↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
22/74

第22話 二体の想い

 地下要塞「ゼロ・ターミナル」のリビングは、柔らかな間接照明の光と、循環ダクトから漂うほのかなラベンダーの香りに満たされていた。

 朝のスコーンとお茶の時間を終え、午後のまどろみが訪れたリビング。

 飴色の革張りソファーに深く腰掛けたシュンは、サイドテーブルの埋め込みスイッチに指を伸ばし、背もたれをリクライニングさせて心地よい昼寝の体勢に入ろうとした。

 誰からの呼び出しもなく、締め切りに追われることもない、完全な自由時間。

 だが——背もたれがゆっくりと倒れかけたその時、ソファーの足元に内蔵された自動昇降サーボモーターから、微小な異音が耳朶を打った。

 キィィィィン……。

 金属の摩擦音とも電子の唸りともつかない、極めて高い周波数の耳鳴りのようなノイズが、微かな振動となってクッション越しに背筋を這い上がってくる。

「…………っ」

 シュンは眉をひそめ、リクライニングのボタンから指を離した。

 手元のサイドテーブルに埋め込まれたオシロスコープの小型モニターを指先でタップする。緑色の走査線が描く波形は、本来の滑らかなサイン波から微かに外れ、山と谷の頂点に針のようなトゲ——高調波サージのスパイクを周期的に刻んでいた。

「送電幹線から高調波サージが漏れ込んでいるな……。上流で大出力のインバーターか何かが、無理なスイッチング駆動をして共振を起こしているのか」

 シュンはため息をつきながら、作業用コートの袖をまくった。

「……せっかく完璧な角度で昼寝に入ろうとしたのに。耳元で変な高周波を鳴らさないでくれよ……」

 サイドテーブルのバイパス盤の定数を指先で軽く調整し、迷走する余剰高周波を大地の深層アースへ一括して強制放流した。

 スン……と、ソファーの唸りが完全に消滅し、背もたれが滑らかに沈み込んで完璧な静寂が戻る。

「……ふぅ。これでよし」

 満足げに息をつくシュンに対し、背後から冷ややかな声が降ってきた。

「ただソファーでだらしなく横たわるためだけに、送電網の高調波をねじ伏せる。怠けるための労力だけは公社のどのエリート技師よりも過剰ですね。……もっとも、客観的な現実は平日の昼間から部屋着で転がっているだけの無職ですが」

 作業台の前で腕を組んでいたシエラが、切れ長の琥珀色の瞳を細めてシュンを見下ろしていた。

「う……無職って言わないでよ。不労所得ボットで生活費は稼いでるんだから、立派な隠居生活だよ」

 シュンが口を尖らせて上体を起こすと、テーブルの上には、先ほど片付けようとしていたミレイからの荷物が置かれていた。

 公社購買部限定の珈琲豆と、特注の絶縁セラミック材。そして、端正な筆跡で書かれた桃色の手紙。

「そういえば、ミレイさんの手紙、ちゃんと読んでおかないと……」

 シュンが手紙に手を伸ばした——その刹那。

 サッ、と細い銀色の影が動き、シエラの冷たい指先が手紙を奪い去った。

「あ、あれ? シエラ?」

「セキュリティ監査を実施します」

 シエラは手紙の末尾——小さく丁寧に描かれた赤いハートマークを琥珀色の瞳で射抜くように凝視したまま、手紙をすっと自分の背後へ隠した。

「この書面には極めて危険な精神攻撃パルス、および未知の執着コードが含まれていると判定。シュンへの閲覧を無期限で禁止します」

「えぇっ!? ただの後輩からの手紙だよ!? なんで没収されるの!?」

「危険物の隔離は軍用機の基本プロトコルです」

 平然と言い放つシエラだったが、白銀の髪の隙間から覗く耳の先端が、ほんのりと桜色に色づいている。

「ふふ〜、シエラちゃん、もしかして焼きもちですか〜?」

 キッチンから湯気の立つポットを手にしたリリアが、菫色の瞳を細めて楽しげに笑いながら近づいてきた。

「事実無根。軍用機に嫉妬プロトコルなど実装されていません。論理的なリスク管理です」

 シエラは早口で淡々と反論するが、背中に回した手は頑として手紙を離そうとしない。

「シエラは昔から心配性だなぁ。……出会った頃からずっとそうだ」

 シュンが苦笑混じりに呟いた言葉に、シエラの琥珀色の瞳の奥で、遠い日の記憶ログが静かに再生された。


 ——冷たい泥雨が降りしきる、軍の機密スクラップ場での出会い。

 軍用特務機として過酷な電子戦に投入され、最後は魔導炉の暴走で中枢制御系を焼き切られて廃棄宣告を受けたシエラ。

 装甲は泥にまみれ、内部配線のほとんどが断線し、鉄くずの山の中でただ冷たい雨に打たれながら機能停止の時を待っていた。

 そこへ、公社の分厚い作業着を着たシュンが、泥だらけになって現れたのだ。

 重機を避けて這い蹲り、冷え切ったシエラのボディを瓦礫の下から掘り起こしたシュンは、テスターを握る手を泥で汚しながら、何日も徹夜で暴走により焼き切れた中枢回路と魔力伝送網を、一本一本丁寧に繋ぎ直していった。

 修復不能として見捨てられ、冷たく固まっていた思考端子を根気強く蘇らせ、最後に彼が注ぎ込んでくれた温かな魔力パルスが中枢を満たしたとき、シエラの視覚センサーに映ったのは——油と煤で顔を汚しながら、「よかった、君の回路は本当に美しいよ」と心底安堵したように微笑むシュンの顔だった。

 だが、その直後——張り詰めていた糸が切れたシュンが、その場にバタンと倒れ込んだ。

 シエラは青ざめて膝をつき、軍用の生体センサーをフル稼働させて抱き起こした。脈拍、体温、魔力残量——すべてが危険域を示していた。

 公社で連日徹夜して熱を出した夜。「体表温度の異常上昇を確認。……即座に眠りなさい」と冷たい膝枕で頭を冷やしながら、シエラはシュンの額に張り付いた髪を、一本ずつ指先で払っていた。

 翌朝、目を覚ましたシュンが「シエラ、今日もありがとう」と微笑んだとき——シエラの中枢ログに、分類不能のエラーコードが一つ、静かに刻まれた。


 シエラはふっと視覚センサーの記憶ログを現在へと戻した。

 背中に手紙を隠した姿勢のまま、琥珀色の瞳を少しだけ伏せ、掠れた声で呟く。

「……私は、相棒としての正当な防衛行動をとっているだけです」

「シエラ……」

 シュンは小さく笑い、それ以上手紙を取り返そうとはしなかった。


---


 その時だった。

 ガシャン! ガタコン……!

 壁際の旧軍用物資受取シュートが、重厚な金属音を立てて勢いよく作動した。

 ピピピッという軽快な電子音とともに、安全スキャンフィルターのランプが鮮やかな青色に点灯する。

「……またですか?」

 シエラが視線を巡らせ、受取トレイへと歩み寄る。

 トレイから引き出されたのは、美しい金箔の装飾が施された豪奢な魔導保冷箱と、白銀の封蝋が押された高級な羊皮紙の書状だった。

「危険物反応なし。……差出人は、上層貴族街スカイ・ハイの名門パティスリー『フルール・ド・セル』最高責任者となっています」

「上層のパティスリー……?」

 シュンが首を傾げると、シエラが書状を開いて淡々と読み上げた。

「『地下の偉大なる奇跡の神様へ。本日午後、当店が王室へ納入するために稼働させていた超大型冷蔵魔導炉が異常過熱を起こし、爆発による店舗全壊の危機に瀕しておりました。しかし突如として送電網から清浄なる調律パルスが流れ込み、炉の共振が一瞬で沈静化いたしました。店と菓子職人一同の命を救ってくださった神様へ、王室納入用に焼き上げた幻の完熟ミルフィーユと、最高峰の特級アールグレイを奉納いたします』……とのことです」

「…………」

 シュンはぽかんと口を開け、数秒間完全に硬直した。

 そして、両手で頭を抱え、深いため息とともにソファーに崩れ落ちた。

「……待ってくれ。僕はただ、ソファーのモーター音がうるさくてノイズを逃がしただけだよ。どうしてそれが上層のケーキ屋を救ったことになるんだ……? 話が飛躍しすぎてて、全然頭が追いつかない……」

「シュン様、アースへ逃がした高周波サージが、ちょうど上層の送電線で暴走していた魔導炉のノイズ波形と逆相で打ち消し合ったのでしょうね〜」

 リリアが保冷箱の蓋をそっと持ち上げ、菫色の瞳を輝かせた。

「まあ……! なんて綺麗な焼き色でしょう……!」

 保冷箱の中から現れたのは、幾重にも重なり合った黄金色の極薄パイ生地に、艶やかなカスタードクリームと雪のように純白な生クリームが贅沢に挟み込まれた、芸術品のような大ぶりのミルフィーユだった。

 箱を開けた瞬間、焦がしバターの香ばしい風味と、上質なバニラビーンズの甘やかな香りが、ふわりとリビングいっぱいに立ち上る。

「ふふ、せっかくの神様へのご馳走です。すぐにお茶を淹れて切り分けますね〜!」

 リリアが嬉しそうにキッチンへと駆け足で戻っていった。


---


 テーブルの上には、繊細な白磁のティーカップに注がれた特級アールグレイ。

 ベルガモットの華やかで上品な柑橘の香りが、澄んだ琥珀色の水面から立ち上る湯気とともに鼻腔をくすぐる。

 シュンは銀のデザートフォークを手に取り、美しく切り分けられたミルフィーユに刃を入れた。

 サクッ……。

 驚くほど繊細で軽やかな音が響き、パイ生地がほどけるように割れる。

 フォークでクリームとともに口へ運んだ瞬間、シュンの舌の上に、幾層ものバターの香ばしさと、濃厚でありながら後味の軽いカスタードのコク、そしてフレッシュな生クリームのミルキーな甘みが一体となって溶け広がった。

「んんん……っ! なにこれ、すっごく美味しい……!」

 公社時代、泥と油にまみれた軍手のまま、冷たい鉄臭い水で流し込んでいたパサパサの圧縮栄養バーの記憶が脳裏をかすめる。

 それと比べれば、今口にしているこの味は、まさに異次元の贅沢だった。

「パイ生地の層構造による熱量保持率98%、糖分および脂質の補給効率100%……。味覚センサーへの刺激値も、許容上限を大幅に上回っています」

 シエラは小ぶりなフォークで一口大を口に運びながら、琥珀色の瞳を丸くしていた。フォークを置く気配はない。

「ふふ、本当にとっても美味しいですね〜」

 リリアも自分の皿を口元へ運び、ふんわりと微笑んだ。

 だがその時——リリアの桜色の唇の端に、ちょこんと純白の生クリームがついてしまった。

「あらうふふ、ついてしまいました〜」

 リリアは恥ずかしがる様子もなく、テーブル越しに身を乗り出して、シュンへと顔を近づけた。

 至近距離から漂う、石鹸と花の甘い香り。

「……シュン様、取ってくださいませんか〜?」

 菫色の瞳を柔らかく細め、無防備に唇を差し出して甘えるリリア。

「え、あ……うん……」

 シュンはドギマギと心拍数を跳ね上がらせながら、リネンのナプキンを手に取り、そっとリリアの唇の端のクリームを拭い取った。

 指先に触れた唇は、オートマタとは思えないほど柔らかく、温かかった。

「よし、綺麗になったよ。……リリアはいつも僕のお世話ばかりしてくれるけど、たまには僕にもお世話させてよ。出会ったあの日から、僕はリリアのご飯と優しさに生かされてるんだから」

 シュンが照れくさそうに笑うと、リリアは胸元に手を当て、嬉しそうに菫色の瞳を潤ませた。

「ふふ、ありがとうございます、シュン様。……シュン様の手、あの時と同じでとっても温かいです〜」

 唇に残るシュンの指先の温もりに、リリアの胸の奥で、かつて暗闇の中で目覚めたあの日の記憶がそっと蘇る。


 ——それは、冷たい石造りの旧貴族地下シェルター最奥での出会い。

 主に見捨てられ、魔導炉の火が消えかけたまま数十年にわたる凍結休眠に沈んでいたリリア。

 誰も訪れない冷たい暗闇の中で、埃にまみれ、ただ朽ち果てて二度と目覚めることはないはずだった。

 その凍てついた魔導炉の扉を開け、埃だらけになりながら何時間も自分の体温と柔らかな魔力パルスを注ぎ込み、再び温かな拍動を呼び覚ましてくれたのがシュンだった。

 目覚めた瞬間、薄暗いシェルターの中で、泣きそうな顔をしたシュンが「寒かったね……もう大丈夫だよ。僕が絶対に温かい場所に連れて行くから」と、凍え切っていたリリアの手を両手で包み込んでくれたのだ。

 そしてその隣で、泥まみれになりながら重い工具箱を抱えていたシエラが、「……生体反応の復旧を確認。よく耐えましたね」と、ぎこちなくも心底安堵したように声をかけてくれた。

 かつての主人は、リリアのお茶を一度も「美味しい」と言わなかった。完璧に淹れて当然。それが道具の義務だった。

 ゼロ・ターミナルで初めてお茶を淹れた日。シュンは一口飲んで、カップを持ったまましばらく動かなかった。

 やがて、静かに涙をこぼした。

「美味しい……。リリア、生きててくれてありがとう」

 公社から帰ってくるシュンの背中は、いつも小さく丸まっていた。靴を脱ぐ手が震えている夜もあった。リリアはそのたびに、何も聞かず、温かいお茶を差し出した。


 リリアは愛おしそうに菫色の瞳を細め、目の前で美味しそうにミルフィーユを頬張るシュンと、隣で小さくフォークを進めるシエラを、温かな眼差しで見つめ返した。

「シエラちゃんもお口にパイ生地がついてますよ〜」

「……自分で取れます。子供扱いしないでください」

 口を尖らせながらも素直にナプキンで拭うシエラに、リリアはくすくすと嬉しそうに微笑む。


---


 ティータイムを終え、満ち足りた吐息とともにソファーへと戻ったシュン。

 その右側には、リリアがふわりと腰を下ろし、シュンの背中に手を添えて優しく撫でてくれる。羽毛のように柔らかく、温かい聖母の温もり。

 そして左側には、シエラが無言で腰掛けた。

「口元にパイ生地の破片が付着しています。まったく、世話の焼ける男ですね」

 シエラは冷たい指先でシュンの頬を払うと、そのまま冷却モードの冷たい掌を、シュンの熱を帯びた首筋へと「ピトッ」と当てた。

 右からの柔らかな温もりと、左からのひんやりとした冷涼感。

 二体それぞれの不器用で真っ直ぐな優しさに包まれ、シュンは全身の余計な力をふっとほどくように、ソファーへと深く背を預けた。

「……美味しいお茶とケーキがあって、二人と一緒にいられるなら。僕、もう一生ここから出ないよ」

 シュンが心からの安堵を込めて呟くと、リリアがふわりと微笑んだ。

「ふふ、ずっと一緒ですよ、シュン様。シエラちゃんも、ね?」

「……当然です。この要塞の維持管理には、あなたの魔力調律が不可欠ですから」

 シエラは少しだけ唇を緩め、琥珀色の瞳を穏やかに細めた。


最後までお読みいただきありがとうございました!


「シュンが羨ましい!」「オートマタたちに癒やされた!」「面白かった!」と思っていただけましたら、広告下部の【ブックマークに追加】や【ポイント評価(★)】をポチッと押していただけると励みになります!

次回も明日【18:00】に更新予定です!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。