手紙の網
セレスティアは手紙を書く子供になった。
朝の訓練の後、昼食の前。書斎の隅にある小さな机で、便箋に向かう。五歳の字は拙い。だがそれでいい。拙い字の方が、子供らしくて警戒されない。
最初の手紙は、アレクシスへ。
『殿下、おげんきですか。わたしはおうちにかえりました。おかあさまがとてもげんきです。おにわのラベンダーがさきました。殿下のおかあさまのおへやにもあるって、いってましたね。いいにおいです。またおはなし、したいです。セレスティアより』
二通目は、フリーデリケへ。
『フリーデリケちゃん、おげんきですか。わたし、おうちでおはなのなまえをもっとおぼえたよ。つぎあったら、おしえるね。フリーデリケちゃんのえ、またみたいな。セレスティアより』
この手紙だけは、計算がない。純粋な友人への手紙。フリーデリケには政治を持ち込まない。この子だけは、清い場所に置いておきたい。
三通目は、コンラートへ。
『コンラートさま、おげんきですか。おにいさまのエドヴァルトがかえってきました。とてもつよいきしです。コンラートさまもおうちでけんじゅつをしていますか。おにいさまが「コンラートくんはすじがいい」っていってました。つぎあったら、もっとつよくなっているんだろうな。セレスティアより』
エドヴァルトは実際にはコンラートのことを知らない。嘘だ。だが「公爵家の嫡男がコンラートを評価している」という情報は、辺境伯家との関係強化に繋がる。八歳の少年は褒められれば嬉しい。単純な動機が、最も確実な絆を生む。
四通目は、フェリクス経由でヨハンへ。
これは手紙ではなく、訓練の記録だ。フェリクスが清書し、暗号化してヨハンに送る。
『同時保持時間:五秒。光の密度不安定。闇の制御は比較的容易。右手の震えあり。呼吸法を三秒から四秒に変更して試行中』
ヨハンからの返信は、フェリクスを通じて届く。
『四秒呼吸を採用せよ。ただし吐く段階を五秒に延ばすこと。排出を長くすることで、光の安定性が上がる可能性がある。次回の訪問時に詳しく指導する。無理は禁物』
師と弟子の文通。だが内容が知られれば、聖魔力の存在が確定してしまう。だから暗号化する。フェリクスの暗号は、王都学術院の古代文字を応用したもので、解読には専門知識が要る。
五通目は、ナターシャへ。
これが最も重要で、最も慎重を要する手紙だった。
ナターシャは今、王都の別邸に残っている。公爵家の王都拠点を管理する役目。表向きは留守番の侍女。実際はセレスティアの耳と目。
手紙は、ナターシャの実家を経由する。ナターシャの実家は公爵領の農家で、定期的に王都の市場に農産物を送っている。その荷の中に手紙を忍ばせる。宰相派の監視網は貴族間の書簡を見張っているが、農家の荷物までは見ない。
『ナターシャへ。おげんきですか。わたしはげんきです。おかあさまもげんきです。おうとのおともだちのこと、もっとしりたいな。おしえてね。セレスティアより』
ナターシャからの返信は、同じルートで届く。
『お嬢様。お元気そうで安心いたしました。お友達のお話ですが、最近新しいお友達が増えました。ガルニエ家のお友達(使用人)が二人増え、ベルンハルト家のお友達(使用人)が一人減りました。ヴェンデル家のお友達(使用人)は変わりありません。市場で面白いお話を聞きました。王宮の台所で働くおばさんが、最近「偉い人」がよく夜遅くまで王宮にいると言っていました。ナターシャより』
ナターシャの字だ。丸くて、少し不揃い。覚えたての文字の、懸命な跡。
それを見ただけで、胸の奥が少し温かくなった。
前世でも、最後までそばにいた人。
――また会いたいな。
その思いだけは、計算ではなかった。
セレスティアは息を一つ吐いて、手紙の内容に意識を戻した。
断片的な情報だ。だがこれらを繋ぎ合わせれば、絵が見えてくる。
セレスティアは手紙を全て書き終え、封をした。
マルガレーテが部屋に入ってきた。
「お嬢様、今日もたくさんお手紙をお書きになって。お友達思いですね」
「おともだちにおてがみかくの、たのしいの」
「結構なことです。でも、お昼のお食事の時間ですよ」
「はーい」
セレスティアは手紙を束ね、マルガレーテに渡した。投函はマルガレーテが行う。ナターシャ宛だけは別ルートで、ヴォルフに託す。
ヴォルフは何も聞かない。手紙を受け取り、然るべき経路に乗せるだけだ。
◇
昼食の後、セレスティアは書斎の窓辺で考えていた。
手紙の網。五歳の少女が王国中に張り巡らせる情報の糸。
一本一本は細い。脆い。風が吹けば切れるかもしれない。
だが本数が増えれば、網になる。網は一本の糸より強い。
全ての糸が、セレスティアの手元に集まる。五歳の、小さな手に。
「お嬢様」
ヴォルフの声。
「エドヴァルト様が、午後の稽古の見学に来るかとお尋ねです」
「いく」
セレスティアは立ち上がった。
手紙の時間は終わり。午後は別の学びが待っている。
剣の動き。騎士の連携。戦術の基礎。
知識は武器だ。あらゆる種類の知識が。
セレスティアは歩き出した。
蜘蛛の糸は、一本ずつ、確実に張られていく。
いつか、その網が宰相を捕らえる日のために。




