第6話: 家族って、こういうものなのかもしれない
「さあ、できたわよ」
彩音がそう言いながら、テーブルの上へ次々と料理を並べていく。
焼きたての料理からは、ふわりと湯気が立ち上っていた。
香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がり、食欲をそそる。
今日の夕食は、こんがりと焼き上げたハンバーグを中心に、彩り豊かなサラダ、味噌汁、炊きたての白いご飯。さらにマグロの刺身や天ぷらまで並んでいる。
あまりの豪華さに、禎丞は思わず目を丸くした。
そんな中、ふと大好物のハンバーグが目に入る。
「お母さん、ハンバーグ!?」
禎丞の顔が、ぱっと明るくなった。
「ふふっ。今日は禎丞が帰ってきたお祝いだから、禎丞の好きなものをいっぱい作ったの」
「ありがとう、お母さん!」
「…………」
その一言を聞いた彩音の動きが、ぴたりと止まった。
「……もう一回言って?」
「え?」
「あ、いや、な、なんでもないの!」
「?」
彩音は何事もなかったかのように微笑みながら、自分の席へ戻っていく。
しかし、その頬はほんのり赤くなっていた。
(……禎丞に『ありがとう』って言ってもらえた……!)
どうやら相当嬉しかったらしい。
「ほら、禎丞。冷める前に食べろ」
紅音が声をかける。
「言われなくても、全部食べるよ」
禎丞は箸を手に取った。
「いただきます!!」
「はい、どうぞ」
彩音は微笑む。
禎丞はまず、ハンバーグへ箸を入れた。
肉汁がじゅわっと溢れ出す。
「……こんなん、美味しいって言ってるようなもんじゃないか」
一口食べる。
「……ん!」
禎丞の目に涙が浮かんだ。
「生きててよかった」
「本当?」
彩音が嬉しそうに身を乗り出す。
「お母さん、僕を産んでくれてありがとう」
「ふふっ。よかったわ」
「はは、大袈裟すぎだろ」
紅音は禎丞の過剰な表現を笑う。
禎丞はふとテーブルの端へ目を向けた。
そこに置かれていたのは真っ赤なソース。
見るからに辛そうなそれを見つけた瞬間、禎丞の顔がさらに明るくなる。
「……あっ」
「どうしたの?」
「これ、もしかして……」
「ええ。禎丞特製の超激辛ソースよ?」
「お母さん…………大好き!」
「ふ、ふぇ!?」
彩音の顔が一気に赤くなる。
「だ、大好き……!?」
「ママ?」
彩葉が笑顔のまま口を挟んだ。
「お兄様に『大好き』って言ってもらったくらいで喜ばないでくれる?地上に出てきてすぐ死ぬセミさんくらい無様だよ?」
「…………」
彩音の笑顔が固まった。
「…………セミさん」
「母さん?」
「私……セミさんだったのね……」
「いや、そこまで真に受けるなって!」
紅音が慌てて声を上げる。
「だって彩葉が……私のこと、地上に出てきてすぐ死ぬセミさんって……」
彩音はしょんぼりと肩を落とす。
「母さん、そんなに落ち込むなって……」
「だって……禎丞に『大好き』って言ってもらえて、すごく嬉しかったのに……」
「だからって、本気で落ち込むなよ…」
紅音は呆れたように頭を抱え、それから彩葉へ視線を向けた。
「おい、彩葉?気持ちは分かるが、母親にそういう言葉使いは良くないぞ?」
「流石お姉ちゃん!お兄様の裸をガン見しただけあって余裕があるんだね!羨ましいな!」
「ぐ……そ、それは禎丞にしっかり謝って罰も……」
「お姉ちゃんはさ?もし自分の大切な人が殺されて、その犯人が刑罰を受けたからって許せるの?」
「いや、それは……」
「まあまあ、彩葉、今度一緒にお風呂入ろう、そしたら同罪でしょ?」
禎丞は嬉しそうにソースを手に取る。
そして――。
ドバドバドバッ。
「お、お兄様♡♡言質とりましたからね?!」
彩葉は満面の笑みを浮かべると、地雷系の服に身を包んだ身体を軽く揺らしながら、スカートのポケットへ手を入れた。
取り出したのは、手のひらに収まるほどの小型ボイスレコーダーだった。
「……お前、なんでそんなもの持ってるんだ?」
紅音が呆れたように尋ねる。
「備えあれば憂いなし、ですよ♡」
彩葉はにっこりと微笑みながら、慣れた手つきで再生ボタンを押した。
【まあまあ、彩葉、今度一緒にお風呂入ろ?そしたら同罪でしょ?】
「絶対ですよ??」
禎丞はそんな二人のやり取りなど気にも留めず、激辛ソースをハンバーグへドバドバとかけ続けている。
「お兄様、ちゃんと聞いてます?」
「んー?聞いてる聞いてる」
禎丞はソースをかける手を一切止めない。
「じゃあ絶対ですよ?」
「うんうん、絶対ね」
「ふふっ♡ 言質、確保しました♡♡」
彩葉は満足そうにボイスレコーダーを胸元へしまった。
「……いつから録音してたんだよ」
紅音が呆れたように尋ねる。
「もちろん、お兄様が彩葉におかえりなさいをしてくれた時からです♡」
「最初からじゃねぇか!」
「当然です♡」
彩葉は何でもないことのように微笑んだ。
その隣では、禎丞が相変わらず激辛ソースをかけ続けていた。
ドバドバドバッ。
「…………」
「おい、禎丞。もうソースがほとんど残ってないぞ?」
「大丈夫。辛ければ辛い程良いから」
「いや、良くはないと思うぞ……」
禎丞は迷うことなく、最後の一滴までハンバーグへ注ぎ込んだ。
真っ赤に染まったハンバーグを見つめ、禎丞は満足そうに頷く。
「よし」
「よし、じゃねぇよ……お前の味覚どうなってんだ」
紅音は呆れ果てたように頭を抱えた。
禎丞は気にする様子もなく、真っ赤になったハンバーグを一口。
「…………」
一瞬、静寂が落ちる。
舌を焼くような猛烈な辛さが一気に広がる。
普通の人間なら、たった一口で悶絶してしまうほどの辛さだ。
それでも禎丞は眉一つ動かさない。
むしろ――
「…………」
ゆっくりと目を細める。
頬がほんのり赤くなり、アクアマリンの瞳が潤む。
それでも苦しそうな様子はなく、口元には嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
もう一口。
「…………ふふ」
辛さを楽しむように、禎丞は美味しそうに咀嚼する。
そして満面の笑み。
「素晴らしい、最高の辛さだよ、お母さん」
「えへへ♡♡お母さん頑張って良かったわ」
「でもね、お母さん……」
禎丞は箸を置くと、少しだけ首を傾げる。
潤んだアクアマリンの瞳で、彩音をじっと見上げた。
「僕ね……もっと辛いのがいいかも……」
長い睫毛がふるりと揺れる。
頬をほんのり赤く染めた禎丞は、潤んだアクアマリンの瞳で彩音を見上げる。
陶器のようにきめ細かな肌。整った鼻筋に、薄く艶めく唇。
少年らしいあどけなさを残しながらも、目を奪われるほど端正な顔立ち。
そんな美しい顔で、禎丞は小さく首を傾げた。
「……お願い?」
その一言だけで、まるで絵画から抜け出してきた天使のような美少年だった。
「わ、分かった……!お、お母さん、次はもっと辛くするわね……♡」
彩音は顔を真っ赤にしながら、両手を頬に添える。
先ほどの禎丞の上目遣いが頭から離れず、嬉しさと恥ずかしさで、どうしても顔が緩んでしまう。
「まだ辛くするのかよ……」
紅音が呆れたように呟いた。
「お兄様、こちらもどうぞ♡♡」
彩葉が箸でマグロの刺身を一切れ取り、禎丞の口元へ差し出す。
「マグロ、彩葉好きなのにいいの?」
「はい♡」
彩葉は嬉しそうに微笑む。
「私、マグロのお刺身が大好きですけど……」
少し照れたように頬を染めながら、続ける。
「私の大好きな人にも、食べてもらいたいんです♡♡」
「ふふ、僕も彩葉のこと大好きだよ?」
「…………え」
彩葉の顔が、一瞬で真っ赤になった。
「……お、お兄様……?」
「ほら、あーんして?」
「は、はい……♡」
彩葉は恥ずかしそうにしながらも、マグロを禎丞の口元へ運ぶ。
「……うん、美味しいね」
「本当ですか!?」
禎丞の言葉を聞いた瞬間、彩葉の表情がぱっと明るくなる。
「よかったぁ……♡」
彩葉は紅音の方へちらりと視線を向けた。
そして、ほんの少しだけ口角を上げる。
まるで、
――どうですか?羨ましいでしょう?
とでも言いたげな、勝ち誇った表情だった。
「…………」
紅音はそんな彩葉の顔を見て、呆れたようにため息をつく。
「……ったく、どんだけ羨ましかったんだよ」
「お姉ちゃんのあーんと一緒にしないでくれますか?」
彩葉は得意げな表情を浮かべたまま答える。
「彩葉のは罰じゃなくて、お兄様のお願いでさせて頂いたんです。天と地……いや、木星と石ころくらい差がありますから」
「はいはい、分かったよ」
紅音が適当に流す。
そんな紅音を見て、彩葉はまだどこか得意げな表情を浮かべていた。
すると禎丞が、そんな彩葉を見てふっと笑う。
「……彩葉?」
「はい♡」
「そんなにお姉ちゃんに意地悪するなら……」
禎丞は少しだけ考えるような素振りを見せる。
「もう彩葉に、あーんしてもらうのやめようかな?」
「…………え?」
彩葉の表情が固まった。
「そ、そんな……!」
「だって、お姉ちゃんに意地悪する子だもんね?」
禎丞は悪戯っぽく笑う。
「お兄ちゃん、そんな人にあーんされたくないなー?」
「ご、ごめんなさい……!」
彩葉は慌てて禎丞の袖を掴む。
「お兄様、ごめんなさい……!彩葉、もう意地悪しません!」
「本当に?」
「はい……!」
「じゃあ、お姉ちゃんにちゃんと謝れる?」
「……はい!」
彩葉はすぐに紅音へ向き直った。
「お姉ちゃん、ごめんなさい……。私、嫉妬しすぎて……」
「まぁ、彩葉の気持ちも分かるよ。アタシが同じ立場なら、彩葉みたいな態度とってたかもしれないしな」
「お姉ちゃん……ごめんね?」
「ああ、いいよ?」
紅音が笑って許す。
「……ありがとう、お姉ちゃん」
そんな二人のやり取りを見届けた禎丞は、満足そうに頷いた。
「うんうん。やっぱり可愛い女の子は、楽しそうにしてる方がいいよ」
「え……」
彩葉の頬が一瞬で赤くなる。
「か、可愛い……///」
耳まで真っ赤になった彩葉、紅音も顔を赤くしそっぽを向いた。
「……よ、禎丞、お前いつの間にそんな小悪魔なこと言えるようになったんだよ……!」
「え? 普通のこと言っただけだけど」
「それが一番タチ悪いんだよ……!」
そんな二人を見ながら、彩音は楽しそうに笑っていた。
「ふふっ」
「お母さん、どうしたの?」
禎丞が不思議そうに尋ねる。
彩音は少しだけ目を細め、テーブルを見渡した。
「家族みんなでご飯を食べるの、久しぶりだから……」
そして、穏やかな笑顔を浮かべる。
「凄く幸せだなって」
「……」
その言葉に、禎丞は一瞬だけ箸を止めた。
「……そっか」
それ以上、何かを返すことはできなかった。
ただ、なんとなくテーブルの上を見渡す。
母親。
姉。
妹。
そして、自分。
四人で同じ食卓を囲み、くだらないことで笑い合っている。
少し前までの禎丞なら、こんな光景を素直に受け入れることはできなかっただろう。
前世の記憶を取り戻す前。
禎丞は、女性が苦手だった。
過去に女性達に拉致され、性的暴行を受けた経験がある禎丞にとって、女性という存在は恐怖の対象でしかなかった。
家族である彩音や紅音、彩葉に対しても、距離を取って
一人で食事をすることも多かった。
例え、食卓を囲んだとしても、こんなふうにくだらないことで笑い合うことなんてなかった。
だからなのか、こうして誰かと話しながら食べることが、妙に新鮮だった。
料理の味も。
食器の音も。
家族の笑い声も。
今までなら気にも留めなかったようなものが、今日はやけに心地よく感じる。
禎丞は小さく息を吐いて、自然と口元を緩めた。
「……なんか、いいね」
「ん?」
彩音が禎丞を見る。
「みんなでご飯食べるのって」
「……そうね」
彩音は優しく微笑んだ。
その隣では、彩葉が嬉しそうに笑い、紅音も照れくさそうにしながら箸を動かしている。
そんな光景を眺めながら、禎丞はふと思った。
――家族って、こういうものなのかもしれない。
特別なことなんて何もない。
ただ、一緒にご飯を食べて、笑って、くだらない話をする。
それだけで、こんなにも心が温かくなる。
「……また、みんなで食べようよ」
禎丞がぽつりと言う。
「もちろんよ」
彩音が嬉しそうに答えた。
「いつでも一緒に食べましょう?」
「うん」
禎丞は笑った。
「じゃあ、次は僕が何か作ろうかな?」
「え、本当ですか!?」
彩葉がぱっと顔を輝かせる。
「お兄様の手料理……♡♡」
「おい、彩葉。気が早すぎるだろ」
紅音が呆れたように笑う。
「ふふっ」
再び、食卓に笑い声が広がった。
その光景を見つめながら、禎丞は胸の奥に生まれた温かな感情を、静かに噛みしめていた。
この温かい日常をこれからは大切にしていきたい。
そんなことを思いながら、家族と一緒に箸を取り、食事を続けた。
◇
食事を終え、禎丞は自分の部屋へと戻ってきた。
「ふぅ……」
ベッドの端に腰を下ろす。
そのまま身体を後ろへ倒すと、
「……わぁ」
身体がふわりと沈み込んだ。
「ふかふかだ……」
柔らかな布団に包まれながら、禎丞は小さく笑う。
今日一日だけでも、本当に色々なことがあった。
タワーマンションの最上階が家になって。
姉に全裸を見られて。
家族と一緒に美味しいご飯を食べた。
前世の記憶が戻る前の自分からは、とても想像できなかった一日だ。
「……なんか、不思議だな」
天井を見上げながら呟く。
少し前までなら、こんなふうに家族と笑いながらご飯を食べるなんて考えられなかった。
姉に甘えたり。
妹と約束したり。
母親に素直に感謝を伝えたり。
そんな当たり前のことが、今は妙に嬉しい。
「…………」
禎丞はぼんやりと天井を眺める。
そして、ふと自分の髪に触れた。
「……そういえば」
少し伸びてきた髪。
風呂上がりに鏡で見たときも、なんとなく気になっていた。
「入学前だし……」
どうせなら、少しくらい整えておきたい。
「美容院……行ってみようかな」
今までなら、そんなことを考える余裕すらなかった。
けれど今は違う。
新しい学校。
新しい生活。
せっかくなら、少しだけ自分も変えてみたい。
「……うん」
明日は美容院に行こう。
髪を整えて。
時間があれば、新しい服も見てみよう。
そう思った禎丞はスマートフォンを取り出し、近所の美容院を検索する。
「ここでいいかな」
空き状況を確認すると、明日の午後に予約が取れそうだった。
そのままネットから予約を済ませる。
「よし、これでオッケー」
スマートフォンをベッド脇へ置く。
「……明日は美容院かぁ」
少しだけ楽しみになってきた。
けれど、今日はもう十分に疲れた。
禎丞は再び布団へ潜り込む。
そして、目を閉じようとしたところで――
「……そういえば」
ふと、布団から漂ってくる甘い香りに気付く。
「この布団、良い匂いだと思ってたけど…」
ほんのり甘くて、華やかな香り。
「……やっぱり、彩葉と同じ匂いだ」
思わず、もう一度大きく息を吸う。
「彩葉もこの匂い好きで、香水とか買ってるのかな」
ぼんやりと考えながら、禎丞は欠伸をする。
「……明日、彩葉に聞いてみるか……」
「ふぁ……おやすみ、世界」
そう呟いて、禎丞はゆっくりと眠りへ落ちていった。
静かな部屋に、穏やかな寝息だけが響く。
――そして。
そのベッドの下。
「…………」
彩葉は完全に固まっていた。
(お兄様が……♡♡)
顔が一気に熱くなる。
(私と同じ匂いって気づいてくれた♡♡)
しかも。
(……いい匂いって…///)
両手で口元を押さえる。
(お兄様が……私の匂いを気に入ってくれた♡♡)
頬がどんどん赤くなっていく。
声を出したら絶対に起こしてしまう。
必死に耐えているのに、口元はどうしても緩んでしまう。
「……えへ」
小さな笑い声が漏れた。
「……っ!」
慌てて口を塞ぐ。
幸い、禎丞は起きる気配がない。
(だめ……嬉しすぎる………///)
彩葉はそっと下着の中へ手を滑り込ませた。
触れる前から、そこはすでに生温かく、ぐちょぐちょに湿っていた。
指が直接、熱を帯び湿った場所に触れる
くちゅ…
「っ………///」
(だめ…声漏れちゃう…♡♡)
顔が熱い。
耳まで赤くなっているのがわかる。
でも、止められない。
くちゅっ…くちゅっ…
お兄様が私の匂いを嗅いで、好きだと言ってくれた。
それを考えるだけで下腹部が更に熱くなるのを感じる。
(……お兄様、私の香りが好きなんだ♡♡)
彩葉は一人、息を乱しながら幸せそうに微笑んだ。
そして誰にも聞こえないほど小さな声で、
「……っん♡おやすみなさい、お兄様♡♡」
そう呟いた。




