ナターシャの誕生日
マルガレーテからの手紙に、一行だけ書いてあった。
「今月の末はナターシャの誕生日です。今年で十七になります。お嬢様がご存知かと思い、念のため」
知らなかった。
三年間、ナターシャが傍にいた。公爵邸で。学園に来てからも。毎日の。ナターシャは自分の誕生日を話題にしない。
知らなかった。
三年間、傍にいたのに。
◇
セレスティアは授業が終わった後、フリーデリケを捕まえた。
「フリーデリケちゃん、お願いがあるんだけど」
「なに? なんでも言って!」
「今日の夕方、ナターシャの誕生日なの。何か作りたい」
フリーデリケの目が輝いた。
「作る! 何作る! お菓子!?」
「クッキーとか、できる?」
「まかせて! お母様直伝のレシピがある!」
フリーデリケは既に走り出していた。
◇
寮の共用厨房は、夕方の一時間だけ生徒に開放されている。
フリーデリケが材料を集めた。バター、砂糖、小麦粉。学園の売店で買えるものを全部かき集めた。
「お金はわたしが出す」
「いいの?」
「ナターシャが喜んだらフリーデリケちゃんの手柄でもある」
「じゃあ一緒に出す! 折半!」
フリーデリケが小麦粉を計量した。山盛りになった。「こんな感じ?」と聞いた。「多すぎない?」とセレスティアが言った。「多い方がたくさんできていいでしょ」とフリーデリケが言った。
そういうものかもしれない。
◇
クッキーを焼いた。
フリーデリケが生地をこねた。セレスティアが型で抜いた。星の形と丸の形。不揃い。均一にならなかった。型を使っているのに、どうしてこんなに形が違うのか。型の押しつけ方が違うのか。七歳の手の力が均一でないのか。
少し焦げた。フリーデリケのお母さんのクッキーと同じように。
「毎回焦げるのはなぜ」
「体質じゃないかな」
「クッキーに体質はない」
「では家系かも」
二人で笑った。
焦げた甘い匂いが、共用厨房に広がった。他の場所にいた生徒が「何の匂い?」と顔を出した。「クッキーです」とフリーデリケが答えた。「食べてもいい?」と聞かれた。「これはナターシャさんのだから」とフリーデリケが毅然と断った。
◇
カードを書いた。
セレスティアはペンを持って考えた。
これが初めてだった。誰かのために、何かを準備するのは。だから何を書けばいいかが分からない。
「おたんじょうびおめでとう」と書いた。それから。
「七歳のわたしを守ってくれてありがとう。来年のわたしも、よろしくおねがいします。セレスティア」
フリーデリケが覗き込んだ。
「来年のわたし、って?」
「毎年続けるから」
フリーデリケが「えへへ」と笑った。「じゃあわたしも書く!」
フリーデリケの字は大きくて丸い。「ナターシャさんへ。いつもセレスティアさまをよろしくおねがいします。フリーデリケより」
「フリーデリケちゃん、これお願いじゃなくてお礼を書いた方がよかったかも」
「ナターシャさんへのお願いもありますし! 毎年よろしくお願いします、ということで!」
そういうものかもしれない。
◇
夕食の後、廊下でナターシャを呼んだ。
「ナターシャ、今日ちょっといい?」
「何かございましたか、お嬢様」
「来て」
共用室に連れて行った。テーブルの上に、クッキーの包みとカードを置いておいた。
「……何でしょう」
「今日、誕生日でしょう」
ナターシャが固まった。
「マルガレーテから聞いた」
「……手紙に書きましたか、あの人は」
「書いてた」
ナターシャが深く息を吐いた。呆れているのか、驚いているのか、判断できない顔だった。
カードを手に取った。
フリーデリケの大きな字と、セレスティアの子どもっぽい字を、じっと読んでいた。
「……ナターシャ、誕生日を祝ってもらったことある?」
ナターシャがカードを持ったまま、言葉が止まった。
「……記憶にある限りでは」
「ないの」
「農村にいた頃は、それどころではありませんでした。お嬢様のところに来てからは、わたくしが祝う側でしたので」
七歳からここにいる。三年間。ナターシャが公爵邸に来て、すぐにセレスティアの担当侍女になった。その三年間、誰もナターシャの誕生日を祝っていない。
「ごめん、知らなかった」
「謝らないでください。お嬢様が知らないのは当然のことです」
「当然じゃないよ」
セレスティアは包みを渡した。
「焦げてるけど」
「焦げて……」
ナターシャが包みを開けた。クッキーが入っていた。不揃いで、縁が少し茶色い。
「フリーデリケちゃんとわたしで作った。おいしいかどうかは分からない」
ナターシャがクッキーを一枚、口に入れた。
しばらく、黙っていた。
「……おいしいです」
「本当に?」
「……ええ」
ナターシャの声が、かすかに変わった。
「目にゴミが入りました」
「この部屋にゴミはない」
「……入りました」
セレスティアは何も言わなかった。
◇
扉の外から声がした。
「……そろそろ入ってもいい?」
フリーデリケだった。廊下で待っていたらしい。
「ねえフリーデリケちゃん、どこで待ってたの」
「扉の外! 聞こえてたけど静かに待ってました!」
セレスティアが扉を開けると、フリーデリケが小走りで入ってきた。
「ナターシャさん! おたんじょうびおめでとうございます!」
ナターシャが目頭を押さえたまま、頷いた。
「……ありがとうございます」
「クッキーどうでした! おいしかった?」
「おいしかったです。少し焦げていましたが」
「それが味なんです!」
◇
三人でテーブルを囲んだ。
クッキーを一枚ずつ、食べた。
少し焦げていた。
でも温かかった。
「来年は焦げないようにする」とフリーデリケが言った。
「毎年言ってそう」とセレスティアが言った。
「毎年祝っていただけるのですか」とナターシャが言った。声がまた変わった。
「当たり前」
「本当ですか」
「ほんとうです。約束します」
ナターシャがもう一枚クッキーを手に取った。じっと見てから、口に入れた。
「……焦げていても」
「焦げていても」
「おいしいです」
フリーデリケが「えへへ」と言って自分もまた一枚食べた。三人が同じテーブルでクッキーを食べている。それだけのことが、なぜかとても大きく感じた。
ナターシャが窓の外を向いた。
目にゴミが、また入ったらしかった。
フリーデリケが「ナターシャさんって、ゴミが入りやすいですね」とまじめな顔で言った。
セレスティアは笑った。
ナターシャも、窓の外を向いたまま、少し笑った。
窓の外は夜だった。共用室の小さな灯りが、三人の影を壁に映している。こんな夜が来るとは、一年前には思っていなかった。来年も、同じテーブルで祝えるといい。




