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電子に眠る未来 〜昨日までの日常はすべて偽物だった世界で、仲間を救う生存ルートを導き出す〜  作者: トンエリア
第二楽章

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第23話 守りたいもの

 目を開けた。


 見慣れた自分の部屋の天井だった。

 枕元の時計。窓から差し込む朝の光。

 すべてがあの日と同じだ。

 戻った。

 巻き戻しは成功したんだ。


 でも俺の頭の中には、さっきまでの光景がはっきりと焼きついていた。

 貫かれた澪の体。

 腕の中で冷たくなっていく重み。

 ありがとう、それからごめんね。

 あの最後の声。

 ぜんぶ覚えている。

 いや、覚えてしまっている。


 体を起こすと、どっと冷や汗が噴き出した。

 これは夢じゃない。

 俺は現実で本当に澪を死なせた。

 その記憶が重い鉛みたいに胸の底に沈んでいる。

 しばらく布団の上で動けなかった。

 窓の外からは、いつもの朝の音が聞こえてくる。

 鳥の声。遠くを走る車の音。どこかの家の、目覚まし時計。

 世界は何事もなかったように回っている。

 でもその平和な音が、今の俺にはひどく残酷に感じられた。

 ついさっきまで、俺は血の海の中にいた。

 大切なやつが目の前で死ぬのを、ただ見ていることしかできなかった。

 その記憶を抱えたまま、こうしてありふれた朝に放り出される。

 二つの世界の落差に、頭がついていかなかった。


 枕元のスマホが震えた。

 海からのメッセージだ。


『今日の昼、学食でいい?』


 いつもの間の抜けた誘い。

 あいつは何も知らない。

 ついさっきまで現実で、俺と肩を並べて戦っていたことも。

 血まみれの澪を見て、立ち尽くしていたことも。

 ぜんぶなかったことになっている。

 でも今はその能天気さが、たまらなくありがたかった。

 みんな生きてる。

 日常がちゃんと戻ってきている。

 俺は『いいよ』とだけ返して、スマホを置いた。

 画面の中の軽い文字。

 あいつにとっては、ただのなんでもない一日の始まりだ。

 昼に何を食うか。そんなことで頭がいっぱいなんだろう。

 その当たり前が、どれだけ尊いものか。

 失って何度も取り戻して、俺はようやくわかりはじめていた。

 この日常を守る。

 今度こそ誰の笑顔も欠けさせない。


 でも確かめなきゃいけないことが一つあった。


 澪だ。

 あいつは本当に生きているのか。

 いてもたってもいられず、俺は部屋を飛び出した。

 行き先は決まっている。

 あの路地。

 すべてが始まった場所。

 澪がいつも俺を待っている場所だ。


 走った。

 息が切れるのも構わず、ただ走った。

 頼む。

 無事でいてくれ。

 あの光景が本当になかったことになっていてくれ。

 祈るような気持ちだった。

 もしあの路地に澪がいなかったら。

 もし巻き戻しがうまくいっていなかったら。

 そう考えるだけで、足がすくみそうになった。

 でも止まらなかった。

 確かめなきゃいけない。

 この目でこいつの無事を。


 角を曲がる。

 そこに、澪はいた。


 いつもの無表情で壁にもたれて、俺を待っていた。

 生きている。

 ちゃんと、立っている。

 その姿を見た瞬間、膝から力が抜けそうになった。


「澪!」


 俺は駆け寄った。

 思わずその肩を掴む。

 でも間近で見たこいつの顔に、俺は言葉を失った。


 痩せていた。

 巻き戻す前より、明らかに頬がこけている。

 顔色も紙みたいに白い。

 目の下には、濃い隈。

 まるで何日も寝ていないみたいな、やつれ方だった。

 巻き戻す前の澪も、確かに痩せてはいた。

 でも、ここまでじゃなかった。

 たった一度のやり直しが、こいつからこれだけのものを奪った。

 俺が、奪わせた。

 握った肩は驚くほど細くて、骨の感触がはっきりと伝わってきた。

 力を込めたら、折れてしまいそうで。

 俺は、慌てて手の力を緩めた。


 ああ、と思った。

 これが、代償か。

 たった一回、巻き戻しただけで。

 こいつの命は、これだけ削れたのか。

 目の前に、はっきりと突きつけられた。

 俺の選択が、こいつをこれだけ蝕んだという動かぬ証拠を。


「無事、だったか」


 俺は、かすれた声で言った。


「うん。ちゃんと戻れた」


 澪が、静かにうなずいた。

 その声も、心なしか前より弱々しい。


「お前も覚えてるんだな。さっきのこと」


「忘れるわけ、ないでしょ」


 澪が、ふっと苦笑した。

 その表情で、わかった。

 こいつも覚えている。

 現実で、自分が貫かれたことも。

 俺が巻き戻したことも。

 二人だけが、あの地獄を抱えている。

 誰にも言えない秘密を、また一つ共有してしまった。

 でも不思議と、その共有が嫌じゃなかった。

 こんな地獄を分かち合えるのは、世界でこいつだけ。

 俺の見たものを信じてくれるのも、こいつだけだ。

 二人きりの、重すぎる秘密。

 それは孤独でもあり、同時に強い絆でもあった。

 たぶん、澪も同じことを感じている。

 目を合わせるだけで、それがなんとなく伝わってきた。

 言葉なんて、いらなかった。

 何も言わなくても、お互いの痛みがわかる。

 俺たちはいつのまにか、そういう関係になっていた。

 一度目には、考えられなかったことだ。


「ごめん」


 俺は、また同じ言葉を繰り返した。


「俺のせいで、お前を死なせた。そのうえ巻き戻しで、お前の体をこんなに」


「やめて」


 澪が、俺の言葉を遮った。


「それは、私が頼んだこと。巻き戻してって。だから、お前のせいじゃない」


「でも——」


「それに」


 澪が、少しだけ目を伏せた。


「こうしてまた、お前と話せてる。みんなも生きてる。それだけで十分。私の体のことなんて、ささいなことだよ」


 ささいなこと、だって。

 自分の命が、削れているのに。

 こいつは、本当にどこまで。

 胸の奥が、締めつけられた。

 こいつは、いつもそうだ。

 自分のことは、後回し。

 俺たちのために笑って、その身を削る。

 一度目からずっと、たった一人ですべてを背負ってきた。

 誰にも、弱音を吐かずに。

 その強さが痛々しくて、見ていられなかった。

 もう、こいつ一人に背負わせたくない。

 その想いが、俺の中でどんどん強くなっていく。


「なあ、澪」


 俺は、ふと訊いてみた。


「お前は、怖くないのか。こんなふうに、何度も死んだり生き返ったりして」


 澪は、少し考えてから答えた。


「怖いよ。当たり前でしょ」


 あっさりと、こいつは言った。

「でもね、それ以上に悔しいの。ここまで来て、何も守れないまま終わるのが。みんなを、真を置いていくのが」


 その言葉に、俺ははっとした。

 澪は、自分の命が削れていくことよりも。

 俺たちを守れないことのほうを、恐れていた。

 どこまでお人好しなんだ、こいつは。


 その横顔を見ていたら、俺の中で何かがはっきりと形になった。


 一度、こいつを失いかけた。

 現実で、本当に死ぬところを見た。

 あのとき俺の中に湧き上がったのは、任務がどうとか世界がどうとか、そんなものじゃなかった。

 ただ、こいつがいなくなることが怖かった。

 こいつのいない世界なんて、考えられなかった。

 一度目に出会ったときは、ただの怖い女だと思っていた。

 銃を持って無表情で、何を考えているのかわからなかった。

 でも、一緒に時間を重ねるうちに。

 こいつの、不器用な優しさを知った。

 脆さも強さも覚悟も、全部見てきた。

 いつのまにか、こいつは俺にとっていちばん近い存在になっていた。

 失いたくない。

 その一心が、もうごまかしようもないくらいはっきりと胸を占めていた。


 ああ、そうか。

 俺は、こいつのことが。


 言葉にするのは、まだ照れくさい。

 でも、もう自分の気持ちははっきりしていた。

 澪を守りたい。

 世界とか人類とか、そんな大きな理由じゃない。

 ただ、俺がこいつに生きていてほしいんだ。

 こいつの隣で、笑っていたいんだ。


 俺は澪の冷たい手を、そっと握った。


 前よりも、もっと冷たくなっていた。

 削れていく命の温度。

 でもその手を、俺は絶対に離さないと決めた。


「澪。約束する」


 俺は、まっすぐこいつの目を見て言った。


「二度と、お前を死なせない。今度は何があっても、お前を最優先する。コアより、コードより、世界の命運より。まず、お前を守る」


「真——」


「だから、もう無理して一人で背負うな。お前の命は、お前だけのものじゃない。俺の、大事なものなんだ」


 澪の目が、大きく見開かれた。

 それからその瞳が、じわりと潤んでいく。


「ばか」


 澪が、小さな声でつぶやいた。

 でも、その声は震えていた。

 いつもの氷みたいな仮面が、ほんの少しだけ溶けていた。

 その『ばか』には、いつもの棘がなかった。

 むしろ、どこか嬉しそうな響きが混じっていた。

 ずっと一人で抱えてきたものを。

 ほんの少しだけ、誰かに預けられたみたいに。

 俺は、それで十分だった。


 俺はもう一度、その冷たい手を強く握りしめた。

 次の周回こそ、絶対にこいつを救ってみせる。

 この想いを失いたくないという気持ちを、力に変えて。

 俺たちの本当の戦いは、まだこれからだ。

 残された巻き戻しは、あとわずか。

 現実の時間も、刻一刻と削れていく。

 次に失敗したら、もう後はない。

 でも不思議と、怖くはなかった。

 守りたいものが、はっきりしている。

 だったら、あとはただ全力でそれを守り抜くだけだ。

 隣を見ると、澪も同じ方向を見ていた。

 その横顔はやつれていたけど。

 その目にはまだ、戦う意志が宿っていた。

 一人じゃない。

 俺には、こいつがいる。

 こいつにも、俺がいる。

 それだけで、どんな絶望にだって立ち向かえる気がした。


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