048.勇者の叛逆、戦場を裂く光
ソリダリスの空を、見たこともない禍々しい紫色の霧が覆い尽くそうとしていた。
俺は王城のバルコニーから、その絶望的な光景を仰ぎ見た。
漆黒の氷壁に触れた先から、俺の魔力がドロドロと腐食していくような不快感が全身を走る。
「……なんだ、ありゃあ」
横にいたレオンが、珍しく余裕のない顔で舌打ちをした。
「禁忌中の禁忌…… 『冥府の霧』か。
七賢議会ですら使用をためらった汚染兵器を、シトラスの王は臆面もなく使いやがったか。
ガルシア、あの霧をまともに浴びれば、結界の中の人間は数時間で内側から腐り落ちるぞ」
奥歯が鳴る。
守るために張ったこの氷の盾が、汚染を閉じ込める棺桶に変わろうとしていた。
俺は右手にありったけの魔力を込め、空を覆う霧すらも凍らせようとした。
だが、俺が動くより先に、地上から一条の閃光が立ち昇った。
それは黄金の光ではない。
すべてを拒絶するような、どす黒く、しかしどこまでも純粋な漆黒の光だ。
――オォォォォォォォッ!!!
咆哮と共に放たれたその一撃が、空を覆い始めた紫の雲を真っ二つに切り裂いた。
◇◇◇
一方、連合軍の本陣は、予想だにしない事態に凍りついていた。
発射された『冥府の霧』。
それがソリダリスを飲み込む直前、たった一人の男によって霧散させられたのだ。
「な…… なんだと!?
あの黒い光は…… まさかカイルか!?」
将軍ザカリーが叫び、魔導通信の鏡に映るルイン王も身を乗り出した。
砲撃を切り裂いた男は、もはや白銀の勇者ではなかった。
甲冑は煤け、背負ったマントは千切れ、左手のあざからは泥のような黒い魔力が溢れ出している。
カイルは聖剣を無造作に肩に担ぎ、連合軍の陣営へ向けてゆっくりと歩き出した。
「カイル!
貴様、何の真似だ!
国家への叛逆か!?」
将軍の怒声に対し、カイルは感情の消えた瞳を向けた。
「……勇者の仕事は、平和を守ることだと思っていた」
カイルの声は静かだが、戦場全体に響き渡るほどの威圧感を孕んでいた。
「でも、平和のために民を焼き、汚染を撒き散らすのが『国家』だというのなら。
……そんなものは、僕の剣で叩き潰す」
「狂ったか!
全軍、勇者を魔王の回し者として処刑せよ!
撃て!!
奴を殺せ!!!!」
ザカリーの号令により、数千の兵士たちが一斉にカイルへと襲いかかる。
魔導砲が放たれ、鉄の雨が降り注ぐ。
だが、カイルは止まらない。
振り下ろされる聖剣が、一振りで百の兵を吹き飛ばし、迫りくる砲弾を黒い軌跡で斬り伏せる。
それはかつて、人々が「希望」と呼んだ力とは程遠い、ただ圧倒的な「拒絶」の暴力だった。
「ガルシア……。 僕は今から、君の隣へ行く」
カイルは味方の軍勢を文字通り「薙ぎ払い」ながら、ソリダリスの城壁へと真っ直ぐ突き進む。
彼を縛っていた『正義』という名の鎖は、今、自らの手によって粉々に引きちぎられた。
俺は城壁の上で、その光景を呆然と見ていた。
血路を切り開き、返り血に染まりながらこちらへ向かってくる親友の姿。
その背後には、彼が守ろうとしていたはずの世界が、炎を上げて崩れ去っていた。
「……あいつ、本当にバカ野郎だな」
俺の口元に、自然と自嘲気味な笑みが浮かんだ。
勇者が国を捨てた。
それは、この世界における最大の『絶望』であり、俺にとっては、唯一の『再会』の合図だった。
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