第34話:特許使用料の重み
世界魔法特許ランキングの発表から数日。
アルディナ王国の王都に新設された『魔法特許庁』の巨大な地下金庫には、かつてないほどの莫大な富が、物理的な重みを持って流れ込み始めていました。
それは、私の「生活魔法カタログ80」に登録された、一連の革新的技術を利用するための正当な対価――『特許使用料』です。
執務室の窓から差し込む陽光の下、私は宰相エリオット様、そして特許庁官僚のアリシア・ノート様と共に、最新の収支報告書を確認していました。
「リリア様。……信じられない数字です。計算を三度やり直しましたが、間違いありません」
アリシア様が、震える指先で羊皮紙に記された計算書を指し示しました。
「今月だけで、主要10カ国の有力商人から支払われた特許使用料の合計が、我が国の前年度の国家予算の三分の一に達しました」
「三分の一……。まだ制度が本格始動して、一ヶ月も経っていないのですよ?」
私の問いに、エリオット様が満足そうに、しかしどこか冷徹なまでの静けさを湛えた笑みを浮かべて頷きました。
「ええ、リリア様。これが『知恵の富』の恐ろしさ、そして美しさです。
魔法保存庫(第14、15番特許)を契約しなければ、他国の商人は長距離物流の土俵にすら立てません。
魔法農業システム(第5番特許)を導入しなければ、食料価格の競争において、我が国の農産品に一方的に敗北し続ける。
彼らにとって、この使用料を支払うことは『損失』ではなく、文明社会で生き残るための『最低条件』となったのです」
彼らに選択肢はありませんでした。
そして、その莫大な富の大部分は、発明者である私、ルナ・リリア・グランベルの個人資産として還元されます。
「私の取り分だけでも……アルヴァレード王国の年間国家予算を、優に上回る計算になりますね」
私は、報告書の末尾に記された、もはや実感が湧かないほど天文学的な数字を静かに見つめました。
王太子アルドリック様。
あなたが「お冷運びの役立たず」と嘲笑し、私を追放したことで。
あなたは、自国の数年分に相当する富を、自らの手で、笑顔で隣国へと差し出したのです。
その損失が、どれほどの重みを持ってあなたの国を圧し潰すか、まだ想像もついていないのでしょう。
しかし、富の集中は、同時に新たな「野蛮な脅威」を呼び寄せていました。
「特許警察からの緊急報告です」
エリオット様の表情が、一瞬で鋭利な「宰相」の顔に変わりました。
「建国の理念を無視し、法ではなく力によってあなたの技術を奪おうとする影が、さらに色濃くなっています」
執務室の窓の外。
王都の喧騒に紛れるように、不自然な魔力波形を放つ影がいくつか潜んでいました。
軍事至上主義を貫く帝国、そして没落の坂を転がり始めたアルヴァレード王国のスパイたちです。
「彼らは、あなたの特許使用料を『独占的な略奪』だと叫んでいるようです」
エリオット様は、吐き捨てるように続けました。
「自分たちが開発した軍事魔法は国家が強制徴用するのが当たり前だと思っている彼らにとって、個人の知恵に正当な金を払うという概念そのものが、脳の構造上理解できないのでしょう」
その時でした。
特許庁の入り口で、一悶着が起きたという報告が入りました。
アルヴァレード王国から派遣されたという、かつて王宮で私を見下していた下級貴族の外交官が、怒りに任せて詰め寄っていたのです。
「ふざけるな! そもそもその生活魔法は、我が国の辺境伯領で育まれたものではないか!
それを隣国に持ち込み、法外な使用料を要求するなど、盗人猛々しいにも程がある!」
彼の叫びは、まさに「国家崩壊ロードマップ」の第4段階、『財政悪化』に喘ぐ王国の断末魔そのものでした。
私はエリオット様と共に、階下の広場へと向かいました。
そこには、怒りと焦燥で顔を真っ赤にした外交官が、特許警察の魔導盾に阻まれて立ち往生していました。
「お久しぶりですね。アルヴァレード王国の使者の方」
私の姿を見た瞬間、外交官の表情が凍りつきました。
「リ、リリア……!? お前、そんな公爵のような格好をして……」
「今の私は、アルディナ王国の魔法発明公爵、ルナ・リリア・グランベルです」
私は、彼がかつて私の魔法適性試験の結果を見て、鼻で笑った一人であることを思い出していました。
「特許使用料が高い、と仰いましたか?」
「当たり前だ! 水を出すだけの、誰にでもできるような魔法に、なぜ金貨数千枚もの契約金が必要なのだ!」
私は、自身の魔力を極めて細く、精密に指先に集めました。
魔力消費量0.01%以下。誤差0.01度以内。
「生活魔法カタログ第2番『高効率水生成魔法』、および第3番『精密魔法水道システム』」
私は、その外交官の目の前で、顕微鏡でしか見えないほど細密な魔力回路を展開しました。
「私が構築したこの術式は、軍事魔導師一人が一日に消費する魔力の百分の一以下で、都市一つを完全に潤します。
あなたがたが誇る、ただ大気を揺らすだけの『暴力の力』では、決して到達できない効率化の極致です」
外交官は、私の指先に浮かぶ、光の糸で織られたような回路のあまりの精密さに、言葉を失いました。
軍事魔法のような派手な威圧感はありませんが、そこには「完璧に管理された知性」が放つ、静かな重圧がありました。
「この技術を使いたければ、正当な対価を。それがこの国の、そして新しい世界のルールです。
嫌だと言うなら、どうぞお引き取りください。干ばつで枯れ果てた大地を、軍事魔法の雷で焼いて耕せばよろしいでしょう」
外交官は屈辱に震え、吐き捨てるように言いました。
「……こんな横暴、陛下(王と王妃)が外遊から戻られればタダでは済まぬぞ!」
「あいにくですが、王と王妃様が戻られる頃には、あなたの国の経済は私の特許によって完全に『包囲』されていますよ」
エリオット様が、一歩前に出て冷徹に告げました。
「特許警察。この不敬な男を排除し、アルヴァレード王国からのすべての特許申請を『信頼性不足』として、無期限で保留にせよ」
「なっ、なんだと!? それでは我が国の小麦の保存が……インフラが……!」
「自国の発明家を大切にしない国に、私の魔法を貸し与える義務はありません」
私の言葉を最後に、外交官は力ずくで特許庁から追い出されました。
崩れ落ちるように去っていく彼の後ろ姿には、もはや軍事国家のプライドなど微塵も残っていませんでした。
「リリア様。これで王太子アルドリックも、ようやく自分のしでかしたことの重大さに気づくでしょう」
エリオット様が、私の手を取って言いました。
「ですが、帝国スパイはさらに過激な手段に出てくる可能性があります。あなたの身を守るため、特許警察の中にあなたの『専用護衛班』を組織しましょう」
「……エリオット様。私は怖くはありません」
私は、カタログ80を強く抱きしめました。
「私の魔法が世界を豊かにし、同時に私を否定した場所を経済的に屈服させる。そのための『魔法特許制度』なのですから」
窓の外では、魔法特許塔(高さ200メートル)の建設計画を告げる狼煙が上がっていました。
旧王国の軍事魔法が「破壊」をもたらすなら、私の生活魔法は「富」と「秩序」をもたらす。
特許使用料という名の「見えない経済の鎖」が、ゆっくりと、しかし確実にアルヴァレード王国の息の根を止め始めていました。
第34話、それは魔法が「武力」を上回る「経済兵器」へと進化した記念すべき一日でした。
私は、隣国で微笑むエリオット様と共に、次なる一歩――『魔法特許都市ルミエール』の定礎式へと、静かに意識を向けました。




