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電子に眠る未来 〜昨日までの日常はすべて偽物だった世界で、仲間を救う生存ルートを導き出す〜  作者: トンエリア
第一楽章

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第04話 親父を知る男

 指先が、冷たい金属に触れた。

 その瞬間、装置の光がいっそう強くまたたいて――頭の奥で、何かがざわっと反応した。

 声が、聞こえた気がした。遠い、ひどく懐かしい声。何を言っているのかは分からない。形になる前に、それはまた霧の向こうへ引っ込んでいった。

 代わりに残ったのは、頭の芯がきんと痛むような、奇妙な余韻だけだった。

 反射的に、手を引っ込めていた。


「無理しなくていい」


 澪がすかさず俺の腕をつかんだ。


「それは、まだあんたには早い。鍵が、目覚めきってないから」


「鍵?」


「いつか分かる。今は、ここを離れる。長居しすぎた」


 また置いてけぼりだ。だが、装置に触れた瞬間のあの感覚がまだ背筋に張りついていて、それ以上食い下がる気にはなれなかった。


 地下を出て街の喧噪に戻ると、世界がやけに何食わぬ顔をしているように見えた。

 いつもどおりの蒸し暑さ。いつもどおりの人混み。

 でも、もう何も、いつもどおりには見えなかった。すれ違う一人ひとりの顔を、つい盗み見てしまう。こいつは人間か。あいつはどうだ。そんな疑いが、頭にこびりついて離れない。


「これから、どこ行くんだよ」


「人に会わせる」


 澪は前を向いたまま言った。


「あんたを守るにも、先祖の遺したものへ近づくにも、わたし一人じゃ手が足りない。信用できる人間が要る」


「信用、ねえ」


 昨日まで平和そのものだった俺の世界に、もうその言葉がついて回るのか。

 げんなりしながら、俺は澪の背中を追った。


 連れていかれたのは、場末の路地裏にある小さな工房だった。

 半分シャッターの下りた、油と鉄の匂いの染みついた一角。中では、でかい背中の男が一人、作業台に向かって何かをいじっていた。

 工房の中は、外の蒸し暑さが嘘みたいに、ひんやりとしていた。むき出しの配管。積み上がった部品の山。天井から下がる裸電球が、男の大きな背中に濃い影を落としている。

 油と、機械油と、かすかな火薬のにおい。ただの修理屋の工房じゃない。そう肌で分かる、張り詰めた気配があった。ここは、戦う人間の場所だ。

 俺たちが入っていくと、男はちらりと振り返った。

 年は五十がらみか。短く刈った白髪交じりの頭。日に焼けた顔には、深い皺と古い傷痕が走っている。目つきは、まるで刃物みたいに鋭かった。


「ガキを連れてくるとはな」


 しわがれた低い声で、男は言った。


「澪。こいつが、お前の言ってた鍵か」


「そう。天城真」


 男の視線が、無遠慮に俺の上を這う。値踏みされている、とすぐに分かった。足の先から頭のてっぺんまで、舐めるように。

 居心地が悪くて、俺はつい背筋を伸ばした。


「どうも」


「ひょろっこいな」


 ばっさりと、男は言い捨てた。


「これが伝説の鍵様か。風が吹いたら倒れそうだ」


「うるせえな。悪かったな、ひょろくて」


 売り言葉に買い言葉で返すと、男は片眉を上げた。

 それから、ふっと、その鋭い目元がわずかにゆるんだ。


「威勢だけは一人前か。そういうとこは、似てるな」


 似てる?

 誰に、と訊き返す前に、男は作業台に道具を置いてこちらに向き直った。


「黒鉄だ。昔、軍にいた」


 ぶっきらぼうに名乗ると、黒鉄は少しだけ間を置いてから続けた。


「お前の親父とは、戦友でな。同じ部隊で、何度も背中を預け合った仲だ」


 息が、止まった。


「……親父を、知ってるのか」


「ああ。天城のおっさんは、いい男だったよ」


 黒鉄は懐かしむように目を細めた。


「口下手で、不器用で、やたら頑固でな。一度こうと決めたら、てこでも動かねえ。仲間を見捨てるくらいなら命令違反のほうがましだって、上官の前で平気な顔で言うようなやつだった」


 知らなかった。

 親父のことなんて、俺はほとんど覚えていない。十二で死んだ親父は、俺の記憶の中ではいつも、疲れた顔で黙っているだけの男だった。

 そんな親父が、誰かの背中を守って、頑固に筋を通して生きていた。

 その姿を、この男は知っている。

 なぜだか、喉の奥がつまった。

 親父の話を、もっと聞きたい。素直にそう思った。

 顔も声も、もう半分くらいしか思い出せない。それでも、この男の語る親父は、確かに俺の親父だった。

 会ったことのない親父に、今ごろ会っているような気分だった。もっと早く、こういう話を聞きたかった。


「一度な、おれが脚をやられて動けなくなったことがある」


 黒鉄がぽつりと言った。視線は、どこか遠くを見ていた。


「撤退命令も出てた。誰もが、おれを置いていく状況だった。だがあのおっさんだけは、銃弾の雨の中、たった一人で引き返してきやがった。『お前を担いで死ぬのと、見捨てて生き残るのと、どっちが寝覚めが悪いと思う』。そう言って、にやっと笑ってな」


 黒鉄の傷だらけの手が、無精髭をざらりと撫でた。


「おれが今日まで生きてるのは、半分はあいつのおかげだ」


 俺は、何も言えなかった。

 胸の奥が、熱いような苦しいような、よく分からない感情でいっぱいになっていた。

 俺の知らないところで、親父は誰かに命を懸けて、その誰かの中に今も生きている。

 ただ疲れた顔で黙っていただけの男じゃ、なかったんだ。

 俺の知っている親父は、ほんの断片でしかなかったんだ。

 いちばん近くにいたはずなのに、俺は親父の何を見ていたんだろう。

 もっと、話しておけばよかった。たった一言でも。

 でも、その相手はもうどこにもいない。

 だから、せめて。

 この人の話の中の親父を、ちゃんと覚えておこうと思った。


 ずっと、不思議だったことがある。

 俺の記憶の中の親父は、いつも疲れていた。家ではほとんど喋らず、休みの日もどこか心ここにあらずで、窓の外ばかり気にしていた。子供心に、それが少し寂しかった。


「親父は、なんであんなに、いつも疲れてたんだ」


 気づけば、そう訊いていた。

 黒鉄はしばらく黙っていた。


「……守るってのは、疲れるもんだ」


 やがて、ぽつりとそう言った。


「あいつは、軍を辞めたあともずっと気を張ってた。お前を守るためにな。今のお前なら、何から守ってたか、分かるだろう」


 ファントム。

 その三文字が、頭に浮かんだ。

 あの窓の外を気にする目は、外を警戒していたのか。心ここにあらずに見えたのは、いつ襲われるか分からない日々を、たった一人で抱えていたからなのか。

 俺はそんなことも知らずに、ただ寂しがって、不機嫌な顔をしていた。

 胸が、ぎゅっと締めつけられた。

 ごめん、と心の中で呟いた。誰に言うともなく。


「……そんな親父も、事故で死んだ」


 俺がそう呟くと、黒鉄の目に、暗い炎みたいなものがよぎった。


「事故、ってことにはなってたがな。まあ、今となっちゃ、本当のところは察しがつく」


 その低い声には、はっきりとした怒りがにじんでいた。

 こいつも、ファントムってやつを憎んでいる。それが、痛いくらいに伝わってきた。


「澪から話は聞いてる。お前さんが、連中に狙われてるってな」


 黒鉄は、どっかと椅子に腰を下ろした。


「荒事は、おれの領分だ。銃の撃ち方も生き延び方も、いやってほど叩き込んでやる。親父さんの息子を、みすみす死なせるわけにはいかねえからな」


 そう言って、黒鉄は壁際に目をやった。

 そこには、見たこともない数の銃や得物が、整然と並べて掛けてあった。手入れの行き届いた、使い込まれた道具たち。こいつがどれだけの修羅場をくぐってきたのか、それだけで嫌でも伝わってくる。

 心強い、と素直に思った。こんな男が味方にいてくれるなら、少なくとも、何もできずに殺されるよりはずっとましだ。

 ほんの少しだけ肩の力が抜けた。ずっと張り詰めっぱなしだった胸が、やっとひと息つけた。化け物だらけのこの世界でも、独りぼっちじゃないのかもしれない。


 俺の顔がよほど暗かったのか、黒鉄はふっと口調をやわらげた。


「まあ、辛気くさい話ばかりじゃない。あのおっさん、これでいて、とんでもなく歌が下手でな」


「歌?」


「酒が入ると必ず歌いだすんだが、これが救いようのねえ音痴でな。あんまり下手

 だもんで、敵さんに位置がばれるからやめろって、部隊じゅうから本気で怒られてた」


 思わず、ふっと笑ってしまった。

 歌が下手な親父なんて、まるで想像がつかない。俺の知らない親父が、また一人、ここにいた。

 それが嬉しいような、今さら知っても遅いような、変な気持ちだった。


 ふと視線を感じて顔を上げると、入り口のそばで、澪が静かにこちらを見ていた。

 いつもの読めない表情。けれど、その目は、いつもより少しだけやわらかい気がした。口を挟まず、ただ俺と黒鉄のやり取りを見守っている。

 こいつなりに、何か思うところがあるのかもしれない。


 無愛想で、口は悪い。

 なのに、黒鉄の言葉の奥には、ごまかしようのない本気があった。

 ほんの一日前まで、俺の世界には、信用できる大人なんて一人もいなかった。親父も母さんもいない。バイト先のやつらとも、上っ面の付き合いだけ。

 それが今、こんな無愛想な男の前で、なぜだか少しだけ息がしやすくなっている。

 たった一人で奈落に落ちていくような心地だった俺の足元に、この男は、無造作にでかい手を差し出してきた気がした。

 不思議と、嫌な感じはしなかった。


「ほら、突っ立ってないで座れ、小僧」


 黒鉄が顎で隣の椅子をしゃくった。


「親父さんの話なら、いくらでもしてやる。お前の知らねえ、あのおっさんの間抜けな失敗談も、山ほどな」


 そう言って、黒鉄はにやりと笑った。

 その不器用な笑い方を見ていたら、ほとんど覚えていないはずの親父の顔が、なぜだかふっと頭をかすめた気がした。

 俺はゆっくりと、差し出された椅子に腰を下ろした。


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