天才令嬢の噂
噂は一夜で学園を覆った。
翌朝、大食堂に入った瞬間、空気が変わったのが分かった。
視線。あちこちから視線が集まっている。ひそひそ声。テーブルの上で交わされる囁き。セレスティアが歩くと、まるで水面を石が渡るように波紋が広がっていく。
「あの子よ」「光属性で二千八百四十」「歴代最高」「八歳で?」「公爵家の末姫でしょう」「天才なのね」「ちょっと怖くない?」
セレスティアは聞こえないふりをして、いつもの席に向かった。
フリーデリケが既に座っていた。目がきらきら輝いている。
「セレスティアちゃん! 昨日からみんなセレスティアちゃんの話ばっかりしてるよ! すごいすごいって!」
「ありがとう。でも、あんまり騒がないでほしいな……」
「えー、なんで? すごいのにもったいない」
コンラートが向かいの席に腰を下ろした。盆の上にパンと肉と山盛りのスープ。朝からこの食欲は騎士の家系の証だ。
「よう。昨日はすごかったな。親父に手紙で書いたぞ。『学園に歴代最高の光使いがいる。しかも友達だ』って」
「コンラートくん、あまり広めないでほしいんだけど……」
「もう広まってるだろ。学園中が知ってる。っていうか学園の外にも伝わるんじゃないか。公式記録だし」
その通りだった。公式記録は王宮魔術院に送られ、貴族院の閲覧文書にも加えられる。数日以内に王都の主要な貴族家には情報が届くだろう。
「すごいじゃないか、素直に喜べよ。お前は謙遜しすぎなんだ」
コンラートはスープを豪快に啜りながら笑った。
◇
朝食後、礼法の授業に向かう廊下で、上級生に声をかけられた。
「あなたがアルヴェイン嬢? 光属性の——」
「はい」
「すごいわね。私たちの学年にも光属性の子はいるけど、魔力量四百よ。あなたの七分の一」
好奇の目。悪意はない。だが品定めをする目だ。
「ありがとうございます」
笑顔を返して足早に去った。
次の授業でも、その次の授業でも、同じだった。教師までもがセレスティアを見る目が変わっている。算術の授業で指名された時、教室が静まり返った。答えを言うと、どよめきが起きた。答え自体は普通の正解に過ぎないのに。
セレスティアにとっては居心地が悪かった。
◇
昼休み。中庭の噴水の傍。
アレクシスと並んで座っていた。コンラートは剣の練習に行き、フリーデリケは花壇にいる。
「殿下。あの、きのうの試験のこと——」
「うん。すごかったよ。僕は六百二十だった。セレスティアの四分の一以下」
アレクシスの声に僻みはなかった。純粋な感嘆。
「殿下の六百二十も十分に高いです。王族の平均を超えてます」
「うん。でも、セレスティアにはかなわないよ。——ね、光属性って、どんな感じなの?」
「あたたかいです。手のひらに光を灯すと、お日さまの光みたいに」
「見せて」
周囲に人がいないことを確認した。噴水の水音が会話を隠してくれる。
セレスティアは右手を開き、小さな光を灯した。白い光。柔らかい輝き。
アレクシスの青い瞳に、白い光が映った。
「きれい……」
「殿下の風属性もきれいですよ。風はかたちがないけど、そこにあるってわかる。目に見えなくても、たしかにある。殿下のやさしさと似ています」
アレクシスが少し赤くなった。光を消した。
「セレスティアは時々、大人みたいなことを言うね」
「……ごめんなさい」
「ううん。嫌じゃないよ。僕の周りには、先生の言葉を借りて話す人ばかりだから。自分の言葉で話してくれる人は、君くらいだ」
以前聞いた言葉と、同じだった。
「殿下。わたし、目立ちすぎてしまいました」
「うん」
「これからもっと、いろんな人に見られる。殿下のとなりにいると、殿下にも迷惑がかかるかもしれません」
アレクシスの眉が寄った。
「迷惑なんかじゃない。セレスティアが隣にいてくれるのは、僕にとって——」
言いかけて、止まった。七歳の少年が、言葉を探している。
「——心強いことだよ。それは変わらない」
◇
午後の授業が終わった放課後。
渡り廊下を歩いていると、前方から足音が近づいてきた。規則正しく、無駄のない歩調。
イザベラ・ド・ガルニエ。
宰相の令嬢は、一人で歩いていた。珍しい。普段は取り巻きの子弟を従えているのに。
イザベラがセレスティアの前で立ち止まった。
九歳。セレスティアより一つ年上。背丈も少し高い。濃い栗色の髪を緩く編み上げ、琥珀色の目が真っ直ぐにセレスティアを見下ろしている。
「おめでとう、アルヴェイン嬢」
「……ありがとうございます、イザベラさま」
「光属性で歴代最高の魔力量。これで王太子妃候補の筆頭ね」
声に感情が薄い。皮肉なのか、本気なのか。
「わたしは王太子妃候補なんて——」
「白々しいわ。公爵家の令嬢が王太子と同年で入学し、殿下の隣に座り、殿下と話す時間が学園で最も長い。それで候補ではないと言う方が不自然よ」
的確だった。セレスティアは何も言い返せなかった。
イザベラが一歩近づいた。
「私にも聞こえるのよ。廊下の噂。『アルヴェイン嬢が王太子妃にふさわしい』『魔力量も学力も高い』『美人だし』。私の耳に入るように、わざと言う子もいるわ」
「あなたがどう思っていようと、周囲はそう見る。あなたと私は競合関係にある。王太子妃の座を巡って」
「イザベラさま。わたしは——」
「言い訳は聞かないわ。事実だけを話しましょう」
イザベラの目が僅かに細まった。
「私の魔力量は七百八十。あなたの三分の一以下。学力試験では私が一位、あなたが三位。でも中身が逆なのは分かっているわ。あなたはわざと手を抜いている」
心臓が跳ねた。
見抜かれている。
「そんなこと——」
「あの試験の魔術理論の問題。闇属性の特徴を『あまりよくわからない』と書いたでしょう。あれは嘘よ。あなたの授業中の発言を聞いていれば分かる。あなたは闇属性の理論を完全に理解している」
セレスティアは黙った。
「安心して。誰にも言わないわ。あなたが手を抜いている理由も、なんとなく想像がつく。目立ちたくないのでしょう。でも——」
イザベラが微笑んだ。初めて見る表情だった。皮肉でも冷笑でもない。どこか寂しげな、諦めに似た微笑み。
「——もう遅いわ。魔力量二千八百四十。あなたは目立ってしまった。これからは隠れて生きることはできないわよ」
言い終えると、イザベラはセレスティアの横を通り過ぎた。
数歩進んで、振り返らずに言った。
「正々堂々と来なさい。手加減された相手に負けても、面白くないもの」
イザベラの背中が廊下の角に消えた。
セレスティアはしばらく立ち尽くした。あの目は、単純な敵意の目ではなかった。どこか寂しげで、それでいて誇り高い。前世でセレスティアを追い落としたあの宰相の娘と、同じ人間とは思えなかった。
◇
寮に戻ると、ヴィオレッタが机に向かっていた。
セレスティアが部屋に入ると、ヴィオレッタが振り返った。いつもの冷たい目——ではなかった。何かを言いたそうにしている。口が開きかけて、閉じる。
「ヴィオレッタさま?」
「……別に」
沈黙。
ヴィオレッタが再び口を開いた。
「あなた、目立ちすぎよ」
その声には、非難とも忠告ともつかない響きがあった。
「……うん。わかってる」
「分かってるなら何とかしなさいよ。みんなあなたの話ばっかり。廊下を歩けばひそひそ。うんざりだわ」
ヴィオレッタは不機嫌そうにペンを握り直した。
「ヴィオレッタさま。ご迷惑をかけてごめんなさい」
「迷惑なんて言ってないでしょう。ただ目立ちすぎだって言ってるの」
「うん。でも、わたしはヴィオレッタさまの同室であることを、迷惑だとおもったことはないよ」
ヴィオレッタのペンが止まった。
しばらくの沈黙の後、小さな声が返ってきた。
「……変な子」
前にも言われた。同じ言葉。
◇
消灯後。暗闇の中で、天井を見上げた。
今日だけで、こんなに多くの人に声をかけられた。フリーデリケ、コンラート、アレクシス、リディア、イザベラ、ヴィオレッタ。全員が、それぞれの理由でセレスティアを見ていた。
三歳の頃は、誰も見ていなかった。
目を閉じた。明日も視線が集まるだろう。それでいい。見られながら、動けばいい。




