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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN


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イザベラの隣

 学園の図書室は、三階にあった。


 王都の書店よりも蔵書が少ない。だが整理が行き届いていて、静かだった。午後の自習時間、生徒は自由に使える。



 午後の自習時間は、一時間あった。


 ナターシャは使用人区画から出られない。授業も終わった。次の授業は明日の朝だ。


 初等部の廊下に出ると、数人の生徒が歩いていた。中庭に行く者。部屋に戻る者。


 セレスティアには、やることがあった。


 情報の整理は昨日済んだ。ナターシャが集めた使用人情報を今月分まとめた。手紙の返信も今朝書いた。フリーデリケの便箋には、来週の返事が必要だ。それは明日でいい。


 今日は、読書にする。


 フェリクスのリストの本が半分残っている。だが今日は自分の判断で選びたかった。


 廊下を歩きながら窓の外を確認した。中庭にルシアンの姿はない。上級生の授業棟は別の翼だ。


 念のため確認するのが癖になっていた。魔力測定の日以来、ルシアンの視線を感じる時がある。廊下の曲がり角。食堂の出口。いつも少し遠い場所から、こちらを見ている。


 今日は見えない。それだけで十分だ。


 図書室の扉を押した。



 セレスティアは歴史書の棚の前に立っていた。


 前世で読んだことがある本が並んでいる。背表紙を指でなぞる。知っている。知っている。これも知っている。


  一冊抜いた。レグナシオン王国の建国史。前世では何度も読んだ。今世では確認のために読む。記憶とどこが違うか。版が違えば内容も少し違う。前世の知識に頼りきるのは危ない。


 窓際の席に座った。


 開いた。


 「ここ、よくて?」


 声がした。


 顔を上げた。


 イザベラ・ド・ガルニエが立っていた。


 ◇


 図書室に、空席はたくさんある。


 なぜここに来るのか。


 「どうぞ」


 セレスティアは本から目を上げないまま答えた。


 イザベラが隣の椅子を引いた。静かな動作。椅子の脚が床を引っ掻く音一つ立てない。音を立てない訓練をされた人間の動き。宰相の娘として、礼儀と作法を徹底して叩き込まれてきたのだろう。


 二人とも本を開いた。


 しばらく、本当にしばらく、何も言わなかった。


 窓の外で鳥が鳴いた。ページをめくる音だけが静かに続く。


 先に口を開いたのはイザベラだった。


 「覚えてる?」


 「なにを」


 「二年前の王宮。図書室」


 覚えている。


 王宮教育プログラムの時。図書室でイザベラに会った。その時も、こんな風に向かいに座っていた。目が合った瞬間、その瞳が何かを計算していると分かった。子供の目ではなかった。大人の仕事をする子供の目だった。


 「おぼえています」


 「そう」


 また沈黙。


 イザベラが本のページをめくった。だが視線が本を読んでいないことは分かった。目がページの上に落ちているが、動いていない。


 「あなたを見てた」


 「きょう?」


 「入学式の日から。ずっと」


 それは知っていた。


 時々、視線を感じた。廊下の端から。食堂の斜め向かいから。図書室の棚の影から。観察している視線は、怒りや好奇心とは違う。仕事をしている視線だ。


 「なぜですか」


 「理由を聞く?」


 「聞いてもいいなら」


 イザベラが本を閉じた。ページを押さえる細い指。宰相の娘。九歳。紫の目が、真正面からセレスティアを見た。


 「あなたが何者か、知りたいから」


 「七さいの公爵家の末娘、ですよ」


 「そうね。そうなんでしょうね」


 信じていない。だが追及しない。それがイザベラの会話の作法らしかった。


 問い詰めてもこちらが答えないと分かっているから、問い詰めない。情報は正面からではなく、横から集める。そういう方法を、この子はもう知っている。九歳で。


 ◇


 「イザベラさまは、なんのほんを」


 セレスティアが聞いた。


 イザベラが本の表紙を見せた。外交史。王国の同盟と条約の変遷。厚い本だった。大人でも読み切るのに時間がかかる。


 「九さいで外交史」


 「お父様に勧められた」


 父親。宰相。


 「おとうさまの勧める本を読むの?」


 イザベラの目が、一瞬だけ動いた。何かを考えた跡がある。


 「読まないと怒るから」


  「イザベラさま」


 「何」


 「その本、おもしろい?」


 イザベラが少し考えた。


 「……外交というのは、約束を守るふりをしながら破る技術なのよ、らしい」


 「らしい?」


 「お父様が言っていた」


 「イザベラさまは、そうおもう?」


 また少し考えた。今度は長かった。


 「分からない。でも、そう思わないといけない気がしてる」


 思わないといけない気がしてる。


 思っているのではなく。


  「外交が約束を守るふりをするものなら、約束を本当に守ろうとしたらどうなると思う?」


 イザベラが顔を上げた。


 「……弱く見られる」


 「そうかな」


 「そうでしょ。お父様がそう言ってた」


 「でも本当に守り続けたら、信頼される。信頼は積み上げに時間がかかるけど、崩れにくい」


 イザベラが黙った。反論するかと思ったが、しなかった。考えている。


 「……続きを話して」


 「えっ」


 「その話。続きを」


 珍しかった。イザベラから「続きを」と言われるとは思っていなかった。


 「でも、信頼される前に利用されたら?」


 イザベラが聞いた。


 「利用される可能性は、最初から考えておく。相手が守るかどうかを、少しずつ試す。一度で全部渡さない」


 「じゃあ信頼じゃなくて、確認をしているだけじゃない」


 「確認を重ねたものを、信頼って呼ぶんだと思う」


 イザベラが少し黙った。


 「……お父様はそうは言わない」


 「うん。わたしもよく分からない。まだ七さいだし」


 イザベラの目に、かすかな何かが宿った。諦めではなく、考えている目だった。


 ◇


 自習時間が終わる鐘が鳴った。


 二人とも立ち上がった。本を棚に戻す。


 話していた時間が、思ったより長かった。外交の話が、信頼の話になって、それが人間関係の話になった。二人とも本を読んでいなかった。


 扉に向かいながら、イザベラが言った。


 「あなた、面白い子ね」


 「よく、いわれます」


 「誰に」


 「みんなに」


 「そう」


 イザベラが先に廊下に出た。振り返らなかった。足音が静かに遠ざかる。


 セレスティアは図書室の入り口で少し立ち止まった。


  セレスティアは廊下に出た。


 イザベラの背中が、角の向こうに消えた。



 廊下を歩きながら、今の会話を繰り返した。


 イザベラは聞き役だと思っていた。情報を集め、報告するだけの子だと。だが今日は「続きを話して」と言った。命じられたからではなく、自分が聞きたかったから。


 踊り場の窓まで来た。夕日が石造りの建物を橙色に染めている。


 ナターシャが心配するので、足を速めた。


 次に図書室に来る時、イザベラはどこに座るだろう。また隣に来るか。それとも今日だけか。


 どちらでもいい。来た時に、また話せばいい。



 夕食の後、ヴィオレッタが本を読んでいた。


 「図書室に行っていたの?」


 「うん」


 「誰かと話していた?」


 隠すほどのことではない。


 「イザベラさまと。本の話を少し」


 ヴィオレッタの指が、本のページの上で止まった。


 「……イザベラと」


 「うん。おもしろいひとね。外交の話をした」


 ヴィオレッタは何も言わなかった。ページをめくらなかった。しばらくして、「外交史は難しいわ」と言った後で、「おやすみ」と言って本を閉じた。


 「おやすみなさい、ヴィオレッタさま」


 消灯の鐘が鳴った。二人とも、それ以上は話さなかった。



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