表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

75/126

ヴィオレッタの涙

 深夜、セレスティアは物音で目を覚ました。


 かすかな音。布の擦れる音。そして、喉の奥を押し殺すような、小さな嗚咽。


 ヴィオレッタが泣いていた。


 向かいのベッドで、毛布を頭まで被り、身体を丸くして。声を殺して。


 セレスティアは目を閉じたまま、耳を澄ませた。


 泣いている。八歳の少女が。暗闇の中で。一人で。


 月明かりが窓から差し込んでいる。その光の中に、ヴィオレッタの手だけが毛布の外に出ていた。握りしめているのは紙——手紙だ。


 父からの手紙。


 セレスティアには見えなくても分かった。ヴィオレッタの泣き方が、「父に泣かされた子供」の泣き方だった。怒りと悲しみと、それでも逆らえない無力感が混じった泣き方。


 声をかけるべきか。


 タイミングが重要だ。今すぐ声をかければ、ヴィオレッタは「泣いているところを見られた」と恥じる。プライドの高い子だ。弱みを見せたくない。


 セレスティアは寝返りを打つ振りをした。わざと布団を動かし、音を立てた。


 ヴィオレッタの嗚咽がぴたりと止まった。


 沈黙。


 セレスティアは「今起きた」という演技をした。眠そうな声で。


 「……ヴィオレッタさま?」


 沈黙。


 「ヴィオレッタさま、おきてる?」


 「……寝てるわよ」


 泣いた直後の声。かすれている。鼻声。寝ている人間の声ではない。


 セレスティアは寝台から足を降ろした。裸足で冷たい床を踏む。


 「ヴィオレッタさま、おみず、のむ?」


 「要らないわ。寝なさいよ」


 「わたしがのどかわいたから、いっしょにどうかなって」


 机の上の水差しから二つのコップに水を注ぎ、一つをヴィオレッタのベッドの脇に置いた。


 暗がりの中で、ヴィオレッタの顔が見えた。目が赤い。頬に涙の跡。手紙をまだ握っている。


 セレスティアは自分のベッドに戻り、水を飲んだ。


 しばらくして、ヴィオレッタも水を取った。小さな音が立った。


 沈黙が続いた。


 セレスティアは何も聞かなかった。「どうしたの」とも「大丈夫」とも言わなかった。聞けば壁が高くなる。ただ水を置いた。それだけだ。


 三分ほど経った。


 「……お父様から手紙が来たの」


 ヴィオレッタが自分から話し始めた。


 セレスティアは黙って聞いた。


 「成績で一位を取れって。入学して一週間しか経ってないのに、もう成績の話。魔力判定でも、私は二重属性だって書いたのに、返事は『それでイザベラに勝てるのか』だけ」


 声が震えている。怒りと悲しみ。


 「お父様は私を見ていないの。成績しか見ていない。魔力量しか見ていない。私が何を感じているかなんて、一度も聞かれたことがない」


 「お父様は宰相閣下に借金があるの。知ってるでしょ。モンテヴェルデ家は宰相家に逆らえない。だから私も——」


 言いかけて、口を噤んだ。言いすぎたと思ったのだろう。


 「……なんで私、あなたにこんなこと話してるんだろう」


 「わかんない。でも、はなしたかったんじゃない?」


 「話したかった? あなたなんかに?」


 「うん。わたしなんかに」


 ヴィオレッタは鼻で笑った。だが声に棘がなかった。


 「変な子。公爵家の令嬢が侯爵家の私の愚痴を聞くなんて」


 「ぐちじゃないよ。つらいことを、つらいっていうのは、ぐちじゃない」


 沈黙。


 セレスティアは枕の下からハンカチを出した。マルガレーテが持たせてくれたもの。レースの白いハンカチ。前にアレクシスに貸したのと同じ種類。


 暗闇の中で、ヴィオレッタのベッドに向かって手を伸ばした。


 「ないていいよ。だれにもいわないから」


 ヴィオレッタの手が震えた。ハンカチに触れるかどうか、迷っている。


 「……私は泣いてなんかいないわ」


 「うん。なかなくてもいいよ。でも、もしないちゃったら、これでふいて」


 長い沈黙。


 ヴィオレッタの手がハンカチを取った。


 指先が触れた。冷たい指。八歳の少女の、痩せた指。


 しばらくして、布の擦れる音がした。


 ハンカチで目を拭いている。


 声は出さなかった。だが肩が震えていた。


 セレスティアは自分のベッドで、天井を見つめていた。


 セレスティアは天井を見つめていた。


 肩が震えている。ヴィオレッタの肩が。手紙一枚で、八歳の少女がこんなに泣いている。父親はそれを知らない。知っていても、知らないふりをするかもしれない。


 水を飲む音がした。ヴィオレッタが水を飲んでいる。


 よかった、とセレスティアは思った。水を飲んでいる。普通のことだが、今夜は普通のことがよかった。


 宰相に借金がある、と言いかけた。父が娘を道具として使っている構造は、モンテヴェルデ家を縛る借金が背景にある。それがヴィオレッタを縛り、イザベラへの対抗を強いている。


 知っていた。でも口には出さなかった。ヴィオレッタが話したいだけ話せるように、黙っていた。


 「セレスティア」


 「なに?」


 「……ありがとうとは言わないから」


 「いわなくていいよ」


 「でも——ハンカチは返すわ。洗って」


 「うん」


 セレスティアは微笑んだ。暗闇の中で。誰にも見えない笑み。


 やがて、ヴィオレッタの呼吸が穏やかになった。眠りに落ちたらしい。


 セレスティアも目を閉じた。


 明日、ヴィオレッタはまた壁を作るだろう。昨夜のことを「なかったこと」にしようとするだろう。それでいい。壁の向こうに、今夜ハンカチを受け取った手がある。


 ◇


 翌朝、目が覚めた時、ヴィオレッタはすでに起きていた。


 鏡の前で髪を整えている。いつも通りの姿。昨夜のことなど、なかったかのように。


 ハンカチは、ベッドの上に畳んで置いてあった。


 セレスティアは何も言わなかった。ヴィオレッタも言わなかった。


 「おはよう、ヴィオレッタさま」


 「……おはよう」


 返事が来た。それだけでいい。


 食堂に向かう廊下で、ヴィオレッタがふと口を開いた。


 「昨日の授業のエリーゼの事件——父から昔聞いたことがある。処刑の後、記録に残っていない話があるって」


 「どんな?」


 「エリーゼのそばにいた者が、事件の夜に証言しようとしたって。その証言は残っていない。消したのは王宮だって父が言ってた」


 「ほんとうかどうかわからないね」


 「分からない。でも父が言ってた」


 ヴィオレッタが先に歩き出した。情報を置いて、去った。


 昨夜のお礼だろうか、とセレスティアは思った。思っただけで、口にはしなかった。


 「ありがとう、ヴィオレッタさま」


 「なんで礼を言うの」


 「おしえてくれたから」


 ヴィオレッタが短く鼻で笑った。「変な子」と言って、また歩き出した。でも歩く速度が、少しだけ遅くなった。


 二人並んで食堂に向かった。


 ◇


 食堂で、フリーデリケが手を振った。


 「おはよう! 二人一緒なんだ」


 「廊下でいっしょだった」


 フリーデリケが嬉しそうにした。アレクシスが席に着き、コンラートが昨日の剣の練習の話を始めた。朝食がいつも通りに始まった。


 ヴィオレッタは少し離れた席に座った。でも今朝の「おはよう」は、昨日より少し早かった。


 それを確認してから、セレスティアはパンを手に取った。


 ナターシャに夜の出来事を話すかどうか、少し迷った。


 でも、話すことにした。ヴィオレッタが宰相への借金に言及したこと。それは情報として伝えておく必要がある。感情の部分は話さない。ハンカチを渡したことは、ただそれだけのことだ。報告するような話ではない。


 夕食の後、ナターシャに伝えた。ナターシャは「ありがとうございます」と帳面に書き留めた。


 「お嬢様は、よく眠れましたか」


 「……まあまあ」


 「そうですか」


 ナターシャはそれ以上聞かなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ