037.地下の「王」への推戴
氷の防壁に囲まれた俺たちの「街」は、もはや一つの生態系として完成されつつあった。
地下五階層に渡って広がる居住区には、五千人を超える人々がひしめき合っている。
ノエルが整備した獣人のネットワークは、今や大陸中から「逃亡者」を運び込む大動脈となり、それに伴って専門的な知識を持つ技師や、魔導に長けた異能者までもがこの奈落に合流していた。
そして、驚くべきことに、ここには独自の通貨や規律、そして地上では決して交わることのなかった異種族同士の共助が生まれていた。
「ガルシア様、こちらが今月の食料備蓄の推移と、防衛機構の強化案です」
目の前に差し出されたのは、かつて某国の文官だったという男がまとめた精緻な報告書だ。
俺はそれを受け取りながら、胃の奥が焼けるような感覚を覚えた。
俺を呼ぶ声は、いつの間にか「ガルシアさん」から「ガルシア様」へと変わり、俺が通りかかれば人々は崇めるような、あるいは縋るような眼差しで道を開ける。
(……俺はただ、ノエルと一緒にいられる場所が欲しかっただけだ)
だが、俺が手を汚し、場所を広げ、彼らを救うたびに、彼らは俺の中に「王」を求め始めた。
自分たちの命を、未来を、全権を持って支配し、保護してくれる絶対的な存在を。
「ガルシアさん。
……みんな、あなたを必要としているんです」
隣でノエルが静かに告げる。
彼女の言葉は優しく、しかし残酷な事実を突きつけていた。
ノエル自身、今や地下の調整役として絶大な信頼を得ている。
彼女が作り上げた「組織」を維持するためには、その象徴たる俺が退くことは許されないのだ。
俺は重い腰を上げ、氷の玉座とも呼べる中央司令室の椅子に座った。
俺がここで一つの決断を下せば、五千人の命が動く。
もう、ただの「便利屋」ではいられない。
俺が「王」として振る舞うことは、地上にあるすべての国家に対して、明確な敵意を示すことに等しかった。
『――くふふ。
遂に逃げ場を失うたな、ガルシア。
お前が作ったこの理想郷は、お前を縛る最大の呪いじゃ。
さあ、魔王の名を冠する覚悟は決まったか?』
「……うるせえよ、ロキ」
俺は報告書にサインを入れる。
それは、既存の世界に対する宣戦布告の第一歩だった。
◇◇◇
一方、勇者カイルの巡察任務は最終局面を迎えていた。
彼は大陸南部の独立都市連合を巡り、ようやくシトラス王国へと戻る帰路についていた。
各地で浴びせられた「勇者への期待」と、その裏に透ける各国の「私欲」に、彼の精神は極限まで摩耗していた。
そんな彼の馬車に、シトラス王国の隠密部隊から一通の「緊急報告」が届けられた。
「勇者様。
……これをご覧ください」
差し出された書状に目を通した瞬間、カイルの瞳が僅かに揺れた。
そこには、クロス共和国の地下区画で撮影された、遠距離魔導映像の断片が記録されていた。
「……これは、ガルシア?」
映像の中のガルシアは、かつての粗野だが温かみのあった親友の姿ではなかった。
どす黒い冷気を纏い、無数の難民たちを跪かせ、氷の玉座に座る「支配者」の姿。
そしてその傍らには、聖女のごとき慈愛に満ちた表情で控える、ノエルの姿もあった。
「報告によれば、地下の勢力は既に一つの『軍隊』を形成しつつあります。
ガルシアは自らを王と称し、既存の国家からの脱退を煽動しているとのこと。
……陛下からは、これが『魔王復活』の決定的な証拠であるとの通達が出ております」
カイルは、震える手でその書状を握りつぶした。
映像の中のガルシアの瞳は、あまりにも深く、暗い孤独に沈んでいるように見えた。
だが、それを「救うべき友」と見るか、「討つべき敵」と見るか。
カイルの周囲にいる者たちは、既に後者で結論を出している。
「勇者様、もはや猶予はありません。
クロス共和国は正式に軍を動かす準備を始めました。
我がシトラス王国も、貴殿を総大将とした討伐軍の編制を決定しました。
……これが、世界が貴殿に求める『答え』です」
カイルは窓の外、夕闇に包まれる大陸の景色を見つめた。
左手の甲の「太陽のあざ」が、今までで最も強く、そして不吉な光を放っている。
「……分かった。
……行こう。すべてを終わらせるために」
カイルの声には、もう悲しみさえも宿っていなかった。
勇者としての役割を果たすために、彼は自分自身を殺し、聖剣という名の断罪の道具になり果てようとしていた。
地底で「王」への階段を上るガルシア。
地上で「装置」としての完成を迫られるカイル。
二人の運命は、もはや再会の言葉を交わす余地すらなく、衝突の一点へと収束していく。
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