第5話: その罰は、甘すぎる
禎丞はしっかりと身体を温め、頬をほんのり赤くしながら浴室を後にした。
「はぁ~……気持ちよかった。」
すっかり身体はぽかぽかで、改めてお風呂は良いなぁと思う。
身体を拭き、用意されていたパジャマに袖を通す。
上質な生地で仕立てられた、見るからに高級そうなパジャマ。
肌触りは柔らかく、ゆったりとした着心地で、風呂上がりの身体を優しく包み込んでくれる。
「これ、着心地いいなぁ……」
そんなことを呟きながら、禎丞は脱衣所を後にする。
ガチャ。
脱衣所の扉を開けた、その瞬間。
「誠に申し訳ありませんでしたっ!!」
目の前には、床に額がつくほど深々と土下座をしている紅音の姿があった。
肩にかかる程度の白髪のボブは、普段からろくに手入れしていないようにも見えるのに、不思議と様になっている。
切れ長の目に、淡い灰色の瞳。すっと通った鼻筋、その整った顔立ちには、仕事のできる女を思わせる凛々しさがある。
もっとも、今の格好からはそんな雰囲気など微塵も感じられない。
白いタンクトップに、ゆったりとしたスウェットパンツ。
細身ではあるものの、肩や腕には女性らしい柔らかな線の中に、しっかりとした芯の強さが覗いている。
そんな彼女が今は、床に額を擦りつけている。
「……え?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
「お、お姉ちゃん?」
「本当にごめん!!」
紅音は顔を上げないまま必死に叫ぶ。
「禎丞がお風呂に入ってるなんて思わなくて……!ちゃんと確認しなかったアタシが悪いんだ!本当にごめん!!」
「いや、事故だったし……」
「事故でもアタシが悪いんだ!」
紅音は震える声で言い切る。
「本当に……ごめんなさい。アタシにできることなら、本当に何でもするから……!」
その言葉を聞いた瞬間。
禎丞の口元が、ゆっくりと吊り上がった。
「……何でも?」
確認するように呟く。
紅音は勢いよく頷いた。
「ああ、何でもする!!」
その返事を聞いた禎丞は、にやり、と口角をさらに上げる。
まるで面白いことを思いついた子どものような、それでいてどこか獲物を見つけた悪役のような笑み。
「じゃあ……」
◇
「じゃあ……」
禎丞は、ゆっくりと口元を吊り上げた。
「じゃあ……アイス」
「……アイス?」
紅音はきょとんと目を瞬かせる。
「食べさせて」
「……は?」
一拍遅れて意味を理解したのか、彼女の眉がぴくりと跳ねた。
「いや、待て。何でもするとは言ったけど、それは……」
「何でもするって言ったよね、お姉ちゃん?」
「うっ……」
痛いところを突かれ、紅音は言葉を詰まらせる。
対する禎丞は、勝ち誇ったような悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「わ、分かったよ……。あーんすればいいんだな?」
「やったー!夢だったんだよね」
「アイスをあーんしてもらうのが、か?」
そんな夢なら、ひと言言ってくれれば、いつだって叶えてやったのに。
「違うよ?」
「え?じゃあ何が?」
禎丞はにこっと笑う。
その整いすぎた中性的な顔立ちにそんな笑みを浮かべられると反則だ。可愛さを武器にしている自覚があるのかないのか――
いや、この様子を見る限り、きっと分かっていてやっているんだろうな、末恐ろしい弟だ。
「お姉ちゃんに、いっぱい甘えること♡」
「――――っ……///」
その一言は、紅音の心臓を容赦なく撃ち抜いた。
耳まで真っ赤に染めた紅音は、思わず視線を逸らす。
「い、いつの間にそんな小悪魔になったんだよ……」
照れ隠しのようにぼやきながら、紅音は逃げるように冷凍庫を開ける。
ひんやりとした冷気が頬を撫でても、熱くなった顔はまるで冷めそうになかった。
後ろからは、上機嫌そうな禎丞の鼻歌が聞こえてくる。
(母さんが言ってたけど……明るくなったって、本当だったんだな)
以前の禎丞なら、こんなふうに笑うことなんてなかった。
ましてや、自分から甘えてくるなんて、考えられない。
話しかけても怯え、怖がる禎丞を見て、姉として何かしてあげたいと思っていた。
けれど、それすら禎丞にとっては負担になってしまうんじゃないか。
そう考えると、アタシは禎丞に近づくことさえできなかった。
本当なら、誰よりも安心できる存在でいてやりたかった。
それなのに――。
ついさっき。
アタシは、禎丞の風呂を覗いてしまった。
(……何やってんだ、アタシ)
あんなことがあって、女に対して怯えるようになった禎丞に。
よりにもよって、アタシ自身があんなことをしてしまった。
この世界じゃ、男の身体を女が勝手に見るなんて、許されることではない。
ましてや禎丞は、ただでさえ女を怖がっている。
そんなこと、分かっていたはずなのに。
(……また、傷つけた)
そう思った瞬間、胸の奥がズキッと痛んだ。
怖かっただろう、嫌だっただろう。
もしかしたら、またあの日のことを思い出させてしまったかもしれない。
そう考えるだけで、申し訳なさで息が苦しくなる。
禎丞のたった一人の姉なのに、守ってやりたいと思っていたのに、安心させてやりたいと思っていたのに。
アタシはまた、禎丞を傷つけてしまった。
(……ごめん、ごめんな、禎丞)
もう、近づかない方がいい。
そう思った。
これ以上、禎丞を怖がらせたくない。
そう思っていたのに。
「お姉ちゃん、まだー?」
「あ、ああ!今持ってくから!」
背中から聞こえてきた、待ちきれないような声。
その声に、思わず頬が緩んだ。
(……こんなふうに、また話せるんだ)
嫌われたと思っていた。
もうアタシには、近づいてくれないと思っていた。
それなのに、禎丞は今も、当たり前みたいにアタシを呼んでくれる、自分から甘えてきてくれる。
それが、どうしようもなく嬉しかった。
以前との違いに戸惑いもある。
さっきのことだって、本当に許されたのかなんて分からない。
ーーーでも。
(……今の禎丞となら、もっと仲良くなれるのかな)
そんな期待が、胸の奥に浮かんだ。
(……アタシ、何考えてるんだ)
ついさっき、禎丞を傷つけたばかりなのに。
自分のことを怖がっているかもしれない禎丞を前にして、こんなことを考えている自分が、ひどく嫌になった。
(……最低だ)
禎丞が笑ってくれたことが嬉しい。
また話せることが嬉しい。
もっと仲良くなれたらなんて、そんなことまで考えてしまう。
でも、それは全部、アタシの都合だ。
禎丞が本当にどう思っているのかも分からないのに。
(……ごめん)
胸の奥に残った罪悪感を抱えたまま、アタシは小さく息を吐いた。
それでも以前とは違う禎丞の笑顔が、頭から離れなかった。
◇
リビングのソファ。
禎丞はどこか満ち足りたような表情で、ゆったりと腰を下ろしていた。
その隣では、紅音がカップアイスを片手に、小さく息を吐く。
「……はい」
なるべく平静を装いながら、スプーンでバニラ味のアイスをすくう。
「……あーん」
差し出す声は、ほんの少しだけ硬かった。
「…………」
禎丞はすぐには口を開かなかった。
代わりに、くすっと小さく笑う。
「……なんだよ」
紅音が眉をひそめる。
「いや……お姉ちゃん、めっちゃ照れてるなって思って」
「っな!?」
図星を突かれ、肩がびくりと跳ねた。
(……やばい、顔に出てた!?)
慌てて頬に手を当てそうになるが、なんとか堪える。
落ち着け、アタシ。
ただアイスを食べさせてるだけだ。
弟に「あーん」してるだけ。
別に、嬉しくなんか――
「お姉ちゃん、可愛いね」
「――――っ!」
一瞬で思考が吹き飛んだ。
頬が熱い。
耳まで熱い。
絶対に真っ赤になっている。
(か、可愛いって……!いや、落ち着け! アタシは禎丞の姉だぞ!?)
内心では大騒ぎしているというのに、なんとか表情だけは取り繕おうとする。
しかし、どう見ても隠しきれていない。
「~~っ!」
紅音は誤魔化すように、スプーンを禎丞の口元へぐっと突き出した。
「ほ、ほら!早く食べろ……!」
「ふふっ」
「笑うな!」
「だって、お姉ちゃん面白いんだもん」
「誰のせいだと思ってんだよ……」
ぼそりと呟く。
その声には、いつもの勝ち気な勢いがない。
むしろ、恥ずかしさを必死に隠そうとしているのがありありと分かる。
「ほら……あーん」
「ん!」
禎丞が素直に口を開く。
ぱくっ。
ひんやりとしたバニラの甘さが、口いっぱいに広がった。
「ん~~っ!美味しい!」
禎丞は大げさなくらい嬉しそうに頬を緩ませる。
「…………」
その笑顔を見た瞬間。
紅音の胸が、きゅっと締め付けられた。
(……かわいい)
思わず、そう思ってしまう。
「……そっか」
紅音は顔を逸らしながら、もう一度アイスをすくった。
(……嬉しいな)
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
さっきまであれほど落ち込んでいたのに。
こうして隣に座って、自分がすくったアイスを禎丞が嬉しそうに食べている。
その光景を見ているだけで、自然と頬が緩んでしまう。
(……待て待て待て!)
紅音は慌てて自分に言い聞かせる。
これは罰だ。
禎丞がお風呂に入っているところを見てしまった、その罰として「あーん」をしているだけ。
緩みそうになる口元を、慌てて引き締める。
「ほら、溶けるぞ」
「ん!あーん」
またしても、思わず口元が緩みそうになる。
けれど、禎丞に見られる前に、紅音はすぐに顔を背けた。
そして、何食わぬ顔でスプーンを口元へ運ぶ。
ぱくっ。
「やっぱり、お姉ちゃんに食べさせてもらうと、なんかすごく美味しく感じる!」
「そ、そういうこと平気で言うな……」
思わず声が裏返りそうになる。
「なんで?」
「なんでもだよ……」
ぶっきらぼうに返しながら、紅音はもう一度アイスをすくう。
(……ほんと、ずるい弟だな)
「……ほら。もう一口」
「あーん」
「……ふふっ」
思わず漏れた小さな笑い声。
紅音は慌てて口元を手で隠した。
(……しまった)
けれど、もう遅い。
隣では禎丞が、嬉しそうにこちらを見ている。
「お姉ちゃん、楽しそうだね?」
「っ……!」
「もしかして、罰なのに楽しんじゃってる?」
「ち、違っ……!」
否定しようとして、言葉が止まる。
違う、と言い切ることはできなかった。
正直、幸せでしかなかった。
可愛い弟に甘えられ、あーんをするなんて何処のエロ漫画だよって思うし………何よりも嬉しかった。
以前は自分から距離を取っていた禎丞が、今はこんなにも無防備な笑顔を向けてくれていることが。
「ほら、もう一口……」
「あ、話変えた」
「ち、違う!アイス溶けるから、早く食べさせないといけないだろ!?」
苦し紛れの言い訳に、禎丞はくすくすと笑った。
「……ほら。あーん」
「はい、あーん」
禎丞が素直に口を開く。
ぱくっ。
「ん~~っ!やっぱり美味しい!」
嬉しそうに笑う禎丞を見て、紅音の頬がまた熱くなる。
(……もう。そんな顔するなよ)
罰のはずなのに。
こんなにも嬉しそうにされると、こっちまで嬉しくなってしまう。
けれど禎丞は、そんな紅音の胸の内など知る由もない。
前世では一人っ子だった禎丞は、甘えれば嬉しそうに世話を焼いてくれる姉がいる事がなんだかすごく嬉しかった。
(これが……兄弟がいるってことか)
そこへ。
バタンッ!
玄関の扉が勢いよく閉じる。
「ママぁ!!」
元気な声が響いた。
「お兄様帰って来るなら言ってよぉ!塾休んだのに!」
バタバタと足音を響かせながら、地雷系の服を着た、ハーフツインの白髪美少女、彩葉がリビングへ飛び込んでくる。
肩口まで伸びた白髪は、左右で結われまとめられており、走るたびにふわふわと揺れている。
白い肌に淡い灰色の瞳、整った顔立ちと相まって、どこか人形めいた可憐さを感じさせる少女だった。
「お兄様――!」
弾んだ声を上げながら、リビングへ飛び込んだ彩葉だったが、
「…………は?」
その瞬間、動きが止まった。
ソファに座る、最愛のお兄様。
その隣で、にやけながらアイスを「あーん」している雌牛。
「…………」
彩葉の表情が、すっと消えた。
「……ママ」
声が低くなる。
「……あれ、なに?」
ダイニングキッチンで料理をしていた彩音は手を止めて彩葉を見る。
「ああ、あれね」
「紅音、禎丞がお風呂に入ってるの気づかずに入っちゃったんだって」
「…………は?」
彩葉の目から、光がすっと消える。
「……お風呂?」
「うん」
「……それで?」
「ちゃんと謝って、今は罰としてアイス食べさせてあげてるみたい」
「…………」
静寂。
「…………は?」
彩葉の中で、何かが燃え上がった。
「ほんと羨ま……」
思わず母、彩音の本音が漏れかける。
「あ、いや……許してくれて良かったわよね」
なんとか取り繕おうとするが、声は明らかに引きつっていた。
「あ、あの雌牛……お兄様の裸を見て……」
ぎゅっ。
小さな拳が握り締められる。
「その上……」
ゆっくりと視線を紅音へ向ける。
紅音はそんな彩葉の視線など気にする様子もなく、禎丞へスプーンを差し出していた。
「ほら、あーん」
「あーん」
ぱくっ。
「ん~!美味しい!」
「ふふっ、よかったな」
「…………」
彩葉のこめかみに、ぴくりと青筋が浮かんだ。
「お兄様に……」
ぎゅうっと拳を握る。
「……あーん……?」
怒りが頂点に達しかけた、その瞬間。
「あ!」
禎丞が彩葉に気づいた。
「彩葉!」
ぱっと顔を輝かせる。
「おかえり!」
「……っ」
その笑顔を見た瞬間。
彩葉の表情が、一瞬で変わった。
「お、お兄様……♡♡」
さっきまでの険しい雰囲気は、跡形もなく消え去っていた。
「ただいまですぅ♡♡」
満面の笑顔。
「お兄様もおかえりなさい♡♡彩葉、ずっと待ってたんですよぉ?♡♡」
嬉しさを隠しきれない声。
(お兄様、お兄様、お兄様ぁ……♡♡)
(お兄様が私に微笑んでくれた……!)
(好き……!)
(無理……!尊い……!)
(しかもお兄様が!私と会話をしてくれた!!)
(ファンサエグすぎ!!)
(てか、そのパジャマえろすぎ……鎖骨えっろっ……!)
(ほんと今日も宇宙一可愛い……!)
禎丞に微笑まれただけで、さっきまでの怒りなど跡形もなく吹き飛んでいた。
紅音が禎丞の裸を見たことも。
アイスを「あーん」していることも。
今はもう、どうでもいい。
後で殺せばいい話だ、そんな事よりも……。
彩葉は、うっとりと禎丞の笑顔を見つめる。
お兄様が、私に笑ってくれた事の方が重要だ。
「……お兄様」
「ん?」
「……もう一回、笑ってください♡」
「え?」
「彩葉、お兄様の笑顔、大好きなんです♡♡」
「……ふふっ。なにそれ」
禎丞が、また笑った。
「…………」
彩葉の思考が停止する。
(――――好き)
(好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き)
彩葉の顔は、すっかり火照っていた。
頬は赤く染まり、瞳はとろんと潤んでいる。
「……お兄様……♡」
無意識に、唇から甘い声が漏れる。
「ん?」
禎丞がこちらを見る。
ただそれだけで、彩葉の頬がさらに赤くなる。
「な、なんでもないですぅ……♡」
彩葉は頬に手を添えながら、うっとりと微笑んだ。
その表情は、幸せそうで、どこか危ういほどに恍惚としていた。
「えへへ……♡」
「さて、彩葉も帰ってきた事だし、ご飯にしましょ!」
彩音が、パンッと両手を叩く。
「はーい♡」
彩葉は元気よく返事をすると、禎丞のもとへ歩み寄った。
そして、ソファに座っている禎丞の腕に自分の腕を絡める。
「さあ、お兄様♡」
「ん?」
「お兄様は、彩葉の隣に座ってください♡」
そう言って、彩葉は禎丞の腕をぐいぐいと引っ張る。
「うん、いいよ」
禎丞は立ち上がろうとするが、ふと紅音の手にあるアイスへ目を向けた。
先ほどまで紅音に「あーん」をして食べさせてもらっていたアイスは、まだ少し残っている。
「あ……でも、これ……」
禎丞が気にしたように言うと、紅音は手に持ったアイスを見て、すぐに笑った。
「ん? ああ、これならアタシが冷凍庫に入れとくから。気にしなくていいって」
「でも……」
「大丈夫だって。溶ける前に冷凍しとくから、ほら。彩葉が待ってるぞ」
「……じゃあ、お願いね、ご飯食べたらまたしてね?」
「……………///おう、任せとけ」
「ありがとうございます、お姉ちゃん♡」
彩葉は嬉しそうに笑いながら、再び禎丞の腕をぐいっと引っ張る。
「さあ、お兄様♡」
禎丞には見えないように、彩葉は一瞬だけ紅音へ顔を向ける。
その瞬間だけ、先ほどまでの愛らしい笑顔が消え、紅音を射殺さんばかりの、凄まじい殺意の籠もった表情を浮かべていた。
「はいはい」
だが、禎丞が振り返った瞬間には、何事もなかったかのように、いつもの可愛らしい笑顔へ戻っていた。
「えへへ……♡」
彩葉は嬉しそうに笑いながら、禎丞の腕を抱えたまま、自分の席へと連れていく。
「ここです♡」
彩葉が自分の隣の椅子を指差す。
「彩葉は甘えん坊で可愛いね」
禎丞は微笑みながら椅子を引き、ゆっくりと腰を下ろした。
「――っ♡」
その瞬間、彩葉の顔が一気に赤くなる。
「えへへ……♡」
嬉しさを隠しきれないように、頬を両手で包む。
(お兄様が……可愛いって♡)
(……しかも私の隣にお兄様が♡♡)
ちらりと禎丞を見る。
すぐ隣にある可愛らしい笑顔をした美少年のお兄様。
彩葉の胸は更に高鳴った。
「……幸せ♡」
「ん? 何か言った?」
「な、なんでもないですぅ♡」
彩葉は真っ赤な顔で、ふにゃりと笑った。
そんな二人のやり取りを横目に見ながら、紅音は手に持っていたアイスを冷凍庫へ戻す。
「よしっと」
アイスをしまうと、そのまま自分の席へ向かう。
椅子を引き、腰を下ろそうとした、その瞬間。
「…………」
彩葉が、紅音を見る。
先ほどまでの蕩けたような笑顔が、先ほど同様嘘の様に消え去った。
じろり。
まるで獲物を睨みつけるような、鋭い目。
その瞳には、隠す気など微塵もない、冷たく、鋭く、そして明確な殺意が宿っていた。
「…………」
紅音の動きが止まる。
(ったく……実の姉に向ける目じゃねぇだろ)
思わず引きつった笑みを浮かべながら、紅音は何も見なかったことにして腰を下ろした。




