手紙の網
セレスティアは手紙を書く子供になった。朝の訓練を終え、昼食までの時間になると、書斎の隅にある小さな机で便箋に向かう。五歳らしい拙い字の方が、読む者にも警戒されにくい。最初に封を確かめたのは、ラベンダーの押し花を添え、「またおはなし、したいです」と結んだアレクシスへの手紙だった。
二通目は、フリーデリケへ。
『フリーデリケちゃん、おげんきですか。わたし、おうちでおはなのなまえをもっとおぼえたよ。つぎあったら、おしえるね。フリーデリケちゃんのえ、またみたいな。セレスティアより』
フリーデリケへの便りには、会えない間に見つけた花の話を書いた。返事に絵が添えられていたら嬉しい。そう思いながら封をして、コンラート宛ての便箋を広げた。
『コンラートさま、おげんきですか。おにいさまのエドヴァルトがかえってきました。とてもつよいきしです。コンラートさまもおうちでけんじゅつをしていますか。おにいさまが「コンラートくんはすじがいい」っていってました。つぎあったら、もっとつよくなっているんだろうな。セレスティアより』
コンラートの名を初めて聞いたのは、兄からだった。五歳なのに剣の筋がよいと、あの日のエドヴァルトは感心していた。その少年と自分も友人になれたことが嬉しい。本人にも兄の評価を伝えたくなった。
四通目は、フェリクス経由でヨハンへ。これは手紙ではなく、訓練の記録だ。セレスティアが伝えた内容をフェリクスが清書し、それから古代文字の暗号文へ変換してヨハンに送る。
『同時保持時間:五秒。光の密度不安定。闇の制御は比較的容易。右手の震えあり。呼吸法を三秒から四秒に変更して試行中』
これは暗号化前の記録で、実際の便箋には「光」も「闇」も書かれない。二つの属性は植物の根と枝、秒数は古い暦の数字に置き換えられ、傍目には植物の生育記録にしか見えなかった。
ヨハンからの返信も古代文字で届く。フェリクスが暗号帳を使ってその場で復号し、セレスティアに読み聞かせた内容は、次の通りだった。
『四秒呼吸を採用せよ。ただし吐く段階を五秒に延ばすこと。排出を長くすることで、光の安定性が上がる可能性がある。次回の訪問時に詳しく指導する。無理は禁物』
師と弟子の文通。だが内容が知られれば、聖魔力の存在が確定してしまう。運搬される便箋に、今の文面は残っていない。フェリクスの暗号は王立学術院の古代文字を応用したもので、解読には暗号帳と専門知識の両方が要る。
五通目は、ナターシャへ。これが最も重要で、最も慎重を要する手紙だった。
ナターシャは今、王都の別邸で家政婦長のもとに働いている。同僚と市場へ買い出しに出た時や、仕事の合間に聞いた話を便りにしてくれる。確かめるために誰かを追ったり、よその家へ入り込んだりはしない。その範囲でも、公爵領にいるセレスティアには届かない話があった。
手紙は、ナターシャの故郷の村を経由する。ナターシャが七歳から手伝っていた近所の農家が、定期的に王都の市場に農産物を送っている。その荷の中に手紙を忍ばせる。宰相派の監視網は貴族間の書簡を見張っているが、農家の荷物までは見ない。
『ナターシャへ。おげんきですか。わたしはげんきです。おかあさまもげんきです。おうとのおともだちのこと、もっとしりたいな。おしえてね。セレスティアより』
ナターシャからの返信は、同じルートで届く。
『お嬢様。お元気そうで安心いたしました。お友達のお話ですが、最近新しいお友達が増えました。ガルニエ家のお友達(使用人)が二人増え、ベルンハルト家のお友達(使用人)が一人減りました。ヴェンデル家のお友達(使用人)は変わりありません。市場で面白いお話を聞きました。王宮の台所で働くおばさんが、最近「偉い人」がよく夜遅くまで王宮にいると言っていました。ナターシャより』
ナターシャの字だ。丸くて、少し不揃い。覚えたての文字の、懸命な跡。
それを見ただけで、胸の奥が少し温かくなった。前世でも、最後までそばにいた人。――また会いたいな。
その思いだけは、計算ではなかった。セレスティアは息を一つ吐いて、手紙の内容に意識を戻した。
断片的な情報だ。だがこれらを繋ぎ合わせれば、絵が見えてくる。
セレスティアは手紙を全て書き終え、封をした。マルガレーテが部屋に入ってきた。
「お嬢様、今日もたくさんお手紙をお書きになって。お友達思いですね」
「おともだちにおてがみかくの、たのしいの」
「結構なことです。でも、お昼のお食事の時間ですよ」
「はーい」
セレスティアは手紙を束ね、マルガレーテに渡した。投函はマルガレーテが行う。ナターシャ宛だけは別ルートで、ヴォルフに託す。
ヴォルフは何も聞かない。手紙を受け取り、然るべき経路に乗せるだけだ。
◇
昼食の後、セレスティアは書斎の窓辺で考えていた。
手紙の網。五歳の少女が王国中に張り巡らせる情報の糸。
一本一本は細い。脆い。風が吹けば切れるかもしれない。
だが本数が増えれば、網になる。網は一本の糸より強い。
全ての糸が、セレスティアの手元に集まる。五歳の、小さな手に。
「お嬢様」
ヴォルフの声。
「エドヴァルト様が、午後の稽古の見学に来るかとお尋ねです」
「いく」
セレスティアは立ち上がった。手紙の時間が終われば、午後は剣の動きや騎士の連携、戦術の基礎という別の学びが待っている。
どのような知識も武器になる。そう考えながら、セレスティアは歩き出した。
封をした手紙の束は、もうセレスティアの手を離れていた。届いた先で、誰かの一日を少しずつ動かしていく。




