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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
第3章 王立学園と魔力の目覚め

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ヴィオレッタの夜

 目が覚めた時、月はすでに高く昇っていた。消灯から何時間も経っているらしく、窓から差し込む光の角度も変わっている。真夜中はとうに過ぎているだろう。セレスティアは薄目を開けた。


 隣のベッドが空だった。すぐには起き上がらなかった。目を細めて、部屋の状況を確認した。物音はない。ランプは消えている。窓は閉まっている。風の音だけがある。


 ◇


 ヴィオレッタがいない。防寒用のナイトガウンは掛け木に残されているから、薄い夜着のまま出たらしい。この季節の石造りの廊下は、夜になるとひどく冷える。


 毛布が乱れている。急いで出た跡ではない。静かに、丁寧に、気づかれないように抜け出した跡だ。時間をかけて起き上がったのだろう。


 廊下へ続く扉はきちんと閉まっていた。セレスティアが目覚めた時にはすでに姿がなかったのだから、扉の音で起こされたわけでもない。いつ、どこへ出ていったのかは分からなかった。


 ◇


 寮の消灯は九時。廊下への外出は禁止。見つかれば規則違反。学園の寮規則は厳しい。特に夜間外出は指導の対象だ。寮監の巡回は消灯直後と明け方に限られ、三階の端にある音楽室までは目が届きにくい。ヴィオレッタはその死角まで調べたうえで、規則を破る覚悟をして出た。


 一度ではないかもしれない。何週間か前から繰り返していて、たまたま今夜、セレスティアが気づいた可能性もある。


 ヴィオレッタは慎重な人間だ。衝動で動く人間ではない。計算して行動する。それがセレスティアの観察から出た結論だ。


 それなら、規則を破ってまで出ていく理由があるはずだった。


 ◇


 セレスティアは起き上がらず、今夜は追わないことにした。


 後をつければ、ヴィオレッタには気づかれるだろう。それに、行き先を暴くことより、本人が話せると思うまで待つ方が大切な場合もある。ただし、夜明け前になっても戻らなければ寮監へ知らせる。その一線だけは、越えさせないつもりだった。


 天井を見た。月明かりが斜めに差し込んでいる。考えた。


 ヴィオレッタが消灯後に行く場所。寮の中か、寮の外か。もし外に出ているなら、見張りをどうくぐり抜けているのか。もし寮の中なら、誰かと会っているのか。一人でいるのか。誰かと会っているとすれば誰か。


 追わないと決めた以上、今夜すぐに答えは出ない。セレスティアは一時間ほど、毛布の中で帰りを待ちながら考え続けた。


 ヴィオレッタの父のことを整理した。モンテヴェルデ侯爵。宰相の支持者。三年前に妻を亡くした。娘に外交史を読ませる人間。


 深夜に何の目的がある。宰相の命令なら、何のために学園の中を。情報か。誰かと会っているのか。


 あるいは、宰相とは関係ない理由があるのかもしれない。三年前に亡くなった母のことを、誰にも見られずに考える場所を探しているのかもしれない。


 どちらも、今夜は分からない。だから待った。


 月が少しずつ動く。石の壁が音もなく夜気を溜めている。廊下の向こうで、時おり建物が軋む音がした。古い石造りの寮は、夜になると独自の声を出す。


 眠くなってきた。だが眠らなかった。ヴィオレッタが帰ってくる前に眠るのは、何か違うと思った。待つことが、できる唯一のことだったから。


 ◇


 やがて扉が、ほとんど音を立てずに開いた。蝶番が鳴りにくい場所を知っているらしい、慎重な開け方だった。


 足音もほとんどしない。靴下のまま、床を探るように足を置いているのだろう。


 毛布が静かに動く音。ヴィオレッタがベッドに戻る気配。


 冷たい空気が一緒に入ってきた。廊下は寒かったのだろう。ヴィオレッタの夜着の袖から、夜の冷気が漂ってくる。長い沈黙。


 ヴィオレッタが毛布を整える音。それから、静止。


 「……眠れてないでしょ」


 暗闇の中で、ヴィオレッタの声がした。


 怒りも狼狽もない、ただ事実を確かめるための静かな声だった。長い沈黙の間に、セレスティアが起きていると確信したらしい。


 セレスティアは少し間を置いてから答えた。


 「うん。ごめんね、きがついてた」


 「謝らないで」


 「どこへ行ってたの?」


 「……聞かないで」


 「うん」


 また沈黙。月明かりだけが部屋にある。


 「怒らないの」


 「おこらない」


 「規則違反よ」


 「しってる」


 「……変な子」


 「よくいわれる」


 ヴィオレッタが寝返りを打った気配がした。壁の方を向いた。背中を向けた。


 それ以上は追及するなという意思表示に見えたので、セレスティアも黙って受け入れた。問い詰められると思っていたのに何も聞かれなかった戸惑いが、強張った背中に残っている。


 しばらくして、「さむかった」とだけ言った。


 「おふとん、ちゃんとかけて」


 「言われなくても分かる」


 「うん」


 それきり、二人とも黙った。


 ◇


 月が少し西に傾いた頃、ヴィオレッタの呼吸が深くなった。眠っている。


 よかった、とセレスティアは思った。帰ってきた。冷えた身体を温めて眠れている。自分も目を閉じた。一つだけ確認できたことがある。


 分かったのは、ヴィオレッタには規則を破ってでも夜中に向かう場所がある、ということだけだ。誰かに命じられたのか、自分で選んだのかは、まだ判断できない。


 ただ、「さむかった」とこぼした声には、任務を終えた者の張りつめ方よりも、誰にも見せられない時間から戻ってきた安堵が滲んでいた。宰相派の命令とは無関係だと決めつけることはできないが、少なくともそれだけでは説明できない事情がありそうだった。


 ◇


 翌朝、起床の鐘が鳴った。


 ヴィオレッタが先に起きていた。いつも通り、背筋を伸ばして鏡の前で髪を整えている。顔色に血の気がない。目の下が少し疲れた色をしている。だが手の動きは乱れていない。丁寧に、きちんと、いつも通りに。


 「おはよう、ヴィオレッタ様」


 「……おはよう」


 いつもなら無視されるか、溜息だけが返ってくる。挨拶を返してもらったのは、これが初めてだったように思う。


 それ以上は何も言わなかった。二人は並んで食堂に向かった。夜のことは、どちらも口にしなかった。セレスティアはそれでいいと思った。


 いつか話すかもしれない。話さないかもしれない。どちらでも構わない。「どこへ行ったのか」を知ることより、「おはよう」が返ってきたことの方が、今朝は大事だった。


 少なくとも二人は、朝の挨拶が返ってくる距離まで近づいていた。



 食堂では、フリーデリケが手を振った。


 「セレスティアちゃん、今日は顔色悪いよ? 大丈夫?」


 「よく眠れなかっただけ」


 「私も。昨日の授業が難しかったから……」


 のんびりとした朝だった。フリーデリケのゆるやかな声が、深夜の緊張の後にはちょうど良かった。


 ヴィオレッタはいつも通りの席に座り、いつも通りの朝食をとった。目の下の疲れを、表情には出していない。


 ただ、右手でカップを持つ指にはいつもより力が入り、節が白くなっていた。昨夜どこまで歩き、何をしていたのか。セレスティアは気づかないふりをした。


 アレクシスが「おはよう」と言い、コンラートが昨日の授業の話を始めた。朝食はいつも通りに進んだ。


 ヴィオレッタは席を立つ時、セレスティアの隣を通った。何も言わなかった。ただ、少しだけ歩く速度を落とした。


 ほんのわずかな変化だった。それでもセレスティアは、あの夜の最初の挨拶とともに、長く覚えているだろうと思った。


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