第13話:死角の凶弾と、見えざる「魔法」
1. 街頭の扇動者
どんよりとした鉛色の空の下、トウキョウの主要ターミナル駅前。
選挙カーの上に立つ九条新は、集まった数千人の群衆を見下ろしていた。彼の口調は、かつて日本を二分した佐野源助そのものだった。
「ヘンリー・キッシンジャーはかつてこう言いました。『秩序なき平和は、単なる力の空白に過ぎない』と」
新のよく通る声が、広場に響き渡る。
「今の日本がまさにそれです。あなた方は、街を歩いていて不安を感じませんか? 警察は機能せず、裏社会がのさばっている。なぜか。……この国の政治そのものが、巨大な暴力団『緒方組』と癒着しているからです!」
群衆がざわめく。タブーに踏み込んだ新の演説は、人々の心に潜む不満に火を点けていく。
「そして、その背後にはさらに深い闇がある。アメリカの巨大な地下組織と、それに傅く我が国の権力者たち。私は、この癒着の構造を国会で全て暴き出します!」
2. 三つの乾いた音
熱狂の渦の中心で、群衆の歓声がピークに達しようとしていたその時。
——シュッ。シュッ。シュッ。
雑踏のノイズにかき消されるほど微かな、サイレンサー付きの銃口から放たれた3つの発射音。
新の演説台から数十メートル離れた雑居ビルの屋上で、緒方組が放ったプロの暗殺者が、確実に新の心臓と頭部を狙って引き金を引いていた。
だが、新は演説を止めない。彼自身も、熱狂する聴衆も、誰一人として死の刃が迫っていたことに気付いていなかった。
放たれた3発の弾丸は、新に届く直前、まるで「見えない壁」に弾かれたかのように空中で軌道を逸らし、虚空へと消えていたのだ。
3. 控え室の手紙
「……素晴らしい演説だったわ、新。ネットの反応も最高潮よ」
選挙カーから降り、近くの貸し会議室を改装した控え室に戻った新を、志乃が興奮気味に出迎えた。
「ああ。……少し一人にしてくれ、志乃叔母さん。喉を潤したい」
志乃を部屋から出し、ネクタイを緩めながら机に向かった新は、そこに「あるはずのないもの」が置かれていることに気付いた。
真っ白な封筒。そしてその上に、鈍く光る 一発の弾丸(ホローポイント弾) が置かれている。
新の背筋に、氷のような悪寒が走った。
ここは厳重にロックされ、志乃以外の誰も出入りしていないはずだ。
彼は油断なく周囲を警戒しながら、封筒を開け、中に入っていた便箋を取り出した。
『君の命を狙っているのは、君が思っている以上に執念深い。
緒方組の刺客はこれで終わりではない。
次は魔法でも防ぎきれないかもしれない。
至急、警察に正式な警備を要請しろ。
死んでしまえば、君の「牙」はただのゴミだ』
4. 盤面の外の存在(第13話 結末部分)
新は、手紙に書かれた一言に目を奪われた。
——『次は魔法でも防ぎきれないかもしれない』。
(あの演説の最中、私は狙撃されていたのか……? それを、この手紙の主が防いだというのか)
前世の記憶を持つ新にとって、「魔法」という言葉は単なる比喩には聞こえなかった。あの時、白神刑事が死んだ夜。直接手を下さずとも現場に介入してきた謎の男の気配。新は、自分を影で助けてくれている「あの時の男」の存在を確信した。
(私を守っている……? いや、違う)
新は、机の上の弾丸を指先で転がしながら冷や汗を拭った。
キッシンジャーの地政学、AIによる情報操作、政治の裏取引。新はこれまで、この世界という盤面を自分の意のままに操っていると自負していた。
だが、もしかすると自分は「日本を変える」という野望に酔っているだけで、実際には、緒方組という巨悪を炙り出すための 「あの男の巨大な囮」 として操られているのではないか。
「……上等だ。お前が『無味無臭の正義』を執行する気なら、私はこの国の最大の『毒』として立ち回ってやる」
九条新が手紙にライターの火を近づけ、紙片がチリチリと音を立てて灰に変わった、まさにその時だった。
——ウゥゥゥゥーーッ!!
——ピーポー、ピーポー!
突如として、窓の外からけたたましいサイレンの音が鳴り響いた。
新は弾かれたように窓際へ行き、ブラインドの隙間から外を見下ろした。演説会場の熱気は冷めやらず、周囲の道路は数台のパトカーと救急車によって完全に封鎖されていた。
騒然とする群衆。赤い回転灯が激しく街を照らしている。
視線の先、新が立っていた演説カーから数十メートル離れた雑居ビルの入り口から、救急隊員たちがストレッチャーを運び出してくるのが見えた。
その上に乗せられているのは、黒いビニールシートにすっぽりと覆われた「遺体」だった。
(……刺客は、すでに消されたというのか)
新の背筋を、強烈な悪寒が駆け抜けた。
狙撃を防いだだけではない。あの雑踏の中で、音もなく暗殺者の命を刈り取り、警察が駆けつける前にこの密室に手紙を置いて立ち去ったのだ。
「……なんて化け物だ」
回転灯の赤い光が明滅する暗い部屋の中で、新は思わず低く笑い声を漏らした。
緒方組のプロの刺客すら赤子のように捻り潰す、規格外の存在。その圧倒的な暴力と底知れぬ闇が、新の野望をさらに深く、どす黒く染め上げていく。
自分を囮にする「蛇」の存在を感じながら、九条新は次なる一手へ向けて冷たい決意を固めた。




