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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
第3章 王立学園と魔力の目覚め

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初めての手紙

 夕食を終え、消灯まであと一時間。ヴィオレッタはベッドで本を読み、ナターシャは階下の侍女室にいる。静かな部屋で、セレスティアは一枚の便箋を前に机へ向かった。


 家への手紙を書かなければならない。「毎週、書くね」と母に約束した。マルガレーテとも、約束をしていた。学園に来て、一週間が経った。


 ペンを取ったものの、何も書けないまま手が止まった。


 ◇


 これまで公爵領から出した手紙の多くは、何かを運ぶためのものだった。ナターシャへの暗号、フェリクスを通してヨハン先生へ送る訓練の記録。読む相手と読まれ方を考え、言葉の一つひとつに目的を持たせてきた。フリーデリケやアレクシスへの手紙に計算はなかったけれど、それも会えない友達へ、花の名前や押し花を届けるための便りだった。


 だが今度の相手は母だ。


 母とは、いつも同じ屋根の下にいた。五歳で王都へ行った時も一緒で、帰る時も同じ車列だった。話したいことがあれば、夕食の席で話せばよかった。母に宛てて手紙を書く理由が、これまで一度もなかったのだ。


 金髪に紫の瞳を持つリリアーナは、今世で毒から救うことのできた母だ。元気になってドレスを縫い、別れ際には「手紙、ちゃんと書いてね」と泣きながら笑っていた。


 そんな母への手紙に、情報だけを書いても仕方がない。では何を書けばよいのか、セレスティアには分からなかった。


 前世では、母への手紙を書いたことがない。学園に入った頃には、母はもう長い病で手紙を読める状態ではなく、七歳の秋に静かに死んだ。前世のセレスティアは、母への手紙の書き方を知らないまま、大人になった。


 今世では母が生きているのに、母へ送る手紙の書き方だけを、セレスティアは知らなかった。


 ◇


 「お母様へ」と書いた。


 宛名だけを書いて再び手を止め、それから部屋の様子を書いてみた。


 『へやは二人でつかっています。まどからそとのきがみえます。ベッドはやわらかいです。』


 読み返した。悪くはない。事実だ。だが、何も伝わらない気がした。事実の羅列で、自分がここにいることしか分からない。これでは公文書と変わらない。ヴィオレッタのことを書いた。


 『おなじへやのこはヴィオレッタさまというひとです。はじめはあまりはなしてくれませんでした。でも、すこしずつはなしてくれるようになりました。』


 本当のことだった。ヴィオレッタは今朝、初めて「おはよう」を返してくれた。たった一言の返事を、これほど嬉しく思うとは想像していなかった。その気持ちも含めて、母には本当のことを書きたかった。


 授業で聞いた歴史の話や、食堂でフリーデリケに会ったこと、中庭でアレクシスと話したことを書いていくうちに、便箋の一枚目が埋まった。そこで最初から読み返してみた。


 書かれているのはすべて本当のことなのに、まだ何かが足りなかった。


 この手紙を読んで、母はどう思うか。「セレスティアは元気にしています」と分かる。それだけだ。


 ◇


 窓の外を見た。夜の空に星が見えた。公爵領の星より少ない。王都は明るいから、星が霞む。


 公爵領の夜は暗くて、星がもっとよく見えた。母が元気な時、一緒に庭で星を見たことがある。あれは何歳の時だったか。四歳か、五歳か。母が「あの星座はね」と教えてくれた。毛布を一枚持ってきて、二人で肩を並べて空を見た。寒い夜だった。でも寒くなかった。


 星の名前を教えてくれた母の、柔らかく少し低い声を覚えている。その声は今も耳に残り、今世の母は同じ声で笑っている。時折、その事実さえ夢のように思えた。


 「お母様、今、何をしているかな」


 思わず声に出していた。


 ヴィオレッタが本から顔を上げた。「独り言?」


 「うん。お手紙を書いていた」


 「家に?」


 「うん」


 「……そう」


 ヴィオレッタが本に目を戻した。だがページをめくらなかった。少し間があった。


 セレスティアは、ヴィオレッタが何かを考えているのに気づいた。何かを言おうとしているのか、それとも言わないことにしたのか、分からない。聞かなかった。セレスティアは便箋に向かった。


 セレスティアは、便箋の最後にもう一行だけ書き加えた。


 『ときどきさびしいです。』


 書いてから、しばらく見つめた。


 ◇


 一度は消そうと思った。七歳の女の子が「さびしい」と書くのは何もおかしくない。それでも本心を見せることには勇気が要ったが、母にだけは見せてよいのだと思い、その一行を残した。


 『でも、がっこうはたのしいです。またてがみかきます。セレスティアより』


 最後まで書き終えると、便箋を丁寧に折って封をした。


 もう一枚、便箋を取った。マルガレーテへの手紙は、母に宛てたものよりずっと短い。


 『やくそくしたので、おなじひにだします。ごはんをちゃんとたべて、なかないでください。セレスティアより』


 折って封をし、母宛ての封筒の隣に二通目を並べた。約束は、守れた。


 ◇


 消灯の鐘が鳴り、ヴィオレッタが本を閉じて蝋燭を消した。


 暗くなった部屋の中で、セレスティアは封をした二通の手紙を机の上に置いた。


 明日の朝にナターシャへ渡せば、侍女用の郵便経路で送ってくれる。五日後、公爵家に届いた手紙を、母はどんな顔で読むだろう。


 「時々寂しい」という一行を読んで、泣くかもしれない。心配するかもしれない。でも、泣きながら笑うのが母だ。泣きながら「ちゃんと書いてくれた」と言う気がした。


 「手紙、書いた?」


 ヴィオレッタから声がかかるとは思わなかった。暗闇の中だった。


 「かいた」


 「家族に?」


 「お母様に」


 少し間があった。


 「そう」


 返事はそれだけだったが、「そう」という短い声の奥に、言葉にならない何かが聞こえた気がした。


 セレスティアは目を閉じた。手紙の最後の一行を思い返した。


 「時々寂しいです。」


 策士でも蜘蛛でもない、ごく普通の七歳の女の子が書く一行に、こんなにも時間がかかった。


 来週の手紙は、もう少し早く書けるかもしれない。それがここへの慣れということだ。


 ◇


 翌朝、ナターシャに手紙を二通渡した。


 「お母様宛と、侍女長宛でございますね。五日ほどで届きます」


 「うん。ありがとう、ナターシャ」


 ナターシャが手紙を受け取る時、少しだけ顔が和らいだ。


 「ナターシャも、家に手紙を書いている?」


 「はい。お嬢様に同行する前に。返事はまだ届いていませんが」


 「楽しみだね」


 「そうですね」


 ナターシャは微笑んだ。学園に来て初めて見た、仕事から少し離れた顔だった。


 ◇


 一時間目が始まった。歴史の授業だった。エドモンド先生が教室の前を行き来しながら、建国期の話をしている。


 セレスティアは帳面を開き、教師の話に合わせてペンを動かした。文字を書き写しながらも、意識の一部は朝に出した手紙へ向いていた。


 王都から公爵領までは五日かかる。出したばかりの手紙は、まだ王都の中を運ばれている頃かもしれない。母はまだ封を切っておらず、「時々寂しいです」という一行も読んでいない。


 返事が戻るのは、往復で十日後になる。


 返事にはきっと「ちゃんと食べていますか」が三度は入る。余白には、マルガレーテの字で一行だけ添え書きが付くだろう。それでいい。知らせたいと思って書いたのだから。


 セレスティアはそんな返事を思い浮かべながら、帳面にヴィルヘルム一世の年号を書き写した。


 ◇


 昼休みになり、食堂へ向かう廊下でヴィオレッタが横に並んだ。


 「手紙、出した?」


 小さな声だった。廊下を歩く生徒たちの中で、セレスティアにだけ聞こえる声だった。


 「うん。朝、ナターシャに渡した」


 「そう」


 それだけだった。ヴィオレッタはすぐに前を向いた。


 セレスティアは少し考えた。ヴィオレッタは手紙を書いたか、と聞こうと思った。でも聞かなかった。聞かなくていいと思った。


 昨夜の暗闇の中の「そう」という声と、今の「そう」という声が、どこか似ていた。


 ◇


 夜、日記を開き、「母とマルガレーテへ、手紙を二通出した」と記した。それは、セレスティアが初めて書いた母への手紙だった。


 返事に何が書かれていたら嬉しいかを、先に考えておくことにした。今日の「そう」が二つとも似た声だったことも、余白に書き添えた。


 来週も、母へ本当のことを一つ書こう。そう思えることもまた、ここでの暮らしに馴染み始めた証なのだろう。


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