表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

51/144

ヴォルフの過去

 ヴォルフが眠らない夜がある。


 セレスティアは知っていた。別邸の自室の扉の向こうに、この騎士が立ち続ける夜があることを。


 普段は交代制だ。ヴォルフと、もう一人の護衛騎士が四刻ずつ交代する。だが時折、ヴォルフは交代せず一晩中立っている。


 今夜がそうだった。


 副宰相の接触があった日から三日後の夜。セレスティアは寝付けなかった。前世の夢を見たからだ。


 法廷の夢。証人席に立つ人々。指を突きつけてくる貴族たち。そして――刃。


 目が覚めた。汗が冷たい。心臓が痛い。


 扉の向こうに、気配がある。


 セレスティアは寝台を降り、裸足で扉に近づいた。小さな手で、扉を少しだけ開ける。


 廊下の燭台の弱い光の中に、ヴォルフが立っていた。


 壁に背を預けず、剣の柄に手を添え、まっすぐに立っている。二十三歳の騎士。長身。灰色の短髪。暗がりの中でも鋭い緑の目。


 セレスティアが扉を開けたことに、ヴォルフはすぐ気づいた。


 「お嬢様。お目覚めですか」


 「ねむれないの」


 「……悪い夢ですか」


 セレスティアは頷いた。


 ヴォルフは一瞬だけ迷い、それから片膝をついてセレスティアの目線に合わせた。


 「お部屋にお戻りになりますか。温かい飲み物をお持ちしましょうか」


 「いい。ヴォルフとおはなしがしたい」


 「私と、ですか」


 「うん。ヴォルフもねてないでしょ」


 ヴォルフの目が僅かに見開かれた。気づかれていたことに驚いたのだ。


 「……護衛の務めですので」


 「きょうはこうたいのひじゃないよ。ヴォルフのばん、もうおわってるよ」


 沈黙。


 ヴォルフは交代時間を過ぎても立ち続けていた。それをセレスティアに指摘された。


 「……お嬢様は、よくお気づきになりますね」


 「ヴォルフのこと、みてるから」


 五歳の少女の言葉。だが嘘ではない。セレスティアはヴォルフを見ている。前世から、ずっと。


 前世のヴォルフ。セレスティアの専属騎士。寡黙で忠実で、最後の最後まで傍にいた男。処刑が決まった時、ヴォルフだけが辞職を申し出なかった。公爵家が崩壊し、他の騎士が去った後も、独房の前に立ち続けた。


 処刑の朝。ヴォルフは剣を抜いた。処刑を止めようとしたのだ。近衛騎士に取り押さえられた。セレスティアは牢の中からその音を聞いた。金属がぶつかる音。ヴォルフの声。


 「お嬢様に手を出すな」


 無駄な抵抗だった。だがヴォルフは最後まで抵抗した。


 「ヴォルフ。おへやにはいって。いっしょにすわろう」


 「お嬢様、深夜に騎士が令嬢のお部屋に入るのは――」


 「いいの。わたしがいれてっていったの」


 ヴォルフは逡巡し、それから静かに部屋に入った。扉を少しだけ開けたまま。騎士としての礼節。


 セレスティアは寝台の端に座り、ヴォルフは扉の傍に立った。


 「すわって」


 「立っております」


 「おねがい」


 ヴォルフは溜息をつき、壁際に腰を下ろした。剣は手元に置いたまま。


 月明かりが窓から差し込んでいる。白い光が部屋を淡く照らしている。


 「ヴォルフ」


 「はい」


 「ヴォルフって、ちいさいころ、どんなこだった?」


 沈黙が長かった。ヴォルフが自分の過去を語ることは、ほとんどない。セレスティアは前世でも断片的にしか知らない。


 「……私は孤児です」


 静かな声だった。


 「王都の南区で生まれました。親の顔は知りません。物心ついた時には、路地裏で暮らしていました」


 路地裏。王都の暗部。浮浪児が溢れる場所。盗みを覚え、喧嘩を覚え、生き延びる術を叩き込まれる場所。


 「八つの時に、公爵家の馬車を襲いました」


 「えっ」


 「食い詰めて。仲間と三人で、馬車の荷物を盗もうとしたのです」


 セレスティアは息を呑んだ。前世では知らなかった話だ。


 「公爵閣下が直接、馬車から降りてこられました」


 「おとうさまが?」


 「はい。八歳の浮浪児三人を前に、剣を抜くでもなく、騎士を呼ぶでもなく、ただ立って、こう仰いました」


 ヴォルフの目が遠くなった。十五年前の記憶を見ている。


 「『腹が減っているのか。ならば食わせてやる。だが盗みはするな。盗みは弱い者のすることだ。お前は弱いのか?』」


 「私は答えました。『弱くない』と。嘘でした。弱いから盗みをしていたのです。でも、あの時、あの方の前で『弱い』とは言えなかった」


 「……それで?」


 「公爵閣下は私を馬車に乗せ、公爵家に連れ帰りました。仲間の二人も。三人とも公爵家の使用人見習いとして引き取られました」


 セレスティアの目が熱くなった。


 父はそういう人だ。冷徹で合理的に見えるが、根本に「弱者を拾う」強さがある。


 「仲間の一人は料理人になりました。もう一人は公爵領の農夫になりました。私は――剣を選びました」


 「どうして?」


 「公爵閣下にお返しをしたかった。命を救ってくださった恩を。だが私には学もなければ才覚もない。できるのは身体を張ることだけでした」


 ヴォルフは自分の手を見た。大きな手。剣胼胝がある手。


 「騎士の訓練は厳しかった。何度も辞めようと思いました。だが辞めれば路地裏に戻る。あの暗い場所に。だから歯を食いしばって続けました」


 「それで、つよくなったの」


 「強いかどうかは分かりません。ただ、立ち続けることはできるようになりました」


 立ち続ける。今夜もそうだ。交代時間を過ぎても、立ち続けている。


 「お嬢様のお傍に配属された時、公爵閣下に言われました。『この子を守れ。命に代えても』と」


 「おとうさまが」


 「最初は、赤子のお守りかと思いました。騎士の務めではないと」


 ヴォルフの唇の端が、ほんの僅かに上がった。この男にしては珍しい表情の変化。


 「しかしお嬢様を見ているうちに、分かりました。この方は普通のお子ではない。守るべき方だと」


 「わたし、ふつうじゃない?」


 「三歳の時に、初めてお会いした日のことを覚えています。お嬢様は私を見上げて、こう仰いました」


 セレスティアは記憶を辿った。三歳の頃。ヴォルフと初めて会った日。


 「『ヴォルフ、よろしくね』と。三歳のお嬢様が、初対面の騎士の名を知っていた。誰も紹介していないのに」


 セレスティアの背筋が冷えた。


 前世の記憶だ。ヴォルフの名前を知っていたのは、前世で長年傍にいたから。それを三歳の自分がうっかり口にしてしまっていた。


 「……マルガレーテにきいたの」


 「マルガレーテ殿に確認しましたが、お嬢様にお名前をお伝えしていないと仰っていました」


 嘘が通じていなかった。二年も前のことを、ヴォルフは覚えている。


 「それ以来、私はお嬢様を観察してきました。普通の子供ではないことは確かです。何を見て、何を知っているのか、私には分かりません。分かる必要もありません」


 ヴォルフの目がセレスティアを捉えた。緑の目。暗がりの中で光る、獣のような目。


 「私の務めは守ることです。お嬢様が何者であろうと、私はお傍を離れません」


 セレスティアの喉が詰まった。


 「ヴォルフ」


 「はい」


 「わたし、こわいゆめをみるの。くびを……きられるゆめ」


 声が震えた。


 今まで誰にも言えなかった言葉。フリーデリケにも、フェリクスにも、父にも母にも。


 首を切られる夢。それは「悪夢」ではない。「記憶」だ。実際に起きたことだ。


 なぜヴォルフに言えたのか、自分でも分からない。ただ、この男の前では、嘘をつかなくてもいいと思った。


 ヴォルフは顔色を変えなかった。


 五歳の少女が「首を切られる夢を見る」と言った。普通なら動揺する。原因を問う。心配する。


 ヴォルフは何もしなかった。ただ、膝の上の剣に手を置いた。


 「誰にも切らせません」


 低い声。鉄のような声。


 「この剣にかけて。お嬢様の首には、誰一人、指一本触れさせません」


 誓い。騎士の誓い。形式ではない。命を賭けた誓い。


 セレスティアの目から涙が落ちた。


 堪えようとしたが、堪えられなかった。五歳の身体は、感情の制御が効かない。


 泣いた。声を殺して。拳を握って。


 ヴォルフは動かなかった。慰めもしなかった。背中をさすりもしなかった。


 ただそこにいた。


 騎士として。壁として。盾として。


 泣き止むまで、ヴォルフはそこにいた。


 ◇


 翌朝。


 セレスティアが目を覚ました時、ヴォルフは部屋の外に立っていた。いつもの位置に。いつもの姿勢で。


 昨夜のことは、なかったかのように。


 「おはよう、ヴォルフ」


 「おはようございます、お嬢様」


 いつもの声。いつもの目。


 だがセレスティアには分かった。ヴォルフの立ち方が、昨日と違う。


 剣の位置が、ほんの少し前に出ている。いつでも抜けるように。


 五歳の少女の告白が、騎士の覚悟を一段階引き上げた。


 セレスティアは小さく笑った。


 「きょうもよろしくね、ヴォルフ」


 「はい。お嬢様」


 寡黙な騎士は、それだけを答えた。


 それだけで十分だった。


(この人は——必要がなくなるまで、ここを離れない。そしてその日が来たら、静かに場所を空けるのだろう。ヴォルフは、そういう人だ)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ