魔術の授業
学園での初めての魔術実技の日が来た。教室ではなく、学園の東棟にある魔術練習場。石造りの広い部屋。壁と天井に防護結界が張られている。魔力の暴走に備えた構造だ。
セレスティアは息を整えながら練習場に入った。
落ち着け。今日は暴走しない。ヨハンの教えと、二年間フェリクスに鍛えられた制御力がある。
魔術教官はアイゼンベルクという三十代の男だった。王宮魔術師団からの派遣。オスヴァルトの部下。細身で、鷹のような鋭い目をしている。
「属性は先日の測定で分かっている。今日見るのは制御だ。全員、順番に魔力水晶に手を触れて、自分の色を三秒だけ保て。強く出す必要はない。乱すな。それだけだ」
魔力水晶。ヨハンの研究室で使ったものと同じだ。だがここでは大勢の目がある。生徒が一人ずつ前に出る。
最初はルートヴィヒ。財務卿の息子。小太りで、少し気弱そうな少年。水晶に触れると、赤い光が灯った。揺れながら、三秒保った。
「火属性。出力は不安定だが、意図した長さは保てている。合格」
アイゼンベルクが記録する。次々と生徒が水晶に触れる。赤、青、透明、緑。三秒保てる者、二秒で崩す者、途中で消してしまう者。七歳から九歳は魔力が覚醒し始める時期で、属性は現れても制御はまだ追いつかない年齢だ。
コンラートの番が来た。水晶に手を置いた瞬間、赤い光が勢いよく溢れた。光が強すぎて水晶が振動している。
「……三秒どころか、一秒も一定にならんな」
アイゼンベルクが呆れたように言った。だがコンラートの制御が甘かった。赤い光が水晶から溢れ、隣の机に飛び火した。ぼっ、と机の角が燃えた。
「ごめん!」
コンラートが慌てて手を引く。アイゼンベルクが水魔術で消火した。教室が笑いに包まれた。コンラートの耳が赤くなっている。
「ヴァイスハウプト、火力は申し分ないが制御を学べ。力だけでは危険だ」
「はい……すみません……」
コンラートらしい。アレクシスの番。
水晶に触れると、透明な光が淡く揺れた。風属性。穏やかだが芯のある光。
「三秒、揺らぎなし。見事な制御です。さすがは王家の血筋ですな」
アイゼンベルクの声に、微かな媚びが混じった。王族への忖度。セレスティアはそれを聞き逃さなかった。
イザベラ。水晶に触れた瞬間、冷たい青い光が灯った。三秒。一分の揺らぎもなく、指を離した瞬間にぴたりと消えた。
「……見本にしたい制御です」
ヴィオレッタ。冷たい青い光。同じく三秒。だが最後の半秒だけ、光が強くなった。
「安定しています。ただし……最後に力が入りましたな」
ヴィオレッタは当然のように礼をした。侯爵家の令嬢らしい、隙のない所作だった。だが耳が少し赤い。
フリーデリケ。温かい緑色の光。ゆらゆらと揺れながら、それでも消えずに三秒。
「不安定だが粘りがある。質が良い。治癒系に向いているかもしれません」
そして、セレスティアの番が来た。練習場の全員の目がセレスティアに向いた。公爵家の令嬢。噂の天才児。何の属性を持っているのか。セレスティアは水晶の前に立った。
わざと光を揺らし、未熟に見せる方法も考えていた。だが光の波形を崩せば、押し込めている闇との境界まで揺らぐ。隠すべき最優先は聖魔力であって、光の才能そのものではない。兄から訓練を受けた光属性の子供、そこまでは見せてよい。そう決めていた。
深呼吸。四秒吸う。五秒吐く。ヨハンに教わった呼吸法。闇を抑える。光だけを前に出す。
意識を集中する。身体の右半分に光を。左半分の闇は、奥深くに押し込む。鍵をかける。二重に。三重に。水晶に手を置いた。白い光が灯った。純粋な白。
三秒。揺らぎもなく、強すぎもせず。指を離すと、光は音もなく消えた。
アイゼンベルクが記録した。だがペンが止まった。
「……アルヴェイン。お前、これを何年やっている」
「え?」
「入学時の測定の記録は見た。『やや控えめ』とあった」
アイゼンベルクが水晶を指で叩いた。
「控えめな魔力の持ち主は、こんな細い光を三秒保てん。絞るには、絞るだけの元が要る。……七歳が偶然できることではない」
練習場がざわめいた。
「どういうこと?」「褒められてるの?」「量より制御がすごいって話じゃない?」
イザベラの目が細くなった。セレスティアを観察する目。「光属性だけ?」と問いかけるような目。
コンラートが無邪気に拍手した。「すごいじゃないか!」
アレクシスが微笑んだ。友人の活躍を喜ぶ純粋な笑顔。
ヴィオレッタは腕を組んで黙っている。だが目に複雑な光がある。
狙い通りだ。闇は漏れなかった。測定の日と同じく、光だけが記録された。代わりに、光を絞る技術は見せた。
あの日は、量を隠した。「やや控えめ」と書かせた。
今日は、制御技術を隠さなかった。闇を確実に封じるために、最初から払うと決めていた代償だ。
「絞れること」は、誰かに習わなければ身につかない。だが指導者にはフェリクスという説明が使える。疑いを完全には消せなくても、「訓練を受けた光属性」という範囲に留められる。
危険な賭けではある。だが、聖魔力の露見よりは遥かに小さい。
「アルヴェイン嬢。放課後、少し話がある」
アイゼンベルクが声をかけた。
「はい」
何を聞かれるだろう。どこまで探られるだろう。教室を出る時、イザベラとすれ違った。
「光属性、ね。綺麗な光だったわ」
声は穏やかだったが、目は「それだけではないでしょう」と語っていた。
廊下に出ると、コンラートが追いついてきた。
「なあ、セレスティア。お前すごいな。三秒ぴったりって、どうやるんだ?」
「コンラート様の火の方がすごかったよ。机を燃やしてしまったものね」
「あれは事故だ! ……でもちょっとかっこよかっただろ?」
「うん。かっこよかった」
コンラートが照れくさそうに頭を掻いた。
フリーデリケが駆けてきた。「セレスティアちゃん、すごかったね! 光がきれいだった!」
「ありがとう。フリーデリケちゃんの光も温かかったよ」
「えへへ。でも私のは地味だったかな」
「地味じゃないよ。温かい光は、一番大事だよ」
フリーデリケが嬉しそうに笑った。放課後。アイゼンベルクとの面談。
教官室の椅子に座ったセレスティアに、アイゼンベルクは開口一番こう言った。
「アルヴェイン嬢。入学時の測定では、君の魔力量は『やや控えめ』だ」
「はあ……」
「だが今日の光は、控えめな人間には出せん。あれは蝋燭の炎ほどに絞られていた。絞るには元が要る。……記録が間違っているか、君が測定の時に何かをしたかだ。特別な訓練を受けているか?」
「お兄様に、呼吸法を教えてもらいました」
「呼吸法だけでこの安定度は考えにくい。何か他に……」
「あの、先生」
セレスティアは七歳の令嬢の顔で、小首を傾げた。
「私、よく分かりません。お母様にも、難しいことはまだ早いっていわれてて」
アイゼンベルクは眼鏡を押し上げ、溜息をついた。
「……そうか。まだ七歳だからな。いずれオスヴァルト師にも報告するが、今は経過観察としておこう。何か変わったことがあれば、必ず報告しなさい」
「はい、先生」
教官室を出ると、廊下で小さく息を吐いた。少なくとも今日のところは、乗り切った。
だがアイゼンベルクはオスヴァルトに報告する。確認が必要だ。ナターシャに調べさせよう。
セレスティアは寮への道を歩きながら、次の手を考えた。
光は見せた。闇は隠した。今日はそれで十分だ。
◇
夕食の席で、ヴィオレッタが先に話しかけてきた。
「最後の半秒、見てたでしょう」
「ヴィオレッタ様の?」
「うん」
「見てなかった」
嘘だった。だが、この嘘は必要だった。
ヴィオレッタが少し考えてから「まあいいわ」と言い、皿に目を戻した。それだけだった。
先に話しかけてきたのは、まだ二度目だった。一度目は消灯後の暗闇の中だった。ヴィオレッタは、昼間より夜の方が口が動く人間なのかもしれない。
◇
夜、ナターシャに報告した。
「アイゼンベルク先生が宰相派かどうか、調べてほしい」
「先ほどの面談のことですね。承知しました」
「それと、ヴィオレッタ様の制御。三秒の最後の半秒だけ、力が入った。記録しておいて」
「最後の半秒、ですか。承知しました」
「うん。あれは癖じゃない。見られていることを意識した時に出る。父親に報告される緊張だと思う」
ナターシャが帳面に書き込む。セレスティアは机の上で指を組んだ。
今日の水晶の光を思い返した。白い光。細く、静かで、三秒だけの光。隠した半分を差し引いても、残った光は本物だった。
光だけで十分戦える。今日、それが分かった。
今日見せた精度を、今後の基準にする。急に下手になれば、かえって意図的な偽装を疑われる。光属性の制御に優れた公爵令嬢。それを表向きの姿として定着させる。




