第35話 特許警察の初陣
アルディナ王国の王都に新設された、世界初の組織『魔法特許庁』。
その地下深くにある、最高秘匿区画の資料室で、私は自身の「生活魔法カタログ80」の原本を前に、最終的な術式調整を行っていました。
私の魔法の基本スペックは、魔力消費量0.01%以下。そして、誤差0.01度以内の精密制御。
この「0.01%の真実」こそが、特許を莫大な富に変える核であり、同時に他国が喉から手が出るほど欲しがる「世界の設計図」そのものです。
「リリア様、深夜までご苦労様です」
背後から、知性に満ちた落ち着いた声が響きました。
振り返ると、そこには宰相エリオット様が、警備状況の最終確認のために姿を現していました。
「エリオット様。特許登録が始まり、王都の魔力密度が劇的に変わったのを感じます」
「ええ。それだけ多くの商人が、あなたの特許を使った魔道具を街中で起動させ始めた証拠です」
エリオット様は窓の外、静まり返った王都の夜景を見つめました。
「しかし、光が強まれば、その分だけ影も濃くなります。略奪者は常に闇に潜むものです」
その言葉を裏付けるように、特許庁の庭園から、微かな、しかし鋭い殺気を含んだ魔力反応が立ち上がりました。
帝国が送り込んだ特許スパイの影です。
軍事魔法の絶対的な価値が、私の技術によって経済的に崩壊することを恐れた彼らは、ついに「対価」ではなく「略奪」という野蛮な実力行使に出てきたのです。
「……来ましたね」
エリオット様が冷徹な声で告げた瞬間、資料室の窓ガラスが物理法則を無視した魔力衝撃によって粉砕されました。
闇の中から躍り出たのは、帝国製の軍事隠密魔法を纏った三名の工作員。
彼らの狙いは、私の頭脳そのものか、あるいは机の上に置かれた「カタログ80」の原本です。
「リリア・フォン・アルヴェルト。その技術、帝国の勝利のために無償で提供してもらおう!」
スパイの一人が、破壊特化の重合炎魔法を練り上げながら叫びました。
しかし、私は指先一つ動かさず、微塵も動じませんでした。
私は既に、カタログ第6カテゴリー『住宅革命』の第55番『防犯結界』を室内全域に展開していたからです。
「無駄ですよ。その炎魔法、魔力消費効率が悪すぎます。計算が雑ですね」
私は指先から、わずか0.01%の魔力を「結界」へと流し込みました。
誤差0.01度の精度で空間に固定された私の結界は、スパイの放った荒々しい炎を吸い込み、即座に無害な「低音熱エネルギー」へと変換・吸収しました。
「生活魔法第55番、および第54番『防虫結界』の応用――術式、排斥」
私の放った「防犯結界」は、スパイたちの魔力循環そのものを、家屋に侵入した「害虫」あるいは「不純物」として特定。
瞬時に外部へと弾き飛ばす衝撃波を発生させました。
彼らが誇る軍事魔法は、私の精密な生活魔法の前では、あまりにも大雑把で、あまりにも非効率な「ただの無駄」に過ぎませんでした。
「なっ……なんだ、この結界は!? 攻撃が、吸い込まれて消えるだと!? 魔法理論が通用せん!」
スパイたちが驚愕に目を見開いている間に、廊下から整然とした、鉄のような足音が響き渡りました。
「そこまでだ。特許警察、突入!」
エリオット様が設立した、世界初の技術防衛組織『特許警察』の精鋭たちが室内に雪崩れ込みました。
彼らは私の特許第10番『排水循環魔法』を応用した流体拘束装置を使い、一瞬でスパイたちの魔力脈動を封じ込め、その身柄を確保しました。
エリオット様は、捕らえられたスパイの一人の前に立ち、氷のような冷たい視線を向けました。
「特許警察の任務は、技術スパイの摘発、特許侵害の取り締まり、そして研究所の警護だ。
力で知恵を奪えると思ったか。軍事至上主義の傲慢さが、お前たちの目を致命的に曇らせたようだな」
スパイたちは、屈辱に顔を歪めながら、特許警察によって暗闇へと引きずり出されていきました。
エリオット様は、私の方を向き、安堵の溜息を漏らしました。
「リリア様、お怪我はありませんか? 予定通りとはいえ、危険な目に遭わせてしまった」
「いいえ。私の生活魔法が、防衛においても軍事魔法を圧倒する効率を持つことが、これで実証できました」
私は、資料室に残された彼らの術式の残滓を、哀れむように見つめました。
これまでの世界では、強い魔力、大きな爆発こそが正義でした。
しかし、これからの世界では、どれだけ魔力を節約し、どれだけ正確に結果を導き出すかという「効率」こそが覇権を握ります。
「特許警察は、これからさらに強化されます。あなたの『専用護衛班』も、既に編成を終えました」
エリオット様は、私の手を優しく、しかし折れぬ剣のような力強さで握りました。
「リリア様。帝国だけでなく、アルヴァレード王国も経済的限界に達し、なりふり構わずあなたの技術を狙ってくるでしょう。
あちらの『国家崩壊ロードマップ』は、今や第4段階の『財政悪化』が頂点に達しています」
軍事予算に国家の八割を投じ、生活魔法というインフラの心臓を自ら切り捨てた彼らは、今や枯れ果てた大地と空っぽの金庫を抱えて立ち往生しています。
王太子アルドリック様が誇った軍事魔法は、飢えた民を一人も救うことができず、ただ維持するだけで国を蝕む巨大な負債と化しているのです。
「特許使用料という名の見えない鎖が、既に彼らを経済的に包囲しています」
エリオット様は、莫大な金貨が眠る金庫室の方向に目を向けました。
「彼らが略奪に失敗し、いよいよ正当な使用料を払うこともできなくなった時、アルヴァレード王国は文字通り『崩壊』します」
その言葉には、残酷なまでに正確な未来を予言する確信が籠もっていました。
「……次は、魔法特許都市ルミエールの建設を本格化させましょう」
私は、自身の「生活魔法カタログ80」の次のページをめくりました。
第8カテゴリー『都市インフラ革命』。
「高さ200メートルの魔法特許塔。それを中心とした、世界一豊かで、世界一安全な街を、この地に打ち立てます」
「ええ、ルミエール――文明の光ですね。あなたにふさわしい、輝ける都市です」
エリオット様と共に、私は壊れた窓から夜明けの地平線を見つめました。
特許警察の初陣は、技術の勝利であると同時に、旧き野蛮な軍事の時代の終焉を告げる号砲でした。
私を嘲笑い、婚約破棄を突きつけた王太子アルドリック様。
あなたが軍事訓練という名の無意味な魔力浪費に明け暮れている間に、
私は法律と、警察と、そして経済という名の「見えない無敵の軍隊」を完成させました。
あなたが我が国の前に跪き、私の特許なしでは呼吸すら困難になる未来は、すぐそこまで来ています。
「生活魔法は役に立たないのでは?」
その問いを、最高の絶望の中であなたに返すために、私はこの特許都市を世界の中心へと押し上げます。
魔法特許都市ルミエール、定礎式まであとわずか。
私とエリオット様の共闘は、一国の魔法革命から、世界全体の運命を左右する経済戦争へと、そのステージを飛躍的に拡大させていきました。




