第19話 計算の鬼
俺たちの目標は、はっきりしていた。
世界解析コードを完成させること。
そのためには、二つに分かれたコードを一つにしなきゃいけない。
片方の鍵は、俺の中にある。問題は、もう片方だ。
コアは、現実の世界にある。澪の一族が遺した研究施設。
つまり俺たちは、この電脳世界から抜け出して現実に渡らなきゃいけない。
「渡る手段は、一つだけ」
澪は言った。
「培養装置。眠ってる肉体に意識を戻したり、新しい体を作ったりする装置。あれを使えば、電脳世界の住人でも現実の体を手に入れて外に出られる。逆に言えば、あれがなければ私たちは一生、この箱の中」
「その装置は、どこにあるんだ」
俺が訊くと、澪の表情が曇った。
「電脳世界のいちばん奥。普通の人間は、絶対に近づけない管理区域。本物の現実と繋がるための設備が、そこにまとめて置いてある。培養装置も、その中」
「行けるのか、そこに」
「簡単じゃない。あのあたりは、ファントムの巣みたいになってる。あいつらにとっても、現実への出入り口は最重要拠点だから。守りは、相当固いはず」
俺は頭の中であの地下道を思い出した。
あの群れに、また突っ込むのか。
しかも今度は、培養装置のある最奥まで押し通らなきゃいけない。
想像しただけで背筋が寒くなった。
でも、やるしかない。
現実に渡らなきゃ、コードは完成しない。コードが完成しなきゃ、ファントムの潜伏は止められない。そして半年後には惑星に着いて、最後の戦いが始まる。
逆算すれば、ぐずぐずしている時間は一秒もなかった。
「二人だけじゃ、無理だな」
俺は、ぽつりと言った。
「俺は巻き戻し前の体に戻ってる。要するに、訓練前のただのもやしだ。お前は、これ以上ダイブの負担をかけられない。この二人でファントムの大群を突破するなんて、どう考えても不可能だ」
澪は、何も言わなかった。
でも、その沈黙が答えだった。
俺たちには、仲間がいる。
一度目、一緒に戦って一緒に死んだ仲間が。
「集めよう」
俺は自分の声が少しかすれるのを感じた。
「海も識も、レンも。もう一回、こっちに引き込む」
「……いいの?」
澪が静かに訊いた。
「あの子たちを、また巻き込むことになる。一度目みたいに、また死なせてしまうかもしれない」
その言葉は、ぐさりと胸に刺さった。
わかっている。
あいつらを呼ぶってことは、またあの危険な戦いに引きずり込むってことだ。
最悪また、目の前で死なせてしまうかもしれない。
あの絶望を、もう一度味わうことになるかもしれない。
でも。
「それでも、必要なんだ」
俺は、絞り出すように言った。
「あいつらの力がなきゃ、培養装置には届かない。それに放っておいたって、ファントムは結局海を狙ってくる。一度目がそうだった。だったら、そばで守りながら戦ったほうがずっといい」
「うん」
「それに、今度は俺たちには先を読む力がある。あいつらがいつどこで危なくなるか、ぜんぶ知ってる。罠の場所も、敵の手も。一度目とはまるで違う。今度こそ、一人も死なせない。死なせてたまるか」
「海は放っておいても巻き込まれる。だったら、最初から守る。識は装置を攻略するのに頭脳がいる。レンは——」
俺は一度言葉を切った。
「レンはいちばん腕が立つ。一度目、あいつの一発に何度も助けられた。それに、あいつもファントムに大切な人を奪われてる。放っておけない」
一人ずつ顔を思い浮かべる。
海のへらへらした笑顔。識の寝不足の目。レンの能面みたいな横顔。
あいつら全員を、今度こそ生きたまま最後まで連れていく。
それが俺の戦う理由だった。
澪はしばらく俺を見ていた。
それから、ふっと表情を緩めた。
「変わったね」
「そうか?」
「一度目に会ったときは、自分のことで精一杯の、ただの男の子だった。なのに今は、みんなを背負おうとしてる。仲間も現実も、私のことまで」
「買いかぶりすぎだ。背負うっていうか、ただもう誰も失いたくないだけだよ」
照れ隠しに、俺はそっぽを向いた。
澪が小さく笑う気配がした。
その笑い方は、出会った頃の氷みたいな冷たさとはまるで違っていた。
「まずは、誰から?」
澪が訊いた。
俺は、迷わず答えた。
「識だ」
柊識。
一度目に、いちばん最初にこの世界の異常に気づいた男。
冷静で分析的で、口を開けば「計算に合わない」が口癖の変わり者。
あいつの解析能力は、培養装置を攻略するのに絶対に欠かせない。
それに——あいつは、いつも寝不足の顔で、誰よりも真剣に俺たちのために頭を使ってくれていた。
最後は、あっけなく影に呑まれて消えたけど。
今度は、絶対にそんな目には遭わせない。
俺は、澪に教わった場所へ向かった。
大学の、古い研究棟。その一室に、識はいた。
ガラス越しに、そいつの姿が見えた。
山積みの資料に埋もれて、難しい顔で、何かのデータと睨めっこしている。
生きていた。
また、当たり前に生きていた。
その姿を見ただけで、胸の奥がじんと熱くなった。
待ってろ。今度こそ、お前を死なせない。
ガラスに、自分の顔が映っていた。
ひどく、思いつめた顔をしていた。
一度目の俺なら、こんなところに来ることもなかった。誰かを巻き込む勇気も、守る覚悟もなかった。
でも、もう違う。
俺は、自分の頬を一度叩いて気合いを入れ直した。
俺は、深呼吸して研究室の扉を開けた。
「柊識、だよな」
声をかけると、そいつは面倒くさそうに顔を上げた。
「誰だ、君は。アポは取ってないだろう」
「いきなりで悪い。でも、どうしても聞いてほしいことがあるんだ」
もちろん、こいつは俺を知らない。
一度目の記憶なんて、こいつの中にはかけらもない。
ここで「世界は作りものだ」なんて言ったところで、不審者扱いされて追い出されるのがオチだ。
だから俺は、別の角度から攻めることにした。
「あんた、最近、変だと思ってることがあるだろ。世界が、なんていうか、できすぎてるっていうか。計算が、合わないっていうか」
その瞬間、識の手がぴたりと止まった。
眼鏡の奥の目が、大きく見開かれる。
「……なんで、それを」
手応えを感じた。
やっぱり、こいつはもう気づきはじめている。
一度目よりも、ずっと早く。
識は、すぐには信じなかった。
当然だ。こいつは根っからの理屈屋だ。証拠もなしに、得体の知れない男の言うことを鵜呑みにするはずがない。
「君が、僕の研究を覗き見たって可能性もある」
識は鋭い目で言った。
「具体的に言ってみろ。僕が、何に引っかかってるのか。当てられるものなら」
でも俺にはその答えがわかっていた。一度目こいつ自身が震える声で、俺たちに話してくれたことだ。
「世界を成り立たせてる定数が整いすぎてる。まるで、最初から誰かに書き込まれたみたいに。それに、世界には継ぎ目がある。箱みたいに、外側を囲われてる」
識の顔からすうっと表情が消えた。
「それは、誰にも話していない。まだ、僕のノートの中にしかない仮説だ」
識の声がわずかに震えていた。
「なのに君は、それを知っている。覗き見たんじゃないとすれば、君は、いったい何を知ってるんだ」
「順を追って話す。でも、一つだけ先に言っておく。あんたのその"計算に合わない"って勘は、正しい。この世界には、本当にとんでもない秘密が隠れてる。そして俺は、それを暴いてぶっ壊すために来た」
識は、しばらく俺の顔をじっと見ていた。
探るように。値踏みするように。
それから、机に積まれた資料をぽんと指で叩いた。
「……面白い。ちょうど、誰かに聞いてほしかったところだ。僕の計算がどこかおかしいのか。それとも、世界のほうがおかしいのか」
眼鏡をくいと押し上げて、識は言った。
「座れよ。コーヒーくらいは、出す」
俺はほっと息をついて椅子に座った。
これから、長い話になる。
世界が作りものだってこと。船のこと。ファントムのこと。ループのこと。たぶん、すんなりは信じないだろう。
でもこいつなら最後には理解する。理屈さえ通れば、こいつはどんな突拍子もない結論でも受け入れる男だ。
現にもう目の奥が、好奇心で光りはじめていた。
一人。
また一人こっちに戻ってきた。
もちろん、まだ何も話していない。これから、長い説明が待っている。
それでも俺の中には確かな手応えがあった。
ばらばらになった仲間を、もう一度集め直す。
今度は、ただ集めるだけじゃない。一人残らず、生きたまま、最後まで連れていく。
長い、長い道のりになる。
ファントムの巣を突破して現実に渡り、コードを完成させ、惑星に着く前にすべてに片をつける。
気が遠くなるような話だ。
でも、もう足は止まらなかった。
そのための最初の一歩を、俺は確かに踏み出していた。




