071.静寂の代行者
神罰の極光が消え去った戦場には、耳が痛くなるほどの静寂が横たわっていた。
天を衝くように掲げられたガルシアの右手。
それは降り注ぐはずだった死の光をすべてその身に引き受け、永遠の零度で封じ込めている。
氷像と化したガルシアの表面は、朝日に照らされてダイヤモンドのように煌めいている。
だが、その美しさは残酷なまでの「死」の結実でもあった。
「……う、そ……。 ガルシア、さん……?」
城壁の下から、ノエルがふらふらとした足取りで駆け寄ってくる。
彼女の足元は、ガルシアから溢れ出した冷気の残滓で真っ白に凍りついていたが、そんな痛みを感じる余裕すら彼女にはなかった。
ノエルはガルシアの足元に辿り着くと、縋り付くようにその冷たい氷に触れた。
「嫌…… 嫌です!!
起きてください、ガルシアさん!!!
いつもみたいに、『心配しすぎだ』って笑ってください……!!」
彼女はなりふり構わず癒やしの魔法を放つ。
だが、彼女の放つ温かな光は、氷の表面で虚しく反射するだけだ。
ガルシアの肉体はもはや、魔法が干渉できる「生物」の域を超え、神のエネルギーを封じ込めるための「物質」へと完全に変質してしまっていた。
「……ぁぁぁ、あああああああッ!!!」
ノエルの絶叫が、静まり返ったソリダリスの空に響き渡る。
それは愛する者を奪われた一人の女性の、魂を削り出すような嘆きだった。
その場にいたレオンも、生き残った兵たちも、帽子を脱いで深く頭を垂れる。
空中から降り立ったカイルもまた、親友の氷像の前に立ち尽くしていた。
六枚の翼はすでに消え、漆黒の聖剣は力なく地面に突き立てられている。
「……君は、いつだってそうだ。
自分勝手で、傲慢で……
最後に全部、一人で背負っていってしまう」
カイルの声は震えていた。
神の呪縛から解き放たれ、ようやく対等の「相棒」として歩み出せると信じた瞬間の、この結末。
カイルの拳からは血が滲むほど強く握りしめられていた。
「ノエルちゃん……すまない。
僕に、もっと力があれば……」
「……カイル、様……。
ガルシアさん、冷たいんです……
すごく、冷たいんです……」
ノエルは氷像の胸元に顔を埋め、子供のように泣きじゃくった。
その涙さえもガルシアの冷気に触れて真珠のような小さな氷粒となり、地面へと零れ落ちていく。
そんな絶望の真っ只中に、ふわりと色鮮やかな花びらが舞った。
『――くくっ。なんとも湿っぽい、葬式のような空気じゃな』
カイルの影から、ひょっこりとロキが姿を現す。
彼女はガルシアの氷像をまじまじと眺めると、面白そうに指でその表面を弾いた。
「ロキ……!
お前、まだ何か企んでいるのか!!!」
カイルが殺気を放つが、ロキは涼しい顔で肩をすくめる。
『企む?
心外じゃのぉ。
わらわはただ、わらわの「最高のおもちゃ」が、これしきのことで壊れるはずがないと言いに来ただけじゃよ』
「……どういう意味だ」
『神の自爆を封じ込めたゆえ、魂の活動が極限まで停止しておるだけじゃ。
あやつは今、この氷の中で、神の魔力という猛毒を懸命に「濾過」しておるのよ。
時間はかかるじゃろうがな……』
ロキはノエルを見つめ、三日月のように目を細めて笑った。
『お嬢ちゃん。
あやつの魂を繋ぎ止められるのは、お前のその「祈り」だけじゃぞ。
あやつが氷の中で自分を見失わぬよう、毎日呼びかけてやるがいい』
ロキの姿は、そう言い残すと霧のように消えた。
ノエルは涙を拭い、ガルシアの氷像を見上げた。
死んだのではない。
まだ、戦っている。
この冷たい檻の中で、独りで。
「……わかりました。
私、待ちます。
何年かかっても、何十年かかっても……
ガルシアさんが『おはよう』って言ってくれるまで、ずっと」
ソリダリスに、本当の意味での夜明けが訪れる。
神はいなくなり、世界は崩壊した。
そして人々は、氷の城壁となった魔王に見守られながら、新しい時代の第一歩を踏み出そうとしていた。
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