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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN


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最後の夏

 六歳の夏が、終わろうとしていた。


 秋になれば学園に入る。七歳の誕生日を迎え、王立クレセンティア学園初等部に入学する。寮制。家族と離れて暮らす。


 前世でもそうだった。七歳で学園に入り、一人で過ごした。


 だが前世の七歳には、もう母がいなかった。


 今世の母は、庭で花を摘んでいる。



 朝。リリアーナがセレスティアの部屋に来た。


 「セレスティア、今日は一緒に庭を歩きましょう」


 母の顔色は良かった。毒が完全に抜けて三年。頬には血色があり、金髪は艶やかで、紫の瞳が朝日に透けている。


 三十代後半。だが病み上がりとは思えないほど若々しい。


 前世の六歳の夏、母はベッドから起き上がれなかった。枕元に水差しがあり、薬の匂いが部屋に充満していた。窓を開ける体力もなかった。


 その母が、庭を歩こうと言っている。


 「うん。いく」


 セレスティアは母の手を取った。


 小さな手。大きな手。繋いで歩く。


 庭は夏の盛りだった。薔薇が咲いている。白と赤と淡い桃色。マルガレーテが丹精した花壇。水路の修繕が終わった東区画の灌漑は順調で、畑の作物も青々としている。


 「お母様、この花、なんていうの」


 「これはクレマチス。お祖母様が好きだった花よ」


 「おばあさまに会ったことある?」


 「ないの。お母様が嫁いでくる前に亡くなったの。でもお父様が時々話してくれるわ」


 父が亡き母の話をする。それだけで、この家の空気が前世とは違うことが分かる。


 だから父は、亡き母の話ができる。


 「おかあさま」


 「なあに」


 「おかあさまは、わたしがいなくなってもだいじょうぶ?」


 リリアーナが足を止めた。


 「いなくなる?」


 「がくえんにいくから。おうちにいなくなる」


 リリアーナの目が揺れた。笑おうとして、失敗した。


 「大丈夫よ。お母様は強いから」


 嘘だ。声が震えている。


 「おかあさま、なかないで」


 「泣いてないわ。目にゴミが入っただけ」


 エドヴァルトと同じ言い訳。この家の人間は泣く時に目にゴミが入る。


 セレスティアは母の腰にしがみついた。六歳の身長では、母の腰がちょうどいい高さだ。


 「てがみかくね。まいしゅう。おかあさまのことぜんぶかく」


 「全部?」


 「おはなのこと。おべんきょうのこと。ごはんのこと。ぜんぶ」


 リリアーナが笑った。今度は本当に笑った。涙も一緒に落ちたが。


 「楽しみにしてるわ」



 午後。エドヴァルトが中庭で木剣を振っていた。


 二十歳。騎士として正式に叙任されている。筋肉質の腕。日焼けした肌。だが妹の前ではいつも笑っている。


 「セレス、見てろ。新しい型を覚えた」


 木剣が空を切った。流れるような動き。剣術の型は芸術に近い。


 「すごい。おにいさま、かっこいい」


 「だろう? 今度は実戦でも使えるようにする」


 エドヴァルトが木剣を置き、セレスティアの前にしゃがんだ。


 「セレス。学園では俺がいない。ヴォルフは門の外にいるが、寮の中には入れない」


 「うん」


 「何かあったら鷹便を飛ばせ。半日で駆けつける」


 「おにいさま、騎士団のおしごとは」


 「妹より大事な仕事はない」


 不器用な言葉。だが本気だ。


 今世では守る。兄を。この笑顔を。


 「おにいさま。しなないでって、やくそくしたよね」


 「した。百まで生きる」


 「ひゃくまでいきて」


 「しつこいな。約束は一度でいい」


 エドヴァルトがセレスティアの頭を撫でた。大きな手。ごつごつした手。


 この手は剣を握る手だが、妹の頭を撫でる時だけは柔らかくなる。



 書庫。フェリクスが本を読んでいた。


 十五歳。銀髪に眼鏡。相変わらず机の上は本の山だ。だが三年前と違い、目の下の隈は薄くなっている。生活が規則的になったのだ。マルガレーテが毎日決まった時間に食事を持ってくるようになってから。


 「セレス。学園に持っていく本のリストを作った」


 「リスト?」


 「三十冊。魔力学、薬草学、歴史学、地理学、政治学の基礎。これだけ読めば初等部の授業は問題ない」


 「さんじゅっさつ」


 「足りないか? 五十冊にするか?」


 「たりなくない。おおい」


 フェリクスは首を傾げた。「少ないと思ったが」。学者の感覚はずれている。


 「おにいさま。がくえんのひとたちって、どんなかんじ?」


 フェリクスがページをめくった。「人間関係については調べてある。大きく三つに分かれている。宰相派、王妃派、中立だ」


 「さいしょうは」


 「イザベラを中心に宰相の息のかかった子女が集まる。お前が入ると、間違いなく最初から牽制してくる。ヴィオレッタもそちら寄りに見られている」


 「……ルシアンさまは」


 フェリクスが一度ページを閉じた。「第二王子については情報が薄い。宰相派でも王妃派でもない。だが独自に動いている形跡がある。距離が読めない相手だ」


 「わかった」


 セレスティアは少しの間、その言葉を頭の中に置いた。宰相派。王妃派。中立。そしてルシアン。


 「おにいさま。ひとつおねがいがあるの」


 「何だ」


 「おかあさまを、みてて。わたしがいないあいだ」


 フェリクスの手が止まった。本のページを押さえたまま、セレスティアを見た。


 「母上を」


 「おかあさま、わたしがいなくなったらさみしがる。おにいさまは、おうちにいるでしょ。だから」


 「……俺は人付き合いが得意じゃない。母上の相手なんか」


 「おにいさまがむずかしいかおしてほんよんでるだけで、おかあさまはうれしいの。そばにいるだけでいいの」


 フェリクスは黙った。しばらくして、眼鏡を直した。


 「善処する」


 学者らしい回答。だがフェリクスの声は少しだけ柔らかかった。



 夕方。マルガレーテがセレスティアの部屋で荷物の準備をしていた。


 学園に持っていく衣類。日用品。筆記用具。フェリクスのリストの本。


 一つずつ丁寧に畳み、箱に入れている。


 マルガレーテの手が震えていた。


 「マルガレーテ」


 「はい、お嬢様」


 「てがふるえてる」


 「あら。寒いのかしら」


 夏だ。寒いはずがない。


 「マルガレーテ、さみしい?」


 マルガレーテの手が完全に止まった。


 衣類を持ったまま、動かない。


 「……マルガレーテは、お嬢様がお生まれになった日からお傍にいました」


 「うん」


 「赤ちゃんの頃、夜泣きする度にあやしました。初めて歩いた日も、初めて言葉を話した日も、マルガレーテが傍にいました」


 「うん」


 「お嬢様が三歳のあの朝から、少し変わられた時も。怖い夢を見る夜も。ずっと」


 マルガレーテの声が震えた。


 「六年間。毎日。毎日、お傍にいました。それが当たり前で、それがマルガレーテの全てで」


 「マルガレーテ」


 「寂しいです」


 涙が落ちた。マルガレーテが泣くのを見たのは、あの夜泣きの夜以来だ。


 「寂しいです。お嬢様がいなくなるのが。部屋が空っぽになるのが。朝起こす人がいなくなるのが」


 セレスティアはマルガレーテに駆け寄り、腰に抱きついた。


 「マルガレーテ。わたし、もどってくるよ。なつやすみと、ふゆやすみと、はるやすみ。もどってくる」


 「分かっています。分かっているのに」


 「おてがみもかく。マルガレーテにいちばんさいしょにかく」


 「一番最初に?」


 「うん。いちばんさいしょ。おかあさまよりさき」


 マルガレーテが泣き笑いした。


 「お母様より先は駄目ですよ。お母様が拗ねます」


 「じゃあおなじひにだす。ふたつ」


 「ふふ。それなら」


 マルガレーテがセレスティアを抱き上げた。六歳。もう赤ん坊ではない。だが侍女長の腕にはまだ収まる。


 「マルガレーテ。わたしのいちばんだいじなひと」


 「お嬢様も、マルガレーテの一番大事なお嬢様です。世界で一番」


 夕日が窓から差し込んでいた。二人の影が長く伸びる。


 この温もりを、忘れない。


 学園で何があっても。どんな敵と戦っても。


 帰る場所がある。待っている人がいる。


 それだけで、戦える。



 夜。


 セレスティアは寝台に横になっていた。


 枕元に六歳の誕生日にもらったものが並んでいる。木彫りの兎。ブローチ。手袋。本。母が縫ってくれた白いドレスは箪笥にかけてある。


 あと数週間で、この部屋を離れる。


 前世では七歳の入学が恐ろしかった。孤独の始まり。誰も味方がいない場所に放り込まれる恐怖。


 今世は違う。アレクシスがいる。フリーデリケがいる。コンラートがいる。ナターシャが付いてきてくれる。


 それでも。


 この家を離れるのは寂しい。


 母の匂い。兄の笑い声。父の静かな頷き。マルガレーテの子守唄。ヴォルフの影のような存在。


 手放すのではない。離れるだけだ。糸は繋がっている。手紙で。鷹便で。想いで。


 目を閉じた。


 今夜は断頭台の夢を見ない気がする。


 もしかしたら、庭の花の夢を見るかもしれない。


 母と手を繋いで歩いた庭。クレマチスの花。夏の匂い。


 最後の夏が終わる。


 だが夏はまた来る。


 来年の夏は、学園で迎える。その次の夏は、また家族と。


 十二年分の夏がある。


 全部、守ってみせる。


 セレスティアは微笑んで眠った。


 木彫りの兎が枕元で見守っている。


 朝が来る。また一日が始まる。


 最後の夏の、最後の夜。


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