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電子に眠る未来 〜昨日までの日常はすべて偽物だった世界で、仲間を救う生存ルートを導き出す〜  作者: トンエリア
第二楽章

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第18話 冷たい指先

 その夜、俺は一睡もできなかった。


 澪は部屋の隅で、毛布にくるまって眠っていた。

 いや、眠ろうとしていたと言うべきか。

 俺が何度様子をうかがっても、こいつの呼吸は規則正しくならなかった。たぶん、寝たふりをしていただけだ。

 無理もない。

 あんな話をした後で、すぐに眠れるやつなんて、いるわけがない。

 俺は暗い天井を見上げたまま、ずっと同じことを考えていた。


 二つの時計。

 澪の命と、現実に迫る破滅。

 その音が、聞こえるはずもないのに、頭の奥でずっと鳴り続けている気がした。

 どっちも、止められない。どっちも、待ってはくれない。

 今までの俺は馬鹿みたいにのんびり構えていた。

 失敗しても、やり直せばいい。何度でも、正解を探せばいい。

 その甘い前提が根こそぎ崩れ去った。

 もし、残りの巻き戻しを使い切って、それでも勝てなかったら。

 そのとき、世界はどうなる。

 みんなが死んだ最悪の結末が、二度と覆らない"本物の最後"として、確定する。

 そして澪は命を使い果たして。

 想像するだけで背筋が凍った。

 もう、後がない。

 一度目は、何も知らずに突っ込んで全員を死なせた。

 二度目の今は、ぜんぶ知っている。知っているのに、しくじったら。

 それは無知よりもずっと重い罪に思えた。

 でも、それが具体的に、どれくらいの猶予なのか。

 俺はまだ知らなかった。

 知るのが正直怖かった。

 でも目をそらしたままじゃ、戦えない。


 朝になって、俺は澪の前に座りまっすぐ訊いた。


「教えてくれ。あと、どれくらいなんだ」


「……何が?」


「全部だ。船が惑星に着くまで、あとどれくらい。お前の体が、あと何回の巻き戻しに耐えられるのか。聞きたくない話だってのは、わかってる。でも、ぜんぶ正確に知らないと、まともな作戦すら立てられない」


 澪はしばらく俺を見ていた。

 俺が、本気で聞く覚悟を決めたのを、確かめるみたいに。

 それから、観念したようにゆっくりと話しはじめた。


「まず、惑星のほうの時計から。現実の時間で、あと1か月くらい。船は、もうすぐ目的の星の軌道に入る。そうなったらファントムは一気に動く。こそこそ潜んで数を増やしてたあいつらが、星に降りる主導権を力ずくで奪いにくる。最後の総力戦になる」


「1か月か」


「だから、世界解析コードはそれまでに完成させなきゃいけない。誰が人間で誰がファントムかはっきりさせて、あいつらの潜伏を無効にする。間に合わなければ、人類は星も船も未来も、ぜんぶ奪われる」


「重いな」


「しかも、こっちの世界で巻き戻してるあいだも、その現実の時間は容赦なく減っていく。一周まわすたびに、現実の貴重な時間がごっそり消える」


 まるで足りない。

 そのあいだに、現実に渡ってコアを手に入れ、コードを完成させてファントムまで倒す。

 しかも、巻き戻すたびに、その時間は短くなる。

 気が遠くなりそうな話だった。

 しかも、惑星に着いてからじゃもう遅い。

 着く前に、ぜんぶ片をつけなきゃいけない。

 タイムリミットは、1か月。動ける時間はたぶんもっと短い。


「それと、もう一つの時計」


 澪が自分の手を、そっと見下ろした。


「私の体のこと。さっきお前は、あと何回耐えられるかって訊いたよね。正直に答える。たぶんあと数回。よくもって2回か、3回ってところ」


 息が、詰まった。

 数回。

 あと、たった、それっぽっち。


「ただ巻き戻すだけなら、もう少し持つかもしれない。でも、問題はそこじゃないの。この電脳世界に意識を潜らせること自体が、私の現実の体を少しずつ壊してる。ダイブするたびに、本物の私の体は内側からじわじわ擦り切れていく。そして巻き戻しはその最たるもの。一回まわすだけで何ヶ月ぶんもの消耗を一気に持っていかれるの」


 澪がそこまで言ったときだった。

 ふいに、こいつの言葉が途切れた。

 見ると、その顔からすうっと血の気が引いていく。

 次の瞬間、澪の鼻から、つっと赤いものが垂れた。


「澪!」


 俺は慌てて駆け寄った。

 鼻血だった。

 あの、記憶のダイブで俺が流したのと同じ。

 こいつは自分の鼻に手をやって、指についた赤を見て、力なく笑った。


「ね?こういうこと。最近、こういうのが増えてきた。私の体が、もう限界に近いってわかりやすく教えてくれてるの」


 なんでもないことみたいに、こいつは言った。

 その軽さがよけいに見ていられなかった。

 俺は無言で、自分の袖でこいつの鼻を拭ってやった。

 澪が少し驚いた顔をする。

 でも、何も言わなかった。

 拭いても拭いても、こいつの体を蝕んでいるものを止める手立てが、何一つなかった。

 ただ目の前で削れていくのを見ているしかない。

 それがどうしようもなく悔しかった。


「なあ、その消耗ってのは俺が代われないのか」


 俺は藁にもすがる思いで訊いた。


「巻き戻すのは俺の鍵の力なんだろ。なら、お前が現実から潜らなくても」


「無理だよ」


 澪は静かに首を振った。


「真はこの世界の中の人間。外には出られない。私は外から潜ってる人間。世界を繋ぐ橋は、私にしか架けられない。だから巻き戻すのはお前、それを現実に届けるのは私。二人揃って、初めて意味があるの」


 悔しいけど、その通りなんだろう。

 俺は、自分の無力さをまた一つ噛みしめた。


 あと、2、3回。

 その数回のうちに、世界解析コードを完成させてファントムの大群を退け、全員を生きて連れて帰らなきゃいけない。

 しかも、一回しくじって巻き戻すごとに、澪の命が何ヶ月ぶんも削れる。

 とんでもない無理難題だった。

 一度目の、何も知らないままの絶望とは、また別の種類の絶望が足元から這い上がってきそうだった。

 失敗は、もう、ほとんど許されない。

 今まで何度でもやり直せると思ってたから、心のどこかで気楽だった。

 でも、もう違う。

 次にしくじれば、誰かが本当に死ぬ。最悪、澪が死ぬ。

 その重みを背負って、この一周を戦わなきゃいけない。


 でも。

 俺はぎゅっと拳を握りしめた。

 ここで膝をついたら、たった一人でこの重さを抱えてきた澪に、合わせる顔がない。


「わかった」


 俺はできるだけ落ち着いた声を絞り出した。


「もう、一周も無駄にしない。巻き戻すのは本当に勝てるって確信が持てたときだけだ。それまでは、この一周で行けるところまで行く。どうせやり直せるからって、だらだら手探りするのは、今日でやめる」


「……それは、無謀だよ。ぶっつけ本番で、あの黒鉄や、ファントムの大群を相手にするなんて。一度目だって、それで全滅したのに」


「わかってる。でも今度は丸腰じゃない。先を知ってる。それに、お前の体を、これ以上すり減らさせるわけにはいかないんだ」


「真のそういうとこ、本当にずるい」

 澪が、ぽつりと言った。

 怒っているような、泣いているような複雑な声だった。


「自分のことより、私のことを優先するなんて。そんなの、私がもっと頑張らなきゃいけなくなるじゃない」


「上等だよ。二人で頑張ればいい」


 言ってから俺は、自分の言葉に少し驚いた。


 お前の体を、すり減らさせるわけにはいかない。

 いつのまにか、俺の中で優先順位がはっきりと組み変わっていた。

 全員を助ける。その目標はもちろん変わらない。

 でも、その「全員」の中でいちばん最初に、いちばん強く守りたい相手は、もう決まっていた。

 澪だ。

 考えてみれば当たり前のことだった。

 こいつだけが、本物の死を背負っている。海も識もレンも、巻き戻せばまた笑って戻ってくる。でも、澪だけは違う。こいつが現実の体で死んだら、どんな力でも巻き戻せない、正真正銘の終わりなんだ。

 だからこそ、こいつだけは。

 何があっても、こいつだけは、現実の世界に生きたまま連れて帰る。

 それが、いつのまにか、俺のいちばんの願いになっていた。


 俺はそっと澪の手を取った。

 鼻血を拭くために差し出したその手を、握り返すような形で。


 冷たかった。

 氷みたいに冷たい指先だった。

 一度目に、屋上で握り返してくれたときと同じ冷たさ。

 あのとき俺はその冷たさの意味を何も知らなかった。

 ただ、緊張してるのかな、くらいに思っていた。

 でも、今ならわかる。

 この冷たさは、少しずつ削れていく命そのものの温度だったんだ。


「澪。一つ、約束する」


 俺は、その冷たい手を両手でそっと包んだ。


「お前を、絶対に死なせない。全員助ける。そして、その『全員』の中に、ちゃんとお前も入れる。お前だけが犠牲になって終わる結末なんて、俺は死んでも選ばない」


 言いながら、自分でも歯の浮くような台詞だと思った。

 でも、本心だった。

 一度目、こいつは地下道で俺を抱きしめて泣いてくれた。今度は俺がこいつを守る番だ。

 守られるだけだった荷物は、もういない。

 俺はこいつの隣に立って一緒に最後まで戦う。そう決めたんだ。


 澪の目が、ゆらりと揺れた。

 いつも気丈なこいつの瞳に、見たことのない頼りなさそうな色が浮かんだ。

 それから、ほんの少しだけ。

 その冷たい指先が、俺の手をきゅっと握り返してきた。


「……うん」


 その声は消え入りそうなくらい小さかったけど。

 たぶん今までで、いちばん素直な声だった。

 冷たかった指先が、ほんの少しだけ温かくなった気がした。


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