第32話 特許登録とスパイの影
アルディナ王国の王都に新設された、世界初の組織『魔法特許庁』。
その白亜の建物の前には、最新の魔導装備に身を包み、鋭い眼光で周囲を威圧する『特許警察』の姿がありました。
今日、この場所で、歴史上初めて「知恵」という目に見えぬ財産が「法」によって守られる、厳かな儀式が行われようとしています。
最上階にある特許長官執務室の重厚な机には、私の17年間の研鑽が詰まった『生活魔法カタログ80』の原本が鎮座していました。
その隣には、宰相エリオット様と、特許庁の初代長官に任命された官僚アリシア・ノート様が、張り詰めた緊張感の中で控えています。
「リリア様。いよいよですね。あなたの魂の結晶が、正式にこの国の、そして世界の宝となります」
エリオット様の静かな言葉に、私は深く、一度だけ頷きました。
アリシア様が、特許登録の最終確認書類を一枚ずつ、慈しむようにめくっていきます。
「特許登録第1号。名称『精密魔力発電魔法』。発明者、リリア・フォン・アルヴェルト」
アリシア様の手が、その書類に宿る価値の重みに耐えかねるように、微かに震えていました。
「ランク……S。評価、国家革命級。
これ一つで、都市や工場のすべてのエネルギー源が恒久的に確保されます。
信じられません。これまでの常識では、魔力とは消費するだけの破壊の力だったというのに……」
軍事至上主義に染まったアルヴァレード王国では、魔力とは常に「何かを壊すために使い捨てるもの」でした。
しかし、私の提唱する魔法理論は、その真逆を行きます。
魔力消費量0.01%以下。そして、誤差0.01度以内という極限の精密制御。
この、他者の追随を許さない圧倒的な効率化こそが、暴力的で不安定な魔力を、社会を支える安定した「エネルギー源」へと変えるための唯一の鍵なのです。
「続いて、第2号『循環式魔法水道システム』、第3号『都市環境浄化結界』、第5号『高効率魔法農業システム』……」
次々と、公的な刻印が押されて登録されていく、私の特許たち。
それらはすべて、かつて「卑俗な雑用」と蔑まれてきた生活魔法を、国家の骨格たるインフラとして再定義したものです。
「これらTOP10の特許が揃うだけで、近代国家に必要なインフラの80%以上が成立してしまいます。
恐るべき、そして美しき価値ですわ」
アリシア様の言葉通り、私の特許はもはや一個人の技術の域を遥かに超越していました。
それは、一国の経済を爆発的に成長させ、世界経済の主導権を完全に掌握するための、血を流さない最強の武器なのです。
「登録完了です。リリア様、おめでとうございます。
あなたは今日この瞬間、50件以上のSランク特許を保持する、世界最大の個人特許所有者となりました」
エリオット様は、窓の外に広がる王都の穏やかな景色を見つめました。
「リリア様。試算によれば、あなたの特許使用料だけで、
すでにアルヴァレード王国の年間国家予算を上回る勢いで積み上がっています。
これが『知恵が産む富』です。破壊の力にのみ執着し、技術を軽視した者たちが、
一生かかっても、逆立ちしても手にできない天文学的な価値です」
その時、エリオット様の美しい黄金色の瞳が、ふと険しさを帯びました。
「……特許警察の報告によれば、この建物の周囲、および研究所の近辺に、
『帝国』のスパイと思わしき影が複数潜んでいるようです」
帝国スパイ。
それは、魔法特許制度という「知恵の独占」という新しい概念に、言いようのない焦りと恐怖を感じた他国が放った刺客でした。
彼らは、私の技術を一つでも盗み取ろうと、執拗にこの研究所を、そして私の一挙手一投足を監視しています。
軍事魔法の絶対的な価値が崩壊することを恐れた帝国は、法による対価ではなく、力による略奪を狙っているのです。
「帝国のスパイたちは、私の0.01%の精密理論を模倣し、無断で兵器やインフラに転用しようとしているのでしょう」
私は、ティーカップを置く手も乱さず、冷静に分析しました。
「ですが、私の術式は『装置化』と『多重積層回路』の極致。
基礎理論を欠いた付け焼き刃の盗用では、起動した瞬間に魔力が暴走し、装置ごと吹き飛ぶだけです。
私の技術は、私の許可なくしては、誰にも触れられぬ聖域なのですから」
エリオット様は、私の隣に歩み寄り、その大きな肩に優しく手を置きました。
「ええ、その通りです。リリア様、あなたの正当な権利は、私がこの命に代えても守り抜きます。
特許警察をさらに増員し、特許庁の防衛結界もあなたの最新特許(第3号)で上書きしましょう。
一切の盗用、一文字の情報の流出も、私は断じて許しません」
エリオット様は、私の「守護者」であると同時に、世界で最も優れた「理解者」でした。
彼だけが、生活魔法という「創造の力」が、軍事魔法という「破壊の力」よりも遥かに強く、
そして世界を救うために美しいことを、心の底から理解してくれていました。
「リリア様。帝国だけでなく、アルヴァレード王国の商人も水面下で動き出しています。
彼らは、あなたの特許使用料を支払わなければ、もはやこの大陸でまともな商売が成り立たないことに、
現場の肌感覚で気づき始めたのです。
王太子アルドリックが、あなたの技術を『お冷運びの無能』と笑っていた間に、
彼らは自らの足元を、経済という名の底なし沼に奪われたのですよ」
エリオット様の端正な口元に、冷徹で優雅な、勝利の笑みが浮かびました。
これは、周到に計画された段階的な「ざまぁ」の始まりに過ぎません。
第一段階の「婚約破棄による直接的な余波」は終わり、
今は第二段階である「王太子の深刻な失政」と、それに伴う「全土的な経済停滞」が王国を音もなく蝕んでいます。
アルドリック様が唯一の拠り所としている軍事魔法は、
泣き叫ぶ民を飢えから救うことも、崩壊していく国家経済を立て直すことも、決してできないのです。
「次は、世界中の有力な技術者と投資家を招き、『魔法特許価値ランキング』の全世界発表を行いましょう」
エリオット様の提案は、旧王国の空虚なプライドを粉々に砕くための、完璧で残酷な一手でした。
「そこで、あなたの持つ特許の市場価値が、一国の軍事予算を遥かに超えているという現実を、
逃げ場のない『数字』という暴力で突きつけるのです」
数字は、感情を挟まず、何よりも雄弁に冷酷な真実を物語ります。
収穫量を5倍に変えた農業特許。
生鮮食品を一年以上鮮度を保ったまま運ぶ物流特許。
そして、一国のGDPをわずか数ヶ月で2倍に跳ね上げる産業革命のトリガー。
王太子アルドリック様。
あなたが「一銭の価値もない」と断じた私の生活魔法が、今や世界経済を動かす「巨大な心臓」となりました。
あなたが、空っぽの国庫を抱えて私に膝を突き、
涙を流して特許の使用許可を請い願う日は、もうすぐそこまで来ています。
その時、私は慈悲深い微笑みを浮かべて、あなたがかつて私に投げつけたあの言葉を、そのまま返して差し上げましょう。
――「生活魔法など、何の役にも立ちませんのに。そうおっしゃったのは、殿下、貴方でしたわね?」
私は、特許庁のバルコニーに立ち、夕日に染まる王都ルミエールを見下ろしました。
そこには、私の技術で動く魔法街灯が、一つ、また一つと、宝石のような光を灯し始めていました。
それは、旧き破壊の時代を強制的に終わらせ、新しい文明の夜明けを告げる「光」そのものでした。
帝国スパイが影から息を潜めて見守る中、私は自身の決意をさらに鋼のように固めました。
技術を略奪しようとする野蛮な者、私を嘲笑した傲慢な者、そして救いようのない無能な王太子。
すべての人々を、私はこの0.01%の精密な魔法と、特許という名の法律の盾で、経済的に、そして技術的に、完膚なきまで屈服させてみせます。
エリオット様と共に築き上げる、世界最大の魔法特許都市ルミエール。
そこは、発明家が最も尊敬され、人間の知恵が正当な富を生み出す、全人類の至宝となるはずです。
私のカタログ80のすべてが、その都市の血となり肉となり、世界の色を塗り替えていく。
「リリア様。行きましょう。新しい未来を、私と共に設計するために」
エリオット様が恭しく差し出した手を、私は力強く、確信を持って握り返しました。
魔法特許制度。
それは、私が、私を否定したこの不条理な世界に突きつける、
最高に知的で、かつ最もエレガントな「復讐の剣」だったのです。




