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第25話 月光の戦乙女は裏工作を見逃さない

 深夜の廃線路には、湿った夜風が吹き抜けていた。

 瓦礫の隙間に溜まった冷たい泥水が、遠くを走る高圧蒸気管の微かな唸りに合わせて細かく波打っている。錆びついた鉄骨の影から、泥で汚れた作業着の男が3名、足音を忍ばせて姿を現した。いずれも手には太いバールや鉄パイプを握りしめている。

「おい、早くしろ。見回りの奴らが来る前に済ませるぞ」

「わかってるよ。公社の新任課長から前金で銀貨30枚も貰ってんだ。こんな古い通気口、バールでこじ開けて配管にセメントを流し込めば一発で終わりだ」

 先頭の男が、壁面に埋め込まれた古い鉄製の物資投入口へ近づいた。錆びたルーバーの隙間にバールの切っ先をねじ込み、ぐっと体重をかける。

 ガキンッ、と硬い金属音が夜の静寂を切り裂いた。

 その瞬間、頭上の鉄骨トラスから、夜風を裂くわずかな衣擦れの音が落ちてきた。

 男たちが眉をひそめて見上げた時、そこには月光を背負って舞い降りる人影があった。透き通るような白銀の髪が闇に広がり、漆黒の軍用ドレスの裾が静かに翻る。冷たい琥珀色の瞳には、何の感情の揺らぎも宿っていなかった。

「なっ——」

 男が叫び声を上げようとした刹那、シエラの細い右手が男の胸元へ吸い込まれるように押し当てられた。

 バチッ、と青白い火花が暗闇を爆ぜた。

 超高圧のスタンパルスが胸部の神経系を駆け抜け、男は声すら出せずに白目を剥き、口端から白い泡を吹いて泥水の中へ崩れ落ちた。

 背後の2人が武器を振り上げようと身構えたが、シエラの体軸はすでに回転していた。濡れた石畳を滑るような低空の足払いが1人目の膝裏を砕き、倒れ込む顎先へ正確無比な掌底が叩き込まれる。青白い放電閃光がもう一度夜闇を焼き、2本目の鉄パイプが乾いた音を立てて砕石の上を転がった。

 最後の1人が恐怖に顔を歪めて後ずさる暇もなく、シエラの冷たい指先が首筋の急所を捉えていた。短い痙攣とともに、男の全身から力が抜け、油膜の浮いた水たまりへうつ伏せに倒れ伏す。

 3名が泥水の中に沈黙するまで、わずか3秒足らずだった。

 10数メートル離れた崩落壁の物陰で、下請け回収組織の頭目が息を呑んでいた。仕立ての悪いコートの襟を掴んだまま、膝が激しく震えて壁を叩く。

 月光の下で佇む銀髪の機巧人形が、ゆっくりと首を巡らせた。

 冷たい琥珀色の視線が、闇の奥に潜む頭目の瞳を真っ直ぐに射抜く。

「ひっ……」

 シエラは倒れた3名に一度も視線を戻さなかった。

 壁面の旧軍用暗渠ハッチへ手をかけ、音もなく闇の中へ消えていく。月光に照らされた白銀の髪の残像だけが、湿った夜気の中にしばらく漂っていた。


---


 翌朝、冷たい霧が残るスラムの廃線路広場は、騒然とした人だかりに包まれていた。

 投入口の前に倒れ伏した3名の男たちを、都市警察の警邏官が次々と手錠をかけて荷車へ放り込んでいく。腕章を巻いた自警団の親方が、転がったバールを蹴飛ばした。


「……神罰だ」


 親方の低い呟きに、周りの住民たちが黙って頷いた。腕章を巻いた男たちが、静かに、しかし誇らしげに背筋を伸ばす。

 その人垣の遠く離れた物陰で、頭目は土気色の顔で脂汗を流していた。警察が立ち去り、広場の人々が足湯へ集まった一瞬の隙——頭目は震える手でコートの内ポケットから、黒革に真鍮金具の施された小さな木箱を取り出した。全財産をかき集めた金貨の詰まった小宝箱だ。

(あの銀髪の化け物は本物の神の使いだ……! 許してもらわねえと、次は俺の首が飛ぶ……!)

 頭目は泥水を跳ね上げながら駆け寄り、投入口の鉄蓋を押し上げると、金貨の木箱を力任せに奥へと押し込んだ。そのまま背後も振り返らず、悲鳴のような息を吐きながらスラムの闇へと逃げ去っていった。


---


 同じ頃、帝国魔電公社中央棟の第3運用課執務室では、新任課長ブラッドリー・カーライルが、分厚い企画書の上に金メッキの万年筆を滑らせていた。

 金箔押しの表紙には『アンダー・スラッグ違法熱源の強制収用および公社管理型有料温水供給事業計画案』。

 試算表の余白に、赤インクで『年間見込み収益:金貨120枚』と刻み込み、その横へ『理事会提出用・次期技術部長選考資料』と飾り文字を添える。

 青灰色の冷たい瞳が、並んだ数字をなぞりながら僅かに細められた。

(……ギルバートのような無能が失脚した今、この第3運用課から莫大な新収益を理事会へ差し出せば、次の部長の椅子は私のものだ)

 万年筆のキャップをパチンと鳴らして閉じた、その時だった。

 執務室のドアが勢いよく開き、青ざめた若手職員が警察からの緊急電信用紙を差し出してきた。

 目を通した瞬間、ブラッドリーの指先がピキリと凍りつく。

 バチンッ、と分厚い企画書の上に電信用紙が叩きつけられた。

「……使い物にならん連中が」


 昨夜、裏金で雇った回収業者のチンピラどもが廃線路で昏倒し、不法侵入と器物損壊未遂の現行犯で全員逮捕された事実が、赤インクの公印とともに記されていた。

 ブラッドリーは電信用紙を握り潰し、椅子を蹴立てて立ち上がった。


「正規の工事部隊を出す。重機を持ち込んで、私が直接潰す」


 ブラッドリーは乱暴に上着のボタンを留め、企画書を鷲掴みにして大股で執務室を出ていった。

 バタン、と重い扉が閉まり、静まり返った執務室の隅で、ミレイは淡々とキーボードを叩いた。

 画面上に、現場配管の圧力変動と作業ログをリアルタイムで記録する監視スレッドが静かに立ち上がる。

 翡翠色の瞳に冷ややかな光が宿ったまま、ミレイの指先がEnterキーを押し込んだ。


---


 疑似朝光の柔らかな乳白色が、ベッドルームの壁面を静かに照らしていた。

 ラベンダーの清涼な空気を吸い込みながら、シュンはゆっくりと羽毛布団から腕を伸ばした。枕元の計器盤に視線を向けると、時刻は午前9時を過ぎている。

(……よく寝たな)

 昨夜は遠くで金属の擦れる音が微かに聞こえた気がしたが、その後は何の物音もなく、岩盤に包まれた要塞は完全な静寂を保っていた。

 部屋着のままリビングへ足を踏み入れると、キッチンから焼きたての丸パンとハーブティーの芳香がふわりと漂ってきた。

「おはようございます、シュン様」

 エプロンドレス姿のリリアが、柔らかな菫色の瞳を細めて微笑んだ。

「ぐっすり眠れましたか〜?」

「うん。昨日は本当に静かで、一度も目が覚めなかったよ」

 シュンが革張りのソファーへ腰を下ろそうとした、その時だった。

 壁際の物資受取シュートから、これまで聞いたことのない重厚な金属音が響いた。

 ガコンッ……ドスンッ。

 受け皿のスプリングが軋む鈍い衝撃音に、シュンは思わず足を止めた。

「……何だ、今の音」

「物資の受領を検知」

 サーバーラックの前に立つシエラが、モニターへ指先を走らせた。

「重量約3.2キログラム。魔力走査および毒物フィルター——すべてクリア。物理的実体のみです」

 シュンは受取シュートへ歩み寄り、鉄製のトレイの蓋を持ち上げた。

 中に入っていたのは、黒革で覆われ、真鍮の留め金が施された小さな木箱だった。蓋の合わせ目から、鈍い黄金色の光が漏れ出している。

 シュンが慎重に留め金を外して蓋を開けた瞬間、ジャラリ、と硬質な音が鳴り響き、床の上に眩い金貨が何枚も転がり落ちた。

 シュンはその場に凍りついた。


「な……金貨……?」

「金貨42枚。純度98%」


 シエラが画面から視線を動かさずに淡々と告げた。


「現行レート換算で銀貨約4,200枚に相当。何が不満なのですか」


 シュンは木箱を持つ手が震えた。ゆっくりと蓋を閉じ、頭を抱え、ソファーの前で床にぺたんと座り込んだ。

 そのまま膝立ちになり、ソファーに腰掛けていたシエラの冷たい膝の上に両腕を重ねて顔を埋めた。黒い軍用ドレスのスカートの裾を、すがるようにぎゅっと握りしめる。

「……はぁ」

 シエラは短いため息をひとつ落とし、細く冷たい指先をシュンの襟足へ伸ばした。

 ひんやりとした金属の指先が、熱を持った首筋をゆっくりと撫でていく。膝関節の奥から伝わる姿勢制御サーボの微細な振動と冷涼感が、シュンの高ぶった呼吸を少しずつ落ち着かせていった。

「……ドレスの裾および膝関節の貸与制限時間まで、残り10秒。9、8……」

「待って、あと2分! 明日の朝、シエラの好きな限定珈琲豆を手挽きで淹れるから!」

「……交渉成立。延長2分30秒。追加で今夜のポトフの野菜の下処理も命じます」

「やる、何でもやるから……」

 リリアが湯気の立つ白い陶器のカップをサイドテーブルに置き、くすくすと穏やかに笑った。

「ふふ、昨夜のシエラちゃん、とっても頼もしかったですよ〜」

「……単なる外敵排除プロトコルの実行です」

 シエラは淡々と視線を逸らし、シュンの頭の上に冷たい掌をそっと置いた。

 床に散らばった金貨の山を視界の端に収めながら、シュンはシエラの冷たい膝に深く顔を埋めた。


最後までお読みいただきありがとうございました!


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次回も明日【18:00】に更新予定です!

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