ヴィオレッタとの邂逅
その少女は、嵐のように現れた。
王宮教育プログラムの三週目。新しい生徒が加わるという告知があった。遅れて参加する貴族の子女。名前は――
ヴィオレッタ・フォン・モンテヴェルデ。
名前を聞いた瞬間、セレスティアの世界が揺れた。
教室の扉が開いた。
六歳の少女が入ってきた。
燃えるような赤毛。金色の目。小柄だが、全身から気の強さが溢れている。顎を上げ、胸を張り、怖いものなどないという顔で教室を見渡した。
「モンテヴェルデ侯爵家のヴィオレッタです。よろしくお願いします」
声が大きい。堂々としている。だがどこかに棘がある。周囲を警戒しているのだ。新しい環境に飛び込む子供が、先制攻撃のように自己主張する。
セレスティアの手が震えた。
この顔。この声。
前世の法廷。証言台に立つ十六歳の女。赤い髪。金色の目。鋭い声。
「セレスティア・フォン・アルヴェインは国家の敵です。彼女の聖魔力は制御不能であり、王国にとっての脅威です。彼女が王太子殿下を誑かし、国政を混乱させたことは明白です」
あの証言がセレスティアの処刑を決定づけた。ヴィオレッタの証言は詳細で具体的で、陪審を完全に説得した。
セレスティアは有罪になった。国家反逆罪。処刑。断頭台。
あの声が。あの顔が。今、六歳の姿で目の前にいる。
呼吸が乱れた。三秒吸う。三秒止める。三秒吐く。三秒止める。
落ち着け。あれは前世の話だ。この子はまだ六歳だ。まだ何もしていない。まだ何も知らない。
だが感情は理屈では制御できない。PTSDのフラッシュバックは論理を超えて襲ってくる。
ヴィオレッタの金色の目がセレスティアを捉えた。
「あなた、アルヴェイン家の? うちのお父様と仲が悪いのよね」
直球。遠慮がない。この子は最初から喧嘩腰だ。
「なかがわるいの? しらなかった」
セレスティアは五歳児の無知を装った。
「知らないの? あなた、自分の家のこと知らないわけ?」
ヴィオレッタの声にはっきりとした軽蔑があった。六歳の少女がこの態度。家庭で何を教えられてきたか想像がつく。
「モンテヴェルデ家は代々王室に仕えてきた名門よ。辺境のアルヴェイン家とは格が違うの」
高慢。だが子供の高慢さには悪意がない。まだ借り物の言葉で話しているだけだ。
セレスティアは複雑な感情に襲われた。
憎しみがある。前世の記憶が叫んでいる。この女が自分を殺したのだと。この証言がなければ処刑は免れたかもしれないと。
だが同時に、目の前にいるのは六歳の少女だ。高慢で、気が強くて、だが本質的には子供だ。親の偏見を刷り込まれ、それを正義だと信じている子供。
前世のヴィオレッタも、最初からセレスティアの敵だったわけではない。長い年月の中で対立が深まり、宰相派に組み込まれ、最終的にあの証言に至った。
なら、今の時点で関係を変えることは可能か。
「ヴィオレッタさま、すごいね。おうちのこと、よくしってるんだね」
褒めた。意識的に。
ヴィオレッタが少し面食らった顔をした。喧嘩を売ったのに褒められるとは思っていなかったのだろう。
「と、当然よ。侯爵家の令嬢ですもの」
強がり。だが声の角が少し取れた。
「わたしはセレスティア。よろしくね、ヴィオレッタさま」
手を差し伸べた。
前世で自分を告発した人間に、手を差し出す。それがどれほど困難なことか。手が震えている。だが差し出す。
ヴィオレッタはセレスティアの手を見つめた。金色の目が揺れた。
この子も戸惑っている。敵対している家の娘に手を差し出されることの意味を、六歳なりに感じ取っている。
前世のヴィオレッタを思い出す。証言台に立った十六歳。あの時の目に迷いはなかった。
だが今、六歳の少女の目は揺れている。
「……よろしく」
手を取った。短く。すぐに離した。だが触れた。それだけで十分だった。
◇
昼休み。
ヴィオレッタはイザベラの傍にいた。宰相派の令嬢同士、自然と引き合うのだろう。イザベラがヴィオレッタに何かを囁き、ヴィオレッタが頷いている。
セレスティアはフリーデリケと中庭にいた。コンラートも一緒だった。最近はこの三人で昼を過ごすことが多い。
「ヴィオレッタさま、きつい方ですね……」
フリーデリケが小声で言った。
「辺境を馬鹿にする奴は嫌いだ」
コンラートが腕を組んだ。コンラートも辺境伯の子だ。ヴィオレッタの発言は彼にとっても不愉快だったろう。
「でもね、ヴィオレッタさまはわるいこじゃないとおもう」
セレスティアの言葉に、二人が驚いた顔をした。
「悪い子じゃない? あんなこと言ったのに?」
コンラートが眉を寄せた。
「おやにいわれたことをそのままいってるだけだよ。じぶんでかんがえてるわけじゃない。だからわるいこじゃなくて、まだしらないだけ」
フリーデリケが不思議そうにセレスティアを見た。
「セレスティアちゃんは、優しいね。私だったら、あんなこと言われたら泣いちゃう」
「わたしもないたことあるよ。たくさん」
前世で。何度も。
「でもね、なくだけじゃかわらないの。だからてをのばす。てをのばせば、とどくかもしれない」
コンラートが黙って考え込んだ。七歳の少年なりに、セレスティアの言葉の重みを感じ取っているようだった。
「お前、変わった奴だな。でも……嫌いじゃない」
「ありがとう、コンラートさま」
「さま付けはやめてくれ。コンラートでいい」
「じゃあ、コンラート」
コンラートの耳が赤くなった。フリーデリケの時と同じだ。この年頃の男の子は名前を呼ばれると照れる。
◇
午後の授業中、ヴィオレッタが隣の席に座った。
偶然ではない。席替えがあったのだ。アンネリーゼ教師が座席を変更し、ヴィオレッタとセレスティアが隣同士になった。
意図的な配置か。それともただの偶然か。
ヴィオレッタは隣に座ったセレスティアを一度だけ横目で見て、すぐに前を向いた。話しかける気はないようだ。
礼法の授業が進む。食事のマナー。フォークの持ち方、ナプキンの使い方、会話の作法。
セレスティアは完璧にこなした。前世で叩き込まれた礼法。身体が覚えている。
ヴィオレッタも上手だった。侯爵家の教育は行き届いている。
だがヴィオレッタの手が一瞬止まった。デザートフォークの角度。僅かなためらい。
「こうだよ」
セレスティアが小声で教えた。フォークの持ち方を実演して見せる。
ヴィオレッタの金色の目が動いた。驚き。そして警戒。
「……教えてくれるの? 敵なのに?」
「てき? わたしたち、てきなの?」
「うちのお父様がそう言ってるもの」
「でもわたしたちはおとうさまじゃないよ。わたしはわたし。ヴィオレッタさまはヴィオレッタさま」
ヴィオレッタが黙った。
金色の目が揺れている。六歳の少女の中で、親から教えられた価値観と、目の前の現実が衝突している。
「……ありがとう。フォークの持ち方」
小さな声。聞こえるか聞こえないかの声。
だがセレスティアの耳には届いた。
「どういたしまして」
それ以上の会話はなかった。だが壁に小さな罅が入った。ほんの僅かな罅。だが罅はいつか道になる。
◇
夜、ベッドの中で、セレスティアは天井を見つめていた。
ヴィオレッタの顔が浮かぶ。六歳の赤毛の少女。金色の目。気が強くて、高慢で、だがフォークの持ち方を教えられた時に見せた、僅かな戸惑い。
前世の記憶が重なる。十六歳のヴィオレッタ。法廷。証言台。鋭い声。
「セレスティア・フォン・アルヴェインは国家の敵です」
あの言葉は、ヴィオレッタ自身の意志だったのか。それとも宰相に操られていたのか。
分からない。前世の記憶は不完全だ。断片的で、感情に歪められている。
だが一つだけ確かなことがある。
前世のヴィオレッタとセレスティアの関係は、最初から敵対だった。出会った時から壁があり、壁はやがて城壁になり、城壁はやがて刃になった。
今世では違う関係を作れるか。
正直に言えば、自信はない。ヴィオレッタの顔を見ると、PTSDが疼く。あの証言の声が耳に蘇る。首が痛くなる。
だが逃げない。
逃げたら前世と同じだ。恐怖に支配され、関係を築けず、最後に敵になる。
手を差し出す。届くかどうかは分からない。拒まれるかもしれない。裏切られるかもしれない。
それでも差し出す。
なぜなら、差し出さなかった結果を、セレスティアは知っているから。
断頭台。処刑。死。
あの結末を、もう一度迎えるわけにはいかない。
セレスティアは目を閉じた。
胸のブローチに手を当てる。銀の鷲。碧い石。白い聖石。
ヴィオレッタ・フォン・モンテヴェルデ。
前世の敵。今世の――
まだ分からない。
だが少なくとも、フォークの持ち方を教えた。
小さい。けれど、確かに進んだ。
セレスティアは暗闇の中で微かに笑った。
今夜の悪夢は、少しだけ軽いかもしれない。




