公爵の決意
帰還から三日後。
公爵ライナルトが、セレスティアを書斎に呼んだ。
「座れ」
書斎の椅子はセレスティアには大きすぎた。足が床に届かない。だが背筋は伸ばす。この部屋では、子供ではなく「情報源」として扱われる。
公爵は執務机の向こうに座り、手元の書類を脇に退けた。
「王都で見たことを報告しろ。お前の目で見たことを」
「はい」
セレスティアは深呼吸した。
子供の言葉で語る。だが中身は五歳児のそれではない。十八年分の記憶と、八週間の観察を凝縮する。
「おうじさま……殿下は、やさしいひとです。でも、まわりのおとなが殿下をかたくしようとしています」
「硬く?」
「かんじょうをみせちゃいけない、っておしえこまれてます。ないちゃいけない、わらっちゃいけない、って」
公爵の目が細くなった。
「それは宰相の教育方針か」
「たぶん。殿下のつきそいのひと……カスパルっていうじじゅうが、いつも殿下のそばにいて、殿下のすることをぜんぶみてます」
「カスパル。王太子付き侍従か」
「はい。あのひと、殿下がだれとはなしたか、なにをしたか、ぜんぶおぼえてます。きろくしてるみたいに」
公爵は椅子の背にもたれた。指を組む。考えている。
「宰相派のスパイだと?」
「わかりません。でも、カスパルがいるときの殿下は、かおがかたいです。カスパルがいないときは、わらいます」
沈黙。
「他には」
「ルシアンさまに、あいました。おうさまのかぞくへのごあいさつで、いちどだけ」
公爵の目が動いた。「第二王子か」
「はなしはしませんでした。でも、みていました。ずっと」
「どんな目だ」
「……かんがえているめです。なにかをはかっているみたいな。殿下とはちがいます」
公爵は短く頷いた。それ以上は聞かなかった。
「おうひさまは、ひとりぼっちです。じじょうのはんぶんが、さいしょうのひとです。おうひさまはたたかってるけど、ひとりではかてません」
「王妃との再連携は母から聞いている。お前はそれ以上のことを知っているか」
「おうひさまは、わたしのことをしっています。おかあさまがげんきになったのに、わたしがかかわってることを」
公爵の眉が動いた。
「王妃がそう言ったのか」
「ちょくせつはいいませんでした。でも、おめめがそういってました」
目が語っていた。五歳児がそれを読み取った。公爵は溜息をついた。
「続けろ」
「さいしょうのむすめ、イザベラさま。あたまがいいです。でも、おとうさまにぜんぶかんりされてます。ふく、ほん、ともだち、ぜんぶ」
「宰相の娘が管理されている。それは当然だろう」
「でも、イザベラさまはそれがいやなんだとおもいます」
公爵が目を止めた。
「根拠は」
「……かんです」
嘘だ。根拠はある。図書室での会話。だがあれをイザベラは「報告しない」と言った。セレスティアもまた、報告しない。
公爵は「勘か」と呟き、それ以上追及しなかった。
「ふくさいしょう、マティアスさまがわたしにはなしかけてきました」
公爵の空気が変わった。鋭く。冷たく。
「フェリクスから聞いている。だが、お前の口からも聞きたい」
セレスティアは副宰相との会話を再現した。一語一語、できるだけ正確に。花の絵。画廊の案内。宰相は偉い人か。魔力暴走事件のこと。
公爵は黙って聞いていた。
「結論を言え。マティアスの目的は何だ」
「わたしのねぶみです。まりょくぼうそうのまえにでたことが、ぐうぜんかどうかをたしかめにきました」
「偶然だったのか」
沈黙。
この質問に、セレスティアはどう答えるべきか。
父は知っている。セレスティアが「普通ではない」ことを。だがどこまで知っているかは分からない。聖魔力の存在はフェリクスとヨハンしか知らない。父には伝えていない。
「……ぐうぜんじゃ、なかったかもしれません」
認めた。半分だけ。
「おなかのおくで、いやなかんじがしたの。だからでた。りゆうはわからない」
公爵は長い間、セレスティアを見つめていた。
「セレスティア」
「はい」
「お前には、何かがある。何なのかは分からん。だが何かがある」
心臓が速まった。
「私はそれを暴こうとは思わん。お前が話したい時に話せ。だが一つだけ約束しろ」
「なに」
「危険な時は、必ず私に言え。一人で抱え込むな」
今世の父は違う。この人は「守る」と決めた。ディートリヒ事件の時に。
「やくそくする」
公爵は頷いた。
「では、本題だ」
本題。今までのは前段だったのか。
公爵が机の引き出しから一通の手紙を取り出した。封蝋が押されている。王家の紋章。
「王妃殿下からの書簡だ。母が持ち帰った。内容は……宰相への対抗策を、共に練りたい、というものだ」
セレスティアの胸が高鳴った。
「おうひさまと、てをくむの?」
「そうだ。私は決めた」
公爵が立ち上がった。窓の前に立ち、領地の景色を見下ろした。
「宰相にこれ以上好きにはさせん。妻を毒で殺そうとし、娘を監視し、王太子を傀儡に仕立てようとしている。これ以上の看過は、公爵家の名に関わる」
声に怒りがあった。抑制された怒り。静かで、それゆえに恐ろしい怒り。
「だが正面からぶつかれば潰される。宰相は情報と人脈で王国を握っている。正攻法では勝てん」
「じゃあ、どうするの」
公爵がセレスティアを振り返った。
「時間をかける。味方を増やす。証拠を集める。そして――宰相が油断した瞬間に、一気に叩く」
「お前は二年後に学園に入る。その間に、公爵家の力を整える。ヘルマンに軍事面を、フェリクスに学術面を、エドヴァルトに騎士団との連携を任せる」
エドヴァルト兄。長兄。二十歳の騎士。この名前が出たのは久しぶりだ。
「おにいさま、かえってくるの?」
「もう帰っている。昨日、近衛騎士団の研修から戻った。明日からは公爵家の騎士団の再編を始める」
エドヴァルトが帰っている。
「セレスティア。お前の役目は一つだ」
「なに」
「学園に入るまでの二年間で、魔力を制御できるようになれ。お前の力は切り札だ。だが制御できなければ、切り札どころか弱点になる」
厳しい言葉。だが正しい。
今世では暴走させない。ヨハンの訓練を続ける。二秒を、十秒に、一分に、十分に伸ばす。
「がんばる」
「頑張るだけでは足りん。結果を出せ」
セレスティアは椅子から降り、公爵の前に立った。
「おとうさま」
「何だ」
「わたしたち、かてるかな」
公爵は一瞬だけ目を細め、それからセレスティアの頭に手を置いた。大きな手。戦場の古傷がある手。
「勝つ。必ず」
その声に、迷いはなかった。
公爵ライナルト・フォン・アルヴェインが、宰相との全面対決を決意した瞬間だった。
セレスティアは書斎を出た。
廊下でヴォルフが待っている。いつもの場所に。いつもの姿勢で。
「ヴォルフ」
「はい」
「あしたから、またいそがしくなるよ」
「お嬢様がお忙しくなるなら、私も忙しくなります」
当たり前のように言う。この男は、いつもそうだ。
セレスティアは歩き出した。
二年間。短い。だが前世の十八年で得られなかったものを、今世の二年で手に入れる。
七歳で学園に入る時には、もう誰にも負けない自分でいる。
銀髪の少女は前を向いて歩いた。
歩幅は小さい。だが一歩一歩、確かに前に進んでいる。




