きていてくれたかい!」


 スピーカーから飛び出してきたのは、いつもの優雅な挨拶でも、軽薄な笑い声でもなかった。

 画面に映し出されたジュリアンは、豪奢な上着を脱ぎ捨て、シャツの胸元を乱雑に開けていた。その額には脂汗が浮かび、顔色は紙のように青ざめている。


「……ジュリアン?」


 シュンが眉を寄せた瞬間、ジュリアンは画面に縋り付くように顔を近づけ、震える声で叫んだ。


「頼む、切らないで聞いてくれ……! 君にしか、君の技術にしか救えないんだ……!」


 緊迫した低い叫びが、深夜のゼロ・ターミナルを一瞬で凍りつかせた。


最後までお読みいただきありがとうございました!


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次回も明日【18:00】に更新予定です!

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