オスヴァルトの真意
オスヴァルトとの秘密訓練が始まった。週に一度、放課後。東棟最上階の研究室。他の生徒が自由時間を過ごしている間に、セレスティアは階段を上る。
「今日は光と闇の同時展開の安定化訓練だ。ヨハンに教わった基礎は身についているようだから、次の段階に進む」
オスヴァルトは白衣の袖をまくり、机の上に水晶球を三つ並べた。透明、白、黒の水晶。
「透明な水晶に手を当てろ。中に光と闇を同時に流し込め。前に二本の棒で別々にやっていたのを、一つの器に入れる」
一つの器に。光と闇を一つの場所に共存させる。
ヨハンの訓練では、右手に光、左手に闇と分離していた。分離制御は五秒から三十秒まで伸びた。だが一つの器に両方を入れるのは、別次元の難しさだ。セレスティアは水晶球に手を当てた。呼吸。四秒吸う。五秒吐く。
光を意識する。身体の奥から、白い力を引き出す。水晶に注ぐ。白い光が球の中に灯った。次に闇。光を維持したまま、闇を重ねる。黒い力が流れ込んだ瞬間……
反発。光が闇を拒絶した。水晶の中で二つの力がぶつかり、球が振動した。
「抑えろ。バランスを……」
バランスが崩れた。光が膨張し、闇を圧倒した。水晶球が白く輝き、熱を帯びた。ぱきん。水晶球に亀裂が入った。
オスヴァルトが即座に手を伸ばし、水晶球の上に防御結界を張った。光が結界の中で弾け、閉じ込められた。
「手を離せ」
セレスティアは手を引いた。額に汗が浮いている。
「……すみません」
「謝る必要はない。予想の範囲だ。光と闇の同時収束は、聖魔力制御の最大の壁だ。五百年前の聖女マリエルですら、習得に三年かかったと記録にある」
「先生。じゅっさいまでに、できるようになりますか」
「なぜ十歳?」
言いすぎた。十歳に意味があることを知られるわけにはいかない。
「……なんとなく」
オスヴァルトは眼鏡の奥で目を光らせたが、追及しなかった。
「十歳までなら、理論上は可能だ。だが条件がある」
「じょうけん?」
「感情の制御だ」
オスヴァルトが椅子に座り、指を組んだ。
「聖魔力は感情に反応する。特に恐怖と怒り。光は希望や安堵に共鳴し、闇は恐怖や怒りに共鳴する。二つの力のバランスが崩れる最大の原因は、術者の感情の振れだ」
「かんじょう……」
「君は恐怖を抱えている。何に対する恐怖かは知らない。だがその恐怖が闇を暴走させる引き金になり得る」
オスヴァルトは知らないはずだ。だが学者の目は本質を捉えている。
「恐怖を消す必要はない。恐怖は人間に必要な感情だ。だが恐怖に飲まれないための『錨』が要る」
「いかり?」
「心を繋ぎ止めるもの。恐怖に揺さぶられた時に、自分を取り戻すための基準点だ。人によって違う。ある者は信仰。ある者は使命感。ある者は……大切な人の顔」
大切な人の顔。母。父。フェリクス。エドヴァルト。マルガレーテ。ヴォルフ。ナターシャ。
フリーデリケの笑顔。アレクシスの真っ直ぐな目。コンラートの不器用な優しさ。ヴィオレッタの涙。イザベラの揺れる瞳。
名前を思い浮かべると、手のひらの震えが落ち着いた。
「先生。私の錨は、もうあります」
「そうか。なら訓練に集中できる。来週から本格的に始める。覚悟しろ」
「はい」
セレスティアは水晶球を眺めた。亀裂が入って、棚の端に置かれている。
割ってしまったが、光と闇が同じ場所に宿った瞬間は確かにあった。反発で崩壊する前の、ほんの一秒。その一秒を、少しずつ伸ばせればいい。
◇
訓練の後、セレスティアは研究室の椅子に座ったまま、水を飲んでいた。魔力を使った後は喉が渇く。
オスヴァルトは机に向かい、訓練記録をまとめていた。ペンが紙の上を走る音だけが部屋に響いている。
「先生」
「なんだ」
「先生は、なぜ宰相派にはいらないんですか」
ペンが止まった。
「学者に派閥は不要だ」
「でも、学園の先生にもはばつがあります。エドモンド先生は宰相派です」
オスヴァルトが振り返った。七歳の少女が学園内の政治力学を把握していることに、驚いた様子はなかった。
「エドモンドは学者ではない。教育官僚だ。方針に従うのが仕事の人間と、真理を追うのが仕事の人間は違う」
「先生は真理をおう人?」
「そうだ。真理に王も宰相も関係ない。聖魔力の法則は、誰が権力を握ろうが変わらない。私が追うのは不変の法則だ。権力は変動する。変動するものに与する気はない」
中立は安全だ。だが中立は無力でもある。
「先生。もし宰相が、聖魔力のけんきゅうをきんしするっていったら、どうしますか」
オスヴァルトの目が鋭くなった。
「禁止?」
「もし、私の聖魔力がばれて、宰相がけんきゅうをやめろっていったら」
長い沈黙。
「……その時は」
オスヴァルトは眼鏡を外し、目を擦った。
「研究を続ける。地下に潜ってでも。ヨハンがそうしたように」
ヨハンは王立学術院を追われた。宰相の教育方針を批判し、在野の研究者となった。
オスヴァルトは今のところ王宮にいる。宰相と対立していないから。だが聖魔力の研究が露見すれば、ヨハンと同じ道を辿る。それを承知で、研究を選ぶと言っている。
「先生は、強いひとですね」
「強くはない。ただ、愚かなだけだ。学者は皆そうだ。知りたいという欲望に逆らえない」
セレスティアは立ち上がった。
「先生。私、がんばります。先生の研究が、無駄にならないように」
「無駄になるかどうかは、結果次第だ。結果を出せ」
「はい」
研究室を出た。廊下は薄暗かった。夕日が沈みかけている。
セレスティアは寮への道を歩きながら、右手を握って開いた。まだ光と闇を一つにはできない。水晶球を割ってしまう。でも、また来週試す。それだけのことだ。
指定区画の入口まで戻ると、角にナターシャが立っていた。手に小さなランプを持っている。夕日が落ちて、廊下が薄暗くなっていたからだ。
「お嬢様」
「……ナターシャ、待ってたの?」
「少し心配だったので」
正直に言う子だ。いつも。
「ごめん、長くなった」
「謝らなくていいです。でも急いでください。夕食が始まっています」
ナターシャに手を引かれ、指定区画の内側を早足で進んだ。ランプが揺れる。
「今日は何のごはん?」
「白いシチューです。厨房で確認しました」
「……好きって知ってたの?」
「入学してから毎週、食堂のメニューと、お嬢様の食べ残しを確認しています」
食べ残し。把握されている。
「ナターシャ、ありがとう」
「お礼を言われることではありません」
素っ気ない返事。でも歩く速度が少し上がった。
食堂の扉が見えてきた。中から話し声が聞こえる。温かい光と、シチューの匂い。
魔力を使い果たした頭がぼんやりしている。手がまだ少し震えている。水晶球を割った時の衝撃が、手のひらに残っている。でもナターシャの手が温かかった。
訓練がうまくいかなくても、シチューを確認しておいてくれる人がいる。それで十分だった。
食堂に入った。席につくと、ナターシャが素早く白いシチューを取ってきてくれた。温かくて、少ししょっぱくて、ちょうどよかった。手の震えが止まった。スプーンが、ちゃんと持てた。次の訓練まで、一週間ある。
また割るかもしれない。でも、また試す。それだけのことだ。




