8歳の魔力覚醒試験
八歳の春。
学園の掲示板に、一枚の公式通達が貼り出された。
『全初等部生徒を対象とした公式魔力覚醒試験を、来月第三週に実施する。本試験は王国魔術院の記録に正式登録されるものであり、全生徒の出席を義務とする。測定官は王宮魔術師長オスヴァルト・ヘルツォーク教授が務める』
掲示板の前で、セレスティアの心臓が冷えた。
公式魔力覚醒試験。八歳から十歳の間に全ての貴族子女が受ける、王国の制度的行事。魔力の属性と魔力量を測定器で計測し、王国魔術院の公式記録として永久に保管される。この記録は貴族院にも公開され、婚姻交渉や領地継承の判断材料にもなる。
つまり——隠せない。
セレスティアの聖魔力が測定されれば、「光と闇の二属性保有者」として公式記録に刻まれる。数百年に一人の存在。王国にとって「兵器」にも「脅威」にもなりうる聖魔力の持ち主が、八歳の公爵令嬢であると、全貴族に知れ渡る。
宰相の耳にも当然届く。
◇
その日の放課後、セレスティアはオスヴァルトの研究室を訪ねた。
研究室の扉を三回叩く。約束の合図。
「入れ」
オスヴァルトは机に向かっていた。分厚い古文書を開き、ペンで余白に書き込みをしている。セレスティアが入ると、書き込みを止めずに言った。
「試験の件か」
「はい」
「座れ」
セレスティアは椅子に座った。この研究室に何度も通って、もう緊張はしない。だが今日は別だ。試験まで一ヶ月。対策を立てなければならない。
「先生。公式試験で聖魔力が記録されたら、どうなりますか」
オスヴァルトがペンを止めた。眼鏡の奥の目が、セレスティアを見た。
「三つの結果が予想される。第一に、王国魔術院が君を『特別監視対象』に指定する。聖魔力は制度上、国家の管轄下に置かれる」
「かんかつ……つまり、王宮の管理下に?」
「正確には魔術院の管理下だが、実態は同じだ。現在の魔術院は宰相派の影響下にある。第二に、貴族院で君の処遇が議題になる。聖魔力保有者をどの家に嫁がせるか、どの勢力が利用するか。政治の道具にされる」
「第三は」
「第三が最も危険だ。宰相が君を直接管理しようとする。英才教育という名目で、自身の手足に組み込む。あるいは——排除する」
「聖魔力を隠す方法はありますか」
オスヴァルトが立ち上がった。本棚から一冊の薄い書物を取り出す。
「測定器の構造を説明する。これは私が学生時代に書いた論文だ。王国の魔力測定器の設計原理を解析した」
本を開いた。細密な図面が描かれている。水晶球と金属の枠組み。複数の魔石が環状に配置されている。
「測定器は、被験者の魔力を水晶球に一度吸収させ、水晶球内部の魔石との共鳴反応で属性を判定する。火属性の魔力は赤い魔石と共鳴して赤く光る。水なら青。風なら緑。光は白。闇は黒」
「光と闇の両方が光ったら、聖魔力だと分かる」
「その通り。だが——」
オスヴァルトが図面の一箇所を指した。
「共鳴の順序は制御できる。測定器の魔石配列を調整すれば、特定の属性の共鳴を優先させ、他の属性の共鳴を抑制することが可能だ」
「闇の共鳴を抑制する?」
「正確には、光の共鳴を最大化し、闇の共鳴が目立たないレベルにまで出力を下げる。測定器の記録には『光属性』のみが表示される」
セレスティアは息を呑んだ。
「先生、それは——測定器に細工するということですか」
「細工ではない。調整だ。測定官には機器の校正権限がある。私は測定官を務める。校正は私の裁量の範囲内だ」
学者の屁理屈。だがオスヴァルトは大真面目だった。
「ただし、条件がある」
「なんですか」
「魔力量は隠せない。測定器の構造上、総魔力量の数値は校正では変えられない。水晶球が吸収した総量がそのまま記録される」
「わたしの魔力量は……」
「二年前の計測で、既に同年代の平均の八倍を超えていた。今は恐らく十倍を超えている。この数値が公式記録に残る」
十倍。八歳の子供の魔力量としては、異常値だ。
「聖魔力は隠せても、魔力量で目立つということですね」
「そうだ。だが考えろ。『光属性で魔力量が極めて高い公爵令嬢』と、『光と闇の聖魔力を持つ公爵令嬢』では、周囲の反応がまるで違う。前者は天才。後者は脅威だ。天才は利用価値がある。脅威は排除対象になる」
「先生。お願いします」
「当然やる。だが——」
オスヴァルトが眼鏡を外し、布で拭いた。この人が眼鏡を外すのは、深刻な話をする時だ。
「君の側にも準備が要る。測定の瞬間、闇の魔力を意識的に抑え込め。測定器の調整だけでは完全には隠しきれない。君自身が闇を抑制しなければ、水晶球が黒く反応する可能性がある」
「闇を抑え込む——訓練でやっていることですね」
「そうだ。だが訓練と本番は違う。本番では他の生徒や測定官補佐が見ている中で、闇を完全に封じなければならない。緊張と恐怖が闇を増幅する。先日の暴走兆候を思い出せ」
走行中に闇が暴走しかけた訓練の記憶が蘇った。前世のフラッシュバック。恐怖が闇を餌にする。
「練習しろ。試験まで一ヶ月ある。毎日、闇の抑制訓練をやれ。静止状態で闇を完全に消す練習。光だけを手のひらに出し、闇の気配を一切出さない。それを最低六十秒維持できるようにしろ」
「いまは何秒できますか」
「前回の訓練データでは、闇の完全抑制は十二秒が限界だった」
十二秒。試験の測定時間は約三十秒。半分にも満たない。
「一ヶ月で六十秒に?」
「できなければ、聖魔力が公式記録に残る。やるしかない」
オスヴァルトの声に妥協がなかった。
◇
一ヶ月の猛特訓が始まった。
毎晩、消灯後にナターシャの部屋で闇の抑制訓練を行った。ナターシャが見張りに立ち、セレスティアは手のひらに光だけを灯す。闇の気配を消す。意識の底に沈める。
最初の一週間。十二秒が十五秒に延びた。三秒の進歩。遅い。
闇は消えたがらない。光を出すと、必ず影が伴う。光と闇は表裏一体。光を強くすれば闇も強くなる。片方だけを出し、もう片方を完全に消す——それは自分の半分を殺すことに等しい。
苦しかった。
二週目。二十秒。三週目。三十五秒。
呼吸法を変えた。オスヴァルトの六拍呼吸ではなく、ヨハンが教えてくれた四秒吸気・五秒呼気の基本呼吸に戻した。闇の抑制には、走行用の呼吸より静止用の呼吸が適している。
錨を想起する。大切な人の顔。だが闇の抑制に「錨」は効かなかった。錨は闇の暴走を止めるためのもの。闇そのものを消すには、別の方法が要る。
三週目の終わりに、セレスティアはある感覚を掴んだ。
闇を「消す」のではなく、「沈める」。
心の中に深い湖を思い描く。闇をその湖の底に沈める。水面は光で満たされている。底には闇がある。だが水面からは見えない。
湖の底。闇はそこにいる。消えてはいない。だが表には出てこない。
四十秒。五十秒。
試験前日。
「五十八秒」
ナターシャが計時を告げた。
「あと二秒……」
「十分です、お嬢様。測定は三十秒です。余裕があります」
「でも、本番は緊張する。緊張すると闇が浮き上がってくる」
「お嬢様」
ナターシャが静かに言った。
「今のお嬢様なら、大丈夫です」
◇
試験当日。
大講堂に初等部全生徒が集められた。
壇上に測定器が設置されている。台座の上の水晶球。直径三十センチほどの透明な球体。周囲に七つの魔石が環状に配置されている。赤、青、緑、黄、白、黒、灰。七属性に対応する七つの石。
オスヴァルトが壇上に立っていた。測定官の白衣を着ている。隣に測定官補佐が二人。いずれも王宮魔術院から派遣された魔術師だ。
「本日は王国魔術院公式魔力覚醒試験を実施する。全員、名前を呼ばれたら壇上に上がり、水晶球に両手を触れろ。三十秒間、魔力を自然に流せ。意図的な魔力操作は禁止する」
意図的な魔力操作の禁止。
セレスティアが闇を抑制するのは「意図的な操作」に該当する。だがそれを見抜ける者はいない。外見上は「自然に魔力を流している」ように見える。内側で何をしているかは、本人にしか分からない。
名簿順に生徒が呼ばれた。
最初の生徒。緊張した面持ちで壇上に上がる。水晶球に手を触れると、青い光が灯った。
「水属性。魔力量二百三十」
測定官補佐が読み上げる。平均的な数値。
次の生徒。赤い光。火属性。魔力量百九十。
次。緑。風属性。三百十。「おお、高いな」と誰かが囁いた。
生徒たちが次々と測定される。セレスティアは席に座って順番を待ちながら、呼吸を整えていた。四秒吸って、五秒吐く。心の中に湖を思い描く。水面は光。底には闇。
「アルヴェイン、セレスティア」
名前が呼ばれた。
立ち上がった。足が冷たい。緊張で末端から血の気が引いている。
壇上への階段を上る。視界の端で、フリーデリケが祈るように手を組んでいる。コンラートが腕を組んで見ている。アレクシスの目がこちらを向いている。ヴィオレッタは——目を逸らした。
壇上。
水晶球の前に立った。オスヴァルトが隣にいる。表情は変わらない。いつもの無表情な学者の顔。だがセレスティアには分かった。オスヴァルトの手が、測定器の枠組みに触れている。校正済みの魔石配列。闇の共鳴を抑制する調整。
「両手を水晶球に」
セレスティアは手を伸ばした。
水晶球に触れた。
冷たい。水晶の冷たさが指先から腕を伝う。
魔力を流す。自然に。意図的な操作をしているように見せてはいけない。
光。白い光が手のひらから水晶球に流れ込んだ。
水晶球が白く輝き始めた。白い魔石が強く共鳴する。光属性。
同時に——闇が起き上がろうとした。
光を出した瞬間、反射的に闇が追随する。表裏一体。片方を出せば、もう片方も目覚める。
湖を思い描け。水面は光。底には闇。沈めろ。沈め続けろ。
呼吸。四秒吸って、五秒吐く。
黒い魔石が、微かに——本当に微かに揺らいだ。セレスティアの闇が、完全には抑えきれていない。
心臓が跳ねた。
だがオスヴァルトの調整が効いている。闇の共鳴出力が抑制されている。微かな揺らぎは、測定官補佐の目には届かない。
十秒。二十秒。
水晶球の白い光が、どんどん強くなっていく。セレスティアの光属性の魔力が、水晶球を満たしていく。
眩い。教室が白い光に照らされた。
生徒たちがどよめいた。
二十五秒。三十秒。
「測定終了」
オスヴァルトの声。
セレスティアは手を離した。水晶球の光がゆっくり消えていく。残光が尾を引いた。
静寂。
測定官補佐が数値盤を見ている。数字を読み上げようとして——声が止まった。
もう一人の測定官補佐が盤を覗き込み、目を見開いた。
「……光属性」
「魔力量——」
声が震えている。
「二千八百四十」
大講堂が静まり返った。
直前の生徒が三百台。その前が二百台。八歳の平均魔力量は二百から三百の間とされている。
二千八百四十。
およそ十倍。
「……歴代最高値です」
測定官補佐が呟いた。独り言に近い声量だったが、静まった講堂では隅まで響いた。
ざわめきが起きた。波のように広がっていく。
「歴代って——初等部の?」
「違う。王国魔術院の全記録だ」
「八歳で二千超えって、聞いたことない」
「公爵家の末姫だろう? やっぱり血筋か」
声が交差する。好奇と驚愕と、そしてかすかな畏怖。
セレスティアは壇上から降りた。足がわずかに震えている。闇を抑制し続けた三十秒の消耗が、今になって押し寄せてきた。
だが表情には出さない。静かに席に戻る。
フリーデリケが横から手を握ってきた。
「すごいすごいすごい! セレスティアちゃん、すごい!」
「……ありがとう」
コンラートが後ろの席から身を乗り出した。
「歴代最高って、本当か? お前すげえな!」
「おおげさだよ……」
アレクシスの視線を感じた。振り向くと、王太子は微笑んでいた。穏やかな、嘘のない笑顔。口だけが動いた。
「すごいよ」
声にしなかった。だが読み取れた。
ヴィオレッタは前を向いたまま動かなかった。だがその横顔が、複雑な色を帯びていた。
セレスティアは椅子に深く座り直し、小さく息を吐いた。
壇上では次の生徒の測定が続いている。だがセレスティアの数値の衝撃が残り、講堂のざわめきはなかなか収まらなかった。
オスヴァルトだけが無表情だった。測定器の傍に立ち、次の生徒の測定を淡々と進めている。セレスティアの方を見ない。感情を一切見せない。
◇
試験が全て終わった後、オスヴァルトの研究室に寄った。
「結果は」
「光属性のみで記録されました。闇の反応は検出限界以下です」
「よくやった」
珍しく、短い褒め言葉。
「ただし」
「はい」
「魔力量が目立ちすぎた。予想以上に伸びている。来年にはさらに上がる。この数値は学園の中だけでは収まらない。王都に、いや王国全土に広まる」
分かっている。セレスティアも同じ懸念を持っていた。
「天才として注目されることと、脅威として排除されること。今日はぎりぎり前者に留まった。だが——」
「次はどうなるか分からない」
「そういうことだ」
オスヴァルトが窓の外を見た。夕暮れの学園。塔の影が長く伸びている。
「アルヴェイン。君はこれから、『光の天才』として生きることになる。聖魔力の真実を隠したまま、光だけの天才として。それは——」
「嘘の上に立つ生活です」
「そうだ。辛くないとは言わん」
「慣れています」
セレスティアは微笑んだ。
「先生。ありがとうございました」
「礼は不要だ。データが取れた。それだけで十分だ」
研究室を出た。
廊下の窓から、夕焼けが見えた。
明日から、世界はセレスティアを別の名で呼ぶ。光の天才令嬢。違う。でも、今は仮面でいい。




