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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN


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家臣たちの顔

 公爵家の朝は早い。


 日が昇る前に使用人たちが動き始め、庭の手入れ、馬の世話、廊下の清掃が済む頃にようやく主人たちが目を覚ます。だがその前に、もう一つの「朝の儀式」がある。


 家臣団の朝礼だ。


 公爵家の中枢を担う家臣たちが、毎朝七時に大広間に集まり、前日の報告と当日の予定を確認する。公爵が主催し、筆頭家臣が進行を務める。


 セレスティアはこの朝礼に出席したことがない。当然だ。三歳の令嬢が家臣団の会議に顔を出す理由など、普通はない。


 だが今朝は違った。


 「マルガレーテ、おとうさまのおへやにいく」


 「大広間ですか? でもお嬢様、あちらは――」


 「いく」


 三歳児の我儘を装って、大広間の前まで来た。扉は開いていない。だが傍の柱の陰に隠れれば、扉の隙間から中の様子が窺える。


 マルガレーテは困った顔をしていたが、セレスティアが梃子でも動かない姿勢を見せると、諦めて傍に付き添ってくれた。


 扉の隙間から覗く。


 大広間には十数名の家臣が整列していた。公爵が上座に立ち、家臣たちが報告を上げている。声が断片的に聞こえる。


 「――東区画の灌漑は予定通り――」

 「――秋の収穫見込みは――」

 「――王都からの書簡が――」


 セレスティアの目は家臣たちの顔を一人ずつ確認していた。


 最前列の右端。白髪交じりの初老の男。背筋が一本の鉄のように真っ直ぐで、顔には年輪のように深い皺が刻まれている。軍人あがりの体格。厚い胸板。だが目は穏やかだ。


 ヘルマン・ゲルツ。筆頭家臣。


 前世でも、この男だけは最後までセレスティアを信じてくれた。


 処刑が決まった時、ヘルマンは公爵に直訴したという。「お嬢様は無実です」と。公爵は聞かなかった。いや、聞けなかった。政治的にセレスティアを守ることが不可能だったのだ。ヘルマンは独房のセレスティアに一度だけ面会に来て、涙を流しながら言った。


 「お守りできず、申し訳ございません」


 あの涙を、セレスティアは忘れていない。

 十八年の人生で、自分のために泣いてくれた人は、この老騎士だけだった。


 今、そのヘルマンが公爵の隣に立ち、報告を取りまとめている。声は低く、落ち着いている。家臣たちの報告に的確な指示を出し、公爵が頷く。有能で忠実な右腕。


 この人は味方だ。確信がある。前世でも今世でも変わらない。


 セレスティアの視線が移動する。


 最前列の左端。三十代半ばの男。中肉中背。整った身なりに、柔和な笑顔。栗色の髪をきちんと整え、口元にはいつも笑みを浮かべている。


 ディートリヒ・クラウス。


 セレスティアの心臓が跳ねた。


 この顔。この笑顔。

 この男が母を殺した。

 この男が公爵家の情報を宰相に流した。

 この男が、セレスティアの人生を破壊する歯車の一つだった。


 ディートリヒは今、領地の税収報告をしている。


 「今期の税収は前年比三パーセント増。東区画の新しい農法が効果を上げております。ただし西区画の森林税に若干の未納がございまして――」


 滑らかな口調。明瞭な数字。有能な行政官の顔。

 これが仮面だ。この笑顔の下に、裏切りが隠されている。


 セレスティアは柱の陰で、小さな手を握りしめた。

 爪が掌に食い込む。痛い。だが痛みが怒りを押さえてくれる。


 ここで叫び出したい衝動がある。

 「この男は裏切り者だ」と。「宰相のスパイだ」と。

 だが三歳の子供が叫んだところで、誰が信じる。

 ディートリヒは有能で評判がいい。家臣団の中でも人望がある。

 根拠のない告発は、セレスティア自身の信用を失わせるだけだ。


 証拠が要る。

 動かぬ証拠を掴むまでは、この男の前で何も見せてはならない。


 そう決めた直後だった。

 ディートリヒの視線が動いた。報告を続けながら、何気なく扉の方を見る。

 その目が、柱の陰に吸い込まれるように止まった。


 セレスティアの心臓が凍りついた。


 見えている。この男には、柱の陰に隠れた小さな影が見えている。

 ディートリヒの口元の笑みが、ほんの僅かだけ深くなった。それだけだった。視線はすぐに公爵に戻り、報告が途切れることはなかった。

 だがあの一瞬。あの一瞬で、セレスティアの全身を冷たい汗が伝った。


 朝礼が終わった。家臣たちが散っていく。

 セレスティアは柱の陰から出て、大広間の前をうろうろした。三歳児がお散歩している体裁で。


 家臣たちが通り過ぎる。

 何人かはセレスティアに気づいて会釈した。「お嬢様、おはようございます」


 だが一人の年配の使用人が、怪訝そうに足を止めた。

 「お嬢様、こんなところでどうされました? お部屋はあちらですよ」

 まずい。三歳児がこんな場所にいるのは不自然だ。

 「おさんぽ!」セレスティアは咄嗟に笑顔を作り、両手を広げてくるくる回った。目が回る。三歳の平衡感覚では、一回転しただけでよろめいた。

 「まあまあ、危ないですよ」使用人が苦笑して手を貸してくれた。

 子供の無邪気さを演じるのも、存外に難しい。心臓がまだ早鐘を打っている。


 ヘルマンが最後に出てきた。


 老騎士はセレスティアを見つけて、膝を折った。三歳児と目の高さを合わせるために。


 「お嬢様。こんなところでいかがされましたか」


 「ヘルマンおじさま」


 言葉が自然に出た。前世でもこう呼んでいた。幼い頃だけ。成長してからは「ヘルマン殿」に変わった。距離を置いたのだ。自分から。


 今世は距離を置かない。


 「ヘルマンおじさま、すき」


 ヘルマンの目が丸くなった。

 それから、皺だらけの顔が柔らかく崩れた。


 「……ありがたいお言葉です。お嬢様」


 声が震えていた。わずかに。

 この老騎士は、公爵家に命を捧げた人間だ。だが公爵は感情を見せない主君で、家臣に「好き」と言う子供もいなかった。

 たった一言が、この男の忠誠をさらに深くする。


 ――使える人。


 一瞬だけ、そんな思考が頭をよぎった。処刑台を経験した人間の、冷たい計算。すぐに押し込めた。だが消えはしなかった。


 セレスティアはヘルマンの手を握った。大きな手。剣だこだらけの荒れた手。だが温かい。


 「ヘルマンおじさま、おかあさまをまもってね」


 「もちろんです。奥方様をお守りするのは、我々家臣の務めです」


 「……ディートリヒさまも、まもってくれる?」


 何気ない質問のように聞こえただろう。三歳児が家臣の名前を挙げただけだ。


 だがヘルマンの表情が一瞬変わった。本当に一瞬。まばたきほどの間。だがセレスティアは見逃さなかった。


 ヘルマンの目に、一瞬だけ影が差した。


 「……ディートリヒ殿も、もちろん奥方様をお守りしますよ」


 口調は平静だった。だが「もちろん」の前に僅かな間があった。


 ヘルマンもまた、何かを感じているのだ。

 長年家臣団の筆頭を務めてきた男だ。人を見る目がある。ディートリヒの何かに、薄々気づいている。だが確証がないから口にしない。ヘルマンはそういう人間だ。確証のないことは言わない。忠実で、慎重で、真っ直ぐな男。


 だからこそ信頼できる。


 セレスティアはヘルマンの手を離した。


 「ヘルマンおじさま、ありがとう」


 「いえ、お嬢様。何かございましたら、いつでもお申し付けください」


 ヘルマンは立ち上がり、一礼して去っていった。

 その背中を見送りながら、セレスティアは考えた。


 ヘルマンを味方にする。これは確定。

 だがヘルマンを直接使ってディートリヒを追及させるのは危険だ。ディートリヒは巧妙な男だ。正面から問い詰めても証拠を隠滅するだけ。


 別の方法で追い詰めなければ。


 ◇


 午後、セレスティアは庭に出た。


 マルガレーテが手を引いてくれる。三歳の足では庭の石段も大冒険だ。


 公爵邸の庭は広大だった。刈り込まれた生垣。バラのアーチ。噴水。その奥に薬草園がある。医師ローレンツが管理し、母の薬の原料もここで一部栽培されている。


 セレスティアは薬草園に向かった。


 「おはなみたい」と言えば、マルガレーテは連れていってくれる。花壇と薬草園は隣接しているから不自然ではない。


 薬草園に入る。様々な植物が整然と植えられている。ラベンダー、カモミール、セージ。そして――


 灰銀草。


 あった。

 薬草園の隅に、地味な灰色の葉を持つ小さな植物が植えられている。他の薬草に比べて目立たない。だが確かにある。


 匂いを確認する。かがみ込んで、花に顔を近づける振りをして。


 甘い匂い。そして僅かな苦味を含んだ香り。


 母のサイドテーブルにあった壺と同じ匂いだ。


 間違いない。

 灰銀草はここで栽培されている。そしてこの灰銀草が、母の薬に過剰に配合されている。


 だが栽培しているのはローレンツ医師だ。処方箋に灰銀草が記載されている以上、薬草園に灰銀草があること自体は不自然ではない。問題は「量」だ。処方箋に指示された量が、薬効量を超えた毒性量であること。それを証明しなければならない。


 セレスティアは薬草園を離れ、マルガレーテに手を引かれて花壇に戻った。


 白い花を一輪摘んで、マルガレーテに渡した。


 「おかあさまにあげるの」


 「まあ、お嬢様はお優しいこと」


 マルガレーテの笑顔。温かい手。


 だがセレスティアの頭の中は、温かさとは無縁の計算で満たされていた。


 フェリクスを動かす。期限は四年以内。母が死ぬ前に。

 できれば一年以内に毒を止めたい。母の身体は日々蝕まれている。一日遅れれば、その分回復が遅れる。


 明日、もう一度フェリクスの書庫に行く。

 あの兄の好奇心に火を点ける。母の薬への疑念を、学術的な関心に変える。


 そうすればフェリクスは自発的に調べ始める。三歳の妹に言われたからではなく、学者としての探究心で。


 それが最も自然な形だ。

 セレスティアの手が見えない形で、駒が動く。


 花壇の白い花が風に揺れていた。

 母に渡す花。あと何回、母に花を渡せるだろう。


 前世では、あと四年分しか渡せなかった。

 今世では――百年分渡してやる。


 セレスティアは花を胸に抱き、屋敷に戻った。

 小さな背中に、途方もない決意を背負って。


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