宰相の次の手
魔力覚醒試験から十日後。
学園の学園長室に、王都から使者が訪れた。
使者の名はディーター・ラング。王宮教育局の書記官。三十代半ばの痩せた男で、丁寧だが感情の読めない目をしている。王宮の官僚に典型的な顔つきだ。
使者が来たという報せは、すぐにセレスティアの耳に入った。ナターシャの情報網だ。学園の使用人の中に、ナターシャが顔見知りの侍女が一人いる。その侍女が学園長室に茶を運んだ際に、会話の断片を拾った。
「セレスティア・フォン・アルヴェイン嬢の——特別教育プログラムへの——」
断片だけで十分だった。
セレスティアは窓辺で本を読む振りをしながら、思考を巡らせた。
特別教育プログラム。王宮直轄の英才教育制度。名目上は「魔力に秀でた児童への高度な教育機会の提供」だが、実態は宰相が有望な人材を手元に引き込むための装置だ。プログラムに編入された児童は、学園から引き離され、王宮内の教育施設に移される。教師は宰相が選任する。交友関係も管理される。
つまり——鳥籠だ。
その鳥籠に、セレスティアを入れようとしている。
◇
翌日、学園長から正式な通達があった。
「アルヴェイン嬢。王宮教育局より、特別教育プログラムへの編入推薦がございました。ご家族にもお知らせが参ります」
学園長は恰幅の良い老紳士で、穏やかな人物だが、政治に疎い。推薦という形をとっているが、王宮の名を借りた実質的な命令だ。
「ありがとうございます。おとうさまとそうだんしてから、おへんじします」
「もちろんです。ただ、回答期限は一ヶ月以内とのことです」
一ヶ月。短い。だが十分だ。
◇
その日の夜、セレスティアは二重封蝋の手紙を書いた。
外側の封筒には、いつもの無害な内容。「学園は楽しいです。お花がきれいに咲いています。フリーデリケちゃんとお庭でスケッチをしました」
内側の封筒。ナターシャの部屋で、暗号を使わず直接書いた。ヴォルフ経由の密使便で送れば、途中で開封される心配はない。
『おとうさまへ。
王宮教育局より特別教育プログラムへの編入推薦がありました。使者はディーター・ラング書記官。宰相派の指示であることは間違いありません。
プログラムの目的は、わたしを学園から引き離し、宰相の管理下に置くことです。編入すれば、アレクシス殿下やフリーデリケちゃんたちとの関係が断たれます。オスヴァルト先生の訓練も続けられなくなります。
拒否してください。ただし、単純な拒否は宰相に利用されます。「公爵家は王家に非協力的だ」と貴族院で印象操作をされる可能性があります。
おとうさまの政治力で、拒否を「対案」に変えてください。どう変えるかは、おとうさまの方がよくご存じです。
セレスティアより』
封蝋を押した。蒼い鷲の紋章。二重封蝋の内側は、公爵家の別紋——銀の月章を使う。外側の紋章と内側の紋章が異なることで、中を開けたかどうかが分かる仕組みだ。
「ナターシャ。ヴォルフにたのんで」
「承知しました。明朝の定期便に間に合います」
◇
手紙を送った翌日から、セレスティアは「待つ」時間に入った。
父の返事が来るまでの間にできることは、情報収集だ。
ディーター・ラング書記官について、ナターシャに調べさせた。
「ディーター・ラング。三十五歳。王宮教育局所属。元は内務省の末端官吏でしたが、三年前に教育局に異動。異動の推薦者は——副宰相マティアス・ベルンハルトです」
「ラング書記官の家族構成は」
「独身。両親は既に他界。兄弟はいません。身寄りのない官吏です」
「それと、学園内の動きですが——」
ナターシャが声を低くした。
「ラング書記官が学園長室を訪れた日、カスパルが学園に来ています。同じ日です」
「カスパルはアレクシス殿下に面会した後、学園長とも短時間話しています。おそらく殿下の傍からセレスティアを引き離す意図の共有です」
だがセレスティアには父がいる。
◇
五日後。ヴォルフが面会に来た。
面会室ではなく、学園の裏門で短時間の接触。ヴォルフは公爵家の護衛として学園への出入りが許可されている。
「お嬢様。旦那様からです」
小さな封筒。銀の月章の封蝋。開けた。
父の筆跡。簡潔な文面。
『セレスティアへ。
了解した。対案を用意する。貴族院で動く。一ヶ月以内に結論を出す。
お前は何もするな。動くな。普通の学園生活を送れ。
必ず守る。
父より』
セレスティアは手紙を読み終え、小さく折って懐に仕舞った。後でナターシャの部屋で焼く。証拠は残さない。
「ヴォルフ。おとうさまは、おげんき?」
「はい。お元気です。近頃は書斎にこもることが増えましたが」
「おかあさまは」
「奥様もお変わりありません。お嬢様のことをいつも気にかけておられます」
ヴォルフの目が、一瞬だけ柔らかくなった。
「ヴォルフ。ありがとう」
「……勿体ないお言葉です」
ヴォルフが去った。裏門の向こうに、馬が一頭繋がれていた。公爵家の騎馬。ヴォルフは馬に飛び乗り、振り返らずに去った。背中がまっすぐだった。
◇
父の返事を受け取った後、セレスティアは「普通の学園生活」を送った。
授業を受け、フリーデリケと昼食を食べ、コンラートと中庭で話し、アレクシスの傍に座り、ヴィオレッタと同じ部屋で眠る。
だが周囲は「普通」ではなかった。
特別教育プログラムの噂が生徒たちの間に広まっていた。誰が漏らしたのか——おそらくカスパル経由で、意図的に広められた。
「アルヴェイン嬢が王宮の特別教育に選ばれたらしい」
「すごい」「当然よ、歴代最高だもの」「でも学園からいなくなるの?」「王宮に行くんでしょう」
反応は二つに分かれた。
フリーデリケが泣きそうな顔で聞いてきた。
「セレスティアちゃん、学園からいなくなっちゃうの?」
「いなくならないよ」
「ほんと?」
「ほんと。やくそく」
フリーデリケの手を握った。小さな手が震えていた。
「ぜったいいなくならない。フリーデリケちゃんのとなりにいる」
「……うん。信じる」
フリーデリケが笑った。涙目のまま。
アレクシスは何も言わなかった。だが昼休みの中庭で、いつもより少しだけ近くに座った。肩が触れそうな距離。
「殿下?」
「……別に。風が冷たいから」
嘘だ。春の午後は暖かい。だがセレスティアは指摘しなかった。
コンラートだけがいつも通りだった。
「お前が王宮に行くって? 行くわけないだろ。お前はここが好きなんだから」
「うん。行かないよ」
「だろうな。お前の親父さんが許すわけない」
◇
一方で、セレスティアは宰相の意図の深層を考えていた。
特別教育プログラムへの編入提案。公爵が拒否することは、宰相も予測しているはずだ。ナターシャの分析と一致する。拒否させること自体が目的の一つ。
だが——それだけか。
宰相ヴィクトール・ド・ガルニエは、一手で一つの目的しか果たさない男ではない。閑話で父が語っていた。「宰相は常に三手先を読む」と。
一手目:特別教育プログラムを提案する。
二手目:公爵が拒否する。「非協力的」の印象を貴族院に植える。
三手目:——何だ。
三手目が読めない。宰相が公爵の拒否の先に何を用意しているのか。
「ナターシャ」
「はい」
「宰相は、おとうさまが断ることを知ってる。断らせた後に何かある。それを調べて」
「三手目を、ですか」
「うん。宰相の三手目」
ナターシャは頷いた。
三手目。その正体が分からなければ、父の反撃も不完全になる。
だがセレスティアには一つ、直感があった。
宰相の三手目は、セレスティアではなく——アレクシスに向けられている。
セレスティアを引き離す提案を公爵が拒否する。その過程で、公爵の注意は娘の防衛に向けられる。公爵が娘を守っている間に、手薄になるのは——王太子の周囲だ。
セレスティアへの提案そのものが、アレクシスを狙う本命の攻撃を隠すための目くらましかもしれない。
証拠はない。直感だけだ。
「ナターシャ。アレクシス殿下のまわりも、注意して見てて」
「殿下の周辺を?」
「おとうさまがわたしをまもっている間に、殿下がねらわれるかもしれない」
ナターシャの目が鋭くなった。
「承知しました」
窓の外。月が出ている。
「まけない」
小さく呟いた。ナターシャが頷いた。それだけだった。




