真犯人の追跡
魔力暴走事件の翌日。
王宮教育プログラムは二日間の休止となった。演習場の安全確認と、子供たちの心理的ケアのため。実際には王宮内で大人たちが慌ただしく動いていた。
王宮魔術師長オスヴァルトが調査を主導し、演習場は封鎖された。
セレスティアはその間、別邸で過ごしていた。だが頭は休んでいない。
ヴォルフが情報を運んできた。
「王宮内で魔力炉の調査が行われています。オスヴァルト殿が直接指揮を執っているとのこと」
「ほかには?」
「宰相閣下の側近が、事件を『設備の老朽化による事故』として処理しようとしている、との噂があります」
セレスティアの目が細くなった。
事故として処理する。証拠を隠す。宰相派の常套手段だ。前世でもそうだった。あらゆる不都合な出来事を「事故」「偶然」「過失」に書き換えていく。
だがオスヴァルトがいる。あの男は政治家ではない。学者だ。学者は真実を求める。
「ヴォルフ」
「はい」
「オスヴァルトせんせいに、おてがみをとどけたい」
ヴォルフは一瞬も迷わなかった。
「承知しました。内容は」
「わたしがかく」
五歳児が手紙を書く。文字が書けるとバレるのは避けたいが、この状況ではオスヴァルトに情報を伝える方が優先だ。オスヴァルトは既にセレスティアの「普通ではなさ」を知っている。今更、文字が書けることに驚きはしないだろう。
セレスティアは机に向かい、紙とペンを取った。五歳の手にはペンが重いが、前世で鍛えた筆圧で、小さな文字を連ねていく。
「オスヴァルトせんせいへ
まりょくろのなかに、そとからちからをいれたあとがあるとおもいます。
ろのしたのだいざのみぎがわ。きのうみたとき、そこだけいろがちがいました。
セレスティア」
幼女の語彙で書いた。だが内容は具体的だ。炉の台座の右側に外部干渉の痕跡がある。昨日、退室する直前に聖魔力の感覚で捉えた情報。
ヴォルフに手紙を渡した。封をして。
「届けてくれる?」
「必ず」
ヴォルフが去った後、セレスティアは窓辺に座った。
王都の屋根が朝日に照らされている。鳩が飛んでいる。平和な朝の風景。だがこの街の裏側では、権力の暗闘が続いている。
◇
午後。
ヴォルフが戻ってきた。オスヴァルトからの返信はなかった。だがヴォルフは一つの情報を持ち帰った。
「オスヴァルト殿が、炉の台座を分解して調査を行ったそうです」
動いた。
オスヴァルトはセレスティアの手紙を受け取り、指摘された箇所を調べた。
結果がどうだったかは、まだ分からない。だがオスヴァルトが動いた以上、人為的な干渉の痕跡があれば必ず見つける。あの男の目は、魔力の嘘を見逃さない。
翌日、王宮教育プログラムが再開された。
◇
教室に入ると、空気が変わっていた。
子供たちの顔が硬い。昨日の暴走事件の余波だ。フリーデリケは母親が「もう行かせたくない」と言ったらしいが、王宮教育プログラムは王家主催だ。簡単には辞退できない。
コンラートは相変わらず平然としていた。この子は恐怖に強い。だが注意深く周囲を見回している。危険がないか確認している。
アレクシスは少し痩せたように見えた。眠れなかったのだろう。王太子として、事件の責任を感じているのかもしれない。自分の宮殿で子供たちが危険にさらされたのだから。
イザベラは普段通りだった。完璧な座姿勢。冷たい目。何も変わっていない。
ヴィオレッタが席に着いた時、セレスティアの方を見た。金色の目が少し揺れている。
「……昨日、あなた先に出たわよね」
小声。他の子供には聞こえない。
「うん。おなかいたかったの」
「ふうん」
ヴィオレッタは視線を前に戻した。だが何か考えている顔だった。あの子は鋭い。セレスティアが「偶然」退室したのではないと、薄々感じているのかもしれない。
授業が始まる前に、オスヴァルトが教壇に立った。
「昨日の件について話す。演習場の魔力炉に異常が見つかった。調査の結果、外部からの干渉があったことが判明した」
教室が凍った。
外部からの干渉。つまり事故ではない。誰かが意図的にやった。
「犯人は特定できていない。だが事故ではなく、人為的な行為であることは確定した。王宮警備隊に報告済みだ」
子供たちがざわめいた。
「だれかが……わざとやったの?」
フリーデリケが震える声で聞いた。
「そうだ。だが安全対策は既に強化した。同じことは起きない」
オスヴァルトの声は平坦だった。子供たちを安心させるために感情を削いでいる。
だがセレスティアは、オスヴァルトの目の奥に怒りを見た。学者の怒りだ。自分の管轄する演習場を汚された怒り。子供たちを危険にさらされた怒り。
この男は本気だ。犯人を見つけるつもりだ。
◇
授業の後、セレスティアはオスヴァルトの研究室を訪ねた。
「入っていいですか」と聞く前に、扉が開いた。オスヴァルトが中から出てきた。セレスティアが来ることを予測していたのだろう。
「入れ」
研究室は本と器具で溢れていた。壁面の棚に魔力学の書物が天井まで積まれ、机の上には水晶の球体や金属の器具が並んでいる。部屋の奥に小さな炉がある。実験用だ。
オスヴァルトは椅子に座り、セレスティアを見下ろした。
「手紙は読んだ。台座の右側を調べた」
「ありました?」
「あった。魔力干渉の痕跡。外部から魔力を注入し、炉の安全弁を無効化した跡だ。かなり巧妙な手口だ。通常の魔術師では気づかない」
「せんせいはきづいた」
「お前が指摘したから調べた。お前がいなければ見過ごしていたかもしれん」
オスヴァルトの灰色の目が鋭くなった。
「お前はあの炉の異常を、聖魔力の感覚で察知したのだな」
「……はい」
隠す意味はない。この男の前では。
「光と闇の感覚。お前には魔力の歪みが『見える』。理論上は知っていたが、実例を見たのは初めてだ」
学者の声に戻っている。だがすぐに表情が引き締まった。
「聞く。お前は、犯人に心当たりがあるか」
直球。この男は遠回しなことをしない。
セレスティアは迷った。
宰相派の仕業だと言いたい。前世の記憶がそう告げている。だが「前世の記憶」は使えない。五歳児がどうやって宰相派の陰謀を知り得るのか、説明がつかない。
「……わからない。でも、わたしのせいにしたかったひとがいるとおもう」
オスヴァルトの目が光った。
「お前のせいに」
「はい。わたしがなかにいたら、わたしのまりょくがぼうそうしたっていわれた」
五歳児の推論として。だが正確すぎる推論。
オスヴァルトは長い沈黙の後、溜息をついた。
「……お前は本当に五歳か」
父と同じことを言われた。
「ごさいです」
「そうか」
オスヴァルトは立ち上がった。窓辺に歩み寄り、外を見た。
「犯人の特定には時間がかかる。魔力干渉の痕跡から術者の魔力波形を解析しているが、一致する記録がない。王宮内部の人間ではあるだろうが、尻尾を掴ませない手口だ」
宰相派の工作員。直接手を下す実行者は、証拠を残さないよう訓練されている。
「だが一つ分かったことがある」
オスヴァルトが振り返った。
「干渉に使われた魔力は、闇属性だ」
闇属性。
セレスティアの心臓が跳ねた。
闇属性は珍しい。王宮内で闇属性の魔術師は限られている。
そして、宰相ヴィクトール・ド・ガルニエの家系は――闇属性の血統。
イザベラの紫の瞳が脳裏をよぎった。
「直接の証拠にはならん。闇属性の術者は他にもいる。だが範囲は絞れた」
オスヴァルトはセレスティアの目を覗き込んだ。
「お前に一つ忠告する。この件は大人に任せろ。お前が首を突っ込むと、仕掛けた側がお前を警戒する。今のお前には、まだ身を守る力がない」
正論だ。
五歳の身体では、直接戦えない。宰相派に目をつけられれば、守る手段が限られる。
「……わかりました」
素直に頷いた。だが心の中では別のことを考えていた。
大人に任せる。それは正しい。オスヴァルトが調査を進めてくれるなら、それに越したことはない。
だがセレスティアにしかできないことがある。
子供たちの信頼を得ること。アレクシスを支えること。ヴィオレッタの壁を崩すこと。イザベラの仮面の裏を読むこと。
大人の戦場は大人に。子供の戦場は、自分に。
「せんせい」
「なんだ」
「ありがとうございます。しらべてくれて」
オスヴァルトは一瞬、面食らったような顔をした。
「……礼を言われることではない。教師として当然のことだ」
だがその声は、ほんの少しだけ柔らかかった。
◇
研究室を出ると、廊下にアレクシスがいた。
壁にもたれて、床を見ている。金髪が顔にかかり、表情が見えない。
「殿下?」
アレクシスが顔を上げた。目が赤い。泣いていたのだ。
「セレスティア……」
「どうされたのですか」
「……僕のせいだ」
「え?」
「魔力暴走。僕の宮殿で起きた。僕が王子なのに、みんなを守れなかった」
五歳の少年が、自分を責めている。王太子の責任感が、五歳の心を押し潰している。
ここで間違えてはいけない。この子が感情を閉ざす前に。
「殿下」
セレスティアはアレクシスの前に立った。目線を合わせる。同じくらいの身長だから、背伸びは要らない。
「殿下のせいじゃないです」
「でも――」
「わるいひとがやったんです。せんせいがそういいました。殿下はわるくないです」
アレクシスの目から涙が一粒落ちた。
「僕は……王子なのに……」
「おうじさまだから、つらいんですね」
アレクシスが目を見開いた。
「つらくて当然です。だから泣いていいんです」
だが今この瞬間、セレスティアの心にあるのは計算ではなかった。
この子が泣いている。それが、ただ悲しかった。
前世で自分を見捨てた男の、子供時代の涙。
あの冷たい目は、こうやって作られたのだ。泣くことを許されず、弱さを見せることを禁じられ、やがて感情を捨てた。
今世では、泣かせてやる。泣いていいと言ってやる。
「セレスティア」
「はい」
「君は……泣かないの?」
「わたしは、よるなきます。まいばん」
正直に言った。なぜだろう。この子の前では嘘をつきたくなかった。
アレクシスが驚いた顔をした。
「毎晩?」
「はい。こわいゆめをみるから」
「……僕も、昨日怖い夢を見た」
「おなじですね」
セレスティアは手を差し出した。
「ないているの、ふたりだけのひみつです」
アレクシスは涙を拭い、セレスティアの手を握った。
小さな手と小さな手。五歳の指が絡み合う。
「秘密だよ」
「はい。ひみつです」
アレクシスが笑った。涙の跡が残る頬で、不器用に。
その笑顔を見て、セレスティアは確信した。
この子はまだ変えられる。この笑顔を守れる。
前世の断頭台で、路傍の石のように自分を見下ろした男を、この手で変えてみせる。
廊下の窓から午後の光が差し込み、繋いだ手を照らしていた。
二つの影が、一つに重なっている。




