047.背信の祝杯
玉座の間に戻った俺は、崩れ落ちた広場の惨状を窓越しに眺めていた。
カイルの気配は、既に消えている。
ロキが何かを吹き込んだのか、あるいは自らの絶望に耐えかねて去ったのか。
どちらにせよ、今夜の衝突は俺たちの絆を、もう繋ぎ直せないほどに微塵切りにした。
「……ガルシアさん。 少し、休んでください」
ノエルが痛ましげな表情で俺の肩に手を置く。
俺は、その手の温もりさえも、今は恐ろしかった。
この温かさを守るために、俺はかつての友を殺そうとし、自らの手を漆黒の氷で染め上げている。
「休めねえよ。 ……まだ、終わってない」
その言葉を肯定するように、地上の連合軍陣営から、不気味なほど高い鐘の音が夜空に響き渡った。
◇◇◇
一方、連合軍の本陣。
カイルが前線から離脱し、行方不明となった混乱の最中、将軍たちは「祝杯」を挙げていた。
シトラス王国の第一将軍、ザカリーは、魔導通信の鏡に映るルイン王に対し、傲慢な笑みを浮かべていた。
「陛下。
勇者カイルは、魔王との戦いで精神を汚染され、脱走した模様です。
もはや、あの『出来損ないの聖剣』に頼る必要はございません」
鏡の中のルイン王は、不愉快そうに鼻を鳴らした。
「勇者という名の偶像が傷つくのは惜しいが……。
ソリダリスを落とせねば、我が国の権威に関わる。
ザカリー、例の『切り札』を使え」
「はっ。既に装填を終えております」
天幕の外には、これまでの魔導重砲とは明らかに異なる、不気味な紫色の蒸気を吹き出す巨大な砲座が据えられていた。
それは**「魔導汚染兵器・冥府の霧」**。
着弾した地点の魔力を腐敗させ、あらゆる生命体を数時間で内側から腐らせる、列強諸国がかつての戦争で「人道に反する」として禁忌とした代物だった。
「勇者の不在を『魔王の卑劣な罠』として喧伝すればよい。
我々は、その罠を浄化するために、やむを得ずこの聖なる煙を放つ……
という筋書きです」
将軍たちは下卑た笑い声を上げ、次々と杯を空けていく。
彼らにとって、ソリダリスの民が苦しんで死ぬことなど、些細な問題だった。
目的はただ一つ。
この「異端の国」を完全に沈黙させ、魔王の首を持ち帰り、その利権を分配すること。
◇◇◇
ガルシアの元を離れたカイルは、連合軍の本陣にも戻らずにソリダリスの裏路地で膝をついていた。
そして、カイルはその光景を「見て」しまった。
ロキに見せられた鏡の残像が、今、目の前の現実に重なる。
連合軍の陣営からなにかが放たれたのだ。
その放たれたものは勇者の黄金の正義の光を帯びたものではなく、禍々しい紫色をした、まるで死の雲だった。
「……あんなものを。
あんなものを、国は放つのか」
カイルは、立ち上がった。
左手のあざは、今や完全にどす黒く濁り、そこから溢れ出す力は、かつての温かさを完全に失っていた。
だが、その瞳には、今まで抱えていた「迷い」の代わりに、冷徹なまでの決意が宿っていた。
「僕は、勇者じゃない。
……でも、これを見過ごすことはできない」
カイルは聖剣を抜いた。
それはもはや、シトラス王国の期待を背負った象徴ではない。
彼自身の怒りと、裏切られた者たちの慟哭を乗せた、黒い輝きを帯びた「反逆の刃」だった。
空を裂く紫色の霧。
それを迎撃するために、地上から一本の黒い光が立ち昇った。
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