第36話 特許包囲網
アルディナ王国の王都に、巨大な「数字」という名の嵐が吹き荒れていました。
新設された『魔法特許庁』から刻一刻と発信される情報は、もはや一国の事務的な報告の枠を遥かに超え、世界経済のルールそのものを塗り替えようとしていたのです。
私の「生活魔法カタログ80」に記された術式が、公的な権利として登録されたことで、世界中の人々は「知恵という目に見えない財産に、正当な金を払う」という未知の現実に直面しました。
特許庁の官僚であるアリシア・ノート様が、最新の月次経済報告書を私の前に恭しく広げました。
「ルナ公爵。……驚くべき、いえ、戦慄すべき結果です。現在、我が国の主要港に入港する商船の9割以上が、すでにあなたの特許技術の利用契約を締結しています」
アリシア様の凛とした声には、かつてない興奮と、自国が手にした圧倒的な優位性への隠しきれない自負が混じっていました。
特に需要が爆発的に集中しているのは、第2カテゴリー『料理革命』に属する第14番『精密魔法冷蔵』と第15番『超低温魔法冷凍』、そして第7カテゴリー『物流革命』の第62番『恒久保存輸送魔法』です。
「これら『魔法冷蔵保存(特許第6位)』と『魔法物流輸送(特許第7位)』のライセンスを取得しなければ、現在の国際的な長距離貿易において、他国の商人はもはや利益を出すことすら不可能です」
アリシア様は、私が仕掛けた経済的包囲網が、音を立てて完成しつつあることを告げました。
かつての祖国、軍事国家アルヴァレード王国の商人たちは、この「特許使用料」という名の見えない壁に最も激しく苦しんでいました。
彼らが扱う農産物は、魔法による保存技術の裏付けがないため、輸送中にその大半が腐敗し、無残な廃棄物と化してしまいます。
一方、私の特許を契約したアルディナ王国や周辺諸国の商人は、一年前の収穫物ですら「たった今摘み取ったばかり」のような鮮度を保ったまま、市場に安定供給できるのです。
「……不公平だ! インチキだ! なぜ水を出し、物を少し冷やすだけの、あんな子供騙しの魔法に、これほどの莫大な金を払わねばならんのだ!」
特許庁の重厚な受付窓口では、アルヴァレード王国から必死の思いでやってきた商人が、絶望に顔を歪めて叫んでいました。
私はその男の顔に見覚えがありました。
彼は、かつて王都の魔法適性試験会場で、不合格となった私を「お冷運びの役立たず」と指を差して嘲笑った貴族たちの、取り巻きの一人だった人物です。
私は隣に立つ宰相エリオット様と共に、庁舎の高いバルコニーから、その惨めな光景を静かに見下ろしました。
「リリア様。彼らは今、自分たちがかつてゴミのように捨てたものの真の重さを、逃げ場のない『数字』という形で突きつけられています」
エリオット様は、冷徹な宰相としての冷ややかな瞳で、旧王国の商人の困窮を精密に分析していました。
「彼らが盲信し、誇りとしてきた軍事魔法は、敵を殺し、建物を焼くことはできても、食料一粒を保存することはできません。
魔力消費量0.01%以下。誤差0.01度以内の精密制御。
リリア様、あなたの編み出したこの至高の理論が、今や旧王国の全軍事力を合わせたよりも強力な、無敵の『経済兵器』として機能しているのです」
エリオット様の指摘は、残酷なまでに正確でした。
私の個人口座に滝のように積み上がる特許使用料の総額は、すでにアルヴァレード王国の年間国家予算そのものを公然と脅かす規模にまで達していました。
旧王国が国家予算の8割を軍事魔法という、一銭の利益も生まない「破壊のコスト」に浪費し続けている間に。
私たちは、生活魔法という名の「創造の利益」によって、世界の色を完全に塗り替えてしまったのです。
「ルナ公爵。いよいよ、次の段階へと進みましょう」
エリオット様は、机の上に広げられた都市計画の広大な地図を、愛おしげに指先でなぞりました。
「第8カテゴリー『都市インフラ革命』。
魔法街灯(第71番)から、都市の心臓たる魔力発電(第80番)まで。
あなたの特許のすべてを物理的に具現化し、世界中の英知が跪く聖地……」
「『魔法特許都市ルミエール』。その建設の開始を、本日、全世界に向けて公式発表いたします」
エリオット様の力強い言葉と共に、高さ200メートルの威容を誇る『魔法特許塔』の建設計画が、魔導通信を通じて世界中へと一斉に発信されました。
それは、武力ではなく知恵が最も尊敬され、発明家が歴史の英雄となる、人類史上類を見ない「新世界」の誕生宣言に他なりませんでした。
アルヴァレード王国の王太子アルドリック様。
あなたが「生活魔法など何の価値もないゴミだ」と言い放ち、私を追い出したあの日、私はまだ知りませんでした。
このささやかな魔法が、やがてあなたを経済的に跪かせ、あなたの愛する国家を音も立てずに破滅へと追いやる、美しくも冷酷な鎖になることを。
特許包囲網。
それは、私を否定し、存在を消そうとした旧い世界に突きつける、冷徹でエレガントな「ざまぁ」の本格的な序章です。
私はエリオット様と共に、光輝く新都市の設計図をじっと見つめました。
自身の指先が生み出した0.01%の理論が、今、世界を完全に支配し始めているという確かな手応えを、その掌に熱く感じていました。




