6歳の誕生日
セレスティア・フォン・アルヴェインは六歳になった。
前世の六歳の誕生日を、セレスティアは覚えている。
母は病床にいた。起き上がることもできず、枕元から「おめでとう」と囁いた。声が掠れていた。父は王都にいた。不在。兄たちも別の場所にいた。マルガレーテがケーキを用意してくれたが、一人で食べた。ロウソクの灯りが寂しかった。
今世の六歳の誕生日は、全く違う光景だった。
◇
朝、目を覚ますと、枕元に花束が置いてあった。
白いマーガレットの花束。朝露がまだ花弁に残っている。摘みたてだ。花束に小さなカードが添えてあった。
『お嬢様、お誕生日おめでとうございます。朝一番に摘んできました。――マルガレーテ』
マルガレーテ。マーガレットと同じ名前の侍女長。自分と同じ名前の花を、自分で摘んできた。
セレスティアは花束を胸に抱いた。花の香りが鼻をくすぐる。
「ありがとう、マルガレーテ」
部屋の外で、マルガレーテがくしゃみをした。朝露の中で花を摘んだせいだろう。セレスティアは笑った。
着替えを済ませ、食堂に向かうと、扉の前にヴォルフが立っていた。いつもの位置。いつもの姿勢。だが今日は、胸元に何かがある。
胸元にあったのは、手のひらに収まるほど小さな、兎の木彫りだった。
「お嬢様。お誕生日おめでとうございます」
「ヴォルフ! これ、くれるの?」
「拙い物ですが」
セレスティアは兎の木彫りを受け取った。粗削りだが、丁寧に彫られている。耳の曲線。小さな尻尾。ヴォルフが夜の見張りの間に、少しずつ彫ったのだろう。
「かわいい。ありがとう」
ヴォルフの目が一瞬だけ和らいだ。食堂の扉を開けると、歓声が上がった。
「おめでとう、セレスティア!」
誕生日の朝食を囲んで、家族が揃っていた。
テーブルの上座に父、ライナルト。右に母、リリアーナ。左にエドヴァルト。その隣にフェリクス。テーブルの中央には大きなケーキ。白い生クリームに、イチゴが飾られている。ロウソクが六本、灯っている。
「おかあさま、おとうさま、おにいさまたち……」
全員がいる。
「さ、おいで。席に着きなさい」
リリアーナが手招きした。今日の母は特別に美しい。髪を結い上げ、淡い紫のドレスを着ている。頬に血色があり、目が輝いている。セレスティアは母の隣に座った。
「お母様からのプレゼントよ」
リリアーナが箱を差し出した。薄い桃色のリボンがかかった、細長い衣装箱だった。蓋を開けると、丁寧に畳まれたドレスが現れた。
白い絹のドレスだった。胸元には小さな銀の刺繍、裾には淡い青の花模様があしらわれている。リリアーナが自分で縫った手作りの一着だ。
「おかあさま、きれい。これ、おかあさまがつくったの?」
「ええ。少し縫い目が曲がっているところもあるけれど……」
「だいすき」
セレスティアはドレスを胸に押し当てた。涙が出そうになったが、堪えた。今日は泣かない。笑う日だ。
「次は私だ」
公爵が小さな箱を差し出した。中身はブローチだった。銀の台座に、碧い宝石が嵌め込まれている。
「魔力制御用のブローチだ。宝石に微量の魔力を貯蔵できる。魔力が不安定な時に、ここに逃がすことで暴走を防ぐ」
セレスティアにとっては、何よりも嬉しい贈り物だった。四歳の時にもらった品は魔力を安定させるものだったが、今度のブローチは、溢れそうな力を外へ逃がしてくれる。
去年の演習場のことを、父は一度も口にしていない。
「ありがとう、おとうさま」
公爵は一度頷いただけだったが、その仕草には言葉にならない感情がこもっていた。
「俺からだ」
エドヴァルトが革の手袋を差し出した。子供用の小さな手袋。だが革は本物で、頑丈だ。
「馬に乗る時に使え。いずれお前にも乗馬を教える」
「おうまにのれるの?」
「公爵家の人間が馬に乗れないのは恥だ」
「僕からはこれだ」
フェリクスが本を差し出した。分厚い革表紙の本。
「魔力学の基礎理論。ヨハン先生の著書だ。先生が『誕生日祝いに』と言って一冊くれた。サインつきだ」
表紙の裏に、ヨハンの走り書きがあった。
『セレスティアへ。六歳の誕生日おめでとう。この本を読めるようになったら一人前だ。――ヨハン』
「みんな、ありがとう」
セレスティアは一人ずつ顔を見た。父。母。エドヴァルト。フェリクス。テーブルの端に控えるマルガレーテ。扉の前に立つヴォルフ。窓辺に控えるカタリナ。見慣れた顔が、今日はすべてそこにあった。
この光景を守るために、自分は戻ってきたのだ。
「ロウソクを吹き消しなさい」
リリアーナに促され、セレスティアはケーキの前に立った。六本のロウソクに灯る小さな炎を見つめ、願い事を考える。
前世の六歳の誕生日、一人で吹き消した時に何を願ったのかは覚えていない。たぶん、母が元気になりますように、と願ったのだろう。あの時は叶わなかった願いが、今世ではすでに叶っている。ならば今は、別の願いを選べる。
この家族が、みんな笑っていられますように。
十二年後の処刑の日まで、誰一人欠けることなく。ふっ、と息を吹くと、六本の炎が一斉に消えた。
拍手が起きた。フリーデリケみたいに手を叩くカタリナ、控えめに手を合わせるマルガレーテ。拍手はしないが、ヴォルフも微かに頷いた。
「おめでとう」
母の声に父の声が続き、兄たちも同じ言葉を重ねた。
「おめでとうございます」
使用人たちの祝いの声まで重なり、食堂は温かな祝福で満たされた。セレスティアは笑った。
今日だけは、策士でも蜘蛛でもない。家族に祝われる、六歳の普通の女の子でいられた。これが幸せなのだと思った。
◇
夜になると、誕生日の一日が終わり、セレスティアは自室に戻った。
寝台の上に、今日もらった花束や木彫りの兎、ドレス、ブローチ、手袋、本を並べた。一つずつ触れていくと、どれにも贈り主の温かさが残っている気がした。
窓の外に星が見えた。公爵領の空は広い。王都と違って、星がよく見える。
遠くの空に、雲が細く流れていた。まるで、誰かが糸を張るように。
セレスティアは星を見上げながら、計算を始めた。六歳。前世の処刑まで、あと十二年。
長いようで短い。だが三歳からここまでの三年間で、既に多くのことを変えた。
あと十二年あれば、もっと多くのことができる。三年間で積み上げたものを思えば、そう信じられた。
セレスティアは寝台に横になった。枕元に木彫りの兎を置いた。ヴォルフの贈り物。目を閉じる。
明日からまた、訓練と学問と計画の日々が始まる。だが今夜だけは家族の温もりを抱きしめ、六歳の女の子として眠ってよい。セレスティアは前世にはなかった幸福を噛みしめながら、微笑んで眠りについた。
六本のロウソクの炎は消えた。だが心の中の炎は、消えない。あと十二年。この世界を、書き換えてみせる。




