038.ロキの挑発:鏡の告白
氷の玉座に座り、数百枚に及ぶ報告書に目を通す日々。
地下五千人の命を繋ぐための「決断」は、俺の精神を確実に削り取っていた。
食料の配分、居住区の拡充、そして防衛機構の維持。
俺がペンを走らせるたび、地下の誰かが救われ、そして地上の誰かとの「敵対」が深まる。
深夜。
ノエルや文官たちが寝静まった司令室で、俺は独り、鏡のように磨き上げられた氷壁に映る自分を見つめていた。
鏡の中の俺は、かつてマインの山で泥にまみれていた頃の面影を、もうほとんど残していない。
瞳の奥にはどす黒い冷気が淀み、纏う空気は触れるもの全てを拒絶するほどに鋭利だ。
「……何が王だ。
俺はただ、逃げ回っているだけじゃねえか」
自嘲気味に呟いたその時、俺の影が異様に長く伸び、歪な形に揺らめいた。
「――くふふ。
ようやく、己の醜さに気づいたか? ガルシアよ」
空間がひび割れるような音と共に、一人の女が闇から這い出した。
悪神ロキ。
これまで脳内で響くだけだったその声が、今は実体を持って、俺の目の前に立っていた。
道化師のような派手な衣装を纏い、細められた瞳には底知れない悪意と愉悦が混ざり合っている。
「……何の用だ。
わざわざ表に出てくるなんて、よっぽど暇か」
「暇ではないさ。
お前があまりに滑稽な『救世主ごっこ』に溺れているから、特等席で見物したくなっただけじゃ。
見てみろ、この氷の城を」
ロキは優雅な仕草で、蒼く輝く司令室を指し示した。
「虐げられた者たちを救い、居場所を与える。
実に美しい大義名分だ。
だがな、ガルシア。
お前がやっていることは、あのシトラスの国王や帝国の皇帝がやっている『支配』と、一体何が違う?」
「……黙れ。
俺は、アイツらみたいに私欲で動いちゃいない」
「いいや、同じだ。
お前は自分の『平穏』のために、五千人の弱者を盾にしているだけだ。
お前が救った連中が、外の世界で再び踏みつけられないために、お前は彼らをこの檻に閉じ込め、自分なしでは生きられぬようにした。
……これこそが最大の支配。
純粋な善意から生まれる、逃げ場のない独裁だよ」
ロキの言葉は、氷の楔のように俺の胸に突き刺さった。
人々を救っているという自負の裏側にある、彼らを自分に依存させ、利用しているという暗い自己満足。
それを、この悪神は見逃さなかった。
「そして勇者カイル。
あいつはどうだ?
お前が独裁者として完成するのを、あいつは今、世界中の期待という鎖に縛られながら見つめている。
お前が『王』になればなるほど、あいつは『処刑人』としての純度を高めざるを得ない。
……お前が連中を守れば守るほど、お前は親友に『自分を殺せ』と命じているのと同じだぞ」
ロキが歩み寄り、俺の耳元で囁く。
その声には、冷たい蛇が這うような感触があった。
「最高の悲劇だとは思わぬか?
互いを想い、互いのために強くなろうとした二人が、その努力の結果として、互いを殺し合う道以外を全て失った。
これこそが、わらわがお主に力を与えた真の目的じゃ。
親友同士が苦悩と葛藤のすえに、血を流して殺し合う……
その瞬間を、私は特等席で味わいたいのじゃ」
「……っ、ふざけるなッ!」
俺が右手を一閃させると、猛烈な冷気がロキを襲った。
だが、彼女は霧のように消え、反対側の闇から再び笑い声を上げた。
「抗え、足掻け。
お前が絶望すればするほど、氷はより黒く、鋭くなる。
明日、お前がその玉座で下す決断が、カイルの首を絞める最後の一手になることを忘れるでないぞ。
くふふ、楽しみじゃのう」
ロキの気配が消え、再び静寂が司令室を包む。
俺は震える手で机を掴んだ。
自分が築き上げたこの「聖域」が、実は親友を殺すための巨大な罠であったかのような錯覚に襲われる。
だが、今さら止めることはできない。
俺の背後には、俺が救ってしまった五千人の人生があるのだから。
……そして、最愛のノエルも。
◇◇◇
時を同じくして、シトラス王国の軍事拠点。
勇者カイルは、明朝から始まる「クロス共和国遠征軍」の出陣式を前に、独り自室で聖剣を磨いていた。
窓から差し込む月光が、白銀の刀身に反射して彼の顔を照らす。
その瞳には、もはや何の迷いも映っていない ――ように見えた。
だが、カイルの胸の奥には、消し去ることのできない「疑念」が芽生えていた。
(本当に、ガルシアは変わってしまったのか?)
隠密部隊が持ち帰った映像。
冷酷に玉座に座る親友。
だが、カイルはその瞳の奥に、かつて自分に向けられたものと同じ「何かを必死に守ろうとする必死さ」を感じ取っていた。
もし、ガルシアがただ悪に堕ちたのではなく、彼なりの正義で戦っているのだとしたら。
それを「魔王」と断じて討伐することは、果たして正しいことなのか。
だが、カイルがその疑問を口にすることはできない。
王国の将軍たち、熱狂する民衆、そして自分を「人類の希望」と仰ぐ数万の兵士。
彼ら全員が、カイルがガルシアを斬ることを当然の前提として動いている。
「……僕は、勇者なんだ」
カイルは自分に言い聞かせるように、低く呟いた。
左手の「太陽のあざ」が、彼の迷いを焼き切るかのように激しく脈動する。
彼はその熱を、自分を一個の「装置」へと作り変えるための痛みとして受け入れた。
鏡の前のガルシア。
月光の下のカイル。
二人を分かつ物理的な距離は、明日からの行軍によって刻一刻と縮まっていく。
だが、心の距離は、もはや光の速さですら追いつけないほどに遠ざかっていた。
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