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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
第2章 五歳の令嬢、王都の盤面へ

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ヨハンの訪問

 馬車が正門をくぐってきたのは、昼前だった。セレスティアは二階の窓から見ていた。


 質素な馬車だ。紋章がない。王都の学者が使うような、地味な黒塗りの箱。御者台には見慣れた学者が座っていた。ぼさぼさの栗色の髪。度の強い眼鏡。外套が着崩れている。旅装なのに、本を膝に開いたまま読んでいる。


 ヨハン・エッケルトだ。王都の裏通りにある研究室で出会って以来、ヨハンには何度か指導を受けた。王都滞在の最後の二週間、フェリクスに連れられてあの本だらけの部屋へ通い、光と闇の分離制御を少しずつ練習した。


 公爵領に戻ってからは、フェリクス経由の手紙だけが頼りだった。訓練記録を送り、返ってきた指示を読み、毎朝その通りに水晶を握る。だから、ヨハン本人が公爵邸に来るのは初めてだった。


 本を読みながら馬車を降りようとしている。その変わらなさに、少し安心した。セレスティアは廊下を駆けた。


 ◇


 玄関ホールにフェリクスが先に出ていた。


 「ヨハン先生。遠路、ありがとうございます」


 「いや、本で読んでいたら着いた。問題ない」


 ヨハンが馬車を降りた。背が高い。だが猫背で、実際より低く見える。手に本を持ったまま、フェリクスと握手した。


 セレスティアが玄関に出た瞬間、ヨハンが眼鏡の奥からこちらを見た。


 「ほう」


 それだけだった。ヨハンはしばらくセレスティアを見つめた。初対面の時と同じ、品定めではなく、虫眼鏡で昆虫を観察するような目だった。


 「小さいな」


 「五さいです」


 「知っている。だが想像より小さい」


 「ヨハン先生は、相変わらず年よりに見えます」


 フェリクスが咳払いをした。ヨハンは動じなかった。


 「正しい。私は老いている。だが頭はまだ動く。お前はどうだ」


 「うごきます」


 「見せてもらおう」


 ◇


 フェリクスがヨハンを案内したのは、いつも訓練に使っている西棟の研究室だった。日中だというのに窓には厚いカーテンが引かれ、床には水晶を落としても割れないよう革布が敷かれている。廊下からは使用人の足音一つ聞こえなかった。


 「ずいぶん静かだな」


 「先生がいらっしゃる間だけ、西棟の仕事を止めてもらいました。表向きは、古文書の照合です」


 ヨハンは眼鏡の位置を直し、閉ざされた窓と、扉の外に立つヴォルフを順に見た。


 「それでいい。見せる相手は選べ」


 そう言って作業机の前に椅子を引き、ようやく本を閉じて机上へ置いた。本を手から離しただけで、読書する人から観察する人へ集中が切り替わったのが分かる。フェリクスはすぐ傍に立ち、心配そうに妹を見ていた。


 「普段通りにやれ。見ているだけだ」


 セレスティアは訓練用の水晶棒を左右の手に一本ずつ握り、三秒、四秒、五秒と呼吸を整えた。


 意識を二つに分け、右に光、左に闇を同時に流す。光は広がろうとし、闇は収縮しようとする。逆の性質を持つ二つを同じ呼吸で動かすのは難しい。それでもやがて、二本の水晶に白と黒の光が灯った。


 一秒。二秒。三秒。四秒。五秒。六秒。七秒。


 揺らいだ。右の光が不安定になった。吐く息で整える。八秒。九秒。十秒。


 「離せ」


 フェリクスに促されて手を開くと、水晶は床に敷いた厚い革布の上へ落ちた。額には汗が滲んでいる。十秒が限界だった。


 ヨハンが立っていた。いつの間にか立っていた。


 「もう一度」


 「先生、一日に一回が上限のはずです」


 フェリクスが口を挟んだ。


 「見たいのは限界ではなく、構造だ。一秒でいい。もう一度やれ」


 セレスティアは水晶を拾い直した。ヨハンが間近に来た。眼鏡が光を反射している。


 「今度は目を閉じるな」


 「めをとじていませんでした」


 「そうか。では今度は私を見ながらやれ」


 奇妙な指示だった。だがセレスティアは従った。


 ヨハンの目を見ながら、呼吸を整える。光と闇を同時に起こす。三秒。


 「止めろ」


 止めた。ヨハンが眼鏡を押し上げた。


 「フェリクス君」


 「はい」


 「この波形を、正直に言うと、私は長年の研究で一度しか見たことがない」


 フェリクスが息を飲んだ。


 「一度、というのは」


 「文献の中でだ。実物は初めて」


 「エステルの記録か」フェリクスが静かに言った。


 ヨハンが眼鏡を押し上げた。「知っているか」


 「先生が以前送ってくれた資料に、名前だけあった。三百年前の保有者だと」


 「そうだ。詳細は散逸している。だが残った断片と、今の型は一致する」


 沈黙が落ちた。フェリクスが何か言いかけて、止まった。ヨハンがフェリクスの言葉を制するように、先に続けた。


 「驚いているな。だがそれは今はいい。大事なのは次だ」


 ヨハンはセレスティアの目線まで身を屈めた。ランプの明かりが、ぼさぼさの栗色の髪と眼鏡の縁に淡く映っている。その奥の目は温かかった。


 「セレスティア」


 「はい」


 「二秒だった保持が、十秒まで伸びた。伸びることは怖いか」


 考えた。伸びること自体は怖くない。だが、暴走したらと思うと怖い。十秒という数字が、力の大きさをはっきり見せてくるから。


 「のびるのは、こわくない。でも、しっぱいしたらこわい」


 「正直だな」


 ヨハンが立ち上がった。


 「失敗しないようにする方法だけを考えろ。力そのものを怖がるな。それは訓練で解決できる。だが怖がることだけは訓練で解決できない」


 セレスティアは頷いた。


 ◇


 夕方、ヨハンは屋敷の書斎でフェリクスと話し込んだ。セレスティアは扉の外で、少しだけ聞いた。


 聞くつもりはなかった。扉に向かっていたら、声が漏れていた。それだけだ。だが足が止まった。


 「保護が必要だ」


 ヨハンの声。


 「分かっています。父も動いています」


 フェリクスの声。


 「宰相は気づいているかもしれない」


 「……それも、把握しています」


 「では私には何もできないな。学者にできることは、知識を渡すことだけだ」


 「十分です、先生」


 「……本当に、五歳か」


 「五歳です」


 「そうか」


 長い沈黙。


 「手紙の指示通りに続けろ。間違っていない。ただ、無理はさせるな。この子は身体が小さすぎる。魔力の器は大きいが、身体の器が追いついていない。焦らせるな」


 「はい」


 「それだけだ。あとは時間がやる。時間と訓練。それ以外に方法はない」


 セレスティアは扉から離れた。聞いた言葉を、心の中で繰り返した。身体の器が追いついていない。それは分かっていた。でも「焦らせるな」という言葉が、誰かに言ってもらえたのは初めてだった。


 ◇


 ヨハンが馬車に戻る時、セレスティアは門まで見送った。


 「先生、またきますか」


 「用があれば来る」


 「ようって、なんですか」


 「また見たくなったら来る」


 同じことだった。ヨハンが馬車に乗り込んだ。本をまた開いた。御者が馬を動かし始めた。


 馬車が走り出す直前、ヨハンが窓から顔を出した。


 「セレスティア」


 「はい」


 「力を怖がるな。それだけを守れ」


 馬車が動き出した。セレスティアはそれが見えなくなるまで門の前に立ち、「怖がるな」という言葉を胸の内で繰り返した。


 前世でも、誰かにそう言われたかった。ヨハンは本を読みながら馬車に揺られ、遠い領地にいる五歳の子供を見に来てくれた。


 「また見たくなったら来る」と言った。研究者の言葉だ。だが、悪くなかった。


 見たいものがある限り、また来てくれる。その約束だけで十分だった。


 夏の終わりの夕暮れ。空が橙から紫に変わり始めている。ヨハンの馬車はもう見えない。門の影が長く伸びている。


 セレスティアは屋敷に戻った。力を怖がらない。その言葉を、胸の中の確かな場所に置いた。


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― 新着の感想 ―
どこに宰相の眼があるかわからないのに庭で訓練はないでしょうと思いました
今までも思っていたが、この作者は、自分の書いたことを覚えていないのだろうか。 同じくだりあったり、あったことが無くなっていたり、ヨハンの家行って指導受けてるの何処行ったんだろう。1度しか自ら読み直した…
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