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第24話 新任エリート課長の野望と横暴

 帝国魔電公社、中央棟。

 薄暗い廊下に並ぶ第3運用課の扉が、勢いよく開け放たれた。

 入ってきた男は、仕立ての良い濃紺のスーツに銀のタイピンを光らせ、磨き上げられた革靴で床を鳴らしながら、部屋の中央へと歩いた。

 ブラッドリー・カーライル。本部長推薦により、ギルバート失脚後の第3運用課に着任したばかりの新任課長である。

 切り揃えた金髪をオールバックに撫でつけ、細い銀縁眼鏡の奥で青灰色の瞳が冷たく光っている。

 デスクに着くなり、分厚い報告書の束をバン、と叩きつけた。

「説明しろ」

 若手技師たちが椅子の上で背筋を強張らせた。

「スラムの温泉騒ぎ——出所不明の温水が配管を流れているなら、それは公社の財産だ。封鎖して有料化する。損失帳票を出せ」


 若手技師たちが顔を見合わせた。

 ブラッドリーは報告書の余白に、赤インクで『次期部長選考資料』と書き添えた。

 その時——重苦しい沈黙を切り裂くように、部屋の隅の端末席から規則正しい打鍵音が響いた。

 無言で端末を操作していたミレイが、乱れた黒髪を指先で耳の後ろに払うと、翡翠色の瞳をモニターに据えたまま淡々と言い放った。

「……公社管轄の熱源および配管からの熱量流出はゼロです」

 ブラッドリーの眉が跳ね上がった。

「……なに?」

「該当区域の熱収支ログを精査しました。公社が管理する全配管系統において、熱量の逸失は一切記録されていません。つまり、公社に実害はなく、資産の不正使用の事実も認められません」

 ミレイの指がモニター上のデータを指し示す。数値の羅列が、彼女の言葉の正しさを冷徹に裏付けていた。

「したがって、公社が介入・有料化する技術的・法的な根拠は、一切存在しません」

「平技師風情が口答えするな!」

 ブラッドリーの拳がデスクを叩いた。インク壺が跳ね、書類の端に黒い染みが広がる。

「屁理屈をこねるなら減給だ! 私は本部長から直々に任命されたんだぞ!」

 ミレイの指がキーボードの上で止まっていた。モニターには、乱れなく整然と流れ続ける都市の通信ログ。

 視線がブラッドリーの背中を追い、翡翠色の瞳が僅かに細くなった。

 静かに端末へ向き直り、データの画面を閉じる。

 ——そして、ふと。

 引き出しの奥に手を伸ばし、畳まれた小さなタオルをそっと取り出した。


(……現場の水温データは、肌で確認しないと正確な報告書が書けませんし)


 引き結ばれていた口元が、ほんの少しだけ悪戯っぽく綻んだ。


---


 ゼロ・ターミナルのリビングに、涼やかな空気が満ちていた。

 壁面の環境モニターは規定の数値をぴたりと示し、循環ダクトからはラベンダーの香りを含んだ冷涼な風が静かに流れている。

 排熱プログラムは完璧に機能していた。ボイラーとサーバーラックがどれだけ稼働しようと、余剰熱は地下水脈の冷水と混合され、廃線路側の旧暗渠へと穏やかに排出され続ける。

 シュンが技術書のページをめくっていると——壁際の旧軍用物資受取シュートが、カタン、と軽い音を立てた。

 安全スキャンフィルターの青いランプが灯り、受取トレイに小さなバスケットがことりと滑り落ちる。

「……また何か届いた」

 シュンがバスケットの中を覗くと、小瓶に入った手作りの完熟ベリージャム、摘みたてのフレッシュミントの束、乾燥カモミールの花を詰めた麻袋、そして折り畳まれた手紙が入っていた。

 シエラが手紙を取り上げ、文面を素早く一瞥した。


「差出人、アンダー・スラッグの住民有志。脅迫・呪術的要素なし。……読みますか」


 差し出された手紙を受け取り、シュンは丁寧な筆跡に目を通した。


「…………」


 シュンはソファーの背に頭を預け、天井を見上げた。


「排熱を捨てただけなのに……」


「シュン様、見てください〜!」


 リリアがサーバーラック脇の監視モニターを指差した。廃線路広場を捉えた魔導カメラの映像が流れている。

 そこには——夕暮れのスラム広場で、側溝の縁に腰掛けて足湯に浸かる住人たちの姿があった。老人が目を細め、子供たちがはしゃぎ、布切れで作った腕章を巻いた屈強な荷揚げ人が、足湯の周囲を見回りしている。


「……なんだか、見張り番みたいなのまでいるな」

「自警団、と書いてありますね〜。『神様の聖域を守る自警団』ですって。ふふ、皆さん、シュン様のことが大好きなんですね〜」

「僕のことだとは誰も知らないけどね……」


 シュンが頭を掻くと、リリアがソファーの後ろに回り込み、柔らかな手のひらをシュンの肩にそっと置いた。


「シュン様のおかげで、街の人たちがぽかぽかですね〜」

 ふんわりとした石鹸と花の甘い香りとともに、リリアの温かい指先が、読書で凝り固まったシュンの肩をゆっくりと揉みほぐしていく。親指が肩甲骨の内側の硬い筋に沿って滑り、じんわりと圧をかける。

「ん……リリア、上手いなぁ……そこ、すごく効く……」

「ふふ、シュン様がお仕事をがんばった後は、いつもここが固くなりますからね〜」

 シュンがだらしなく脱力したところへ、反対側からシエラが無言で近づいた。

「室温正常、体温正常」

 シエラの冷たい掌が、シュンのうなじにひたりと貼りつく。リリアの温もりで温まった首筋に、冷却モードの心地よい冷たさがすうっと染み込んでいく。

「……快適です」

 シエラは短くそう呟き、穏やかに目を細めた。

 シュンは小さなバスケットからミントの束を一本抜き取り、鼻先に近づけた。摘みたての清涼な香りが鼻腔をくすぐる。

「リリア、このミントで何か冷たい飲み物を作れる?」

「もちろんですよ〜! カモミールとミントを合わせた、アイスハーブティーはいかがでしょう〜? ベリージャムを添えたスコーンも、すぐにご用意しますね〜」

 リリアが嬉しそうにキッチンへと駆けていく。

 しばらくして、テーブルの上に並んだのは——氷をたっぷり浮かべたガラスのピッチャーに注がれた、淡い黄緑色のアイスハーブティー。摘みたてのミントの葉が氷の間に浮かび、カモミールの優しい花の香りが冷たい水面から立ち上っている。

 隣には、焼きたてのプレーンスコーンの皿。割ると湯気が上がり、そこに手作りの完熟ベリージャムがたっぷりと添えられていた。

 シュンがグラスを手に取り、一口含む。ミントの爽やかな清涼感が舌の上に広がり、カモミールのまろやかな甘みが喉を滑り落ちていく。冷たいガラスの表面に結露が浮かび、指先をひんやりと濡らした。

「……うん、美味しい。スラムの人たちが育てたハーブ、すごくいい香りだ」

 スコーンを割り、ベリージャムを乗せて口に運ぶ。バターの風味と、甘酸っぱいジャムの果肉感が口いっぱいに広がった。

 監視モニターの映像では、足湯の周りに人が増え、腕章を巻いた自警団が側溝の周囲をせっせと掃除している。子供たちが笑い声を上げ、老人がゆっくりと足を温水に浸している。

「……まあ、みんなが喜んでるなら、いいか」

 シュンはグラスを傾け、冷たいハーブティーをもう一口。右の肩にはリリアの温かい手が戻ってきて、左の首筋にはシエラの冷涼な掌が当てられている。

 澄み切った完璧な室温。摘みたてハーブのティーとスコーン。いつもと変わらない、穏やかな午後。

(……僕はただ、部屋が暑かったから排熱を捨てただけなんだけどな)

 シュンはそう思いながら、技術書のページをめくった。


最後までお読みいただきありがとうございました!


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次回も明日【18:00】に更新予定です!

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