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電子に眠る未来 〜昨日までの日常はすべて偽物だった世界で、仲間を救う生存ルートを導き出す〜  作者: トンエリア
第一楽章

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第05話 見知った顔

 黒鉄の親父話に、俺はしばらく付き合った。

 間抜けな失敗談から、危ない橋を渡った武勇伝まで。聞けば聞くほど、俺の知らない親父が立体的になっていく。その全部が、もう二度と本人の口からは聞けないのだと思うと、胸がちくりとした。

 ひとしきり話したあと、黒鉄は思い出したように言った。


「そういや、奥に他のやつらもいる。顔合わせとくか」


「他のやつら?」


「澪とおれだけで、お前を守りきれると思うか。こういうのは、頭数と役割だ」


 また知らない人間か。げんなりしかけたが、化け物に怯えながら一人でいるよりはましだろう。俺は黒鉄について、工房の奥へ向かった。


 奥は、思ったより広い部屋だった。

 古いソファと、いくつものモニターが並んだ作業机。生活感と物々しさが、奇妙に同居している。コードの束が床を這い、壁には地図みたいなものが何枚も貼られていた。

 その机の前に、二つの人影があった。

 一人は、画面に向かったまま振り返りもしない、痩せた女。

 もう一人は――


「真!?」


 弾かれたように立ち上がったそいつの顔を見て、今度は俺のほうが固まった。

 見間違えるはずがない。へらへらした垂れ目に、寝癖のついた茶髪。中学からの腐れ縁だ。


「海……?なんで、お前がここに」


「なんでって、こっちのセリフだよ!お前こそどこ行ってたんだよ、急にいなくなりやがって!こっちは心配したんだぞ!」


 海はずかずかと歩み寄ってくると、俺の肩を両手でがしっと掴んだ。


「無事か?どこも怪我とかしてないか?」


 その目が、本気で俺を案じていた。


 胸の奥が、じわっと熱くなった。

 ここ二日、俺の周りにあったのは、得体の知れない化け物と得体の知れない大人ばかりだった。そんな中で見知った顔が、こんなに心強いものだとは思わなかった。


「お前こそ、なんでこんなとこにいるんだよ」


 俺がそう訊くと、海の表情がほんの少し曇った。


「お前が消えた、次の日にさ。変なやつらが、俺んとこに来たんだよ」


「変なやつ?」


「お前の居場所を吐けって。最初は借金取りか何かかと思ったんだけど――」


 海は、ぶるりと身震いした。


「あいつら、目がおかしかった。笑ってるのに、ぜんぜん笑ってないっつーか。やばいって思って逃げたとこを、黒鉄さんたちに助けられたんだ」


 いつも飄々としている海が、そのときのことを話すあいだだけは、声がかすかに震えていた。

 逃げる途中で一度、肩を掴まれたのだという。

 あのとき黒鉄が間に合わなかったら、海はもうここにいなかった。いたとしても、中身は別物に入れ替わっていたかもしれない。

 俺も嫌というほど見た。あの、笑っているのに笑っていない目を。

 息を呑んだ。

 ファントムだ。俺を探すために、海まで狙われた。何の関係もないはずの、ただの幼馴染までもが。

 すっと、血の気が引いていく。


「ごめん」


 気づけば、そう口にしていた。


「俺のせいだ。お前は何も関係ないのに。俺なんかと、つるんでたばっかりに」


「はぁ?」


 海が、心底あきれた顔をした。


「お前さ、こんな時までそうやって一人で抱え込むの、ほんと昔っから変わんねえな」


 ぽかっ、と頭を小突かれた。


「俺が勝手に巻き込まれて、勝手にお前を心配してんだよ。お前のせいとか、そういうのはいいから。こんな状況で旧友放っといて、すたこら逃げられるかっての」


 へらりと、海が笑う。

 いつもの人を食ったようなその笑顔が、今はどうしようもなく、ありがたかった。


 海とは、中学で同じクラスになって以来の付き合いだ。

 親父も母さんも早くに亡くして、いつもどこか斜に構えていた俺に、こいつだけは理由もなくぐいぐい絡んできた。鬱陶しいと思ったことも、正直、何度もある。

 でも何だかんだで、ずっと隣にいてくれたのは、こいつだった。

 その海が、俺のせいで化け物に追われている。その事実が、ずしりと重かった。

 だからこそ、巻き込みたくなかった。

 俺の事情でこいつの普通の毎日を壊したくなかった。なのにもう、手遅れだ。

 守らなきゃと思った。せめて海だけは、絶対に。

 ファントムにも何にも、こいつだけは渡さない。

 それが、初めて自分の中にはっきり芽生えた意志だった。


「感動の再会、終わった?」


 唐突に、冷ややかな声が割って入った。

 声の主は、さっきから一度もこちらを見ていなかった、机の前の女だった。ようやく椅子を回して、こちらを向く。

 眼鏡の奥の、ガラス玉みたいに感情の読めない目が、まっすぐ俺を捉えた。年は二十代半ばくらいか。気だるげな雰囲気のくせに、その視線だけはやけに鋭い。


「柊識。一応、この寄せ集めの頭脳ってことになってる」


 彼女は気のない口調で名乗った。


「あなたが、例の鍵ね。ふうん」


 値踏みするでもなく、ただ観察するみたいに、識は俺をじっと見た。黒鉄の値踏みとは、また種類の違う視線だった。あれが武人の目なら、こっちは、虫を顕微鏡で覗くような目だ。

 居心地が悪い。


「な、なんだよ」


「いえ。ただ、妙だと思って」


 識は、長い前髪を指で払った。


「あなたみたいなどこにでもいそうな凡人を、なんでファントムがここまで血眼になって追うのか。何かが、計算に合わない。気持ち悪いくらいに」


 計算に合わない。

 その言い回しに、なぜだか、ぞくりとした。

 こいつは、ただの技術屋じゃない。何か、世界の裏側そのものを覗き込もうとしているような――そんな不穏さが、その気だるげな横顔にはあった。

 この女の目には、俺たちとは違う何かが映っているらしい。

 数字や理屈の向こう側を、平然と見据えているような。

 得体の知れなさでは、ファントムといい勝負だった。味方なのが、せめてもの救いだ。


「ねえ、ひとつ訊いていい?」


 識が、ふいに身を乗り出した。


「あなた、夢を見る?自分のものじゃないみたいな、知らない場所や知らない人が出てくる夢を」


 どきりとした。

 言われてみれば――ずっと昔から、俺は時々、妙な夢を見ていた。見たこともない真っ白な部屋。聞いたこともない誰かの声。目が覚めるといつも忘れてしまう、奇妙な夢を。


「……なんで、それを」


 俺がそう返すと、識はふっと口角を上げた。


「やっぱりね。ますます面白い」


 何が面白いのか、俺にはまるで分からない。ただ、こいつが俺の中に何か途方もないものを嗅ぎ取っているのだけは、確かなようだった。


 あの夢のことは、今まで誰にも話したことがなかった。

 話したところで、ただの寝ぼけた夢の話だ。自分でも、すぐに忘れてしまうような。

 なのに、この女は、会ってすぐにそれを言い当てた。まるで、俺自身より俺の中身を知っているみたいに。

 地下の装置に触れたときの、あの疼きを思い出す。頭の奥の、開かずの部屋。

 あそこには、本当に、俺の知らない俺が眠っているのかもしれない。そう思うと、怖いような確かめたいような、落ち着かない気持ちになった。

 俺の中に、俺の知らない俺がいる。

 考えるほど、足元が揺らぐような心地がした。

 自分が何者かなんて、これまで一度も疑ったことがない。荷物運びの天城真。それ以上でも、それ以下でもない。

 なのに今、その当たり前がぐらりと傾きはじめていた。知りたい、と思った。たとえ、それが何であっても。


「まあまあ、識ちゃん。初対面でいきなり凡人とか言うなって」


 海が、へらへらと割って入った。


「こいつ、見た目はしょぼいけど、根性だけは無駄にあるからさ」


「フォローになってねえよ」


「事実だろ」


「うるさい二人ね。少しは静かにできないわけ」


 識が呆れた声でぼやくと、海が「識ちゃんだって人のこと言えないだろ」と言い返し、また言い合いが始まる。


「やかましい。ガキの遠足じゃねえんだぞ」


 黒鉄が一喝した。

 くだらないやり取りに、ふっと肩の力が抜けた。

 その騒がしさを、澪は壁際から、どこか眩しそうに見ていた。一人だけ、その輪に入れずにいるみたいに。


 変な連中だ、と思った。

 無愛想な退役兵。感情の読めない技術屋。へらへらした幼馴染。得体の知れない女。

 昨日まで一人ぼっちだった俺の周りに、いつのまにか、こんなにも人がいる。

 ほんの二日前、俺はこの広い世界で、文字どおり独りぼっちだった。親も、頼れる相手も、何もない。ただ毎日、重い箱を担いで、すり減るように生きていた。

 それが、どうだ。

 無愛想だろうと感情が読めなかろうと、ここには俺のために動いてくれる人間が、現に何人もいる。

 その事実が、思っていたよりずっと、俺を強くしてくれる気がした。一人で抱え込む癖は、そう簡単には抜けないだろうけど。

 ずっと、誰かに頼ることが怖かった。

 頼れば、失ったときにもっと痛い。親父と母さんでそれを学んだ。だから俺は、誰も心に入れないように生きてきた。

 なのに、こいつらときたら。土足でずかずか、こっちの線を踏み越えてくる。

 迷惑だ。迷惑なのに、嫌じゃなかった。むしろ、ほんの少しだけくすぐったかった。こんな感覚は、ずいぶん久しぶりだった。


「で、これからどうすんだ」


 俺が訊くと、澪がようやく口を開いた。


「あんたの先祖が遺したものを探す。手がかりは、あんた自身の中にある」


「俺の、中?」


「さっきの装置が反応したでしょう。あれはほんの入り口。あんたの記憶の奥に眠ってる何かを、少しずつ引き出していく」


 自分の頭の中を探られる――そう考えると、薄ら寒かった。けれど、もう後戻りはできない。

 識が、ぱちんと指を鳴らした。


「面白くなってきたじゃない。凡人の頭の中に、世界をひっくり返す鍵、ね」


 その目に、初めて、かすかな興味の色が灯っていた。

 黒鉄が立ち上がり、壁の銃を一挺、無造作に手に取る。


「なら、ぼやぼやしてる暇はねえ。化け物どもが本腰を入れる前に、動くぞ」


 海が「うえ、もう?」と情けない声を上げ、識が薄く笑い、澪が静かに頷いた。

 ばらばらなはずの連中が、ひとつの方向を向く。

 俺も、ゆっくりと腰を上げた。

 工房を出ると、夜風が頬を撫でた。先を行く四つの背中を追いながら、俺は思う。

 まだ何も分かっちゃいない。怖くないと言えば、嘘になる。

 だが、もう一人じゃない。それだけで、踏み出す足は、思ったよりずっと軽かった。


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