8歳の魔力覚醒試験
七歳の終わり、春のはじめ。週初めの終礼で、担任から一つの知らせがあった。
「来週から、この組に編入生を迎えます。南方のアルカディア王家から、王宮の保護を受けて本学園へ移るリディア殿下です」
教室の空気がざわめいた。半年前に隣国へ併合された小国。その王女が来るという話だった。
「ご家族と故国について、本人が望まない詮索はしないように。授業は皆さんと同じものを受けます。最後列に席を一つ用意します」
王宮からはすでに正式な保護通知が届き、寮では部屋の準備と制服の寸法合わせまで始まっているという。学園側の受け入れ許可も、先週のうちに下りていた。
翌週の朝、リディアは学園長に伴われて教室へ入ってきた。肩の下まで流れる黒髪と褐色がかった肌は、この国では珍しい。けれど、何より目を引いたのは、国を失ってなお崩れない姿勢だった。
「リディア・フォン・アルカディアです。南方のアルカディア王国から参りました。よろしくお願いいたします」
声は落ち着いていたが、最後の一音だけがかすかに震えた。誰もすぐには言葉を返せず、教師が示した最後列の席まで、リディアは一人で歩いた。
その週、学園の掲示板に、一枚の公式通達が貼り出された。
『本年度、規定年齢に達する初等部生徒を対象とした公式魔力覚醒試験を、来月第三週に実施する。本試験は王国魔術院の記録に正式登録されるものであり、対象者の出席を義務とする。測定官は王宮魔術師長オスヴァルト・フォン・ツェリンゲン教授が務める』
掲示板の前で、セレスティアの心臓が冷えた。
公式魔力覚醒試験。八歳から十歳の間に全ての貴族子女が受ける、王国の制度的行事。魔力の属性と魔力量を測定器で計測し、王国魔術院の公式記録として永久に保管される。この記録は貴族院にも公開され、婚姻交渉や領地継承の判断材料にもなる。
つまり、隠せない。
セレスティアの聖魔力が測定されれば、「光と闇の二属性保有者」として公式記録に刻まれる。数百年に一人の存在。王国にとって「兵器」にも「脅威」にもなりうる聖魔力の持ち主が、もうすぐ八歳になる公爵令嬢であると、全貴族に知れ渡る。
宰相の耳にも当然届く。
◇
その日の放課後、セレスティアはオスヴァルトの研究室を訪ねた。研究室の扉を三回叩く。約束の合図。
「入れ」
オスヴァルトは机に向かっていた。分厚い古文書を開き、ペンで余白に書き込みをしている。セレスティアが入ると、書き込みを止めずに言った。
「試験の件か」
「はい」
「座れ」
セレスティアは椅子に座った。この研究室に何度も通って、もう緊張はしない。だが今日は別だ。試験まで一ヶ月。対策を立てなければならない。
「先生。公式試験で聖魔力が記録されたら、どうなりますか」
オスヴァルトがペンを止めた。眼鏡の奥の目が、セレスティアを見た。
「三つの結果が予想される。第一に、王国魔術院が君を『特別監視対象』に指定する。聖魔力は制度上、国家の管轄下に置かれる」
「かんかつ……つまり、王宮の管理下に?」
「正確には魔術院の管理下だが、実態は同じだ。現在の魔術院は宰相派の影響下にある。第二に、貴族院で君の処遇が議題になる。聖魔力保有者をどの家に嫁がせるか、どの勢力が利用するか。政治の道具にされる」
「第三は」
「第三が最も危険だ。宰相が君を直接管理しようとする。英才教育という名目で、自身の手足に組み込む。あるいは……排除する」
「聖魔力を隠す方法はありますか」
オスヴァルトが立ち上がった。本棚から一冊の薄い書物を取り出す。
「測定器の構造を説明する。これは私が学生時代に書いた論文だ。王国の魔力測定器の設計原理を解析した」
本を開いた。細密な図面が描かれている。水晶球と金属の枠組み。複数の魔石が環状に配置されている。
「測定器は、被験者の魔力を水晶球に一度吸収させ、水晶球内部の魔石との共鳴反応で属性を判定する。火属性の魔力は赤い魔石と共鳴して赤く光る。水なら青。土なら緑。風は透明。光は白。闇は黒」
「光と闇の両方が光ったら、聖魔力だと分かる」
「その通り。だが……」
オスヴァルトが図面の一箇所を指した。
「共鳴の順序は制御できる。測定器の魔石配列を調整すれば、特定の属性の共鳴を優先させ、他の属性の共鳴を抑制することが可能だ」
「闇の共鳴を抑制する?」
「正確には、光の共鳴を最大化し、闇の共鳴が目立たないレベルにまで出力を下げる。測定器の記録には『光属性』のみが表示される」
セレスティアは息を呑んだ。
「先生、それは……測定器に細工するということですか」
「細工ではない。調整だ。測定官には機器の校正権限がある。私は測定官を務める。校正は私の裁量の範囲内だ」
学者の屁理屈。だがオスヴァルトは大真面目だった。
「ただし、条件がある」
「なんですか」
「魔力量は隠せない。測定器の構造上、総魔力量の数値は校正では変えられない。水晶球が吸収した総量がそのまま記録される」
「私の魔力量は……」
「私が二年前に王宮教育の場で見た限りでも、既に同年代の平均の八倍を超えていた。今は恐らく十倍を超えている。この数値が公式記録に残る」
「先生。入学の測定では『やや控えめ』と記録されました」
オスヴァルトの目が細くなった。
「学園の入学測定は簡易球だ。手をかざす面積と時間で数値が変わる。君はそれを利用したのだろう。……だが公式試験の測定器は両手を三十秒だ。逃げ場はない」
十倍。八歳前後の子供の魔力量としては、異常値だ。
「聖魔力は隠せても、魔力量で目立つということですね」
「そうだ。だが考えろ。『光属性で魔力量が極めて高い公爵令嬢』と、『光と闇の聖魔力を持つ公爵令嬢』では、周囲の反応がまるで違う。前者は天才。後者は脅威だ。天才は利用価値がある。脅威は排除対象になる」
「先生。お願いします」
「当然やる。だが……」
オスヴァルトが眼鏡を外し、布で拭いた。この人が眼鏡を外すのは、深刻な話をする時だ。
「君の側にも準備が要る。測定の瞬間、闇の魔力を意識的に抑え込め。測定器の調整だけでは完全には隠しきれない。君自身が闇を抑制しなければ、水晶球が黒く反応する可能性がある」
「闇を抑え込む……訓練でやっていることですね」
「そうだ。だが訓練と本番は違う。本番では他の生徒や測定官補佐が見ている中で、闇を完全に封じなければならない。緊張と恐怖が闇を増幅する。先日の暴走兆候を思い出せ」
走行中に闇が暴走しかけた訓練の記憶が蘇った。そこへ前世の恐怖まで重なる。恐怖が闇を餌にする。
「練習しろ。試験まで一ヶ月ある。毎日、闇の抑制訓練をやれ。静止状態で闇を完全に消す練習。光だけを手のひらに出し、闇の気配を一切出さない。それを最低六十秒維持できるようにしろ」
「現時点の記録では、闇の完全抑制は何秒までできていましたか」
「前回の訓練では、十二秒が限界だった」
十二秒。試験の測定時間は約三十秒。半分にも満たない。
「一ヶ月で六十秒に?」
「できなければ、聖魔力が公式記録に残る。やるしかない」
オスヴァルトの声に妥協がなかった。
◇
一ヶ月の猛特訓が始まった。毎晩、消灯後にナターシャの部屋で闇の抑制訓練を行い、彼女が見張りに立つ中、セレスティアは手のひらに光だけを灯した。同時に、闇の気配を消して意識の底へ沈めていく。
最初の一週間で、維持できる時間は十二秒から十五秒に延びた。だが進歩はわずか三秒しかなく、このままでは間に合わない。
闇は消えたがらない。光を出せば、必ず影が伴う。光を強くするほど闇も強くなる。片方だけを表へ出し、もう片方を完全に消そうとするのは、自分の半分を殺すに等しかった。
二週目には二十秒、三週目には三十五秒まで延びた。そこで呼吸法を変え、オスヴァルトの走行用八拍呼吸ではなく、ヨハンが教えてくれた四秒吸気・五秒呼気の基本呼吸に戻した。闇の抑制には、走行用の呼吸より静止用の呼吸が適している。
錨を想起する。大切な人の顔。だが闇の抑制に「錨」は効かなかった。錨は闇の暴走を止めるためのもの。闇そのものを消すには、別の方法が要る。
三週目の終わりに、セレスティアはある感覚を掴んだ。
闇を「消す」のではなく、「沈める」。
心の中に深い湖を思い描く。闇をその湖の底に沈める。水面は光で満たされている。底には闇がある。だが水面からは見えない。
湖の底に闇はいる。消えてはいないが、表へ浮かんでもこない。その感覚を掴んでから、維持できる時間は四十秒、五十秒と延び、試験前日には五十八秒に達した。
「五十八秒」
ナターシャが計時を告げた。
「あと二秒……」
「十分です、お嬢様。測定は三十秒です。余裕があります」
「でも、本番は緊張する。緊張すると闇が浮き上がってくる」
「お嬢様」
ナターシャが静かに言った。
「今のお嬢様なら、大丈夫です」
◇
試験当日。大講堂には、本年度の試験対象となる初等部生徒が集められた。
壇上には、直径三十センチほどの水晶球を載せた測定器が設置されていた。透明な球体を囲むのは、赤、青、緑、無色、白、黒の六つの魔石。それぞれが火、水、土、風、光、闇の六属性に対応している。
壇上には、測定官の白衣を着たオスヴァルトが立っていた。その隣に控える二人の補佐も、王国魔術院から派遣された魔術師だ。
「本日は王国魔術院公式魔力覚醒試験を実施する。全員、名前を呼ばれたら壇上に上がり、水晶球に両手を触れろ。三十秒間、魔力を自然に流せ。意図的な魔力操作は禁止する」
意図的な魔力操作は禁止されている。セレスティアが闇を抑えることも、本来ならそれに該当するだろう。だが外からは、自然に魔力を流しているようにしか見えない。内側で何をしているかは、本人にしか分からなかった。
名簿順に生徒が呼ばれた。最初の生徒は緊張した面持ちで壇上へ上がり、水晶球に手を触れた。ほどなく、球の内側に青い光が灯る。
「水属性。魔力量二百三十」
測定官補佐が平均的な数値を読み上げ、次の生徒を呼んだ。今度は赤い光が灯り、火属性、魔力量百九十と記録された。
三人目は風属性、三百十。「おお、高いな」と、列のどこかで誰かが囁いた。
生徒たちが次々と測定される。セレスティアは席に座って順番を待ちながら、呼吸を整えていた。四秒吸って、五秒吐く。心の中に湖を思い描く。水面は光。底には闇。
「アルヴェイン、セレスティア」
名前を呼ばれて立ち上がると、緊張で足先から血の気が引いていくのが分かった。
壇上への階段を上る。視界の端では、フリーデリケが祈るように手を組み、コンラートが腕を組んで見守っている。アレクシスもこちらを見ていたが、ヴィオレッタだけは目を逸らした。
水晶球の前に立つと、隣にはいつもの無表情なオスヴァルトがいた。その手は測定器の枠組みに触れている。校正済みの魔石配列が、闇の共鳴を抑えるよう調整されていることを、セレスティアだけは知っていた。
「両手を水晶球に」
セレスティアは両手を伸ばした。水晶球に触れた瞬間、その冷たさが指先から腕へ伝わった。
魔力を流す。自然に。意図的な操作をしているように見せてはいけない。
手のひらから流れ込んだ光が、水晶球の内側に白く広がった。
白い魔石が強く共鳴し、水晶球の輝きが増していく。光属性の反応に引かれるように、沈めていた闇も同時に起き上がろうとした。
光を出した瞬間、反射的に闇が追随する。表裏一体。片方を出せば、もう片方も目覚める。
湖を思い描け。水面は光、底には闇。沈めろ。沈め続けろ。四秒かけて息を吸い、五秒かけて吐く。
黒い魔石が、微かに、本当に微かに揺らいだ。セレスティアの闇が、完全には抑えきれていない。指先がわずかに震えた。
だが、オスヴァルトの調整が闇の共鳴を抑えている。微かな揺らぎに測定官補佐が気づかないまま、十秒、二十秒と過ぎた。
セレスティアの光属性の魔力が水晶球を満たすにつれて、白い輝きはますます強くなった。眩い光が講堂を照らし、生徒たちの間からどよめきが上がる。
二十五秒。三十秒。
「測定終了」
オスヴァルトの声に従い、セレスティアは両手を離した。水晶球の光が尾を引きながらゆっくりと消えると、講堂は静寂に包まれた。
数値盤を覗き込んだ測定官補佐が、数字を読み上げようとしたまま声を止めた。
もう一人の測定官補佐が盤を覗き込み、目を見開いた。
「……光属性」
「魔力量……」
声が震えている。
「二千八百四十」
大講堂が静まり返った。直前の生徒は三百台、その前は二百台で、八歳の平均魔力量も二百から三百の間とされている。それに対して、数値盤が示したのは二千八百四十。平均のおよそ十倍だった。
「……歴代最高値です」
測定官補佐が呟いた。独り言に近い声量だったが、静まった講堂では隅まで響いた。
ざわめきが起きた。波のように広がっていく。
「歴代って……初等部の?」
「違う。王国魔術院の全記録だ」
「その年で二千超えって、聞いたことない」
「公爵家の末姫だろう? やっぱり血筋か」
「待って。入学の測定、『やや控えめ』じゃなかった?」
「一年で十倍になるわけないでしょ」
「じゃあ入学の時の記録が間違ってたってこと?」
声が交差する。好奇と驚愕と、そしてかすかな畏怖。
入学測定との食い違いに、やはり気づく者がいた。
言い訳は用意してある。「覚醒期の一年で魔力が伸びた」。八歳前後なら急激に伸びる子もいるため、そう説明することはできる。けれど、入学時に控えめな記録を作れた子供は、裏を返せば魔力を意図して隠せる子供でもある。そこまで考えつく者が、この講堂に何人いるだろう。
イザベラの席を見た。宰相の娘は、掲示された数値ではなく、セレスティアの右手を見ていた。
セレスティアは壇上から降りた。闇を抑え続けた三十秒の消耗が今になって押し寄せ、足がわずかに震えている。それでも表情には出さず、静かに席へ戻った。座った途端、フリーデリケが横から手を握ってきた。
「すごいすごいすごい! セレスティアちゃん、すごい!」
「……ありがとう」
コンラートが後ろの席から身を乗り出した。
「歴代最高って、本当か? お前すげえな!」
「おおげさだよ……」
アレクシスの視線を感じた。振り向くと、王太子は微笑んでいた。穏やかな、嘘のない笑顔。口だけが動いた。
「すごいよ」
声にはならなかったが、唇の動きで読み取れた。その横で、ヴィオレッタは前を向いたまま動かず、横顔にだけ複雑な色を滲ませていた。
セレスティアは椅子に深く座り直し、小さく息を吐いた。
壇上では次の生徒の測定が始まっていた。それでもセレスティアの数値が残した衝撃は大きく、講堂のざわめきはなかなか収まらなかった。
オスヴァルトだけは無表情のまま、測定器の傍で次の生徒の測定を淡々と進めていた。セレスティアへ視線を向けず、計画の成否を示す感情も一切見せない。
◇
試験が全て終わった後、オスヴァルトの研究室に寄った。
扉が閉まると、オスヴァルトは測定官用の記録簿を開いた。
「公式記録は光属性のみ。闇の反応は検出限界以下だ」
「……はい」
「よくやった」
オスヴァルトから向けられた、珍しくも短い褒め言葉だった。
「ただし」
「はい」
「魔力量が目立ちすぎた。予想以上に伸びている。来年にはさらに上がる。この数値は学園の中だけでは収まらない。王都に、いや王国全土に広まる」
分かっている。セレスティアも同じ懸念を持っていた。
「天才として注目されることと、脅威として排除されること。今日はぎりぎり前者に留まった。だが……」
「次はどうなるか分からない」
「そういうことだ」
オスヴァルトが窓の外へ目を向けた。夕暮れの学園には、塔の影が長く伸びている。
「アルヴェイン。君はこれから、『光の天才』として生きることになる。聖魔力の真実を隠したまま、光だけの天才として。それは……」
「嘘の上に立つ生活です」
「そうだ。辛くないとは言わん」
「慣れています」
セレスティアは微笑んだ。
「先生。ありがとうございました」
「礼は不要だ。観測記録が取れた。それだけで十分だ」
研究室を出ると、廊下の窓から夕焼けが見えた。
明日から、世界はセレスティアを「光の天才令嬢」と呼ぶだろう。真実とは違う名だ。それでも今は、この仮面が自分を守ってくれる。




