第31話 世界初の魔法特許法
アルディナ王国の王宮、その静謐な空気が支配する大会議室。
歴史の針が、今まさに音を立てて大きく動こうとするその瞬間を前に、室内の空気は肌を刺すような緊張感に包まれていました。
中央に座る国王エドガルド陛下と、その傍らに知的な光を湛えて立つ宰相エリオット様。
そして、彼らの正面という極めて重要な席に座るのは、私、リリア・フォン・アルヴェルトです。
私の手元には、亡命してから今日まで、自身の知識と経験を注ぎ込んで書き溜めてきた『生活魔法カタログ80』の集大成がありました。
エリオット様が一歩前へ出て、静かに、しかし地響きのような重厚感を持って宣言しました。
「本日、この刻をもって、アルディナ王国は世界で初となる『魔法特許法』を正式に成立させます」
その一言は、軍事魔法がすべてを支配し、武力こそが唯一の正義であったこの世界の常識を、根底から覆す宣戦布告でもありました。
これまでの歴史において、優れた魔法や術式は「国家が独占するもの」か「一族が隠し持つ秘術」のどちらかでしかありませんでした。
軍事至上主義の極致にあるアルヴァレード王国では、画期的な魔法はすべて軍に強制徴用され、その開発者の名誉や権利など、道端の石ころほどにも顧みられないのが常識だったのです。
「魔法特許法……。それは、発明家が命を削って生み出した知恵を、国家が『不可侵の権利』として保護する画期的な制度です」
エリオット様は、会議室に居並ぶ保守的な重鎮たちを一人一人射貫くような眼差しで見渡し、一通の重厚な書類を掲げました。
「リリア様が発明された80件以上の生活魔法。これらを本日、第一号特許群として登録いたします。
今後、これらの術式を無断で使用し、あるいは模倣した魔道具を販売する者は、
発明者であるリリア様に正当な『特許使用料』を支払わなければなりません」
その瞬間、会議室に怒号に近いどよめきが走りました。
「魔法を使うのにお金を払うというのか!? そんな馬鹿なことがあってたまるか!」
「魔法は神から与えられた力だ、それを一個人が独占するなど言語道断だ!」
一人の強欲そうな老貴族が顔を真っ赤にして叫びましたが、エリオット様は冷徹な、氷のような眼差しで彼を一蹴しました。
「これは『略奪』ではありません。正当な対価による『投資』です。
発明者に正当な富が還元されることで、さらなる発明への意欲が生まれ、技術は加速度的に進化する。
それこそが、我が国を世界一の技術大国、そして唯一無二の経済大国へと導くエンジンの正体なのです。
それを理解できぬ者は、旧き時代の遺物として没落を待つがいい」
私は、エリオット様の力強い言葉を背に受けながら、自身のカタログの最重要項目を一つずつ指し示しました。
「第1位・魔法特許『魔力発電魔法』。
第2位・『魔法水道インフラシステム』。
第5位・『高効率魔法農業システム』。
これらはすべて、私が構築した『魔力消費量0.01%以下』および『誤差0.01度以内』の精密制御理論に基づいた結晶です」
私は、淡々と、しかし一点の曇りもない論理で自身の技術の優位性を説いていきました。
「特許第6位『魔法冷蔵保存』。これがあれば大陸全土の食料廃棄は消滅し、物流の概念が激変します。
特許第3位『都市環境浄化結界』。不衛生な環境を一掃し、疫病による死者を激減させ、都市の寿命を革命的に延ばします。
これらすべての恩恵を受ける権利を、皆さんは『無価値』だと切り捨てますか?」
私の凛とした説明に、先ほどまで声を荒らげていた貴族たちも、その圧倒的な経済的価値を前に沈黙せざるを得ませんでした。
彼らが「お冷運びの役立たず」と嘲笑し、唾を吐きかけた生活魔法の術式一つ一つが、
今や「国家革命級(Sランク)」の価値を持つ至宝として、法的に定義されていく。
王太子アルドリック様。
あなたが「軍事魔法に使えぬ女は無価値だ」とゴミのように切り捨てた私の指先から、
今、あなたたちの想像を絶する巨大な経済圏が、産声を上げようとしているのですよ。
「リリア様。あなたは今日この瞬間から、世界最大の『魔法特許所有者』となりました」
国王エドガルド陛下が、満足そうに深く頷きました。
「この法案により、そなたには発明公爵の名にふさわしい、一国の予算に匹敵する莫大な富が法的に約束される。
余は、そなたのような天才を迎え入れられたことを誇りに思う」
「ありがとうございます、陛下。私は、人を傷つける無慈悲な力ではなく、
名もなき人々を豊かにする力が、正当に評価され、報われる世界を望みます」
魔法特許法の成立。
それは、魔法を野蛮な「武力」の鎖から解き放ち、洗練された「産業」へと昇華させるための、史上最大のパラダイムシフトでした。
しかし、この輝かしい新時代の幕開けの裏で、どす黒い不穏な影もまた、その牙を研ぎ始めていました。
大会議室の隅、影に潜むように控えていた他国の外交官――その実態は「帝国」から派遣された凄腕のスパイ――が、リリアのカタログの内容を、震える手で克明に記録していました。
(信じられん……。軍事魔法の火力を遥かに凌駕する天文学的な経済価値が、あの少女一人の脳内に集中しているのか。
この情報を一刻も早く持ち帰らねば。軍事至上主義で凝り固まった我が国にとって、この法案は刃よりも恐ろしい脅威となる!)
エリオット様は、室内に漂うその微かな不穏な気配を、獣のような鋭さで察知していました。
「リリア様。権利を法で守るということは、同時に血で血を洗う『静かなる戦い』が始まることを意味します。
模倣、盗用、そして暗殺。あなたの技術を力ずくで奪おうとする輩が、これから雨後の筍のように現れるでしょう」
私はエリオット様の瞳を真っ直ぐに見つめ、凛とした微笑みを浮かべました。
「覚悟はできています。私の『0.01%』という極限の精密理論は、数式の一文字を間違えるだけで暴発する劇薬。
付け焼き刃の模倣など、私の魔法の足元にも及びません。
それに……私には、この制度を共に創り上げたエリオット様という、世界一頼もしい理解者がついていますから」
エリオット様は、私の信頼の言葉に一瞬だけ少年のような表情を見せ、しかしすぐに騎士のような冷徹な決意を宿して頷きました。
「ええ。あなたの特許を、そしてあなた自身をあらゆる脅威から守り抜くため、
私は世界初の専門組織『魔法特許庁』と、不当な流出を物理的に阻止する『特許警察』を直属で設立します」
特許警察。
それは、発明の自由を守り、知恵の盗用を断じて許さないための、新しい時代の防衛力でした。
アルヴァレード王国が、旧態依然とした軍事魔法の剣を必死に磨き、無意味な領土紛争に明け暮れている間に。
私たちは、法律と経済という「見えない最強の盾」と、文明を根底から変える「無限の富」を築き始めていたのです。
「魔法特許法」の正式施行により、私の元には、寝ている間ですら世界中から特許使用料が流れ込んでくることになります。
やがてその富は雪だるま式に膨れ上がり、旧王国の国家予算を遥かに、それこそ数倍から数十倍という単位で上回るでしょう。
それは、一国を軍事力ではなく、経済によって完全に屈服させるほどの重みを持つことになります。
「さあ、リリア様。次は、この膨大な特許を集中管理し、世界中の英知が集う中心地……
『魔法特許都市ルミエール』の建設に本格的に着手しましょう」
エリオット様の魅力的な提案に、私の胸は勝利への確信で高鳴りました。
私を否定し、追放した愚かな世界を、私は自身の技術で「圧倒的に便利にする」ことで、最も優雅に復讐する。
彼らが、私の許可なくしては清浄な水一杯、新鮮なパン一つ満足に手に入れられない未来。
そんな、抗いようのない経済的支配の幕が、今、高らかに上がりました。
私は自身の『生活魔法カタログ80』を、その重みごと強く抱きしめ、
旧時代の終焉を告げる、眩いばかりの新しい時代の扉を力強く開け放ちました。




